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「松原晃 著」の検索結果
7件

近世農功伝

あ〜る書房
 長崎県諫早市目代町 526-4 
800
松原晃 著、亜細亜書房、394p、19cm
昭和19年再版 カバー少イタミ 紙質悪しヤケ強
FAX機器不調・代引き不可 発送は国内のみ(お急ぎの場合は予めお知らせください) 郵便利用 A4厚さ2.5cmまでクリックポスト185円 3cm迄は郵便レターパックライト430円、厚さ3cmを超えるものは郵便レターパックプラス600円 レターパックに入らぬものはゆうパックで発送します
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近世農功伝

800
松原晃 著 、亜細亜書房 、394p 、19cm
昭和19年再版 カバー少イタミ 紙質悪しヤケ強

近世農功傳

勉強堂書店
 福島県会津若松市一箕町鶴賀
2,750
松原晃著  亜細亜書房 裸本、昭19、1
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近世農功傳

2,750
松原晃著  亜細亜書房 裸本 、昭19 、1

小説 寛政三奇人

甲陽書房 古書部
 山梨県山梨市万力
3,000
松原晃 著、帝教書房、昭和18年(1943)、1冊
初版。背ヤブレあり。全体的に経年劣化による強いヤケ、シミあり。
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3,000
松原晃 著 、帝教書房 、昭和18年(1943) 、1冊
初版。背ヤブレあり。全体的に経年劣化による強いヤケ、シミあり。

書物展望 昭和9年9月(第4巻第9号・通巻第39号)―『毛毬歌国字解』の著者(森銑三)、『秘帖』を読みて(萩原朔太郎)、明治政党資料としての『大阪府高等警察事務摘要』(高梨光司)、愛書家介山氏(松原晃)ほか

副羊羹書店
 埼玉県鴻巣市本町
900
齋藤昌三 編/森銑三、萩原朔太郎、高梨光司、松原晃、柳田泉、一戸務、竹久工之介 ほか、書物展望社、1・・・
木村毅書斎写真あり。ヤケ。タバコ臭あり。少々シミ。少々煤け。線引き等なし。
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書物展望 昭和9年9月(第4巻第9号・通巻第39号)―『毛毬歌国字解』の著者(森銑三)、『秘帖』を読みて(萩原朔太郎)、明治政党資料としての『大阪府高等警察事務摘要』(高梨光司)、愛書家介山氏(松原晃)ほか

900
齋藤昌三 編/森銑三、萩原朔太郎、高梨光司、松原晃、柳田泉、一戸務、竹久工之介 ほか 、書物展望社 、1934
木村毅書斎写真あり。ヤケ。タバコ臭あり。少々シミ。少々煤け。線引き等なし。

藤田幽谷の人物と思想

文教堂書店
 北海道札幌市豊平区美園
950 (送料:¥185~)
松原 晃.著、六合書院、昭和19.3
初版.B6判.裸本.本体表裏背焼.縁擦傷.374頁.本体文3方焼.本文破傷書込み等無.裏扉名前日付記 (管理:375137-自S-24-04)
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950 (送料:¥185~)
松原 晃.著 、六合書院 、昭和19.3
初版.B6判.裸本.本体表裏背焼.縁擦傷.374頁.本体文3方焼.本文破傷書込み等無.裏扉名前日付記 (管理:375137-自S-24-04)
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書物展望 4巻9号

ハナ書房
 大阪府大阪市北区天神橋
1,010
萩原朔太郎(「秘帖」を読みて)、廣谷市蔵(新體繪本の誕生)、中野榮三(伏字考)、齋藤昌三(近刊装釘雑・・・
『毛毬歌國字解』の著者 / 森銑三 / p2~5
新編文林全集 / 中道等 / p6~9
『並山日記』に就て / 一戶務 / p10~14
『聊齋志異』の原稿 / 柳田泉 / p15~21
讀書片言 / 喜多壯一郞 / p22~24
『祕帖』を讀みて / 萩原朔太郞 / p25~26
新體繪本の誕生 / 廣谷市藏 / p26~28
書架新凉 / 鈴木馨 / p29~31
几邊新景 / 少雨莊草人 / p31~33
海外書物展望 / KRA / p34~39
明治政黨史料としての『大阪府高等警察事務摘要』 / 高梨光司 / p40~43
明治初年に巴里で行はれた日本劇二三に關するノート / 蛯原八郞 / p43~47
裝釘講座――(20)表紙に就いて / 中崎志久 / p48~49
春陽堂物語――(その五)巖谷小波のこと / 淺井爲三郞 / p50~54
裝幀徒然草――(四)近刊裝釘雜感 / 齋藤昌三 / p55~59
日本女性を語る外書に就て / 洞口玄次郞 / p62~66
伏字考 / 中野榮三 / p67~69
敎檀の月郊氏 / 竹林熊彥 / p70~72
愛書家介山氏 / 松原晃 / p72~74
烏水老と予 / 齋藤昌三 / p74~75
二十世紀の書物 / 夭椽府 / p76~86
考現的にみた書物の價値 / 和田信義 / p87~89
裝幀に就いて / 竹久工之介 / p89~91
愛書經 / 壽岳文章 / p92~95
發賣禁止 p14~14
極地探險書抄 補 / 池田哲郞 / p24~24
探す本・讓る本 / p47~47 (
春陽堂物語の誤 / 花葉田小丸 ; 淺井 / p54~54
新刊雜景 / p60~61
豫約募集・雜報 / p60~60
創刊雜誌・消息 / p61~61
書物關係用語集 / 團野弘 / p90~91
雜記帖 / 齋藤 ; 岩本 / p96~96
口繪 木村毅氏 /
口繪 新刊裝幀三種 /
扉 木下杢太郞氏筆 / 木下杢太郞 /
(背キズ)
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書物展望 4巻9号

