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三味線音楽史
音楽芸術 昭和29年9月号
美学研究 第一輯~第四輯
中村小虎舞踊撫子会第一回研究公演プログラム
藝術教育 7月号 (大正12年7月号) 童謡号
中国・朝鮮音楽調査紀行(東洋音楽選書11)
蓄音機とレコードの撰び方・聴き方
日本の音楽
季刊邦楽 (12)
南方の音楽舞踊 <太平洋図書館 ; [第1]>
邦楽研究者のために
教育画報 第1巻第5号~19巻3号(大正5年1月1日~14年3月1日)のうち計37冊―半獣半魚の怪物シィードラゴン(橋本恒之)、東洋第一の銅鉱足尾銅山(佐藤巍)、捕鯨の壮観(桑田透一)、毒瓦斯の話(大竹澤治)、耶蘇教伝来の歴史(辻善之助)、青島に於ける独逸の森林経営(白澤保美)、日本貨幣発行の由来(三上母子太郎)、飛行機(その3)(栖原豊太郎)、活版と印刷(矢野道也)、時計の変遷(小倉伸吉)、無線電話(佐伯美津留)、熊襲と隼人(喜田貞吉)、樺太の漁業(丸川久俊)、北京雑観(山崎直方)、電話(田代常)、蓄音器(下)(田辺尚雄)、軍艦の種類と其の任務(下)(伊藤彰五郎)、都市計画(内田祥三)、官幣大社台湾神社(宮地直一)、東京帝国大学(中村恭平)、世界建築の沿革(木村貞吉)ほか
季刊邦楽 (16)
JOCK講演集 第5輯 -昭和3年2月-(名古屋市)
季刊邦楽 1980年通巻第22号 (22)
中国・朝鮮音楽調査紀行 (1970年) (東洋音楽選書〈11〉) 音楽之友社 田辺 尚雄
三味線の研究 東洋音楽研究 第14,15号合併号
季刊邦楽 :創刊号・特集=宮城道雄のすべて (1)
音楽粋史 続
明治音楽物語 <青蛙選書>
明治音楽物語 青蛙選書10
アトリエ 244号「美術閑談 武者小路実篤・北川桃雄」
明治音楽物語 青蛙選書
童話童謡及音楽舞踊
明治音楽物語 <青蛙選書> 帯付き
明治は生きている : 楽壇の先駆者は語る
牛山充宛葉書・書簡一括
東京堂月報 昭和16年6~10月(第28巻第6~10号)、読書人(東京堂月報改題) 昭和16年12月~19年3月(第1巻第1号~4巻3号) 計33冊分(合本3冊+バラ15冊)―読書の時間(下村海南)、歌舞伎台本の張込(河竹繁俊)、近頃読んだもの(秦一郎)、地方図書館と巡回文庫(江馬修)、読書への絶望(清水幾太郎)、各所図会今昔(壽岳文章)、非常時読書型(須田国太郎)、わが読書法(中野秀人)、出版の国防体制(鈴木庫三)、わが読書(森田たま)、学生と読書(海後宗臣)、科学誌雑感(碓井益雄)、支那での化学の話(牧野富太郎)、大衆雑誌への提言(林髞)、回想録など(岩田豊雄)、童話作家の志向(與田準一)、書物愛の低下(秦一郎)、資料動員と図書館(中島睦玄)、祖国礼拝(俳句)(阿部青鞋)、現代の通叢書(田辺尚雄)、大衆雑誌を評す(三橋一夫)、見たり読んだり(岩佐東一郎)、文章道を語る(島田春雄×田中忠雄×中谷孝雄×蓮田善明×房内幸成)、編輯者の道(房内幸成×萱原宏一×神山裕一×下島連×糸原周二)、真珠船(川端康成)ほか
レコード名曲の解説 10版
明日への音楽
日本諸学 第四号 大東亜建設ト諸学ノ在リ方 3 (4)
1_ 名曲詳解 声楽 器楽篇 田邊尚雄 秀雄 昭和24年 初版 270058
『邦楽の友』 36号~452号内381冊
歌劇名曲詳解
アルス 音楽大講座 全12巻 ※(3)難有
音楽世界 昭和16年9月号 (第13巻第9号) (音楽文化に於ける倫理的問題/ソ連の音楽文化/音楽新団体への要望(評論部に与ふ/今日の音楽創造を求めて/批評活動への反省/国民部への希望)/南方音楽に就いて 座談会/舞踊論・1)
日本舞踊大系 [第3] (沖縄舞踊)
田中正平と純正調
『水聲』 3号~71号内53冊
私の幸福
明治文化研究 1~5 5冊
日本風俗史講座 第12巻
禅と音楽 正派邦楽会初代家元中島雅楽之都 著 昭36年初版 函 新思社 初代家元 中島雅楽之都(なかしまうたしと)正派の創始者、初代家元中島雅楽之都は1896(明治29)年3月21日京都に生まれ、6才のときから箏の道に入る。1913(大正2)年長野市において「正派生田流」の名のもとに、本格的に教授活動を始める。看板を掲げるにあたり、善光寺大本願・大宮智栄上人ほか地元の名士たちの後援をうけ、正統な生田流を修行した者であるという意味でつけられたのが 「正派」の名のおこりである。わずか17才の若さで一派をたてた雅楽之都は、7年後には東京に本拠地をうつし、日本各地はもとより旧満州国、蒙古にまで精力的に足を運んで、箏曲の普及に努めた。こうして蒔かれた正派の種は大きく育まれ、やがて全国に多くの幹部を養成する源となり、現在の組織の基盤となっている。一方、雅楽之都は自らも常に研鑚を惜しまずに芸と人格をみがくことに努め、《和歌の浦》《松籟譜》《四方の海》など優れた数々の作品を発表。三弦は熊本まで出向いて長谷幸輝師に師事。ここで同世代の宮城道雄と知り合い、二人の若き箏曲家は熱く芸を語り、生涯の楽友として新しい邦楽界を担っていった。ほか坪内逍遥、山田耕筰、町田佳聲、中尾都山、田辺尚雄などの各氏にも知遇を得、様々な面での教えをうけている。正派は、当時の箏曲界では画期的であった施策を次々と打ち出した。伝統的な口伝教授の限界を感じての公刊楽譜の発行、洋・邦楽理論をふくんだ筆記と実技を平行させた試験による准師範試験の施行、全国組織としての評議員制などであり、これらはその後、年々充実の度を増しながら現在に至り、正派の特色として高い評価をうけている。組織としては、いわゆる「家元制度」の長所を生かしながら、近代社会に対応できるようなあり方が求められるようになり、1956(昭和31)年9月、邦楽団体では初めて文部省より「財団法人正派邦楽会」の認可を受ける。総裁・理事長には初代家元が就任。また初代家元は、世界的視野に立って日本文化の積極的な担い手となる音楽家を育てるための、専門の学校が必要であると長年考えていた。この意図が周囲に理解されて、1959(昭和34)年に正派音楽院が開校され、現在までに多数の優秀な人材を世に送りだしている。
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