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週刊朝日1975.4.25 野坂昭如都知事選ゲリラ部隊始末記 池田大作・松下幸之助往復書簡が語る生と死と愛

暢気堂書房

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鴟鵂庵閑話 富士川英郎 著 出版社 筑摩書房 刊行年 昭和52 ページ数 198p 富士川 英郎(ふじかわ ひでお、1909年2月16日 - 2003年2月10日)は、日本のドイツ文学者・比較文学者、東京大学名誉教授。1909年、東京に生まれる。父富士川游は医学史家。神奈川県立湘南中学校から、旧制広島高等学校を経て1932年東京帝国大学を卒業。戦前、戦中は雑誌『四季』、『批評』などに寄稿。36年第六高等学校講師となり岡山に住む。1938年、長男富士川義之が出生。1943年、佐賀高等学校教授。戦後は1946年に九州帝国大学講師、1949年に新制発足した東京大学教養学部助教授、1956年教授。ドイツ文学、比較文学を講じ、1961年からは比較文学比較文化研究室主任教授、同僚は島田謹二、氷上英廣。著名な弟子に平川祐弘や芳賀徹、小堀桂一郎など多数。1969年定年退官、名誉教授、玉川大学教授、1979年定年、5年間客員教授。1989年に日本藝術院会員に選出された。終生鎌倉市に在住した。ドイツ文学者としてはR・M・リルケが専門で、『リルケ全集』の編纂を行った。またホフマンスタールの最初期の翻訳者で、のちに弟子らと『ホフマンスタール選集』の編纂にも参加した。近世漢詩の研究でも著名で『江戸後期の詩人たち』で、1968年に読売文学賞(評論・伝記賞)、高村光太郎賞を受賞。1986年、日本芸術院賞受賞[1]。1990年に『菅茶山』で大佛次郎賞を受賞した。汲古書院で刊行された『詩集日本漢詩』(全20巻)、『詞華集日本漢詩』(全11巻)、『紀行日本漢詩』(全5巻)の編纂にも参与した。 ¥2,000
映画パンフレット ベトナム 山本薩夫 総監督 出版社 仝東京上映実行委員会事務局 刊行年 昭44 解説 枡判 長編記録映画 ベトナム本編100分総監督:山本薩夫監督:増田健太郎・小泉尭撮影:大小島嘉一・藤井良孝音楽:大木正夫ナレーター:鈴木瑞穂・奈良岡朋子制作統括:柳沢恭雄1968年2月、ベトナム全土は解放勢力によるサイゴンをはじめ主要都市に対する「テト一成攻撃」で湧き上がっていた。その頃、北ベトナムでは、ホー・チ・ミンの「独立と自由ほど尊いものはない」の呼びかけに多くの若者たちが職場に向かった。その中に補給のために道路づくり、修理などに携わった「青年突撃隊」の姿が…。美しく晴れたある日のハノイ、500人の青年たちを乗せた20台のトラックが国道一号線を南に向けて出発した。国道一号線は南北に分断されたベトナムの二つの首都、ハノイとサイゴンを結ぶ「統一の道」である。この道を一路南へ。絶えず戦闘と建設の第一線を切り開きながら前進する「青年突撃隊」の足取りを追って、ドラマが展開してゆく。青年たちは、前線の各地で不屈に戦う人々の姿に接してゆく。高射砲を撃つ74歳の老人民兵、何百発の爆弾にもめげず橋を守り抜く兵士たち、数学の勉強から始めて80ミリ砲をマスターした沿岸大砲隊の娘たち。「破壊には、それを上回る建設で立ち向かう」戦いにとって欠くことのできない重要な任務だ。爆撃で破壊された輸送路の復旧、不発弾の処理。「一週間でベトナムを石器時代に戻してやる」とアメリカの将軍は豪語したが、人々は地下壕の中で、詩を口ずさみながら戦い、そして生活をしていた…。 ¥1,000
映画「福田村事件」パンフレット井浦新,田中麗奈,永山瑛太,東出昌大 (出演), 森達也 (監督) 関東大震災から100年 いま見たことを、伝えたい100年の時を超え、遂に、実話に基づいたかつてない日本映画が公開された。日本映画史に残る大ヒット問題作がついにソフト化!1923年9月1日11時58分、関東大地震が発生した。そのわずか5日後の9月6日のこと。千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。逮捕されたのは自警団員8人。逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された…。これが100年の間、歴史の闇に葬られていた『福田村事件』だ。行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団心理は加速し、群衆は暴走する。これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語。★第 28 回釜山国際映画祭 コンペティション部門ニューカレンツアワード最優秀作品賞 受賞◎ドキュメンタリー作品の鬼才と言われた森達也による初の劇映画。初めてとは思わせない正統派なドラマ作り、実力派・異色俳優陣による演技に心が熱くなる。 ¥2,000

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