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マルクス主義の解縛──「正統的な科学」を求めて  千石好郎マルクスが復活しつつある今だからこそ日本の左翼を呪縛してきたマルクス主義の根本的検討が必要である。分化理論によって現代社会を分析する。2009年1月16日刊行A5判 上製 272頁 マルクス主義の解縛──「正統的な科学」を求めて:目次まえがき序章 マルクスの革命論は、なぜ時代遅れになったのか  第1節 1882年の「『共産党宣言』ロシア語第2版の序文  第2節 マルクスのアメリカ論  第3節 マルクス革命論の空想性  第4節 マルクスからレーニンへ第1部 レーニン主義とは何だったのか 第1章 レーニンの諸実践の再検証  第1節 「未完のレーニン」か、「グッバイ・レーニン」か   第2節 レーニンの政治的実践をめぐる事実認定をめぐる諸問題  第3節 レーニン主義の本質  第4節 今後の課題 第2章 レーニン『何をなすべきか』の逆説  はじめに   第1節 『何をなすべきか』の骨子  第2節 ロシア革命以前における危惧  第3節 ロシア革命以後の告発 国家社会主義社会の実体  第4節 「新しい階級」論の普遍化を目指して  終 節 三者の予測と暫定的結論第2部 ポスト・マルクス主義の先駆者ダニエル・ベル 第3章 初期における政治的立場と理論的パラダイム   第1節 ダニエル・ベルの経歴と業績  第2節 初期ベルの政治的立場と理論的パラダイム 第4章 中期におけるポスト・マルクス主義の模索  第1節 模索の過程  第2節 アメリカ・マルクス主義運動の内在的総括 第5章 マルクス社会理論に対する全面的対決  第1節 後期ベルのマルクス批判  第2節 マルクス理論形成史に対するベルの見解  第3節 ベルのマルクス理論批判の概要  第4節 マルクス未来社会像  第5節 ベルのマルクス評価の最終結論第3部 唯物史観の再検討 第6章 アンソニー・ギデンズの「史的唯物論の現代的批判」

暢気堂書房

¥2,000 (送料:¥600)

  • 状態 中古品
  • 解説 S棚29箱 数ページ線引きあります。
    はじめに
      第1節 初期ギデンズの社会体制論
      第2節 構造化理論の構築
      第3節 『史的唯物論の現代的批判』
      第4節 『国民国家の暴力』における「批判」の深化 
      第5節 『左翼と右翼を超えて』におけるポスト・マルクス主義への飛翔
     第7章 唯物史観から分化理論へ:社会変動論のパラダイム転換
      はじめに 問題意識
      第1節 タルコット・パーソンズの分化理論 
      第2節 「経済と社会」問題をめぐる三つのパラダイムの鼎立 
      第3節 マルクス主義に対する分化理論の優位性
      おわりに パーソンズ以後の分化理論の展開
     第8章 村岡到社会変革論の到達点
      第1節 なぜ、村岡到理論なのか?
      第2節 ソ連崩壊直前の理論的立場
      第3節 「生活カード制」(および「協議型社会主義」)の提案
      第4節 村岡流ポスト・マルクス主義の模索
      第5節 村岡到氏の政治哲学論
      第6節 日本の社会主義運動史上における村岡理論の位置
      第7節 理論家から思想家への脱皮は?
      補論 村岡社会変革論の現実性と空想性
    第4部 書評論文
     高田社会学の現代的意義
      はじめに
      第1節 高田保馬主要著書復刊の意図と選択の基準
      第2節 高田保馬理論の現状分析の射程
      第3節 高田保馬のマルクス批判の射程
      第4節 高田社会学の展開と今日的意義
     デーヴィッド・レーンのソ連論
      1 ソ連崩壊以後のソ連研究の意義
      2 デーヴィッド・レーン(David Lane)の経歴と主な業績
      3 『国家社会主義の興亡:体制転換の政治経済学』の概要と特徴
      4 レーン理論の特徴
      5 批判的コメント
    第5部 旅の中で
     ドイツの旅で考える
     アメリカ訪問記

