小此木啓吾 著、筑摩書房、2003年6月、357p、15cm
9刷 カバー付 カバーヤケ無し 本体三方ヤケ無し 線引き無し書き込み無し 保存状態良好です。
世の中が豊かになり、大きな政治的な危機がなければ、どの時代でも享楽的、自己陶酔的な人生に傾く人が増えるのに不思議はない。ましてや、人間が溢れ、社会的流動性が減少していく時代では、そしてテレビやウォークマンなどの一方通行的な視聴覚機器が普及している時代では、人間は大志を持たなくなり、保守的な生活態度をとるようになるのであろう。さらには教育の中で政治、歴史の価値判断が俎上にのらなくなれば、多くの人間にとって内的世界が残されたフロンティアになるだろう。フロンティアの開拓に成功する人は多くない。むしろ、宗教的、哲学的、倫理学的トレーニングのサポートが少ないわが国においては、自己愛人間が増えることは自然なことといえるだろう。
著者は、現代人の心理構造の方程式として《アイデンディティ》―《自我理想(集団幻想)》=《裸の自己愛》の図式をあげている。「自己愛人間は、相手の気持ちとか周囲との客観的なかかわりから微妙に隔たった、自己愛カプセルの中で暮らしている」との指摘は当を得たものである。
ただし、現代ではグローバリゼーションによる貧富の拡大、財政赤字に蓄積にともなう社会保障の劣悪化、企業経営の厳しさから失業率が増大して、就業環境も厳しくなっている。その中で、自己愛人間も自分の領域で安逸をむさぼることができなくなり、一部は自己愛そのものを失って自殺するひとが増え、自己愛が破綻して無差別殺人をして死刑を希望する人間さえ増えた。
自己愛人間は、政党支持でいえば政党支持なしの浮動票の属するひとが多いと考えられるが、現代の日本では浮動票が政権交代を実現させたように、しだいに、背を腹に変えられない状況に相対して、自我理想《集団幻想》を膨らましつつある。