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謡開合仮名遣 (1953年) (資料複刻〈第1〉) 渡辺 綱也 石川国語方言学会

暢気堂書房

¥3,500

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斉藤昌三直筆原稿(舌三昧掲載400字詰原稿3枚)+生写真2点+茅ヶ崎市立図書館名誉館長名刺斎藤昌三(1887年3月19日 - 1961年11月26日)日本の古書学、蒐集家、発禁本研究などで「書痴(英語版)」と呼ばれた人物。猥褻本の研究、編訳でも知られる。 神奈川県高座郡座間村に商人の子として生まれ、政三と名づけられるが、関東大震災後「昌三」と改名。神奈川県立第三中学校を1905年に中退、横浜の生糸商・原合名会社に勤務。銀行訪問が主な業務で、当時銀行に勤めていた小島烏水や礒萍水と知りあうきっかけとなった。1910年頃勤務をやめ職を転々とした。1915年同人誌『樹海』を創刊、この雑誌は何度かの改題を経て続いた[4]。また『明治文藝側面鈔』を密かに刊行し、発禁となった小説類を紹介する。1920年には、趣味人の先輩にあたる加山道之助と組み、趣味誌『おいら』を創刊、三田平凡寺が主宰した趣味人の集団「我楽他宗(がらくたしゅう)」にも加わった。しかし1923年、関東大震災で多くの資料財産を失い、茅ヶ崎に移住した。三田とも関係性が悪化、「我楽他宗」からも脱退した。1923年9月『おいら』をやめ、雑誌『いもづる』を発刊。梅原北明と親しくなりその企画になる「変態十二史」のうち二冊を執筆。1925年10月『愛書趣味』を創刊。柳田泉、木村毅らと明治文学の研究に手を染めた。1931年7月『書物展望』を創刊。書物展望社は単行本の刊行もはじめ、1932年には斎藤の編集した内田魯庵『紙魚繁盛記』、淡島寒月『梵雲庵雑話』などを刊行した。『書物展望』は戦時中の中断を経て復活し1951年まで続いた。晩年は茅ヶ崎の文化人として過ごし、1959年4月には茅ヶ崎市立図書館の名誉館長に就任した。 ¥15,000

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新・空手道  金澤弘和著 昭和52年初版  日東書院 ページ数 254P 金澤 弘和(1931年(昭和6年)5月3日[1] - 2019年(令和元年)12月8日)岩手県出身の空手家。國際松濤館空手道連盟宗家・最高師範(十段)。船越義珍、中山正敏らに松濤館流空手道を学び、海外では「センセイ・カナザワ」として知られる達人。空手を学ぶために当時、空手強豪校として知られた拓殖大学へ編入学。在籍時には船越義珍や中山正敏らに空手を学ぶ。1956年、大学卒業と同時に日本空手協会の第1期研修生となる。1957年(昭和32年)、日本空手協会主催の第1回全国空手道選手権大会の組手部門に右腕が骨折した状態で出場し、蹴り技のみで対戦相手を圧倒して優勝した]。このことから「蹴りの金澤」と呼ばれた。翌年の第2回全国空手道選手権大会では組手部門で連続優勝を果たしただけでなく、型部門でも優勝し、初の総合優勝を成し遂げた[1]。1960年(昭和35年)より、ハワイを皮切りに海外派遣指導員として世界各地で空手を指導した。ハワイ空手連合会、イギリス空手道連盟を設立し、ドイツ空手道連盟の首席師範も兼任した。1978年(昭和53年)日本空手協会から独立し、國際松濤館空手道連盟を設立。2002年、NPO法人国際武道院より、空手道名人十段位を授与される。2014年、館長職を息子の伸明(八段)へ譲り、國際松濤館空手道連盟宗家・最高師範となる。
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