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「徳川五代将軍」の検索結果
16件

徳川五代将軍

はりはりや
 茨城県龍ケ崎市姫宮町
978 (送料:¥250~)
齊藤吉見、実業之日本社、249
【濡れ跡あり】【若干の書き込みライン等あり】外装使用感、ヤケ、シミ、フチヨレ、経年感、イタミ、汚れございます。
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徳川五代将軍

978 (送料:¥250~)
齊藤吉見 、実業之日本社 、249
【濡れ跡あり】【若干の書き込みライン等あり】外装使用感、ヤケ、シミ、フチヨレ、経年感、イタミ、汚れございます。
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変態心理 大正10年5月(7巻5号)中村古峡(後催眠現象)、北野博美(ヒステリーと性格の関係)、栗山信次郎(徳川五代将軍の迷信) 他

史録書房
 東京都練馬区西大泉
1,500
中村蓊編、日本精神医学会、大正10年、A5版120頁
ヤケ大 背ハガレ
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変態心理 大正10年5月(7巻5号)中村古峡(後催眠現象)、北野博美(ヒステリーと性格の関係)、栗山信次郎(徳川五代将軍の迷信) 他

1,500
中村蓊編 、日本精神医学会 、大正10年 、A5版120頁
ヤケ大 背ハガレ

史料纂集古記録編182 楽只堂年録5

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
15,400
宮川葉子校訂、八木書店、2016年、252頁、A5、1冊
"【新刊書の定価販売です】 ●『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された、吉保の公用日記。初の全文翻刻。
●吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。
●江戸期、特に元禄時代を中心とした時代の文化、文芸、歴史を研究する者にとっては必読の一級史料である。※発送まで1~2営業日お時間いただきます"
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15,400
宮川葉子校訂 、八木書店 、2016年 、252頁 、A5 、1冊
"【新刊書の定価販売です】 ●『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された、吉保の公用日記。初の全文翻刻。 ●吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。 ●江戸期、特に元禄時代を中心とした時代の文化、文芸、歴史を研究する者にとっては必読の一級史料である。※発送まで1~2営業日お時間いただきます"

史料纂集古記録編11 隆光僧正日記2

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
4,180
"永島福太郎・林亮勝校訂 続群書類従完成会発行"、八木書店、1970年、298頁、A5、1冊
【新刊書の定価販売です】 護持院隆光僧正(一六四九-一七二四)は徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院の信任をうけ、綱吉の側近に侍して教俗両界を牛耳った。柳沢吉保と並んで文治主義を徹底させ、元禄文化時代の出現を促した。生類憐れみの令の発案者として、とかくその悪名のみが語られるが、この自筆日記から、隆光の真姿がさぐれようし、またこれを追うにいたった爛熟期徳川政権の実態が究明されるだろう。※発送まで1~2営業日お時間いただきます
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史料纂集古記録編11 隆光僧正日記2

4,180
"永島福太郎・林亮勝校訂 続群書類従完成会発行" 、八木書店 、1970年 、298頁 、A5 、1冊
【新刊書の定価販売です】 護持院隆光僧正(一六四九-一七二四)は徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院の信任をうけ、綱吉の側近に侍して教俗両界を牛耳った。柳沢吉保と並んで文治主義を徹底させ、元禄文化時代の出現を促した。生類憐れみの令の発案者として、とかくその悪名のみが語られるが、この自筆日記から、隆光の真姿がさぐれようし、またこれを追うにいたった爛熟期徳川政権の実態が究明されるだろう。※発送まで1~2営業日お時間いただきます

史料纂集古記録編 第168回配本 楽只堂年録2

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
14,300
宮川葉子校訂、八木書店、平25、1冊
『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された、吉保の公用日記。初の全文翻刻。吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。柳沢吉保の生涯は、周囲の嫉妬も手伝いまげて伝えられてきた。本書の刊行によって吉保本人は勿論、犬公方として悪名高い綱吉の実像、幕臣達や吉保一族の動向、柳沢家と公家衆との文化交流、大奥の女性の生活等、表舞台には現れない貴重な事実を知ることが出来る。
【収録】元禄9年(1696)正月~元禄12年(1699)12月

