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問答有用 第2巻: 夢声対談集
「古澤武夫氏記者生活三十年記念祝賀会」 出欠葉書58通
ドレミを選んだ日本人
私の見た人
文芸春秋 22(7)
文芸春秋 四・五月合併号 コンコードの文人・石田憲次、国民的動機と統一戦線・佐野學、など 24(3)
吉田晴風の一生
人と作品
文学の中の駅 : 名作が語る"もうひとつの鉄道史"
レコードと五十年
人物にっぽん音楽誌 : 明日のために・この12の個性について考える
演歌源流・考 : 日韓大衆歌謡の相異と相似
こころの遠近
文学の中の駅 名作が語る"もうひとつの鉄道史"
随筆ほりばた
箏曲の歴史入門
藝術新潮 昭和31年8月号 第7巻 第8号
一人のために : 詩集 改訂版
釣てんぐ : 随筆
懐しのメロディー : 音楽家の回想
季刊考古学 (12) 特集・縄文時代のものと文化の交流、など
季刊考古学 (4) 特集・日本旧石器人の生活と技術、など
季刊考古学 (2) 特集・古墳の謎を解剖する、など
季刊考古学 特集・神々と仏を考古学する、など (2)
季刊考古学 (11) 特集・動物の骨が語る世界、など
季刊考古学 (6) 特集・邪馬台国を考古学する、など
美しい暮しの手帖 第7号 (昭和25年4月) <第1世紀>
明治音楽物語 青蛙選書10
明治音楽物語 <青蛙選書>
明治音楽物語 青蛙選書
禅と音楽 正派邦楽会初代家元中島雅楽之都 著 昭36年初版 函 新思社 初代家元 中島雅楽之都(なかしまうたしと)正派の創始者、初代家元中島雅楽之都は1896(明治29)年3月21日京都に生まれ、6才のときから箏の道に入る。1913(大正2)年長野市において「正派生田流」の名のもとに、本格的に教授活動を始める。看板を掲げるにあたり、善光寺大本願・大宮智栄上人ほか地元の名士たちの後援をうけ、正統な生田流を修行した者であるという意味でつけられたのが 「正派」の名のおこりである。わずか17才の若さで一派をたてた雅楽之都は、7年後には東京に本拠地をうつし、日本各地はもとより旧満州国、蒙古にまで精力的に足を運んで、箏曲の普及に努めた。こうして蒔かれた正派の種は大きく育まれ、やがて全国に多くの幹部を養成する源となり、現在の組織の基盤となっている。一方、雅楽之都は自らも常に研鑚を惜しまずに芸と人格をみがくことに努め、《和歌の浦》《松籟譜》《四方の海》など優れた数々の作品を発表。三弦は熊本まで出向いて長谷幸輝師に師事。ここで同世代の宮城道雄と知り合い、二人の若き箏曲家は熱く芸を語り、生涯の楽友として新しい邦楽界を担っていった。ほか坪内逍遥、山田耕筰、町田佳聲、中尾都山、田辺尚雄などの各氏にも知遇を得、様々な面での教えをうけている。正派は、当時の箏曲界では画期的であった施策を次々と打ち出した。伝統的な口伝教授の限界を感じての公刊楽譜の発行、洋・邦楽理論をふくんだ筆記と実技を平行させた試験による准師範試験の施行、全国組織としての評議員制などであり、これらはその後、年々充実の度を増しながら現在に至り、正派の特色として高い評価をうけている。組織としては、いわゆる「家元制度」の長所を生かしながら、近代社会に対応できるようなあり方が求められるようになり、1956(昭和31)年9月、邦楽団体では初めて文部省より「財団法人正派邦楽会」の認可を受ける。総裁・理事長には初代家元が就任。また初代家元は、世界的視野に立って日本文化の積極的な担い手となる音楽家を育てるための、専門の学校が必要であると長年考えていた。この意図が周囲に理解されて、1959(昭和34)年に正派音楽院が開校され、現在までに多数の優秀な人材を世に送りだしている。
明治音楽物語 <青蛙選書> 帯付き
歴史研究 第427号 太平洋戦争の謎
銃後の歌 : 歌謡集
鈍・根・才 : 米川正夫自伝
おもしろ日本音楽史
美術手帖 1993年12月号 No.680 <特集 : オキーフとスティーグリッツ ふたつのアメリカ>
書き落した楽章─音楽随想
カメラ年鑑 1966年 日本カメラ11月号増刊
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