1,010
萩原朔太郎(「秘帖」を読みて)、廣谷市蔵(新體繪本の誕生)、中野榮三(伏字考)、齋藤昌三(近刊装釘雑感)、浅井為三郎(巖谷小波のこと) 、書物展望社 、昭9/9
『毛毬歌國字解』の著者 / 森銑三 / p2~5 新編文林全集 / 中道等 / p6~9 『並山日記』に就て / 一戶務 / p10~14 『聊齋志異』の原稿 / 柳田泉 / p15~21 讀書片言 / 喜多壯一郞 / p22~24 『祕帖』を讀みて / 萩原朔太郞 / p25~26 新體繪本の誕生 / 廣谷市藏 / p26~28 書架新凉 / 鈴木馨 / p29~31 几邊新景 / 少雨莊草人 / p31~33 海外書物展望 / KRA / p34~39 明治政黨史料としての『大阪府高等警察事務摘要』 / 高梨光司 / p40~43 明治初年に巴里で行はれた日本劇二三に關するノート / 蛯原八郞 / p43~47 裝釘講座――(20)表紙に就いて / 中崎志久 / p48~49 春陽堂物語――(その五)巖谷小波のこと / 淺井爲三郞 / p50~54 裝幀徒然草――(四)近刊裝釘雜感 / 齋藤昌三 / p55~59 日本女性を語る外書に就て / 洞口玄次郞 / p62~66 伏字考 / 中野榮三 / p67~69 敎檀の月郊氏 / 竹林熊彥 / p70~72 愛書家介山氏 / 松原晃 / p72~74 烏水老と予 / 齋藤昌三 / p74~75 二十世紀の書物 / 夭椽府 / p76~86 考現的にみた書物の價値 / 和田信義 / p87~89 裝幀に就いて / 竹久工之介 / p89~91 愛書經 / 壽岳文章 / p92~95 發賣禁止 p14~14 極地探險書抄 補 / 池田哲郞 / p24~24 探す本・讓る本 / p47~47 ( 春陽堂物語の誤 / 花葉田小丸 ; 淺井 / p54~54 新刊雜景 / p60~61 豫約募集・雜報 / p60~60 創刊雜誌・消息 / p61~61 書物關係用語集 / 團野弘 / p90~91 雜記帖 / 齋藤 ; 岩本 / p96~96 口繪 木村毅氏 / 口繪 新刊裝幀三種 / 扉 木下杢太郞氏筆 / 木下杢太郞 / (背キズ)

林子平傳 日本国防の先覚者 著者 松原晃 出版社 奥川書房 刊行年 昭17年初版 林子平(はやし しへい)元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。諱は友直。のちに六無斎主人と号した。高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。元文3年(1738年)、幕臣岡村良通の次男として江戸に生まれる。父の岡村良通は御書物奉行(620石)として仕えていたが、子平が3歳の頃、故あって浪人の身となり、家族を弟の林従吾(林道明)に預け諸国放浪の旅に出た。子平らは、大名家に往診にも行く開業医であった叔父の従吾のもとで養われる。まもなく、長姉と次姉は仙台藩の江戸屋敷に奉公するようになり、仙台藩5代藩主伊達吉村の侍女として仕えた。次姉のなお(きよ)はその容姿と心ばえが吉村に愛され、やがて6代藩主となる宗村の側室に抜擢され、お清の方と呼ばれるようになった。お清の方は1男1女をもうけた。男子はのちに三河国刈谷藩主土井利信の養嗣子となる土井利置、女子は出雲松江藩主松平治郷の正妻となる方子(青楽院)である。お清の方の縁で、養父の従吾は仙台藩の禄を受けるようになった。従吾の没後、子平の兄の林友諒が封を継ぎ、宝暦6年(1756年)に正式に仙台藩士として150石が下された。同年5月に宗村が死去すると、友諒は家族を引き連れ、仙台川内に移住した。子平は部屋住みの身で妻子は持たなかったが、仙台藩士として生活するようになった。子平はみずからの教育政策や経済政策を藩上層部に進言するが聞き入れられず、禄を返上して藩医であった兄友諒の部屋住みとなり、北は松前から南は長崎まで全国を行脚する。長崎や江戸で学び、大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周、工藤平助らと交友する。ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著し、「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」と喝破して、当時の人びとを驚かせた。『海国兵談』の序を書いたのは、仙台藩医工藤平助であった。また『富国策』では藩の家老佐藤伊賀にあて藩政について説いたが、採用はされなかった。