柳沢吉保(1658-1714)とは…
柳沢吉保は、徳川五代将軍綱吉の側用人として奉公し、綱吉の寵愛を受け大老格という破格の出世を遂げた。吉保は館林藩主であった綱吉に仕えていたが、延宝8年(1680)、綱吉の将軍就任に伴い幕臣となり、以降、寵愛を受け頻繁に加増され、松平の家号を許され、綱吉の偏諱を与えられた。儒学の上では綱吉の一番弟子であり、文芸、ことに和歌詠作にも熱心であり、公家とも交流を行っていた。宝永6年(1709)綱吉薨去後は、嫡男吉里に家督を譲ると駒込の下屋敷六義園に隠遁し、正徳4年(1714)没した。

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
14,300
宮川葉子校訂 、八木書店 、平25 、1冊
『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された、吉保の公用日記。初の全文翻刻。吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。柳沢吉保の生涯は、周囲の嫉妬も手伝いまげて伝えられてきた。本書の刊行によって吉保本人は勿論、犬公方として悪名高い綱吉の実像、幕臣達や吉保一族の動向、柳沢家と公家衆との文化交流、大奥の女性の生活等、表舞台には現れない貴重な事実を知ることが出来る。 【収録】元禄9年(1696)正月~元禄12年(1699)12月 柳沢吉保(1658-1714)とは… 柳沢吉保は、徳川五代将軍綱吉の側用人として奉公し、綱吉の寵愛を受け大老格という破格の出世を遂げた。吉保は館林藩主であった綱吉に仕えていたが、延宝8年(1680)、綱吉の将軍就任に伴い幕臣となり、以降、寵愛を受け頻繁に加増され、松平の家号を許され、綱吉の偏諱を与えられた。儒学の上では綱吉の一番弟子であり、文芸、ことに和歌詠作にも熱心であり、公家とも交流を行っていた。宝永6年(1709)綱吉薨去後は、嫡男吉里に家督を譲ると駒込の下屋敷六義園に隠遁し、正徳4年(1714)没した。 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

栗本鋤雲遺稿

池袋ブックサービス
 東京都府中市南町3-49-12
4,980 (送料:¥220~)
栗本瀬兵衛 編、鎌倉書房、昭和18年、312p、19cm
◇日焼けシミ◇カバー傷み・汚れ◇天小口汚れ◇ラベル跡◇通読には支障のない書籍です
即決注文にてご購入の場合は決済後 原則48時間以内に発送の手配をいたします (営業時間外・土日祝日・当店が定めた休業日が挟まる場合を除く) 当店は適格請求書発行事業者です (登録番号T3810765032267) インボイス対応の領収書等ご入用の場合は、通信欄よりお知らせください
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4,980 (送料:¥220~)
栗本瀬兵衛 編 、鎌倉書房 、昭和18年 、312p 、19cm
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史料纂集古記録編 第174回配本 楽只堂年録3

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
14,300
宮川葉子校訂、八木書店、平26、1冊
『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された吉保の公用日記。初の全文翻刻。吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。柳沢吉保の生涯は、周囲の嫉妬も手伝いまげて伝えられてきた。本書の刊行によって吉保本人は勿論、犬公方として悪名高い綱吉の実像、幕臣達や吉保一族の動向、柳沢家と公家衆との文化交流、大奥の女性の生活等、表舞台には現れない貴重な事実を知ることが出来る。

【収録】元禄13年(1700)正月~元禄15年(1702)閏8月

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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14,300
宮川葉子校訂 、八木書店 、平26 、1冊
『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された吉保の公用日記。初の全文翻刻。吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。柳沢吉保の生涯は、周囲の嫉妬も手伝いまげて伝えられてきた。本書の刊行によって吉保本人は勿論、犬公方として悪名高い綱吉の実像、幕臣達や吉保一族の動向、柳沢家と公家衆との文化交流、大奥の女性の生活等、表舞台には現れない貴重な事実を知ることが出来る。 【収録】元禄13年(1700)正月~元禄15年(1702)閏8月 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第162回配本 楽只堂年録1〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
9,900
宮川葉子校訂、八木書店、平27、1冊
『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された、吉保の公用日記。吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。柳沢吉保の生涯は、周囲の嫉妬も手伝いまげて伝えられてきた。本書の刊行によって吉保本人は勿論、犬公方として悪名高い綱吉の実像、幕臣達や吉保一族の動向、柳沢家と公家衆との文化交流、大奥の女性の生活等、表舞台には現れない貴重な事実を知ることが出来る。
【収録】先代の事歴・万治元年(1658)12月~元禄8年(1695)12月

