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少年ジャングル王 マーチンの冒険 西崎大三郎画 加能越郎訳、昭24初 

暢気堂書房

少年ジャングル王 マーチンの冒険 西崎大三郎画 加能越郎訳、昭24初 

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貧農に生まれて 梨木作次郎の歩んだ道編集・発行 梨木会 金沢市野町一丁目二十一番地刊行年 1966年3刷 ページ数 155p (図版共) サイズ 19cm 梨木作次郎(1907年9月24日 - 1993年4月9日)日本の弁護士、社会運動家、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認)。金沢弁護士会会長、自由法曹団常任幹事などを歴任する。来歴石川県石川郡蝶屋村出身。日本大学専門部法科を卒業後、弁護士資格を取得。1931年に日本国民救援会の前身である日本赤色救援会へ入り、三・一五事件や四・一六事件をはじめ治安維持法違反事件の弁護に当たるが、1933年の日本労農弁護団一斉検挙事件で検挙。1935年には懲役2年執行猶予2年の有罪判決を受け、5年間の弁護士資格停止を命じられる。1946年に日本共産党へ入党すると、自由法曹団や解放運動犠牲者救援会の再建活動に奔走。また、これと並行して翌年には日本農民組合及び全日本産業別労働組合会議の支援を展開する。1949年の衆院選で旧石川1区から出馬し初当選を果たす。当選1回。この間1948年には小松製作所ストに関して建造物侵入罪で起訴されるものの、後に無罪が確定した。1947年、1951年の各県知事選挙に立候補するも落選。議員落選後もスモン病やイタイイタイ病を中心に公害訴訟の弁護団長などを務めていたが、1993年4月9日、前立腺がんのため石川県金沢市内の自宅で死去。85歳。 ¥3,500
昭和30年代 羽村の堰 絵葉書6点タトウ付羽村取水堰は、多摩川の河口から上流約54㎞に位置し、川をせき止める投渡堰、固定堰、魚類が行き来する魚道及びせき止めた水を取り入れる第一水門から構成。羽村取水堰は玉川上水と同時に建設され、承応2(1653)年に完成。玉川上水は、江戸の人口が増えたため幕府が多摩川の水を江戸に引く計画を立て、当初は国立の青柳付近、次いで福生の熊川付近に取水口を設けましたが失敗し、現在の羽村地点となった。堰は、明治33(1900)年、大正13(1924)年の増改築を経て現在に至る。堰の構造上、通常時は全量取水して小吐水門から毎秒2立方メートルを放流しているが、台風などの洪水時は、投渡堰を取り払うことで河川水位の上昇を抑え、堰の安全性を確保している。投渡堰は非常に珍しい型式で、川に直角に鉄のけたを渡し、これに杉丸太をたてかけ、横に差込丸太を設置し、そだ(木の枝を束ねたもの)、砂利等を用いて堰を作ります。台風等の大雨により多摩川の水位が上がり、一定の水位を超えるとけたを外して堰自体を下流に流します。これを投渡木払いといいます。その後、水位が下がると堰を再構築、この作業を仕付けといい、昔からの技術が途切れることなく現在まで伝わっている。取水した原水は、村山・山口貯水池や小作浄水場へ導水しているほか、玉川上水路を経て、東村山浄水場にも導水してる。 ¥1,500

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長崎丸山花月記 丸山遊廓(長崎)*山口雅生(山口家十七世) 著者 花月十七世 山口雅生 署名入り 出版社 清文堂出版 解説 昭和43年初版 函なし 稿正本だったようで所々赤鉛筆でチェック後あります。丸山は、寛永末 - 1956年(昭和31年)の間に栄えた長崎の花街(遊女・芸者などの集まる街)。鎖国令によりオランダ商館と同様に寛永18年(1641年)、平戸の丸山から名称と共に移設された。寛永末頃の集娼制度設立により、寛永19年(1642年)に市中の遊女屋が全て丸山の地に集められたのが始まりである。外国人を対象とした遊郭としては当時唯一のものであり、丸山遊女のみが唐人屋敷や出島に出入りすることを許されていた[1]。後にその区域も整備され町名も太夫町から丸山町・寄合町に変更された。1956年の売春防止法公布により遊廓としての丸山は終焉した。その始めは文禄2年(1593年)、筑前博多の花街、柳町の若干の遊女を古町、桶屋町、今博多町に移住させたことである。その数は次第に増え、博多町、大井手町、紙屋町、古町、八幡町、伊勢町などに散在していたが、寛永19年(1642年)に丸山町、寄合町にひきまとめた。延宝版「長崎土産」には「丸山町遊女屋五十九軒遊女三百三十五人内太夫六十九人、寄合町遊女屋四十四軒遊女四百三十一人内太夫五十八人」とある。元禄ころの状況を伝えるケンペルの紀行には「長崎の丸山は京の嶋原以外では、他に見られぬ艶麗を表現している」とあり、花月楼の鶴の枕は、唐の玄宗皇帝の楊貴妃の遺物であると伝わり、遊女の服装が華やかだったことは、小唄「京の女郎に長崎衣裳、江戸の意気地にはればれと、大坂の揚屋で遊びたい」とあるほどで、井原西鶴の「日本永代蔵」には「長崎に丸山と云ふ所なくば、上方の金銭無事に帰宅すべし」とさえ評された。
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