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満洲・敗戦記録珠玉集 別冊『満洲と日本人』② 満洲と日本人編集委員会編 出版社 大湊書房 刊行年 昭和55年第1刷 解説  カバー 240頁

暢気堂書房

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樺戸集治監獄話著者 寺本界雄 出版社 樺戸行刑資料刊行会 刊行年 平成2 月形に樺戸集治監が誕生したのは、開拓使が一定の使命を果たし、全国では憲法制定や議会の設置への気運が高まっていた、こうした大きな変革の時代でした。そもそも集治監とはどんな施設なのでしょう。集治監は、今でいえば重罪犯を収容する特別な刑務所。徳川時代、重罪人は各地の藩ごとの監獄が扱い、罪によって伊豆七島や隠岐などに流されていました。藩の制度を廃止した明治の廃藩置県(1871 年)によって、受刑者は府県の監獄が収容するようになります。しかしまもなく、明治政府を主導した旧薩摩藩や長州藩のリーダーたちが進める政治への不満が募り、各地で旧士族の反乱が勃発しました。1874(明治7)年の「佐賀の乱」、76 (明治9)年の熊本の「神風連の乱」、福岡の「秋月の乱」、山口の「萩の乱」などです。そして1877(明治10)年には維新の立役者であった西郷隆盛を担ぐ、大規模な西南戦争が勃発します。立ち上がった旧士族たちはいずれもやがて政府に鎮圧されて敗北を喫し、首謀者たちは重罪人のレッテルを貼られることになりました。こうした旧士族の重罪人たちは、騒乱が起こった各県の監獄に収監される手はずになります。しかしその数があまりに多かったために、内務省が一元的に直轄する専用施設が必要になりました。これが集治監です。集治監は1878(明治11)年、まず東京(小菅集治監)と仙台(宮城集治監)に建てられ、3カ所めとして北海道が選ばれます。なにしろ当時の北海道の内陸の多くは未開の原野が広がり、本州から見ればまさに最果ての流刑地ともいえる土地でした。立地調査の段階から初代の典獄(監獄長)となるまで、北海道の集治監立ち上げに深く関わったのは、福岡藩出身で内務官僚だった月形潔(1847~1894)でした。樺戸集治監の開設には、さらに北海道の開拓という重要な目的がありました。1879(明治12)年、内務卿伊藤博文が太政大臣三条実美に建議書をあげます。社会を乱した凶悪犯や政治犯たちは、ただ徒食させることは許されない。ロシアへの備えの意味からも開拓が急務である北海道に送り込んで、開墾や道路建設などにつかせるのが良い、とするものです。 ¥1,500
臨済宗妙心寺派宗制 発行人臨済宗妙心寺派総務部長 羽賀文圭 編集制作 編集工房 銀匙社 臨済宗妙心寺派宗務本所発行  非売品 垂示記念印あり 刊行年 平9 サイズ B6判 全530頁+92頁 京都の禅寺は、五山十刹代表される、室町幕府の庇護と統制下にあった一派と、それとは一線を画す在野の寺院とがあった。前者を「禅林」または「叢林」、後者を「林下」といった。妙心寺は、大徳寺とともに、修行を重んじる厳しい禅風を特色とする「林下」の代表的寺院である。平安京の北西部を占める風光明媚な妙心寺の地には、花園上皇の花園御所(離宮萩原殿)があった。花園上皇は、建武2年(1335年)落飾して法皇となり、花園御所を禅寺に改めることを発願した。法皇の禅の上での師は大徳寺開山の宗峰妙超であった。宗峰は建武412月没するが、臨終間近の宗峰に花園法皇が「師の亡き後、自分は誰に法を問えばよいか」と尋ねたところ、宗峰は高弟の関山慧玄を推挙した。その頃、美濃の伊深で修行に明け暮れていた関山は、都に戻ることを渋っていたが、師僧・宗峰の遺命と花園法皇の院宣があっては辞去するわけにはいかず、暦応5年/康永元年、妙心寺の開山となった。なお、「正法山妙心寺」の山号寺号は宗峰が命名したもので、釈尊が嗣法の弟子・摩訶迦葉に向かって述べた「正法眼蔵涅槃妙心」という句から取ったものである。関山慧玄の禅風は厳格で、その生活は質素をきわめたという。関山には他の高僧のような「語録」はなく、生前に描かれた肖像もなく、遺筆も弟子の授翁宗弼に書き与えた印可状の他、ほとんど残されていない。妙心寺では開山関山慧玄以降、二祖授翁宗弼、三祖無因宗因、四祖日峰宗舜、五祖義天玄承、六祖雪江宗深までを「六祖」と呼んで尊崇している。なお、この初祖〜六祖は法系を指すものであって、妙心寺の住持として何世目であるかを指すものではない。住持の世代としては日峰宗舜、義天玄承、雪江宗深がそれぞれ七世、八世、九世にあたる。 ¥1,500

