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そば猪口絵柄事典 小川啓司著 北摂山樵独活大王署名落款入 昭和49年初版帯付 歌入り署名落款5点付き

暢気堂書房

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鴟鵂庵閑話 富士川英郎 著 出版社 筑摩書房 刊行年 昭和52 ページ数 198p 富士川 英郎(ふじかわ ひでお、1909年2月16日 - 2003年2月10日)は、日本のドイツ文学者・比較文学者、東京大学名誉教授。1909年、東京に生まれる。父富士川游は医学史家。神奈川県立湘南中学校から、旧制広島高等学校を経て1932年東京帝国大学を卒業。戦前、戦中は雑誌『四季』、『批評』などに寄稿。36年第六高等学校講師となり岡山に住む。1938年、長男富士川義之が出生。1943年、佐賀高等学校教授。戦後は1946年に九州帝国大学講師、1949年に新制発足した東京大学教養学部助教授、1956年教授。ドイツ文学、比較文学を講じ、1961年からは比較文学比較文化研究室主任教授、同僚は島田謹二、氷上英廣。著名な弟子に平川祐弘や芳賀徹、小堀桂一郎など多数。1969年定年退官、名誉教授、玉川大学教授、1979年定年、5年間客員教授。1989年に日本藝術院会員に選出された。終生鎌倉市に在住した。ドイツ文学者としてはR・M・リルケが専門で、『リルケ全集』の編纂を行った。またホフマンスタールの最初期の翻訳者で、のちに弟子らと『ホフマンスタール選集』の編纂にも参加した。近世漢詩の研究でも著名で『江戸後期の詩人たち』で、1968年に読売文学賞(評論・伝記賞)、高村光太郎賞を受賞。1986年、日本芸術院賞受賞[1]。1990年に『菅茶山』で大佛次郎賞を受賞した。汲古書院で刊行された『詩集日本漢詩』(全20巻)、『詞華集日本漢詩』(全11巻)、『紀行日本漢詩』(全5巻)の編纂にも参与した。
¥2,000
学芸国語国文学 54号 2022年3月 北澤尚教授退職記念号北澤尚教授 略歴と業績 (北澤尚教授退職記念号)p.5-13北澤先生のこと (北澤尚教授退職記念号)荒尾 禎秀p.20-22『万葉集』挽歌における海の空間性 : 境界・船・死体 (北澤尚教授退職記念号)沖山 槙之介p.25-36真名本訓読本『曾我物語』における「名」の問題をめぐって : 所領としての名から、行為としての名へ (北澤尚教授退職記念号)上田 悠人p.37-48孤独な社交 : 夏目漱石『明暗』論 (北澤尚教授退職記念号)伊藤 かおりp.49-61テクストの戯れの中で : 平野啓一郎「Re:依田氏からの依頼」論(北澤尚教授退職記念号)近藤 直子p.62-75「ない」・「よい」+様態「そうだ」の歴史的変化 (北澤尚教授退職記念号 ; 北澤尚教授退職記念論文)舘野 桃子p.116-102コーパスに見られる接尾辞「中」の前接語彙の特徴と近現代の推移について (北澤尚教授退職記念号 ; 北澤尚教授退職記念論文)劉 淼p.129-117『日本書紀』における「曰・云・言・謂」について : 発話引用の用法を中心に (北澤尚教授退職記念号 ; 北澤尚教授退職記念論文)金 連花p.140-130漢語通時コーパス「大地コーパス」の構築 : 「日本漢詩文集サブコーパス」の公開に際して (北澤尚教授退職記念号 ; 北澤尚教授退職記念論文)王 鼎p.152-141語構成からみた接続助詞ノデの用法の広がり : 「名大会話コーパス」を対象として (北澤尚教授退職記念号 ; 北澤尚教授退職記念論文)宮澤 太聡p.166-153日本語会話における割り込み発話の考察 : 親疎関係の視点から (北澤尚教授退職記念号 ; 北澤尚教授退職記念論文)祁 福鼎, 鄒 暁婷p.179-167尾崎紅葉『金色夜叉』(前編)における推敲実態とコーパス構築の試み (北澤尚教授退職記念号 ; 北澤尚教授退職記念論文)許 哲p.192-180日本統治下の台湾における雑誌漢文欄漢文の多様性 : 明治40年代を中心に (北澤尚教授退職記念号 ; 北澤尚教授退職記念論文)蔡 欣吟p.204-193言語行為へのローカル文法的アプ
¥1,500
12冊 りのさとし 昭和42年一号〜三号,五号〜八号。昭和43年一号、九号〜十二号世界心道教 世界心道教は、愛知県豊川市に本部を置く宗教法人。創始者は会田ヒデ(1898年9月30日 - 1973年5月24日)。「天地月日御親水火風之大神」を祀る。教祖会田ヒデは1923年に天理教に入信し、同教の教師を務めていたが、1925年、大西愛次郎に賛同し、ほんみちへ移る。その後、1933年に元ほんみち信者であった勝ひさのの天理三輪講へ移って活動を続けていたが、1938年3月13日、大阪府西淀川区で月読之命と国狭土之命の2社が彼女の体に天下り、天啓者となったとされる[1]。更に1942年12月23日には10社が天下った。1943年より東京都渋谷区大岡山で人助けを始め、1944年1月、東京渋谷に移転。同年11月3日、「世界心道会」を設立した。以後、ヒデは「親様」と呼ばれるようになった。1946年3月、愛知県豊川市に移転。1949年、現在地である豊川市諏訪に本部を移し、1948年7月6日に宗教法人令による宗教法人として、また1952年7月11日に宗教法人法による宗教法人として発足した。会田ヒデは、天理教の開祖中山みきの著した『おふでさき』や『泥海古記』の文章を独自に解釈し、「1838年(天保9年:天理教創始の年)から100年後に新たな者から天の指図が下されるようになる」とした。彼女の言う「100年後」というのが、まさにヒデの体に天の月日が天下ったとされる年である。世界心道教の教義によれば、「従来の信仰では、ひたすら拝むことによって天の加護が得られたが、ヒデに神が天下った後は、拝むだけでは功徳を積んだことにならず、道をあけねば御利益は得られない」と説く。「道あけ」とは、心の改良を行うことである。身上(体の悩み)や事情(心の悩み)は人の心が天の心に反したために起こるものであり、心の改良を行えば御利益が得られる。これを「心のしんせいふっこう」と呼ぶ。世界心道教は、この新しい信仰のあり方を広く啓蒙することによって、理想世界の建設を目指すとしている。
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