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「 阿子島 俊治 」の検索結果
11件

藤沢幾之輔 : 伝記・藤沢幾之輔 <伝記叢書 278>

青聲社
 北海道札幌市手稲区手稲本町
11,000
阿子島俊治 編、大空社、1997、22cm、480, 5p
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11,000
阿子島俊治 編 、大空社 、1997 、22cm 、480, 5p

藤澤幾之輔

みずほ書房
 岩手県花巻市高木
4,000
阿子島俊治、斗南書院、昭和11年8月、480頁、B6判、1冊
函イタミ、本体背強いヤケ有り
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4,000
阿子島俊治 、斗南書院 、昭和11年8月 、480頁 、B6判 、1冊
函イタミ、本体背強いヤケ有り

藤澤幾之輔

アジアンドッグ
 東京都東村山市久米川町
5,000
阿子島俊治、斗南書院、昭10
函、本体背下部にイタミ
領収書付。公費(2,000円以上( 2冊合計可)の商品からとなります。書店情報の欄に詳細あり、公費ご希望の際には必ずご確認ください)。発送:ゆうメール310円(3cm以下500g以内)・360円(3cm以内1kg以内)・レターパックプラス(520円)・ゆうパック(詳細は当店情報でご確認ください)土日祝日は基本的にメール返信及び発送業務をしておりません。休業日:土日祝日、夏季(8月10日~15日)、(年末年始(12月28日~1月4日)。
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藤澤幾之輔

5,000
阿子島俊治、斗南書院、昭10
函、本体背下部にイタミ

藤沢幾之輔 (弁護士・政治家) 伝記・藤沢幾之輔(伝記叢書 278)

文生書院
 東京都文京区本郷
13,200
阿子島 俊治、大空社、平成9.11、485p、A5
ISBN:4756804896
【登録書籍は店頭にはございません。倉庫で在庫管理をしています。】土日祝日は休業のため、その前後のご注文につきましては確認・ご連絡・発送が遅れますことご了承下さい。海外発送はEMSのみ取り扱います。送付先は英文表記でお願いいたします。4月27日~5月6日のご注文品は平日にご案内ご発送をさせて頂きます。そのため5月2日以降のご注文品は5月7日以降にご対応が遅れますことをお詫び申し上げます。ご不便をお掛けして申し訳ございません。ご理解を賜りますと幸いでございます。
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13,200
阿子島 俊治 、大空社 、平成9.11 、485p 、A5
ISBN:4756804896

東北意識の新政治運動

とんぼ書林
 東京都練馬区関町南
2,000
阿子島俊治、記載無、記載無
B6判 18頁 小冊子 古書経年のヤケシミ有
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東北意識の新政治運動

2,000
阿子島俊治 、記載無 、記載無
B6判 18頁 小冊子 古書経年のヤケシミ有

講演 第576輯 戦争指導の政治的動向

古書 転蓬
 愛知県名古屋市瑞穂区西ノ割町
1,600
阿子島俊治、東京講演会、昭和18
綴じ穴、経年ヤケシミ
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可

講演 第576輯 戦争指導の政治的動向

1,600
阿子島俊治 、東京講演会 、昭和18
綴じ穴、経年ヤケシミ

次の政局を支配するは誰か? - 軍部・政党・官僚#11;

悠山社書店
 東京都青梅市今寺
900
阿子島俊治、日本講演通信社、昭10、1
B6-45頁・ヤケ
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求

次の政局を支配するは誰か? - 軍部・政党・官僚#11;

900
阿子島俊治 、日本講演通信社 、昭10 、1
B6-45頁・ヤケ

次の政局を支配するは誰か? 軍部・政党・官僚

出島書店
 福岡県福岡市城南区鳥飼
1,600
阿子島俊治、日本講演通信社、昭10、1
四六 初版 状態経年並上 45P
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可

次の政局を支配するは誰か? 軍部・政党・官僚

1,600
阿子島俊治 、日本講演通信社 、昭10 、1
四六 初版 状態経年並上 45P

日本講演通信289 次の政局を支配するは誰か? 軍政・政党・官僚

まこと書房
 福岡県春日市須玖南
1,000
阿子島俊治、日本講演通信社、昭10、1冊
綴穴有
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可

日本講演通信289 次の政局を支配するは誰か? 軍政・政党・官僚

1,000
阿子島俊治 、日本講演通信社 、昭10 、1冊
綴穴有

次の政局を支配するは誰か? ‐軍部・政党・官僚‐ 日本講演通信 292号 昭和10年9月15日

伊東古本店
 愛知県名古屋市北区大杉町
1,000
阿子島俊治「次の政局を支配するは誰か? ‐軍部・政党・官僚‐」、日本講演通信社、昭和10年、1部
*38頁、月3回発行、パンチ穴2つ
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可
1,000
阿子島俊治「次の政局を支配するは誰か? ‐軍部・政党・官僚‐」 、日本講演通信社 、昭和10年 、1部
*38頁、月3回発行、パンチ穴2つ