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インパクト2 特集全共闘から80年代へ出版社 インパクト出版会 刊行年 1979年 2号一九七九年九月一日特集・全共闘から80年代へ「自己否定」の論理の限界と展望田川建三24市民講座・全共闘の料理法池田浩士36連合赤軍とは何だったのか塩見孝也54五月革命の精神は継承されているか杉村昌昭60五月革命・総選挙以降のフランス――アラン・トゥレーヌとの対話芝生瑞和76全共闘総括のための書籍紹介鶴崎敏康92特集・ニカラグアの革命サンディニスタ革命への展望山崎カヲル102ニカラグア臨時政府インタビューガルシア・マルケス井上真(訳)106論文東京サミットと先進国間の抗争宮嶋信夫122南アフリカ一九七六年六月キャリニコス白石顕二(訳)132連載宇野経済学への視角 第2回廣松渉146運動情報全国人民代表大会の内と外北沢正雄1日本―南ア・コネクション暴露に向けて白石顕二4中東の“混迷”とパレスチナ連帯(友好)運動北川明7安里清信さんへの手紙井上澄夫10反日武装戦線公判とサミット警備山中幸男14敵権力に何をもって応えるか戸村一作16書評「はれやかなる黙秘」西村徹112「反原発事典」「樋口健二写真集・原発」「原発の安全上欠陥」依田洋、鈴木恭子114映評風ッ喰らい時逆しま広河隆一136現場から現前する国内の国境を捉えよ布川徹郎全共闘運動から反日闘争へ黒川芳正冤罪を訴える小野悦男「インディオ問題」とは何か       ラテンアメリカ行動委員会反原発の今日的課題上野俊郎
¥2,000
一般理論経済学 遺稿による経済学原理 第2版 全2巻揃 (1998年版)著者 カール・メンガー/八木紀一郎 他訳 出版社 みすず書房 刊行年 1998年3刷「メンガーは、学問の歴史を画した決定的な業績を主張しうる思想家のひとりであった」とJ.シュムベーターはいった。その業績とは1871年に刊行された『経済学原理』初版のことであり、価格現象を個人による財の主観的な価値評価という点から体系的に解明した最初の試みであった。しかしメンガーその人は、初版刊行後自著の理論的枠組を大きく書きかえる作業を開始し、没年(1921年)にいたるまでその作業を続け、そのために初版『原理』の再刊や翻訳の申し出はすべて拒否しつづけたのである。彼はみずから樹立したひとつの説明原理を、より広い視野のもとで、人間の生活自体の中に位置づけ直そうと苦闘を重ねたが、その没後、第2版として刊行されたのである。メンガーは人間にとって〈欲望〉とは何か、〈経済〉とは何なのか、と問いかけている。そして市場経済のみならず、非市場経済をも含めた〈経済〉そのものの学を、〈普遍的・一般的な経済の学〉として構築しようとした。経済学のパラダイムの転換が叫ばれる今日、われわれは老メンガーとともに、〈経済〉とは何なのかという根本的な問いに、再び立ち戻らねばならない。カール・メンガー(Carl Menger, 1840年2月23日 - 1921年2月26日)は、オーストリアの経済学者。経済学におけるオーストリア学派(限界効用学派)の祖。ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ、レオン・ワルラスらと共に限界効用理論の創始者として、近代経済学の創始者の一人に挙げられる。
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