#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
9,900
宮川葉子校訂 、八木書店 、平27 、1冊
『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された、吉保の公用日記。吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。柳沢吉保の生涯は、周囲の嫉妬も手伝いまげて伝えられてきた。本書の刊行によって吉保本人は勿論、犬公方として悪名高い綱吉の実像、幕臣達や吉保一族の動向、柳沢家と公家衆との文化交流、大奥の女性の生活等、表舞台には現れない貴重な事実を知ることが出来る。 【収録】先代の事歴・万治元年(1658)12月~元禄8年(1695)12月 #八木書店出版物/-/-

栗本鋤雲遺稿

書砦 梁山泊
 滋賀県大津市比叡平
15,000
栗本瀬兵衛 編、鎌倉書房、昭18
四六判 カバーに経年によるヤケと傷み 1944の中野重治のアルファベットの記名及び北山茂夫宛1954年5月中野重治の記名、印
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求

栗本鋤雲遺稿

15,000
栗本瀬兵衛 編 、鎌倉書房 、昭18
四六判 カバーに経年によるヤケと傷み 1944の中野重治のアルファベットの記名及び北山茂夫宛1954年5月中野重治の記名、印

匏菴十種

古書かんたんむ
 東京都文京区湯島
3,000
栗本鋤雲 著、報知社、明治25、257p、21cm
A5 裸本 製本 ヤケ 書込み
【送料 全国一律300円】 ※重さ1kg以上は430円、厚さ3cm以上は600円、 大型・4㎏以上は800円~(ゆうパック) 領収書が必要な場合はご注文時にお申し付けください。(宛名、日付、但し書き、ご指定下さい) 公費ご購入は商品代金合計1,000円以上で承ります。 海外への発送は対応しておりません。Sorry, we do not ship overseas.
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可 適格請求
3,000
栗本鋤雲 著 、報知社 、明治25 、257p 、21cm
A5 裸本 製本 ヤケ 書込み

匏菴十種

ぶっくいん高知 古書部
 高知県高知市福井町
7,700 (送料:¥430~)
栗本鋤雲 著、報知社、明治25年、257p、21cm
表紙傷み補修・裏表紙欠
●インボイス・適格請求書に対応しております、 ●領収書、請求書をご要望の際は、その旨ご注文時にお知らせください、同封いたします。なお、商品発送後は対応できません。 ●「公費」、「代引き」でのご注文は2200円以上より承ります。  
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
7,700 (送料:¥430~)
栗本鋤雲 著 、報知社 、明治25年 、257p 、21cm
表紙傷み補修・裏表紙欠
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史料纂集古記録編 第6回配本 隆光僧正日記1〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
11,000
永島福太郎・林亮勝校訂、八木書店、平26、1冊
護持院隆光僧正(1649-1724)は徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院の信任をうけ、綱吉の側近に侍して教俗両界を牛耳った。柳沢吉保と並んで文治主義を徹底させ、元禄文化時代の出現を促した。生類憐れみの令の発案者として、とかくその悪名のみが語られるが、この自筆日記から、隆光の真姿がさぐれようし、またこれを追うにいたった爛熟期徳川政権の実態が究明されるだろう。

【収録】①1692〔元禄5〕~1698〔元禄11〕
○綱吉月の異常を天変として怪しむ
○隆光綱吉に月星合宿の理を説明す
○綱吉知足院に一切経を奉納(黄檗山の摺経)
○渡唐天神の掛物
○綱吉守本尊を隆光に所望す
○柳原保明邸へ御成り
○興教大師五百五十年忌
○牧野成貞言語障碍を病む
○鷹司房輔関東に下向
○尾張光友隠居
○木下順庵中庸講義
○隆光乙訓寺を拝領
○保明川越城主となる
○綱吉論語大学三綱領を講釈す
○霊雲寺を真言律の関東本山となす
○将軍家光の落胤徳円と申す者町奉行へ来る
○法隆寺宝物の江戸開帳
○徳川将軍家は新田氏の裔
○本庄宗資邸へ桂昌院を同道して御成
○両国橋花火見物
○隆光を大僧正昇任護持院の称号を下され僧録に任ず
○お伝の方を五の丸様と称す
○神田明神祭礼
○綱吉桂昌院と同道し護持院参詣
○回向院の伊勢関地蔵開帳
○大地震
○阿蘭陀人の御礼
○八重姫水戸吉孚へ輿入
○安井算哲二星の怪異を上申す
○寛永寺厳有院廟及び輪王寺門跡焼失(天海以来の旧記焼失)

