昭和21年12月13日
■商品詳細
【書名】 中川紀元葉書 文部省藝術課「日展」御係宛
【巻冊】 一枚
【著者】
【成立】 昭和21年12月13日
★ 毛筆
★ 長野縣上伊那郡朝日村/中川紀元
★ 中川 紀元(なかがわ きげん、1892年(明治25年)2月11日 - 1972年(昭和47年)2月9日)は、長野県上伊那郡辰野町出身の洋画家である。旧姓は有賀、本名は紀元次。
★ 長野県上伊那郡朝日村(現辰野町樋口)出身。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒、東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科入学。中退後、太平洋画会研究所、本郷絵画研究所へ通い洋画に転向、藤島武二にデッサンの指導を受け、また、二科会の重鎮であった石井柏亭や正宗得三郎にも師事。1907年(明治40年)から1914年(大正3年)まで玉川尋常小学校の図画工作の講師をしており、当時の校長は島木赤彦が勤めていた。教え子には堀内唯生がいた。1915年第2回二科展に初入選。1919年にはフランスへ渡り、マティスに師事。1920年に「ロダンの家」等で樗牛賞を受賞、帰国後滞欧作7点を出品し二科賞を受賞。1922年、古賀春江、神原泰、山本行雄らと「アクション」を結成。1930年、中村岳陵ら日本画家たちと六潮会を結成。二科会解散後、熊谷守一らと二紀会を結成。文化学院講師、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)教授。1935年多摩美術大学教授[2]、1964年、日本芸術院恩賜賞受賞。五男は画家の中川タマオ。
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