同志社大学校地学術調査委員会 編、同志社大学校地学術調査委員会、1977-5、69p (図共)、26・・・
序
明治9年, 新島先生は山本覚馬氏所有の地, 5,000坪の桑畑を買受け
ました。 この地は二本松という薩摩藩屋敷あとであり,今出川とよばれる
清流の走る静かなたたずまいでありました。 それ以来、この校地に美しい
赤煉瓦づくりの洋式建築がつぎつぎに建設されてきました。 同志社大学は
この王城千年の歴史の地に立っています。 本学校地学術調査委員会は長年
にわたってキャンパス内出土の遺構, 遺物の発掘につとめてきましたが,
今出川,新町, 田辺をはじめ全校地に埋蔵されている人類の貴重な文化的
遺産を大切にしたいと願っています。
古くは縄文時代から古墳時代における出土物, ことに田辺校地には弥生
時代の集落である田辺天神山遺跡や, 南山城の地に生きたであろう豪族た
ちの墳墓を原型のまま保存しています。 そこにその時代, 生涯をかけて生
きぬいた人々の心を感じます。
今出川 新町校地からは, 室町 安土桃山, そして江戸時代の数多く
の出土品をわれわれは入手できました。 わがキャンパスは室町幕府の花の
御所が近く、 応仁の乱にあけくれ, 生命をかけた人間のかなしさのあとを
しのぶことができます。
当委員会は、考古学, 文献学, 地質学など専門の方々をはじめ関係者の
御尽力のおかげで発掘調査の成果を得てまいりました。 この資料編を通し
まして、 わが校のもつ貴重な意義をお互にかみしめたいと存じます。
昭和52年5月
同志社大学 学長
同志社大学校地学術 松山義則
調査委員会委員長
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