JavaScript を有効にしてご利用下さい.
文字サイズ
古書を探す
コーヒー産地事情 帝国飲食料新聞社 昭和51年初版 全175頁
古梅園墨談 全著者 松井貞太郎編 出版社 古梅園本店 刊行年 昭4年 解説 和綴 24頁 四六判(B6判) 「製墨の古梅園」 古梅園は天正5年(1577)、奈良の松井道珍が創業した製墨の老舗。代々、皇室や幕府の御用墨所を勤め、「紅花墨」「神仙墨」などの製墨で知られた。日本橋の古梅園(店主、芹川ふみ)は、奈良古梅園の東京支店であった。「日本橋通一丁目の古梅園は製墨の老舗にして東京の名物也」と記載あり。「古梅園」と記された製墨の絵と、「御用 御墨所 古梅園製墨 官工 南都松井和泉掾㊞」と記された商標が書き写されている。— 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「製墨の古梅園」より抜粋。「墨」という名は「染み」からなまり伝えられたものといわれています。我が国へは推古天皇の18年(西暦610年)高句麗の僧曇徴が製墨法を伝えたといわれています。墨はその後朝廷や寺院においてつくられるようになり、時代を経て室町末期に市井の造墨家として古梅園が創業致しました。製墨法が最も発展した江戸時代、古梅園は幕府の許可を得ながら、中国の造墨家との交流、研究を重ねより一層品質の良い墨をつくるようになり、その技は今も引き継がれている。400余年の間に培った伝統の技を守りながら、墨業一筋に。創業1577年 古梅園
1970年 アメリカの詩と哀愁 現代具象絵画の鬼才 ベン・シャーン展 ポスター 東京国立近代美術館 BEN SHAHN 原弘デザイン 102×73cm
満洲の農業事情(満州事情案内所報告 ; 53) 新京 : 満州事情案内所 発行昭和6年初版目次 一、槪說/1二、滿洲の自然條件/3 イ、氣象條件/3 ロ、土地條件/9 三、滿洲の農產資源/13 イ、普通作物/14 ロ、特用作物/21 ハ、牧野草類/28 四、滿洲の特殊農法/36 イ、乾燥地農法/36 ロ、北滿の特殊農法/40 全41p表紙にしみ
12冊 りのさとし 昭和42年一号〜三号,五号〜八号。昭和43年一号、九号〜十二号世界心道教 世界心道教は、愛知県豊川市に本部を置く宗教法人。創始者は会田ヒデ(1898年9月30日 - 1973年5月24日)。「天地月日御親水火風之大神」を祀る。教祖会田ヒデは1923年に天理教に入信し、同教の教師を務めていたが、1925年、大西愛次郎に賛同し、ほんみちへ移る。その後、1933年に元ほんみち信者であった勝ひさのの天理三輪講へ移って活動を続けていたが、1938年3月13日、大阪府西淀川区で月読之命と国狭土之命の2社が彼女の体に天下り、天啓者となったとされる[1]。更に1942年12月23日には10社が天下った。1943年より東京都渋谷区大岡山で人助けを始め、1944年1月、東京渋谷に移転。同年11月3日、「世界心道会」を設立した。以後、ヒデは「親様」と呼ばれるようになった。1946年3月、愛知県豊川市に移転。1949年、現在地である豊川市諏訪に本部を移し、1948年7月6日に宗教法人令による宗教法人として、また1952年7月11日に宗教法人法による宗教法人として発足した。会田ヒデは、天理教の開祖中山みきの著した『おふでさき』や『泥海古記』の文章を独自に解釈し、「1838年(天保9年:天理教創始の年)から100年後に新たな者から天の指図が下されるようになる」とした。彼女の言う「100年後」というのが、まさにヒデの体に天の月日が天下ったとされる年である。世界心道教の教義によれば、「従来の信仰では、ひたすら拝むことによって天の加護が得られたが、ヒデに神が天下った後は、拝むだけでは功徳を積んだことにならず、道をあけねば御利益は得られない」と説く。「道あけ」とは、心の改良を行うことである。身上(体の悩み)や事情(心の悩み)は人の心が天の心に反したために起こるものであり、心の改良を行えば御利益が得られる。これを「心のしんせいふっこう」と呼ぶ。世界心道教は、この新しい信仰のあり方を広く啓蒙することによって、理想世界の建設を目指すとしている。
アイ・ジョージアイジョージのラテン・アルバム (10inchレコード)ボレロと日本の叙情性を繋げた名演の数々不遇の時代を経たのち坂本スミ子とともにトリオ・ロス・パンチョス日本公演の前座を務めたことから有名となったアイ・ジョージ。日本のラテン歌謡界の草分け的存在であることはもちろん「ドドンパ」の名付け親として独自のビートを広めた先駆者でもあります。本作はそんな彼のラテンナンバーを十二分に楽しめる1960年録音のテイチク盤。「カチート」「ベサメムーチョ」といったスタンダードを日本詞で歌うだけでなく甘い歌声でボレロと日本の叙情を繋げる名演。(NL-1105/10″LP-obi,ラテン音楽/テイチク)I,GEORGE LATIN ALBUM, ARROW LATIN GROUPアイ・ジョージのラテン・アルバムアイ・ジョージ(唄), アロー・ラテン・グループ日本語作詩:福島正二,373UTAO/ 制作担当:中島賢二解説:志摩夕起夫盤質良好です。
南の夜のウクレレ・ムード|Victor LV-207 |10インチLPレコード ハーバード大田 ハワイアンオーケストラ
ウクレレ ラテン・ムード (1963) / ハーバード太田のウクレレとラテン・コンボ 10インチLPレコードオータサンが本国アメリカ・ハワイでレコードデビュー以前の、軍役で日本駐在中に日本のレコード会社に吹き込んだ数枚の10インチ音盤の一つ。ビクター盤は63年の本作と、61年の「南の夜のウクレレ・ムード /ハーバート大田とハワイアン・オーケストラ」があるが、のち2000年に「Ukulele Masters in Japan 1960-1964」というコンピレーションに再編されてCD化が実現している。本盤からの音源についてはA-3, B-1の2曲がCD化の際に収録時間の制約により選曲から漏れてしまった為、ここでしか聴く事ができないという事もあるが、なんといってもこのジャケットには抗しがたいコレクター欲をそそられてしまった。28歳の若き日のオータサンが波止場らしき場所で、愛器マーチンM-3を抱えた勇姿である。61年「南の夜の・・・」はモノラル盤(CD化の際にステレオで復刻が実現)、本盤はジャケットにも大書きされているようにステレオ収録というのが大きなセールスポイントであったようだ。当時の定価は1,300円。内容は「ラテン、ジャズのスタンダード曲を中心に、ピアノ、ベース、コンガ、ボンゴをバックに演奏しています」とライナーノーツにもある通り、ジャズ色の強いセッションとなっている。本作と同様、オータサンの除隊/ハワイ帰島前に吹き込まれたポリドール盤「南国のリズム ウクレレは歌う / ハーバート太田(ウクレレ) 山口銀次とルアナハワイアンズ」が和製エキゾチカであったのに対し、本盤では本格的な和製ジャズを聴く事ができる。本国デビュー前にして既にこの成熟した音楽性、はじめから只者でなかったのだという事が分かる。レーベル:ビクター (SLV-34)プロデュースや演者は不明SideA1. ベサメ・ムーチョ2. ムーン・イズ・イエロー3. ハウ・ハイ・ザ・ムーン → CD化の際に未収録4. イエスタデイSideB1. ナイト・イン・チュニジア → CD化の際に未収録2. クマーナ