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銘酒 剣菱 維新回天の巻 パンフレット剣菱誕生のルーツを紐解くうえでの有力な手がかりが、江戸時代の文献『二千年袖鑒(そでかがみ)』。この文献には、伊丹の銘酒・稲寺屋(いなでらや)が永正2年に創業したことや、この文献が刊行された嘉永2年(1849)の時点ですでに345年の歴史があることなどが今も変わらぬロゴマークとともに記されている。ただ、文献のどこにも「剣菱」の二文字は見当たらない。その所以は、江戸後期の文豪・頼山陽(らいさんよう)の「江戸で評判になるにつれ、江戸の人々が(剣菱と)呼称し、結果として商標名になっていった」(長古堂記/ちょうこどうき)との記述から伺い知ることができる。では、永正2年の創業から300年以上もの間、このロゴマークを冠した酒はいったいなんと呼ばれていたのか?創業主・稲寺屋が精魂込めて醸造した酒

暢気堂書房

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図録 宮川香山 : 虫明焼と明治の陶芸 : 没後一〇〇年 福冨幸, 大山真季編 出版社 岡山県立美術館 2016年 ページ数 167 宮川香山(天保13年1月6日(1842年2月15日) - 大正5年(1916年)5月20日)明治時代の日本を代表する陶工。高浮彫、真葛焼(横浜焼)の創始者、帝室技芸員。2代目宮川香山・宮川半之助は養子。海外ではMakuzu Kozanとしても知られている。香山は天保13年(1842年)、京都の真葛ヶ原に陶工・真葛宮川長造の四男として生まれた。幼名は虎之助。19歳の時、父と兄が亡くなり陶工の家を継ぐと父が生前朝廷用の茶器を制作し「香山」の称号を受けていたため虎之助は初代香山の名を名乗り父の得意とした色絵陶器や磁器などを制作。その腕は評判を呼び慶応2年(1866年)、25歳の時、幕府から御所献納の品を依頼されるまでになった。明治3年(1870年)、29歳の時、薩摩の御用商人梅田半之助、実業家鈴木保兵衛らに招聘され翌年、横浜に輸出向けの陶磁器を作る工房・真葛窯を開いた。しかし、当時の関東地方には陶磁器を作る土がなく有名な工房があるのは京都や中国地方などに集中していたため、この地に工房を開くのはかなりの苦労を伴う事業だった。香山は当初欧米に流行していた薩摩焼を研究していくつもの作品を制作、この工房の作を「真葛焼」と名づけて輸出したが金を多量に使用する薩摩焼は制作費に多額の資金を必要とするため、香山は「高浮彫(たかうきぼり)」と呼ばれる新しい技法を生み出す。これは金で表面を盛り上げる薩摩焼の技法を、金のかわりに精密な彫刻を掘り込むことで表現したもので、薩摩焼の技法に変わる新 ¥2,000

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