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初等ベクトル解析著者 道脇義正、長沢純 昭和53年重版カバー 出版社 培風館 道脇 義正氏(みちわき・よしまさ=前前橋工科大学長、群馬大名誉教授、数学)
物理地学著者 力武常次・萩原幸男 出版社 東海大学出版会 刊行年 昭和51年初版カバー ページ数 278P サイズ A5 カバーひやけ、個人蔵印
オナニーと日本人 木本至 著 出版社 インタナル出版部 刊行年 昭51年初版カバー ページ数 288pサイズ 21cm 解説 カバー 若干いたみ木本 至(1937年 - )は日本の文芸・文化・歴史評論家。群馬県出身。1959年、東京教育大学教育学科卒業。光文社で『女性自身』『二人自身』の編集を手がけ、1966年退社。以後、書評、評論に活躍。伝記物と性文化論などを得意とする。
VHSビデオ The Martin Guitar Story by Dennis Baxter Time55minutes Martin&Co.EST1833 The Martin Guitar Company Presents マーチン・ギター
矢切の左千夫昭和41年初版著者 奥山儀八郎 出版社 松戸市観光協会野菊の墓文学碑保存会 ページ数 67
3点 外国郵便為替金受領證書 日本帝国通信省 昭和14年小石川印
時計店の開業と営業 虎の巻 東京時計研究所編 全40ページ東京時計製造株式会社は、明治時代、日本に存在した時計メーカーである。沿革東京日本橋にて時計店を営んでいた吉沼又右衛門が、1888年(明治21年)小石川に「吉沼時計」を設立。アメリカ合衆国製の掛時計を模倣して時計製造を開始した。1896年(明治29年)、吉沼時計は「東京時計製造株式会社」となった。同社は製品の輸出も行なったが、1900年(明治33年)吉沼は公文書偽造事件で有罪判決を受け、まもなく同社工場も閉鎖された。東京時計製造株式会社(大正、昭和)東京時計製造株式会社TOKYO TOKEI SEIZO 1962年7月10日 - 1975年2月21日本社所在地神奈川県川崎市溝ノ口3241-5(1951年時点)神奈川県川崎市高津区二子642(1979年時点)設立1951年2月業種精密機器事業内容各種時計ならびに計量器の製造および販売東京時計製造株式会社は、大正時代から昭和時代にかけて、日本に存在したクロックメーカーである。
日光写真種紙 鉄人28号 昭和30年代 透明な薄紙に描いてある白黒の絵を印画紙に重ね、日光にしばらく当てて焼き付ける、おもちゃ。漫画連載と同時代の昭和30年代(1955年 - 1964年)の日本を舞台に、リモコンの保持者次第で善にも悪にもなるロボットを巡り、少年探偵と悪人たちの攻防を描く物語。リメイクを繰り返し、何度も映像化された人気作品である。『マジンガーZ』を初めとする多くの日本の巨大ロボットものに強い影響を与えている。本来は少年探偵ものであったが、鉄人編が好評を博したため、ロボットものへと方針が変更されたとされる。また、産経新聞記者として工業関係の取材経験のあった横山は、機械の開発・試作について「最初は大きくしかできず、それから小さくなる」と考え、手塚治虫の『鉄腕アトム』を意識して鉄人28号を大型ロボットにしたとも語っていた。横山によると鉄人28号はフランケンシュタインとB-29から着想を得た。当初、鉄人は「アメリカの憎きB29」から着想しただけあって「悪の権化」だった。そして悪の鉄人は溶鉱炉に落ちて死ぬという短期連載の予定だった。ところが連載第1回で掲載誌『少年』での読者アンケートにおいて上位になった。編集部からは長期連載が可能になるように鉄人を生き延びさせて正義の味方にするように指示された。さらに読者から「悪人をこらしめる鉄人の活躍がみたい」との要望が多く寄せられた。こうした意見に押されて[1]当初鉄人28号として登場していたロボットは実は鉄人27号だったということにされ、後に本物の鉄人28号が登場して正太郎少年の手に渡り「正義の味方」となった。主人公、金田正太郎の名前のモデルは、元読売ジャイアンツ(連載開始当時は国鉄スワローズ)投手の金田正一。大塚署長の名前は、雑誌『少年』の発行元である光文社の隣にある大塚警察署(文京区)に由来する。