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崔禮泰 1975年ローマ画廊(東京)展覧会パンフ少し書き込み

暢気堂書房

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回天 [回天作戦の追憶/回天特攻作戦時期一覧表/他]著者 回天顕彰会 刊行年 昭和40.10 ページ数 74p サイズ A5 回天は、太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷、日本軍初の特攻兵器である。「回天」という名称は、特攻部長大森仙太郎少将が幕末期の軍艦「回天丸」から取って命名した[3]。開発に携わった黒木博司中尉は「天を回らし戦局を逆転させる(天業を既倒に挽回する)という意味で「回天」という言葉を使っていた。秘密保持のため付けられた〇六(マルロク)、㊅金物(マルロクかなもの)、的(てき)との別称もある。1944年(昭和19年)7月に2機の試作機が完成し、11月20日のウルシー環礁奇襲で初めて実戦に投入された[7]。終戦までに420基が生産された。兵器としての採用は1945年(昭和20年)5月28日のことだった。回天は超大型魚雷「九三式三型魚雷(酸素魚雷)」を改造し、特攻兵器としたものである。九三式三型魚雷は直径61cm、重量2.8t、炸薬量780kg、時速48ノットで疾走する無航跡魚雷で、主に潜水艦に搭載された。回天はこの酸素魚雷を改造した全長14.7m、直径1m、排水量8tの兵器で、魚雷の本体に外筒を被せて気蓄タンク(酸素)の間に1人乗りのスペースを設け、簡単な操船装置や調整バルブ、襲撃用の潜望鏡を設けた。炸薬量を1.5tとした場合、最高速度は55km/hで23キロメートルの航続力があった。ハッチは内部から開閉可能であったが、脱出装置はなく、一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はなかった。回天が実戦に投入された当初は、港に停泊している艦船への攻撃、すなわち泊地攻撃が行われた。最初の攻撃(玄作戦)で給油艦ミシシネワが撃沈されたのをはじめ、発進20基のうち撃沈2隻(ミシシネワ、歩兵揚陸艇LCI-600)、撃破(損傷)3隻の戦果が挙げられている。アメリカ軍はこの攻撃を特殊潜航艇「甲標的」による襲撃と誤認し、艦上の兵士はいつ攻撃に見舞われるかという不安にかられ、泊地にいても連日火薬箱の上に坐っているような戦々恐々たる感じであったという。
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CD2枚 石川優子 Stupid Cupid 月曜日のシャンプー 見本品小学校4年生の時に守口市少年少女合唱団に10倍以上の競争率を乗り越え合格した。中学3年でギターをはじめ、高校時代は女性デュオの「スリーピー」、高校3年から短大にかけてはバンドの「ファンタスティック」などに参加して活動した。1978年、第16回ヤマハポピュラーソングコンテストつま恋本選会に、CHAGE and ASKA、円広志、大友裕子、クリスタルキングらと共に出場し、「夜の雨」を歌った。1979年、国際チリ音楽祭に「悲しさ夢色」で出場した。同年3月「沈丁花」でプロデビューした。続く2枚目シングルでは、石川本人が作詞・作曲した「レット・ミー・フライ」をリリースした。同年10月発売の三枚目のシングル「クリスタル モーニング」が、本人出演の「コルゲントローチ」CM曲となり、スマッシュヒットした。1981年には、シングル「シンデレラ サマー」が同年のJAL沖縄キャンペーンソングに使用された。ラジオ番組のDJとしても人気を集め、『MBSヤングタウン』木曜日をはじめとして、数々の番組を担当した。また、音楽活動だけに留まらずタレントとしても活動した。グラマラスな体型をグラビア雑誌で披露することもあった。「シンデレラ サマー」のヒットの際には、『ザ・ベストテン』(TBS)に7週連続登場した。『ザ・ベストテン』の放送日が『MBSヤングタウン』の担当曜日である木曜日であったので、MBSの千里丘スタジオや隣のミリカプールなどで毎回中継が行われていた。1983年頃から、他のアーティストやアイドルへ楽曲提供するようになる。1983年に河合奈保子、1984年には早見優、さらには冨永みーな、デューク・エイセス等にも作品を提供し、ソングライターとしての活動も活発に行う。1984年、「石川優子とチャゲ」名義でシングル曲「ふたりの愛ランド」をリリースした。同曲は、「シンデレラ サマー」と同じくJAL沖縄キャンペーンソングに使用された。チャゲ作曲の小気味よいデュエット曲はその夏の代表的なヒット曲となり、ザ・ベストテンには11週連続登場(最高2位)する快挙であった。オリコン年間ランキングにおいては16位、ザ・ベストテン年間ランキングでは10位を獲得した。
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