     参照文献
     あとがき
     人名索引


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梅田雲浜と維新秘史  梅田薫著 出版社 東京正生学院 刊行年 昭和54年初版カバー  梅田雲浜(文化12年6月7日〈1815年7月13日〉- 安政6年9月14日〈1859年10月9日〉)江戸時代末期の儒学者。通称は源次郎[2]。名は義質、のちに定明。号は雲浜のほか、湖南、東塢がある。 天保14年京都へ上り藩の塾となっていた望楠軒の講主に迎えられる。ところが、嘉永5年(1852年)海防の強化を建言したことが藩主・酒井忠義の怒りに触れ藩籍を剥奪されてしまう。「君が代を おもふ心の 一筋に 我が身ありとも 思はざりけり」という和歌は、この時期に詠んだとされる[4]。嘉永6年(1853年)、アメリカ合衆国のマシュー・ペリーが来航すると条約反対と外国人排斥による攘夷運動を訴えて尊皇攘夷を求める志士たちの先鋒となり、幕政を激しく批判した。やがて安政5年(1858年)、日米修好通商条約への朝廷の勅許拒否・その後の戊午の密勅等一連の事案が発生すると、首謀者と目された雲浜は京中の邸にて、大老・井伊直弼による安政の大獄で最初の捕縛者となった。この間、安政2年に千代と結婚している。捕縛後は京都から江戸に送られる。取調べでも箒尻で何度も打たれる拷問においても何一つ口を割らなかった[要出典]。江戸では小笠原忠嘉の邸に預けられる[8]。安政6年9月14日に幽閉中に病死した。享年45。流行のコレラに罹ったというが、拷問での傷の悪化による死因説もある。 ¥2,500
日蓮教学精要 本多日生著 昭38年初版函付 出版社 財団法人統一団 サイズ B6 全414頁本多日生(1867年4月17日(慶応3年3月13日) - 1931年(昭和6年)3月16日)僧侶。日蓮宗妙満寺派、顕本法華宗元管長、法号は聖応院日生。近代日本の代表的な日蓮仏教の改革者として名を残す。 1884年(明治17年)以降、明治政府のもと仏教各宗派の教団近代化が始まり、日蓮宗妙満寺派にいた日生は革新派として近代化の体制整備に奔走し、1889年(明治22年)、24歳の若さにして妙満寺派教学部長に就任する。しかし、日生の革新的な宗制改革は、宗内の守旧派から反発を呼び、保守派の錦織日航が管長に就任すると、1891年(明治24年)、教学部長を罷免される。日生に対する守旧派の処分は続き、福島県二本松の蓮華寺への左遷命令を拒否した日生に対して1892年(明治23年)、僧籍剥奪処分が下る。以後、日生は「顕本法華宗義弘通所」を設立して独自の布教活動を始める。宗内での盛んな日生復権運動の結果、1894年(明治27年)、宗門は「仏教各宗綱要」の日生への執筆依頼のために僧籍を復権。それと同時に、かねてから構想していた日蓮門下統合に向けて僧俗を問わずに運動を展開する拠点として「統一団」を結成する。団報「統一」を発刊し、現在までその活動は継続されている。日生は宗門の宗務総監に就任した後、日蓮宗妙満寺派を正式に「顕本法華宗」とする公称許可を得て、1905年(明治38年)、39歳で顕本法華宗管長に就任した。以後21年間、同職を務める中、1909年(明治42年)には以前からライフワークとしていた僧俗一体の布教伝道、社会教化、門下統合の拠点とするため「天晴会」を組織、佐藤鉄太郎海軍中将、小笠原長生子爵などの有力軍人、政治家、名士たちが名を連ねた。関連団体として、各地で頻発する労働争議に対応するための労働者・勤労者を中心とした「自慶会」や、共産主義、無政府主義に対抗するための政治運動拠点として「知法思国会」も組織し、幅広い分野での日蓮主義伝道活動に務めた。1922年(大正11年)、広く日蓮門下に呼びかけ宗祖・日蓮大聖人の「立正大師号追諡」を実現させる。以後日生は宗祖を一貫して「立正大師」と呼称し続けた。 ¥2,000

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