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福助足袋両面琺瑯看板 戦前 直径約45cm ホーロー看板 経年感あります。創業者辻本福松が、1882年に大阪府堺区大町東にて足袋の製造販売をおこなう「丸福」を創業させる。しかし丸に福を入れただけの商標は、すでに他の業者が商標として登録していたこともあり、伊勢詣での際に福助人形を見つけたことから、これをもとに挿絵化、1900年に「福助印堺足袋」として商標登録をおこなう。またその間の1895年には足袋用のミシンを開発し、足袋の大量生産化を成功させる。辻本福松亡き後、後を任された辻本豊三郎は、販路を拡大すべく東京へ向かうが、当時東京では「足袋は手縫い」が常識となっていたため、販路の拡大に苦戦するも、徹底した売り込みを続けると共に、新聞への広告掲載や、看板・ポスターなどの設置に心血を注ぎ、やがて福助の名は全国に広がってゆく。福助の知名度が上がることを知った辻本豊三郎は、1923年に博多、1928年には大阪・道頓堀、東京・浅草に巨大広告塔を設置。これを発端として、戦後サトウハチロー、三木鶏郎の手によるテレビやラジオでのCMソングなどによる宣伝につながってゆく。

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大阪ろまん 石浜恒夫著 、全国書房 、昭42 、234p 図版 、B6初版 ビニルカバーなし 帯イタミ 石濱恒夫(1923年〈大正12年〉2月24日 - 2004年〈平成16年〉1月9日、80歳没)大阪府大阪市出身。父は歴史学者(東洋史学)の石濱純太郎。従兄に小説家の藤沢桓夫がいる。2人の娘のうち長女は女優の京春上、次女はエッセイスト、挿絵画家の石浜紅子。大阪高等学校を経て、東京帝国大学文学部美術史学科在学中から父の友人であった織田作之助などの影響を受けて文学を志し、大学卒業後に川端康成に弟子入りし、鎌倉の川端の私邸に住み込み師事した。1968年(昭和43年)に川端がノーベル文学賞を受賞した際には、ストックホルムでの授賞式に同行している。また、大学在学中に学徒出陣で召集され、陸軍戦車学校に入り、戦車部隊配属となる。その部隊で一緒だったのがのちの司馬遼太郎であり、石濱と司馬はこの時以来、司馬が亡くなるまで親交が深かった。また、司馬と同様に西長堀アパートに居住していたこともある。1946年に文学同人誌『文学雑誌』に参加し、小説家としての活動を始める。1953年に発表した「らぷそでい・いん・ぶるう」が芥川賞候補となった。1957年に、同人誌『近代説話』を司馬、寺内大吉らとはじめる。歌謡曲の作詞も手がけ、地元大阪を舞台とした数々のヒット曲を世に送り出した。テレビドラマの脚本も数多く手がけた。若い頃からヨットマンとしても知られ、1977年には娘の紅子他1人と共に、ヨットで大西洋を無寄港で横断した。1985年に文楽の桐竹勘十郎とともに「大阪芸術賞」を受賞。2004年(平成16年)1月9日、肺癌のために死去。80歳没。「大阪芸術賞」の贈呈理由として、「大阪をこよなく愛し、大阪の盛り場の叙情を血肉化する数少ない作家」であり、「大阪の風俗・人情を哀感を込めて描く」作家として作品は高く評価されており、「大阪文壇の発展に寄与した功績は大きい」。 ¥2,000

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