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戦前 札幌案内 札幌鉄道局 54cm-39cm

暢気堂書房

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図録 宮川香山 : 虫明焼と明治の陶芸 : 没後一〇〇年 福冨幸, 大山真季編 出版社 岡山県立美術館 2016年 ページ数 167 宮川香山(天保13年1月6日(1842年2月15日) - 大正5年(1916年)5月20日)明治時代の日本を代表する陶工。高浮彫、真葛焼(横浜焼)の創始者、帝室技芸員。2代目宮川香山・宮川半之助は養子。海外ではMakuzu Kozanとしても知られている。香山は天保13年(1842年)、京都の真葛ヶ原に陶工・真葛宮川長造の四男として生まれた。幼名は虎之助。19歳の時、父と兄が亡くなり陶工の家を継ぐと父が生前朝廷用の茶器を制作し「香山」の称号を受けていたため虎之助は初代香山の名を名乗り父の得意とした色絵陶器や磁器などを制作。その腕は評判を呼び慶応2年(1866年)、25歳の時、幕府から御所献納の品を依頼されるまでになった。明治3年(1870年)、29歳の時、薩摩の御用商人梅田半之助、実業家鈴木保兵衛らに招聘され翌年、横浜に輸出向けの陶磁器を作る工房・真葛窯を開いた。しかし、当時の関東地方には陶磁器を作る土がなく有名な工房があるのは京都や中国地方などに集中していたため、この地に工房を開くのはかなりの苦労を伴う事業だった。香山は当初欧米に流行していた薩摩焼を研究していくつもの作品を制作、この工房の作を「真葛焼」と名づけて輸出したが金を多量に使用する薩摩焼は制作費に多額の資金を必要とするため、香山は「高浮彫(たかうきぼり)」と呼ばれる新しい技法を生み出す。これは金で表面を盛り上げる薩摩焼の技法を、金のかわりに精密な彫刻を掘り込むことで表現したもので、薩摩焼の技法に変わる新 ¥2,000

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新編心理 : 付・論理及倫理一般 明治32年初版山田禎三郎 著出版社:集英堂234p 23cm カバーなし 所々線引きあります。山田 禎三郎(1871年4月22日(明治4年3月3日) - 1930年(昭和5年)10月6日)は、日本の教育者、実業家、衆議院議員。信濃国諏訪郡東堀村(現長野県岡谷市)に生まれる。1894年東京高等師範学校を卒業後、郡立諏訪実科中学(長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)に勤め、千葉県師範学校に赴任。その後、 同郷の渡辺千秋京都府知事の縁故で京都府視学に登用されたが辞任し、1899年茨城県師範学校の校長となった。1900年教職を去り、千葉新聞の記者となる。その後は実業界に転じ、書肆普及会会長、帝国書籍取締役に就任。1902年の教科書疑獄事件では事件発覚のきっかけを作った人物となったが、当人は直前にヨーロッパの教科書事情調査として渡英しており、逮捕は免れたものの留守宅が家宅捜索を受けた。また政界に進出し、1902年の第7回衆議院議員総選挙に長野市選挙区から出馬し落選、1912年の第11回衆議院議員総選挙に同県郡部選挙区から当選を果たす。しかし事業の失敗により1年足らずで辞職し、株券の偽造により投獄された。1907年に中ノ鳥島を発見し、上陸の後、測量までしたとされるが、その後誰1人としてこの島を発見する事は出来なかった。
¥15,000

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