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第三高等学校一覧 明治40年9月起、41年8月止
嶽水會雜誌 第97號 (昭和02.12)
嶽水會雜誌 97號 (昭和02.2)-103號(昭和04.12)
三高蹴球部史
続・第三高等学校弁論部史
第三高等學校辯論部部史
昭和30年度 会員名簿 茨城県立土浦第三高等学校同窓会
三高二十年誌
躍進三高 : 仙台三高創立30周年記念誌
第三高等学校創立満五十年大典記念館落成記念
神陵史 第三高等学校八十年史
第三高等学校弁論部部史
樹氷
嶽水会雑誌 第33号
嶽水會雜誌 創刊号~134号 複刻版
改訂再版 神陵小史
嶽水会雑誌 第三十四号
永劫の「時」の歩みに
創立三十周年記念誌 あゆみ
浄らかな別離(長篇小説)
勁草 創刊号・第二号・第四号(終号) セット
鹿嶋槍に於ける内藤况三君・御岳に於ける俵一郎馬嶋信之両君 遭難顛末
京都大學大學院 人間・環境學研究科漢籍目録
沢村胡夷全詩集
ああ黎明は近づけり 日本寮歌物語
大正12年から平成5年 横浜三中・三高・緑高70年の歩み
日本寮歌集 新装版.
歌人徹書記 <浅尾叢書 ; 第2編>
N22041004〇ディジタルPDF和本JPEG版 太政官日誌 明治3年庚午(1870年) 第44号、第45号、第46号・14+11+9丁〇和本古書古文書
神陵小史
作家の戦中日記 : 1932-45 全2冊
京都哲学の回想 : 旧師旧友の追憶とわが思索の軌跡 <灯影撰書 24> 初版
肇国精神の伝統
古代の渤海と日本
政治記者後藤基夫 後藤基夫さんを偲ぶ文集刊行会 1985年 全 314ページ後藤基夫(1918年10月20日 - 1983年4月5日)日本のジャーナリスト、朝日新聞社常務取締役。大分県佐賀関町生まれ。第三高等学校を経て1941年12月東京帝国大学法学部政治学科卒業、1942年1月朝日新聞社入社、翌2月陸軍東部第62部隊入営。主計少尉として中国湖北省で終戦を迎える(ポツダム宣言受諾後に主計中尉)。1946年2月に朝日新聞社に復職。同年6月東京本社政経部員、1950年1月政治部員、1956年10月アメリカ総局員、1958年2月政治部に復帰、1960年1月政治部次長、1963年2月ロンドン支局長、1966年6月論説委員、1967年1月論説副主幹、1969年12月東京本社編集局長、1973年9月取締役・大阪本社代表、1974年6月常務取締役、1978年12月総合企画室担当(東京本社)、1981年4月東京本社代表となり、在職中に脳出血のため死去。享年66(満64歳)。東大在学中に昭和研究会の教育機関「昭和塾」に入り、三木清の影響を受けた。「室町将軍」と呼ばれた同郷の右翼の大物三浦義一(父親が元大分市長、衆議院議員)と親しく、政界の裏情報にも通じて「書かざる大記者」と呼ばれた。宮沢喜一は後藤を「一番親しい友人」と呼んでいる。「書かざる大記者」ゆえに敵対する政治家の双方から相談を持ち込まれることも多く、政治記者として読売新聞社の渡邉恒雄も一目置く存在だった。中ソ対立が社内の派閥抗争に波及していた当時の朝日においては、親中派の重鎮の一人で、東京本社編集局長時代の1971年秋に特派員団長として北朝鮮と中国を訪問し、金日成首相、周恩来首相と会見。総合企画室担当時代の1980年にも北朝鮮を訪れている。「書かざる大記者」のため、書いたものは少ないが、晩年、雑誌『世界』に連載された石川真澄、内田健三との鼎談で、戦後政治についての見聞の一部を語っている。
第七高等学校造士館一覧 昭和17年4月至18年3月
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