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
11,000
永島福太郎・林亮勝校訂 、八木書店 、平26 、1冊
護持院隆光僧正(1649-1724)は徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院の信任をうけ、綱吉の側近に侍して教俗両界を牛耳った。柳沢吉保と並んで文治主義を徹底させ、元禄文化時代の出現を促した。生類憐れみの令の発案者として、とかくその悪名のみが語られるが、この自筆日記から、隆光の真姿がさぐれようし、またこれを追うにいたった爛熟期徳川政権の実態が究明されるだろう。 【収録】①1692〔元禄5〕~1698〔元禄11〕 ○綱吉月の異常を天変として怪しむ ○隆光綱吉に月星合宿の理を説明す ○綱吉知足院に一切経を奉納(黄檗山の摺経) ○渡唐天神の掛物 ○綱吉守本尊を隆光に所望す ○柳原保明邸へ御成り ○興教大師五百五十年忌 ○牧野成貞言語障碍を病む ○鷹司房輔関東に下向 ○尾張光友隠居 ○木下順庵中庸講義 ○隆光乙訓寺を拝領 ○保明川越城主となる ○綱吉論語大学三綱領を講釈す ○霊雲寺を真言律の関東本山となす ○将軍家光の落胤徳円と申す者町奉行へ来る ○法隆寺宝物の江戸開帳 ○徳川将軍家は新田氏の裔 ○本庄宗資邸へ桂昌院を同道して御成 ○両国橋花火見物 ○隆光を大僧正昇任護持院の称号を下され僧録に任ず ○お伝の方を五の丸様と称す ○神田明神祭礼 ○綱吉桂昌院と同道し護持院参詣 ○回向院の伊勢関地蔵開帳 ○大地震 ○阿蘭陀人の御礼 ○八重姫水戸吉孚へ輿入 ○安井算哲二星の怪異を上申す ○寛永寺厳有院廟及び輪王寺門跡焼失(天海以来の旧記焼失) #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第13回配本 隆光僧正日記3〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
11,000
永島福太郎・林亮勝校訂、八木書店、平27、1冊
護持院隆光僧正(1649-1724)は徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院の信任をうけ、綱吉の側近に侍して教俗両界を牛耳った。柳沢吉保と並んで文治主義を徹底させ、元禄文化時代の出現を促した。生類憐れみの令の発案者として、とかくその悪名のみが語られるが、この自筆日記から、隆光の真姿がさぐれようし、またこれを追うにいたった爛熟期徳川政権の実態が究明されるだろう。

【収録】③1705〔宝永2〕~1709〔宝永6〕
○綱吉六十の御賀
○綱吉家宣諸寺社に参詣
○綱吉右大臣家宣は大納言に昇任
○本庄資俊一門に松平氏の称号を下さる
○綱吉桂昌院に按摩を奉仕す
○医師衆に桂昌院の疲相を穿議せしめらる
○桂昌院逝去
○隆光綱吉の愁傷を諌む
○隆光筑波山に下向
○筑波山は江戸城鬼門守護の祈願所
○家宣吉保邸に行く
○大覚寺門主と清涼寺本願との相論
○本所弥勒寺末寺下総成田新勝寺その離末を請う
○隆光新勝寺の請を許す
○隆光願の如く隠居を命ぜらる
○駿河台に隠居地を賜う
○地震により駿府城石垣大破損
○金地院元云黒谷寺方丈と座次を争う
○富士山大噴火の降砂により東西見えず
○仁和寺は門跡の根源にて惣法務
○京都油小路より出火し禁裏等類焼す
○東大寺公盛大仏殿造畢の御礼に登城
○食詰り綱吉死去す
○吉保葬礼に関係せずという
○公家衆馳走役前田利昌同織田秀親を刃傷す
○柳沢吉保隠居す
○隆光の徘徊を禁ぜらる
○隆光大和へ帰住するために下向す

