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続楨幹 関東軍石頭予備士官学校挽歌 石頭会・続楨幹編集委員会 出版社 東京学習出版社 刊行年 昭55年初版函付 甲種幹部候補生の集合教育は、多くの陸軍諸学校や官衙を利用して行われた。各部では陸軍経理学校など、また各兵科においても専門の技術教育の必要性から陸軍工兵学校、仙台陸軍飛行学校などに幹部候補生隊を組織して集合教育を行う場合があった。さらに歩兵科、砲兵科といった原則として陸軍予備士官学校での集合教育を行う甲種幹部候補生も、その人員の多さのため陸軍予備士官学校だけでは対応できず、陸軍補充令改正附則第5条にもとづいて陸軍教導学校内に幹部候補生隊を設ける場合があったほか、外地では奉天甲種幹部候補生隊、保定幹部候補生隊[7][8]などを組織した。これらを「予備士官学校」と通称する著述が一部に見受けられる。1945年(昭和20年)7月、満州国牡丹江省に設置されたとされる「石頭予備士官学校」も教育総監隷下の正規の陸軍予備士官学校ではなく通称であり、正式には「関東軍歩兵第二下士官候補者隊」(満州第604部隊)が編成を増強して甲種幹部候補生を入隊させ教育したもの。

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帝都高速度交通営団史  東京地下鉄株式会社 刊行年 平16 ページ数 633頁函付き サイズ B5日中戦争中に、国家による統制管理のために設置された経営財団、いわゆる「営団」の一つである。「帝都」とは大日本帝国の首都、すなわち東京のこと、「高速度」とは新幹線のような高速鉄道の意味ではなく、かつて市内交通の主役であった路面電車に対して「高速」である『都市高速鉄道』の意味である。英語表記は “Teito Rapid Transit Authority” で、 “TRTA” という略称もあった。東京地下鉄道と東京高速鉄道によって行われていた東京市の地下鉄建設・運営事業を統合し、一元的に東京の地下鉄を建設・経営する公共企業体として発足した。元々は1930年代の不況の中、他の交通機関と競争を続け経営難に陥っていた交通事業者を統合して救済する「交通調整」を目的に設立が検討され(この理念を体現したのがのちの陸上交通事業調整法である。当時このような交通事業の再編は、自動車の急増を背景としてロンドンやベルリンで既に行われており、世界的なトレンドであった)、地下鉄のみならず東京近郊のすべての鉄道とバス事業を担う巨大交通事業者となることが期待された。ところが1937年に日中戦争が開戦すると一転好景気となり、それに伴う輸送量の急増により「交通調整」の前提が崩れた。そこで計画が見直され、地下鉄の整備を新設の特殊法人(交通営団)が担い、路面電車やバスなどは東京市が管理するという体制となった。第二次世界大戦後、日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の指令により、帝都高速度交通営団を除く営団は解散もしくは公団へ移行した。当営団についてもGHQは当初、戦時体制下の非民主的組織であるとして廃止を検討し、地下鉄運営の主導権を戦前より狙っていた東京都がこれを強く支持した。しかし、当時の東京都に地下鉄運営の実績がなかったことと、「交通営団は戦争目的の統合ではなく、当時世界的なトレンドであった交通事業再編の議論の一環で設立された組織」であるとする国と当営団の主張がGHQに受け入れられたためにそのまま維持され、旧憲法下の「帝都」を名称に含む組織は新体制移行後60年近くという長期に亘って存続した。その間、東京都の直営による地下鉄事業開始(1960年)や国鉄分割民営化 ¥15,000
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