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曾我量深講義集 第十三巻 「正信の道」出版社 彌生書房 刊行年 昭62 函付き 曽我 量深(1875年(明治8年)9月5日 - 1971年(昭和46年)6月20日)は、日本の明治~昭和期に活躍した真宗大谷派僧侶、仏教思想家。真宗大谷派講師、大谷大学学長、同大学名誉教授。旧姓、富岡。法名、「無極院釋量深」。伝統的な解釈のもとに継承されてきた仏教・真宗の教学・信仰を、幅広い視野と深い信念とによって受け止め直し、近代思想界・信仰界に開放した功績は顕著で、近代仏教思想史の展開上、大きな足跡を残した。

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樺戸集治監獄話著者 寺本界雄 出版社 樺戸行刑資料刊行会 刊行年 平成2 月形に樺戸集治監が誕生したのは、開拓使が一定の使命を果たし、全国では憲法制定や議会の設置への気運が高まっていた、こうした大きな変革の時代でした。そもそも集治監とはどんな施設なのでしょう。集治監は、今でいえば重罪犯を収容する特別な刑務所。徳川時代、重罪人は各地の藩ごとの監獄が扱い、罪によって伊豆七島や隠岐などに流されていました。藩の制度を廃止した明治の廃藩置県(1871 年)によって、受刑者は府県の監獄が収容するようになります。しかしまもなく、明治政府を主導した旧薩摩藩や長州藩のリーダーたちが進める政治への不満が募り、各地で旧士族の反乱が勃発しました。1874(明治7)年の「佐賀の乱」、76 (明治9)年の熊本の「神風連の乱」、福岡の「秋月の乱」、山口の「萩の乱」などです。そして1877(明治10)年には維新の立役者であった西郷隆盛を担ぐ、大規模な西南戦争が勃発します。立ち上がった旧士族たちはいずれもやがて政府に鎮圧されて敗北を喫し、首謀者たちは重罪人のレッテルを貼られることになりました。こうした旧士族の重罪人たちは、騒乱が起こった各県の監獄に収監される手はずになります。しかしその数があまりに多かったために、内務省が一元的に直轄する専用施設が必要になりました。これが集治監です。集治監は1878(明治11)年、まず東京(小菅集治監)と仙台(宮城集治監)に建てられ、3カ所めとして北海道が選ばれます。なにしろ当時の北海道の内陸の多くは未開の原野が広がり、本州から見ればまさに最果ての流刑地ともいえる土地でした。立地調査の段階から初代の典獄(監獄長)となるまで、北海道の集治監立ち上げに深く関わったのは、福岡藩出身で内務官僚だった月形潔(1847~1894)でした。樺戸集治監の開設には、さらに北海道の開拓という重要な目的がありました。1879(明治12)年、内務卿伊藤博文が太政大臣三条実美に建議書をあげます。社会を乱した凶悪犯や政治犯たちは、ただ徒食させることは許されない。ロシアへの備えの意味からも開拓が急務である北海道に送り込んで、開墾や道路建設などにつかせるのが良い、とするものです。 ¥1,500
臨済宗妙心寺派宗制 発行人臨済宗妙心寺派総務部長 羽賀文圭 編集制作 編集工房 銀匙社 臨済宗妙心寺派宗務本所発行  非売品 垂示記念印あり 刊行年 平9 サイズ B6判 全530頁+92頁 京都の禅寺は、五山十刹代表される、室町幕府の庇護と統制下にあった一派と、それとは一線を画す在野の寺院とがあった。前者を「禅林」または「叢林」、後者を「林下」といった。妙心寺は、大徳寺とともに、修行を重んじる厳しい禅風を特色とする「林下」の代表的寺院である。平安京の北西部を占める風光明媚な妙心寺の地には、花園上皇の花園御所(離宮萩原殿)があった。