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尾張藩社会の総合研究 4
実録研究 : 筋を通す文学
北方社会史の視座 : 歴史・文化・生活 第2巻
大日本交通史 : 原名・駅逓志稿
歴史表象としての東アジア : 歴史研究と歴史教育との対話
大学出の兵隊さん
大日本交通史 --原名・駅逓志稿--
村上浪六著8点(9冊)セット 「馬鹿野郎」/「元禄四十七士 上下揃」/「人生の旅行」/「倉橋幸蔵(浪六全集第四篇)」/「原田甲斐」/「川柳浮世の裏表」/「八軒長屋(浪六全集第十篇)」/「浮世の裏表」
アジア都市文化学の可能性 大阪市立大学文学研究科叢書 第1巻 <第1巻>
近世地方芸能興行の研究
明治大正大阪市史 第7巻 史料篇 復刻版
アジア都市文化学の可能性 <大阪市立大学文学研究科叢書 第1巻>
近世の国家・社会と幕府広域役
史料纂集古文書編53 出雲国造 北嶋家文書
周縁的社会集団と近代(大阪市立大学文学研究科叢書第12巻)
北方史と近世社会
史料纂集古文書編 第53回配本 出雲国造 北嶋家文書
幕藩制解体期の経済構造
長崎丸山花月記 丸山遊廓(長崎)*山口雅生(山口家十七世) 著者 花月十七世 山口雅生 署名入り 出版社 清文堂出版 解説 昭和43年初版 函なし 稿正本だったようで所々赤鉛筆でチェック後あります。丸山は、寛永末 - 1956年(昭和31年)の間に栄えた長崎の花街(遊女・芸者などの集まる街)。鎖国令によりオランダ商館と同様に寛永18年(1641年)、平戸の丸山から名称と共に移設された。寛永末頃の集娼制度設立により、寛永19年(1642年)に市中の遊女屋が全て丸山の地に集められたのが始まりである。外国人を対象とした遊郭としては当時唯一のものであり、丸山遊女のみが唐人屋敷や出島に出入りすることを許されていた[1]。後にその区域も整備され町名も太夫町から丸山町・寄合町に変更された。1956年の売春防止法公布により遊廓としての丸山は終焉した。その始めは文禄2年(1593年)、筑前博多の花街、柳町の若干の遊女を古町、桶屋町、今博多町に移住させたことである。その数は次第に増え、博多町、大井手町、紙屋町、古町、八幡町、伊勢町などに散在していたが、寛永19年(1642年)に丸山町、寄合町にひきまとめた。延宝版「長崎土産」には「丸山町遊女屋五十九軒遊女三百三十五人内太夫六十九人、寄合町遊女屋四十四軒遊女四百三十一人内太夫五十八人」とある。元禄ころの状況を伝えるケンペルの紀行には「長崎の丸山は京の嶋原以外では、他に見られぬ艶麗を表現している」とあり、花月楼の鶴の枕は、唐の玄宗皇帝の楊貴妃の遺物であると伝わり、遊女の服装が華やかだったことは、小唄「京の女郎に長崎衣裳、江戸の意気地にはればれと、大坂の揚屋で遊びたい」とあるほどで、井原西鶴の「日本永代蔵」には「長崎に丸山と云ふ所なくば、上方の金銭無事に帰宅すべし」とさえ評された。
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