藤澤幾之輔 著者 阿子島俊治、斗南書院 刊行年 昭和10年初版函付き ページ数 480頁サイズ B6判 藤沢幾之輔(1859年3月20日(安政6年2月16日)- 1940年(昭和15年)4月3日)、明治、大正、昭和期の日本の政治家、弁護士。衆議院議員、衆議院議長、第1次若槻禮次郎内閣の商工大臣、貴族院議員を歴任した。号は成天。1859年3月20日(安政6年2月16日)陸奥国仙台(現・宮城県仙台市)に生まれる。明治維新後、宮城英語学校、茂松法学舎で学ぶ。1879年(明治12年)司法試験に合格し、弁護士を開業する。1889年(明治22年)仙台市会議員に当選し、政界入りする。その後仙台市会参事会員、仙台市会議長、宮城県会議員、宮城県会常置委員、宮城県会議長を経て、1892年(明治25年)衆議院議員総選挙に立候補し当選する。当選回数13回。藤沢は立憲改進党系の政党に身を置き、憲政本党常議員、立憲同志会総務、憲政会総務、立憲民政党総務[1][4]、衆議院予算委員長を歴任した。1915年(大正4年)逓信省・内務省各参政官に就任[1]、1926年(大正15年)第1次若槻内閣の商工大臣として入閣する。1930年(昭和5年)衆議院議長に選出される。1931年(昭和6年)4月13日には貴族院議員に勅選され、同成会に所属し1934年(昭和9年)6月20日まで在任し、同年、枢密顧問官に勅選。 阿子島俊治(1902年〈明治35年〉6月29日- 1954年〈昭和29年〉4月30日)、日本のジャーナリスト、政治家。宮城県刈田郡白石町(現・白石市)生まれ。1927年早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業し、国民新聞社に入社。政治部記者、政治部次長、論説委員を歴任した。政治ジャーナリストとして活動する一方早くから政界入りを志し、1936年に立憲民政党公認で第19回衆議院議員総選挙に立候補したが落選。その後1942年に行われた翼賛選挙で翼賛政治体制協議会の推薦候補として立候補し初当選、翼賛政治会・大日本政治会に所属した。阿子島が総選挙に初当選したのは翼賛選挙だったが、落選したとはいえ政党解消前に民政党公認で総選挙に立候補したことがあったことや、ジャーナリスト時代に衆議院議長を務めたこともある民政党の大物政治家・藤沢幾之輔の伝記を上梓したこともあったため

暢気堂書房
 東京都東久留米市滝山
3,500
S棚58箱
阿子島は翼賛議会においては戦前の民政党の系譜を受け継ぐ政治家とみなされた。阿子島の政治家としての業績は大政翼賛会政策局嘱託、東亜連盟協会常任委員、内閣委員、大政翼賛会調査局第3部副部長等を歴任したことが挙げられる。
敗戦後は日本進歩党の結党に参加したが公職追放。追放解除後は1952年の第25回衆議院議員総選挙に改進党公認で立候補したが落選し[4]、1953年の第26回衆議院議員総選挙にも同じく改進党公認で立候補したが再び落選し、国政復帰を果たすことはなかった。その後、白石町長として同市の戦後復興に尽力した。
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可

藤澤幾之輔 著者 阿子島俊治、斗南書院 刊行年 昭和10年初版函付き ページ数 480頁サイズ B6判 藤沢幾之輔(1859年3月20日(安政6年2月16日)- 1940年(昭和15年)4月3日)、明治、大正、昭和期の日本の政治家、弁護士。衆議院議員、衆議院議長、第1次若槻禮次郎内閣の商工大臣、貴族院議員を歴任した。号は成天。1859年3月20日(安政6年2月16日)陸奥国仙台(現・宮城県仙台市)に生まれる。明治維新後、宮城英語学校、茂松法学舎で学ぶ。1879年(明治12年)司法試験に合格し、弁護士を開業する。1889年(明治22年)仙台市会議員に当選し、政界入りする。その後仙台市会参事会員、仙台市会議長、宮城県会議員、宮城県会常置委員、宮城県会議長を経て、1892年(明治25年)衆議院議員総選挙に立候補し当選する。当選回数13回。藤沢は立憲改進党系の政党に身を置き、憲政本党常議員、立憲同志会総務、憲政会総務、立憲民政党総務[1][4]、衆議院予算委員長を歴任した。1915年(大正4年)逓信省・内務省各参政官に就任[1]、1926年(大正15年)第1次若槻内閣の商工大臣として入閣する。1930年(昭和5年)衆議院議長に選出される。1931年(昭和6年)4月13日には貴族院議員に勅選され、同成会に所属し1934年(昭和9年)6月20日まで在任し、同年、枢密顧問官に勅選。 阿子島俊治(1902年〈明治35年〉6月29日- 1954年〈昭和29年〉4月30日)、日本のジャーナリスト、政治家。宮城県刈田郡白石町(現・白石市)生まれ。1927年早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業し、国民新聞社に入社。政治部記者、政治部次長、論説委員を歴任した。政治ジャーナリストとして活動する一方早くから政界入りを志し、1936年に立憲民政党公認で第19回衆議院議員総選挙に立候補したが落選。その後1942年に行われた翼賛選挙で翼賛政治体制協議会の推薦候補として立候補し初当選、翼賛政治会・大日本政治会に所属した。阿子島が総選挙に初当選したのは翼賛選挙だったが、落選したとはいえ政党解消前に民政党公認で総選挙に立候補したことがあったことや、ジャーナリスト時代に衆議院議長を務めたこともある民政党の大物政治家・藤沢幾之輔の伝記を上梓したこともあったため

3,500
S棚58箱 阿子島は翼賛議会においては戦前の民政党の系譜を受け継ぐ政治家とみなされた。阿子島の政治家としての業績は大政翼賛会政策局嘱託、東亜連盟協会常任委員、内閣委員、大政翼賛会調査局第3部副部長等を歴任したことが挙げられる。 敗戦後は日本進歩党の結党に参加したが公職追放。追放解除後は1952年の第25回衆議院議員総選挙に改進党公認で立候補したが落選し[4]、1953年の第26回衆議院議員総選挙にも同じく改進党公認で立候補したが再び落選し、国政復帰を果たすことはなかった。その後、白石町長として同市の戦後復興に尽力した。

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