花園上皇は、建武2年(1335年)落飾して法皇となり、花園御所を禅寺に改めることを発願した。法皇の禅の上での師は大徳寺開山の宗峰妙超であった。宗峰は建武412月没するが、臨終間近の宗峰に花園法皇が「師の亡き後、自分は誰に法を問えばよいか」と尋ねたところ、宗峰は高弟の関山慧玄を推挙した。その頃、美濃の伊深で修行に明け暮れていた関山は、都に戻ることを渋っていたが、師僧・宗峰の遺命と花園法皇の院宣があっては辞去するわけにはいかず、暦応5年/康永元年、妙心寺の開山となった。なお、「正法山妙心寺」の山号寺号は宗峰が命名したもので、釈尊が嗣法の弟子・摩訶迦葉に向かって述べた「正法眼蔵涅槃妙心」という句から取ったものである。関山慧玄の禅風は厳格で、その生活は質素をきわめたという。関山には他の高僧のような「語録」はなく、生前に描かれた肖像もなく、遺筆も弟子の授翁宗弼に書き与えた印可状の他、ほとんど残されていない。妙心寺では開山関山慧玄以降、二祖授翁宗弼、三祖無因宗因、四祖日峰宗舜、五祖義天玄承、六祖雪江宗深までを「六祖」と呼んで尊崇している。なお、この初祖〜六祖は法系を指すものであって、妙心寺の住持として何世目であるかを指すものではない。住持の世代としては日峰宗舜、義天玄承、雪江宗深がそれぞれ七世、八世、九世にあたる。 ¥1,500

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天津 芙蓉館ホテル ラベル5枚 直径6.5cm明朗北支の天津日本租界旭街松島街角に豪華な一大偉観を呈しているのは芙蓉ホテル。館主大原清兵衛氏が巨費を投じて、近代的建築様式の粋を集めて設計建築したもので、まづその正門に立てば、言ひようのない落つきを感受し一度足を踏み入るれば、目を奪はれるばかりである、客室総数は70室で、種類の部屋に分類し浴室、便所付き部屋も多数備はり、特に大陸旅行団体のため百人収容の団体部屋も用意されているなどいかに理想的に、且つ大掛かりに設計されたかがうかがえるが、これら内部の設備はいづれも近代的に、豊かな調和をもつて完備し、サービスまた至れり尽せりの態度で決して客に失望を興へない、これらは館主大原氏は勿論であるが、市街人柚木輝夫氏の苦心の存するところで、特別の注意は単に設備のみならず総ての待遇において「客の気分を従業員の気分として」をモットーに懇切周到、いささかのうらみも残さぬことを念頭に経営しているため、客もまた感嘆推奨に口を極めているのも、もつともである。また大原氏は天津日本租界栄町公園前に芙蓉ホテル別館を経営している、支配人は小原福松氏で、施設は素晴らしく完備し、サービスもたぐひなく100%の満悦を興へ、ために40の客室では不足を告げるに至り、前記の如く新館、グリルを新築したものである。芙蓉ホテル本館は天津日本租界宮島街に商人向旅館として館主泉勝一氏が経営し、客室30室はいづれも完全な設備に万全の接待をなし「天津では芙蓉ホテル」と常連も素晴らしい数にのぼついている芙蓉ホテルは各館を通じて、視察団その他団体何人からでも相談に応じている新館(朝夕二食付)9円より35円まで、団体は(二食)6円以上別館(朝夕二食付)9円より17円まで、団体は5円以上新館(朝夕二食付)5円より8円まで、団体2円50銭以上祖国に本を偲ぶ和室、香新しい青畳、完全なる暖房、衛生設備の完璧、訓練されたるサービス、優秀なる板前技術など特筆すべき数々を持つ芙蓉ホテルの経営主大原氏は日本奈良県肝塚町に累々の聲をあげ、幾多の辛酸と貧困と戦ひながら、その百折不撓の努力がつひに報ひられ今日を築き上げた立志伝中の人である
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