暢気堂書房
 東京都東久留米市滝山
1,500
S棚58箱
『海国兵談』は海防の必要性を説く軍事書であったため、出版に協力してくれる版元を見つけることができなかった。そこで子平は、16巻・3分冊もの大著の版木を自ら彫り、自費出版で須原屋市兵衛から刊行した。『海国兵談』は寛政3年(1791年)、仙台で上梓された。しかし幕閣以外の者が幕政に容喙するのはご法度であり、両著はともに発禁処分が下され、『海国兵談』は版木没収の処分を受けることとなった。しかしその後も自ら書写本を作り、それがさらに書写本を生むなどして後に伝えられた。最終的に、仙台の兄友諒の許へと強制的に帰郷させられた上、蟄居に処される。蟄居中、その心境を「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と嘆き、自ら六無斎(ろくむさい)と号した。寛政5年6月21日(1793年7月28日)死去。享年56。林子平の墓は仙台市青葉区の龍雲院にあるが、その龍雲院の所在地は1967年(昭和42年)の住居表示の際にそれまでの半子町から、墓があることにちなみ子平町と改称されている。明治15年(1882年)、正五位を追贈された。
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林子平傳 日本国防の先覚者 著者 松原晃 出版社 奥川書房 刊行年 昭17年初版 林子平(はやし しへい)元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。諱は友直。のちに六無斎主人と号した。高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。元文3年(1738年)、幕臣岡村良通の次男として江戸に生まれる。父の岡村良通は御書物奉行(620石)として仕えていたが、子平が3歳の頃、故あって浪人の身となり、家族を弟の林従吾(林道明)に預け諸国放浪の旅に出た。子平らは、大名家に往診にも行く開業医であった叔父の従吾のもとで養われる。まもなく、長姉と次姉は仙台藩の江戸屋敷に奉公するようになり、仙台藩5代藩主伊達吉村の侍女として仕えた。次姉のなお(きよ)はその容姿と心ばえが吉村に愛され、やがて6代藩主となる宗村の側室に抜擢され、お清の方と呼ばれるようになった。お清の方は1男1女をもうけた。男子はのちに三河国刈谷藩主土井利信の養嗣子となる土井利置、女子は出雲松江藩主松平治郷の正妻となる方子(青楽院)である。お清の方の縁で、養父の従吾は仙台藩の禄を受けるようになった。従吾の没後、子平の兄の林友諒が封を継ぎ、宝暦6年(1756年)に正式に仙台藩士として150石が下された。同年5月に宗村が死去すると、友諒は家族を引き連れ、仙台川内に移住した。子平は部屋住みの身で妻子は持たなかったが、仙台藩士として生活するようになった。子平はみずからの教育政策や経済政策を藩上層部に進言するが聞き入れられず、禄を返上して藩医であった兄友諒の部屋住みとなり、北は松前から南は長崎まで全国を行脚する。長崎や江戸で学び、大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周、工藤平助らと交友する。ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著し、「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」と喝破して、当時の人びとを驚かせた。『海国兵談』の序を書いたのは、仙台藩医工藤平助であった。また『富国策』では藩の家老佐藤伊賀にあて藩政について説いたが、採用はされなかった。

1,500
S棚58箱 『海国兵談』は海防の必要性を説く軍事書であったため、出版に協力してくれる版元を見つけることができなかった。そこで子平は、16巻・3分冊もの大著の版木を自ら彫り、自費出版で須原屋市兵衛から刊行した。『海国兵談』は寛政3年(1791年)、仙台で上梓された。しかし幕閣以外の者が幕政に容喙するのはご法度であり、両著はともに発禁処分が下され、『海国兵談』は版木没収の処分を受けることとなった。しかしその後も自ら書写本を作り、それがさらに書写本を生むなどして後に伝えられた。最終的に、仙台の兄友諒の許へと強制的に帰郷させられた上、蟄居に処される。蟄居中、その心境を「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と嘆き、自ら六無斎(ろくむさい)と号した。寛政5年6月21日(1793年7月28日)死去。享年56。林子平の墓は仙台市青葉区の龍雲院にあるが、その龍雲院の所在地は1967年(昭和42年)の住居表示の際にそれまでの半子町から、墓があることにちなみ子平町と改称されている。明治15年(1882年)、正五位を追贈された。

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