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粉おしろい 御園の花 御料無鉛  未開封 15cm-10 cm 御園化粧品 伊東胡蝶園

暢気堂書房

¥8,000

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書籍商 暢気堂書房

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孝子徳行録 文部省内閣印刷局/文部省. 出版年月: 1930年(昭和5年) ページ: 173p.目次 北海道(吉田政太郎)(森田康吉)東京府(吉葉希文)(大谷アキヨ)京都府(上野ヒサ)(池田幸優)大阪府(島田安治郎)(壱東光子)神奈川県(大谷ミヨ)(鈴木清)兵庫県(菅生庄太郎)(清水すゑの)長崎県(井手上ムメノ)(前川松五郎)新潟県(中山ちよ)(赤塚太吉)埼玉県(小河原みね)(高橋源蔵)群馬県(中谷クニエ)(松岡ツル)千葉県(安藤惣太郎)(干場をよ)茨城県(太田三也)(寺門みき)栃木県(江連開治)(大竹兼吉)奈良県(福井たか)(森島英夫)三重県(川合平吉)(寺本みか)愛知県(長田弘)(今枝吉太郎)静岡県(安藤くま)(阿形かく)山梨県(斎木いその)(佐々木梅三郎)滋賀県(泉きぬ)(藤井仙治郎)岐阜県(井口はなゑ)(小木曾つぎ)長野県(武田みと)(武井こと)宮城県(行方清太夫)(小原カシワ)福島県(阿曾ハツイ)(小林キク)岩手県(内山セキ)(菅野レイ)青森県(村口二太郎)(斎藤ゆきい)山形県(渡辺やすえ)(中川たけゑ)秋田県(斎藤章)(藤盛仁三郎)福井県(赤崎ふみ)(乙部やすえ)石川県(石黒正次)富山県(牧正次)鳥取県(金益恒政)(平尾かめ)島根県(三輪さく)(丸山吾一)岡山県(光森重男)(岡内男一)広島県(平田文八郎)(庄司タケ)山口県(杉マツ)(小林稔子)和歌山県(笠松正子)徳島県(小西多平)香川県(藤沢ヤヱ)(山下伝三郎)愛媛県(柚山和廼)(富永ウメコ)高知県(竹内輝子)福岡県(川原六郎)(丸山ユキノ)大分県(清原ユキ)佐賀県(池田竹次)(村山豊)熊本県(須佐美久和)宮崎県(岡元カル)(筒井清吉)鹿児島県(児丸シナ)(田野秀)沖縄県(具志栄治)(菅サワ) ¥1,500
白石城著者 片倉信光 出版社 白石市文化財愛護友の会 刊行年 昭57「図録解読」欠  白石で片倉といえば、仙台藩祖伊達政宗の忠臣、小十郎景綱。片倉信光(1909~85)は、白石城主片倉家の15代目に当たる。天正19年(1591)豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与えた。蒲生氏家臣蒲生源左衙門郷成は、白石城を築城し城主となった。慶長3年(1598)上杉領となるや上杉氏家臣甘糟備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。慶長5年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後明治維新まで260余年間片倉氏の居城となった。白石城は標高76メートルの最頂部には本丸・二ノ丸・中ノ丸・西曲輪、中段には沼ノ丸・南ノ丸・巽曲輪・帯曲輪・厩曲輪を置き丘の上に館堀川を巡らし、南は空堀で斤陵を切断、館堀川を隔てた平地には三ノ丸・外曲輪を配置した平山城である。本丸は高さ9メートル余の石垣の上に土塁を囲み三階櫓・巽櫓・坤櫓・大手門・裏三階門を備え、御成御殿・表・奥の諸建物があった。二ノ丸以下はすべて土塁で囲み、木柵をまわした崖を利用する等中世と近世城郭を併用した縄張であった。元和の一国一城令以後も仙台藩は仙台城と白石城の二城が許され、明治維新には奥羽越列藩同盟がこの城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城された。その後按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の変転期には一役を担う重要な城であった。白石城主「片倉氏」初代片倉小十郎景綱は、伊達輝宗(政宗の父)に見出され、梵天丸(後の政宗)の傅役となり、終生政宗につかえました。小田原参陣の時、時期の遅れを説いて秀吉との対決も辞さずとした成実と和平を説いて参陣を主張した景綱の話は有名。 ¥2,000

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青い目の人形交流展 ―お帰りなさい答礼人形【図録】 武田英子・さいとうみのる:監修 出版社 国際文化協会・朝日新聞社・そごう美術館 刊行年 昭和63 解説 A四 80頁 人形師 初代岩松松乾斉作 秀徳作 二代目平田郷陽作 滝沢光竜斉作 ほか  1920年代、アメリカでは反日感情が高まりをみせており、日本人移民を排斥する「新移民法」が可決された。そのような状況を憂慮した親日家の宗教教育者・ギューリック博士は、「人形」を通じて日米親善をはかろうと考え、親交の深かった渋沢栄一に協力を求めた。その試みは1927年(昭和2年)に実を結び、アメリカから約12,000体の「青い目の人形」が贈られ、その返礼として、日本の子どもたちの献金によって約60体の「答礼人形」が海を渡った。日米開戦によって、敵国からの「贈り物」として多くが廃棄処分を受けたが、捨てるに忍びないと密かに保存された人形たちが戦火をくぐり抜け、1980年代時点で「青い目の人形」216体、「答礼人形」25体が健在であることが確認されている。本書は、19体の「答礼人形」が里帰りし、日本に現存する「青い目の人形」を加え、1988年に日本全国で開かれた展覧会の図録。それぞれの人形にのこる傷あとや汚れから、戦争がもたらす不条理がうかがえ、胸をつかれる。--------------------------千葉の館山小学校の教師だった冨田文枝さんは、つぎのように話していました。「校長先生が私に、『人形を焼却するよう通達がきているけれど、あなたに預けます。くれぐれも憲兵に見つからないように』といわれました。私は必死で押入れに隠しました」(「戦時下の『青い目の人形』」より)□publisher:国際文化協会・朝日新聞・そごう美術館□date of issue:1988年□size:14.8x10.5cm□page:80
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