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徳川慶喜家 最後の家令 古澤秀彌氏旧蔵資料受贈記念 出版社 松戸市戸定歴史館 刊行年 平成22 古澤秀彌氏旧蔵資料受贈記念 「徳川慶喜家 最後の家令」全160ページ 判型:A4 平成22年10月9日発行目次 ごあいさつ図版 カラー148点Chapter0 プロローグ 05 Chapter1 少年秀彌と徳川慶喜邸 12 Chapter2 徳川慶喜家の成立‐家令への歩み‐ 22 Chapter3 家令心得 古澤秀彌 36 Chapter4 徳川家での日々 49 Chapter5 エピローグ 公爵家の終焉と最後の仕事 61「徳川慶喜家 最後の家令」覚書 齊藤洋一 66 徳川慶喜家の家職と家政運営 小寺瑛広 69 近世から近代への移行と断絶-家政制度を中心として- 武子裕美 83 展示リスト 86参考資料古澤秀彌氏関係年表 91 徳川慶喜家系図 94古澤秀彌氏旧蔵資料目録 1.文書 97 2.写真 101 3.美術工芸他 110サムネイル(縮小表示画像) 寄贈資料のうち、カラー図版で載せていないモノクロ図版206点を掲載 1.文書 114 2.写真 116 3.美術工芸他 124徳川慶朝氏所蔵アルバム 徳川慶喜家当主徳川慶朝氏所蔵写真のうち、徳川慶喜の肖像写真32点、徳川慶喜の撮影写真46点、徳川慶喜の撮影写真49点を掲載 TY1.徳川慶喜肖像写真アルバム 127 TY2.徳川慶喜撮影写真アルバム 133 TY3.徳川慶喜撮影写真アルバム 140 史料翻刻 160

暢気堂書房

¥2,500

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CD かんからそんぐ 添田唖蝉坊・知道をうたう岡大介,小林寛明添田唖蝉坊(正字体表記では「添田啞蟬坊」1872年12月25日(明治5年11月25日) - 1944年(昭和19年)2月8日)は、明治・大正期に活躍した演歌師の草分け。「唖」と「蟬」が添田亜蝉坊と表記されることもある。本名・平吉、号は自らを「歌を歌う唖しの蝉」と称したところから由来。神奈川県の大磯の農家の出で、四男一女の三番目の子として生まれる。叔父が汽船の機関士をしていた関係で、海軍兵学校を志願して上京したが、受験勉強中に浅草の小屋掛芝居をのぞいたのがきっかけで、その世界にのめり込む。海軍兵学校には入学せず、汽船の船客ボーイになり、2年で挫折。以後、横須賀で土方人夫、石炭の積み込みなどの仕事に従事していたが、1890年(明治23年)、壮士節と出会う。当時は政府が廃藩置県、地租改正、学制、徴兵令、殖産興業などの政策を実行している最中で、自由民権運動も盛んな時代であり、「オッペケペ」で有名な川上音二郎らの壮士芝居も、この時代のものである。唖蝉坊は、最初の演歌といわれる「ダイナマイト節」を出した青年倶楽部からその歌本を取り寄せて売り歩いたが、のち政治的な興奮が冷めていくと、政治批判ではない純粋な演歌を目指して、自身が演歌の歌詞を書くようになる。唖蝉坊が最初に書いたといわれているものは、「壇ノ浦」(愉快節)、「白虎隊」(欣舞節)、「西洋熱」(愉快節)などで、1892年(明治25年)の作である。これ以降、「チョイトネ節(紫節)」、「まっくろけ節」、「ノンキ節」、「ゲンコツ節」、「チャクライ節」、「新法界節」、「新トンヤレ節」と続く。1930年(昭和5年)に「生活戦線異状あり」で引退するまでに182曲を残したという。 ¥1,500

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