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日蓮教学精要 本多日生著 昭38年初版函付 出版社 財団法人統一団 サイズ B6 全414頁本多日生(1867年4月17日(慶応3年3月13日) - 1931年(昭和6年)3月16日)僧侶。日蓮宗妙満寺派、顕本法華宗元管長、法号は聖応院日生。近代日本の代表的な日蓮仏教の改革者として名を残す。 1884年(明治17年)以降、明治政府のもと仏教各宗派の教団近代化が始まり、日蓮宗妙満寺派にいた日生は革新派として近代化の体制整備に奔走し、1889年(明治22年)、24歳の若さにして妙満寺派教学部長に就任する。しかし、日生の革新的な宗制改革は、宗内の守旧派から反発を呼び、保守派の錦織日航が管長に就任すると、1891年(明治24年)、教学部長を罷免される。日生に対する守旧派の処分は続き、福島県二本松の蓮華寺への左遷命令を拒否した日生に対して1892年(明治23年)、僧籍剥奪処分が下る。以後、日生は「顕本法華宗義弘通所」を設立して独自の布教活動を始める。宗内での盛んな日生復権運動の結果、1894年(明治27年)、宗門は「仏教各宗綱要」の日生への執筆依頼のために僧籍を復権。それと同時に、かねてから構想していた日蓮門下統合に向けて僧俗を問わずに運動を展開する拠点として「統一団」を結成する。団報「統一」を発刊し、現在までその活動は継続されている。日生は宗門の宗務総監に就任した後、日蓮宗妙満寺派を正式に「顕本法華宗」とする公称許可を得て、1905年(明治38年)、39歳で顕本法華宗管長に就任した。以後21年間、同職を務める中、1909年(明治42年)には以前からライフワークとしていた僧俗一体の布教伝道、社会教化、門下統合の拠点とするため「天晴会」を組織、佐藤鉄太郎海軍中将、小笠原長生子爵などの有力軍人、政治家、名士たちが名を連ねた。関連団体として、各地で頻発する労働争議に対応するための労働者・勤労者を中心とした「自慶会」や、共産主義、無政府主義に対抗するための政治運動拠点として「知法思国会」も組織し、幅広い分野での日蓮主義伝道活動に務めた。1922年(大正11年)、広く日蓮門下に呼びかけ宗祖・日蓮大聖人の「立正大師号追諡」を実現させる。以後日生は宗祖を一貫して「立正大師」と呼称し続けた。
ぼくらの出航 長編少年少女小説 那須野稔著 出版社 講談社 刊行年 昭和38年初版函付き ページ数 184頁 サイズ A5判敗戦時の動乱の満州に生きる日本少年の物語。第三回講談社児童文学作品募集佳作入選。
まるいてえぶる1号 井上靖還暦記念号 編集人 井上修一 制作者 原雅人 1967年発行 全111ページ 非売品
講座日本の演劇 1 日本演劇史の視点 諏訪晴雄・菅井幸雄編 出版社 勉誠社 刊行年 平4年初版 カバー・帯付世界の中の、そして古代から現在への日本の芸能と演劇。人間はなぜ演じ続けてきたのか?いま、時空の双軸を把握する視座。200名の第一線の執筆陣による書き下し。目次序論 日本演劇史の視点1 演劇の誕生2 演劇の展開3 民俗芸能4 歌謡と芸能5 アジアと日本芸能6 ヨーロッパと日本演劇7 アイヌの芸能8 沖縄の芸能9 研究の手引
『古事記』諸本における受容と展開の研究 <國學院大學大学院研究叢書 古事記 文学研究科 15> 小林真美 著 出版社 國學院大學大学院 刊行年 平18 ページ数 231p
峭峻の白き尾根 ダウラギリⅠ峰南東稜1978 群馬県ヒマラヤ登山実行委員会編 出版社 群馬県山岳連盟発行 刊行年 1980年初版、函付き、布装 ページ数 306ページ 今は亡き4人の岳友に捧げる 故小暮勝義 故阿久澤廣 故深澤勇二郎 故小林清
バッテン 11号(終刊号) グループ・バツテン略年譜 彦坂紹男編 天沢退二郎・秋元潔・鈴木志郎康・彦坂紹男・高野民雄・藤田治・山本道子・渡辺武信 出版社 グループX 刊行年 1964年2月25日 ページ数 表紙含12p サイズ 214x153mm
ライ園留学記 <愛と希望の記録 1> 渡辺信夫 著 出版社 教文館 刊行年 昭和43年 ページ数 261p 星塚敬愛園にて、奄美和光園にて、菊池恵楓園にて、長島聖書学舎にて、松丘保養園にて、大島青松園にて、東北新生園にて、邑久光明園にて、長島愛生園にて、栗生楽泉園にて、多磨全生園にて。国立、私立ライ療養所所在地図 松岡保養園、東北新生園、神山復生病院、駿河療養所、身延深敬園、琵琶崎待労病院ほか