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日本歴史地名大系 第13巻 (東京都の地名)
革命前法朗西二世紀事・三酔人経綸問答・民主国ノ道徳 : 中江兆民全集 8 第2刷
最新刊!『幕末明治翻訳事典』文学・伝記・外国語リーダー篇 [第一巻]江戸期〜明治19年(273点掲載)
琉球 尚泰王書簡 明治廿八年六月十八日 島津忠義宛
明治前期下総牧場開墾関係史料集 謄写版
N26062601○明治布告布達○戸長例会筆記(議事録)綴 山形県飽海郡宮内村外三ヶ村戸長役場(現 酒田市)○明治20年1月 山形県知事(柴原和)より内示の要領・各郡戸長役場行政の要点三項 西田川東田川飽海3郡長あて報告 報告者南村山郡長相良盛徳○和本古書古文書
明治文化資料叢書 2(第2巻) 経済編 近時不景気之原因及救済策、会社流行之結果如何、日清戦争ト経済社会、戦後の経済、明治三十七年ノ賃金ニ及ホセシ戦争ノ影響、戦後経済ニ関スル諸名流意見 他
フルボン 第66号 赤春堂書店古本販売目録
1_ 小三金五郎 娘節用 若美登理 明治19年初版 合巻 曲山人 文事堂 090343
名ごりのゆめ 今泉みね著 出版社 みくに社 刊行年 昭和15年初版 函付き今泉みね(1855年4月19日(安政2年3月3日) - 1937年(昭和12年)4月10日)は、蘭学者桂川甫周(7代目)の娘。晩年に口述による自叙伝『名ごりの夢』を残した。 安政2年(1855年)3月3日ごろ、桂川甫周・久邇夫妻の次女として、江戸築地中通りに生まれる。父の交友関係から、幼い頃より著名人との交わりを持っていた。14歳の時に徳川幕府の「瓦解」に遭遇する。1873年(明治6年)、石井謙道の仲介で、司法省出仕の官吏今泉利春に嫁ぐ。佐賀藩出身の利春は、1874年(明治7年)に司法省を辞職して代言人となり、西南戦争に際して投獄されるなど、波乱の人生であった。利春は1886年(明治19年)検事に任官するが、1894年(明治27年)病死。みねは40歳で寡婦となった。みねが孫らに語る形で記された聞き書き『名ごりの夢』は、息子の今泉源吉の求めによって口述されたもので、1935年(昭和10年)から1937年(昭和12年)4月まで、源吉が刊行していた文学雑誌『みくに』に毎号寄稿された。幕末から明治初年にかけての桂川家とその周辺の人々、江戸の町の様子を活写している。1937年(昭和12年)4月10日、鎌倉の自宅で死去、享年83。
F19060406〇明治政府布告布達 中央衛生会職制及び事務章程 相定め候条 第1條~9條 公衆衛生 太政大臣 三條実美 明治12年 〇和本古書古文書
正式二万分一地形図「山形近傍」 16図
縛られた巨人 : 南方熊楠の生涯 <新潮文庫>
日本歴史地名大系13 東京都の地名 ※付図欠
[仮題] 皇室馬車及び馬具 修繕及び新規購入記録簿 明治17年度~24年度内
日本社会と家族法 : 戸籍法をとおして
東北学院百年史 資料篇
English Lessons for Japanese Students.
愛媛近代史料No.4 明治前期農村社会経済史料 第2輯 少書込
明治東京犯罪暦 明治元年~明治23年 <犯罪ドキュメントシリーズ>
近代日本の民間の調理教育とジェンダー
「自由民権運動と静岡事件」 原口清著作集 5
正式二万分一地形図「高見山近傍」 20図
幕末明治翻訳文学史 第一巻
関東地方迅速二万分一図「古河及関宿近傍」 24図
吉田清成関係文書六 書類篇2 京都大学史料叢書15
福島私立教育會雑誌 13,14,20,21,23〜25,40號 8冊(明治19年〜22年)詳細は目次画像参照
学士会会員氏名録 平成13年・14年用(2001・2002) 解説 B5判1410頁厚冊 一般社団法人学士会、国立七大学(北大・東北大・東大・名大・京大・阪大・九大)の卒業生・学生・教員など、約5万人の会員からなる合同同窓団体。七大学の総長も会員で、各大学支部の支部長。旧帝国大学の流れを汲む大学の出身者によって構成されている学士会。その創立は、1886(明治19)年に遡る。この年は官立の旧東京大学が帝国大学令の公布を受けて改組され、「帝国大学」(後の東京帝国大学、現・東京大学)と名称を改めた年に当たる。以来、学士会は各地に創設された帝国大学と共に、その卒業生らを会員として130余年の歴史を歩む。学士会の誕生のきっかけであり、いまも底流で脈々と受け継がれてきているもの。それは、いわば謝恩の情です。まず、学士会の黎明期を語る上では、欠かすことのできない2人の「恩師」の存在があります。1人は加藤弘之・旧東京大学初代総理。そして、もう1人は、加藤氏の旧東京大学総理時代に補佐を務め、後に帝国大学総長となった濱尾新氏です。2人は偶然にも但馬(現・兵庫県豊岡市)の出身で、共に日本最初の総合大学の礎を築いた立役者ですが、学士会の草創に深く関わった人物でもあるのです。加藤氏は、江戸期の1860(万延元)年に東京大学の淵源である蕃書調所の教官となったのを始めとして、改称された開成所、東京開成学校などで教鞭を執り、東京開成学校(法・理・文の3学部)と東京医学校(医学部)が統合した旧東京大学の総理(当初は綜理)に就任しました。日本で初めて立憲思想を紹介した『鄰草』を著すなど、時流であった西洋の学術と研究を進めてきた一方で、国学や漢学の教師を養成するために文学部に古典講習科を設けるなど、幅広い視野でわが国近代の教育界を先導しました。その後に官・学界の多くの要職を担い、明治の総帥ともいわれる加藤氏でしたが、その人柄は良く、学生生活にもきめ細かい配慮を見せていました。統合当初、法・理・文の3学部と沿革の異なる医学部の孤立を解消するため、ボート部員に医学部の学生を積極的に勧誘させるなど、学生間の交流やスポーツの奨励にも心を砕きました。また、好きな哲学の話になると、学生と友達のように接して意見を交換したといわれています。
谷崎潤一郎 口述筆記 原稿用紙 『親父の話』 昭和35頃 ●「雪後庵用箋」原稿用紙13枚 校正入
日原小林区署庁舎 建築図面一括 (12枚)
一休禅師御一代記
すぐわかる戸籍の読み方・取り方・調べ方
農村社会学 <社会学選書>
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