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『正派』1930年1月号(27号)(雑誌)
はとの日々
父の眼差し
邦楽公論
『正派』1930年2月号(28号)(雑誌)
中島雅楽之都随筆集
はなばな(箏楽譜)
「はとの日々」
人間中島雅楽之都の文業
生誕百年記念 中島雅楽の都随筆集
中島雅楽之都先生略伝 7
「中島雅楽之都先生略伝 13」
和音の原理
中島雅楽之都随筆集 生誕百年記念
「中島雅楽之都先生略伝 6」
「中島雅楽之都先生略伝 3」
「中島雅楽之都先生略伝 1」
北海道犬クマ太のモノローグ
邦楽公論 復刻版
正派音楽院30年誌
『現代邦楽』127号/128号、2部分(1993~1994年)(雑誌)
「正派初代家元 中島雅楽之都先生の足跡」
模範箏曲楽譜 春の夜 替手附
全国正派幹部名簿(1977、1983年、2冊分)
模範箏曲楽譜 鶺鴒
模範箏曲楽譜 清水楽
模範箏曲楽譜 紅薔薇
模範箏曲楽譜 母の唄
模範箏曲楽譜 こすもす
模範箏曲楽譜 谷間の水車
中島雅楽之都先生の足跡 正派の九〇年
生誕百年記念 中島雅楽之都随筆集
中島雅楽之都先生略伝 1~6、8、10、11、13、14迄 11冊
正派初代家元 中島雅楽之都先生の足跡
第6回長唄邦楽会パンフ チケット付
第一回演奏歌詞 処 有楽座
中島雅楽之都先生略伝 (一) ~ (五) 揃
禅と音楽 正派邦楽会初代家元中島雅楽之都 著 昭36年初版 函 新思社 初代家元 中島雅楽之都(なかしまうたしと)正派の創始者、初代家元中島雅楽之都は1896(明治29)年3月21日京都に生まれ、6才のときから箏の道に入る。1913(大正2)年長野市において「正派生田流」の名のもとに、本格的に教授活動を始める。看板を掲げるにあたり、善光寺大本願・大宮智栄上人ほか地元の名士たちの後援をうけ、正統な生田流を修行した者であるという意味でつけられたのが 「正派」の名のおこりである。わずか17才の若さで一派をたてた雅楽之都は、7年後には東京に本拠地をうつし、日本各地はもとより旧満州国、蒙古にまで精力的に足を運んで、箏曲の普及に努めた。こうして蒔かれた正派の種は大きく育まれ、やがて全国に多くの幹部を養成する源となり、現在の組織の基盤となっている。一方、雅楽之都は自らも常に研鑚を惜しまずに芸と人格をみがくことに努め、《和歌の浦》《松籟譜》《四方の海》など優れた数々の作品を発表。三弦は熊本まで出向いて長谷幸輝師に師事。ここで同世代の宮城道雄と知り合い、二人の若き箏曲家は熱く芸を語り、生涯の楽友として新しい邦楽界を担っていった。ほか坪内逍遥、山田耕筰、町田佳聲、中尾都山、田辺尚雄などの各氏にも知遇を得、様々な面での教えをうけている。正派は、当時の箏曲界では画期的であった施策を次々と打ち出した。伝統的な口伝教授の限界を感じての公刊楽譜の発行、洋・邦楽理論をふくんだ筆記と実技を平行させた試験による准師範試験の施行、全国組織としての評議員制などであり、これらはその後、年々充実の度を増しながら現在に至り、正派の特色として高い評価をうけている。組織としては、いわゆる「家元制度」の長所を生かしながら、近代社会に対応できるようなあり方が求められるようになり、1956(昭和31)年9月、邦楽団体では初めて文部省より「財団法人正派邦楽会」の認可を受ける。総裁・理事長には初代家元が就任。また初代家元は、世界的視野に立って日本文化の積極的な担い手となる音楽家を育てるための、専門の学校が必要であると長年考えていた。この意図が周囲に理解されて、1959(昭和34)年に正派音楽院が開校され、現在までに多数の優秀な人材を世に送りだしている。
八高五十年誌
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