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悲天 : 歌集
牢人 三浦義一 「愛戦」特集
歌集 陽光 序文:三浦義一 跋:葉山耕三郎 非売品
當観無常 : 歌集
歌集 悲天
歌集当観無常
(歌道維新と新国学) ひむがし 昭和18年1月(第3巻第1号)―文学維新の方途(影山正治)、言霊私観(11)(保田與重郎)、うなばらの思ひ(浅野晃)、悲史(三浦義一)、戦ひ勝たむ(倉田百三)、本居宣長先生遺邸にて(藤田徳太郎)ほか
大東亜戦争詩文集 新学社近代浪漫派文庫
玉鉾の道
歌集一すぢの道 「富岳抄」「桜花抄」「附録『大平への道』他」
文芸日本 昭和28年10月(復刊9号)春夫、浅野晃、佐藤通次、福田栄一、大鹿卓、榊山潤、中谷孝雄、外村繁、有為男、三浦義一、蔵原伸二郎 他
美術随想
綜合詩歌 11巻7号 昭和18年9月号
月刊読売 昭和26年1月号
ひむがし 歌道維新と新国学 昭和17年3月号 第3巻第3号 通巻第17号 倉田百三追悼号
新しい住まいの設計 サンケイ家庭版 60集 1967年3月 80万円からできる傑作住宅集
<復刻版> ひむがし 全3巻
夢のまた夢 : 自叙伝
政治記者後藤基夫 後藤基夫さんを偲ぶ文集刊行会 1985年 全 314ページ後藤基夫(1918年10月20日 - 1983年4月5日)日本のジャーナリスト、朝日新聞社常務取締役。大分県佐賀関町生まれ。第三高等学校を経て1941年12月東京帝国大学法学部政治学科卒業、1942年1月朝日新聞社入社、翌2月陸軍東部第62部隊入営。主計少尉として中国湖北省で終戦を迎える(ポツダム宣言受諾後に主計中尉)。1946年2月に朝日新聞社に復職。同年6月東京本社政経部員、1950年1月政治部員、1956年10月アメリカ総局員、1958年2月政治部に復帰、1960年1月政治部次長、1963年2月ロンドン支局長、1966年6月論説委員、1967年1月論説副主幹、1969年12月東京本社編集局長、1973年9月取締役・大阪本社代表、1974年6月常務取締役、1978年12月総合企画室担当(東京本社)、1981年4月東京本社代表となり、在職中に脳出血のため死去。享年66(満64歳)。東大在学中に昭和研究会の教育機関「昭和塾」に入り、三木清の影響を受けた。「室町将軍」と呼ばれた同郷の右翼の大物三浦義一(父親が元大分市長、衆議院議員)と親しく、政界の裏情報にも通じて「書かざる大記者」と呼ばれた。宮沢喜一は後藤を「一番親しい友人」と呼んでいる。「書かざる大記者」ゆえに敵対する政治家の双方から相談を持ち込まれることも多く、政治記者として読売新聞社の渡邉恒雄も一目置く存在だった。中ソ対立が社内の派閥抗争に波及していた当時の朝日においては、親中派の重鎮の一人で、東京本社編集局長時代の1971年秋に特派員団長として北朝鮮と中国を訪問し、金日成首相、周恩来首相と会見。総合企画室担当時代の1980年にも北朝鮮を訪れている。「書かざる大記者」のため、書いたものは少ないが、晩年、雑誌『世界』に連載された石川真澄、内田健三との鼎談で、戦後政治についての見聞の一部を語っている。
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