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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永島福太郎・林亮勝校訂 、八木書店 、平27 、1冊
護持院隆光僧正(1649-1724)は徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院の信任をうけ、綱吉の側近に侍して教俗両界を牛耳った。柳沢吉保と並んで文治主義を徹底させ、元禄文化時代の出現を促した。生類憐れみの令の発案者として、とかくその悪名のみが語られるが、この自筆日記から、隆光の真姿がさぐれようし、またこれを追うにいたった爛熟期徳川政権の実態が究明されるだろう。 【収録】③1705〔宝永2〕~1709〔宝永6〕 ○綱吉六十の御賀 ○綱吉家宣諸寺社に参詣 ○綱吉右大臣家宣は大納言に昇任 ○本庄資俊一門に松平氏の称号を下さる ○綱吉桂昌院に按摩を奉仕す ○医師衆に桂昌院の疲相を穿議せしめらる ○桂昌院逝去 ○隆光綱吉の愁傷を諌む ○隆光筑波山に下向 ○筑波山は江戸城鬼門守護の祈願所 ○家宣吉保邸に行く ○大覚寺門主と清涼寺本願との相論 ○本所弥勒寺末寺下総成田新勝寺その離末を請う ○隆光新勝寺の請を許す ○隆光願の如く隠居を命ぜらる ○駿河台に隠居地を賜う ○地震により駿府城石垣大破損 ○金地院元云黒谷寺方丈と座次を争う ○富士山大噴火の降砂により東西見えず ○仁和寺は門跡の根源にて惣法務 ○京都油小路より出火し禁裏等類焼す ○東大寺公盛大仏殿造畢の御礼に登城 ○食詰り綱吉死去す ○吉保葬礼に関係せずという ○公家衆馳走役前田利昌同織田秀親を刃傷す ○柳沢吉保隠居す ○隆光の徘徊を禁ぜらる ○隆光大和へ帰住するために下向す #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第11回配本 隆光僧正日記2

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 東京都千代田区神田神保町
4,180
永島福太郎・林亮勝校訂、続群書類従完成会、昭45、1冊
函傷み

護持院隆光僧正(1649-1724)は徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院の信任をうけ、綱吉の側近に侍して教俗両界を牛耳った。柳沢吉保と並んで文治主義を徹底させ、元禄文化時代の出現を促した。生類憐れみの令の発案者として、とかくその悪名のみが語られるが、この自筆日記から、隆光の真姿がさぐれようし、またこれを追うにいたった爛熟期徳川政権の実態が究明されるだろう。

【収録】②1699〔元禄12〕~1704〔宝永元〕
○綱吉保明邸にて孟子を講ず
○尾張綱誠逝去
○湯島聖堂へ御成
○水戸光圀歿す
○徳川家光五十年忌法事
○浅野内匠頭吉良上野介を殿中大廊下において斬る
○内匠頭を田村右京太夫に預け即夜切腹を命ず
○桂昌院王子権現へ参詣
○桂昌院結縁灌頂を受く
○保明に松平姓と一字を賜う(松平吉保と改名)
○吉保邸全焼
○高尾山薬王寺を常法談所となす
○綱吉女鶴姫吉保の駒込六義園に行く
○信濃善光寺出開帳
○天神八百年忌連歌百韻
○本多忠晴寺社奉行に補せらる
○東福門院二十五年忌
○赤穂浪士四十六人切腹
○吉良義周御預
○桂昌院出開帳の成田不動尊新田不動尊を拝す
○四谷より出火紀伊侯邸類焼し芝の海まで延焼の大火となる
○小田原大地震鎌倉川崎津波
○水戸侯邸より出火し谷中へ飛火し大火となる
○浄土宗法問
○奥州藤原秀衡祈祷所の本尊を拝見
○利根川堤防決潰す
○品川沖の海面赤色に変化す
○綱吉甲府侯徳川綱豊を養子になすべき内意を隆光に伝う

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第11回配本 隆光僧正日記2

4,180
永島福太郎・林亮勝校訂 、続群書類従完成会 、昭45 、1冊
函傷み 護持院隆光僧正(1649-1724)は徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院の信任をうけ、綱吉の側近に侍して教俗両界を牛耳った。柳沢吉保と並んで文治主義を徹底させ、元禄文化時代の出現を促した。生類憐れみの令の発案者として、とかくその悪名のみが語られるが、この自筆日記から、隆光の真姿がさぐれようし、またこれを追うにいたった爛熟期徳川政権の実態が究明されるだろう。 【収録】②1699〔元禄12〕~1704〔宝永元〕 ○綱吉保明邸にて孟子を講ず ○尾張綱誠逝去 ○湯島聖堂へ御成 ○水戸光圀歿す ○徳川家光五十年忌法事 ○浅野内匠頭吉良上野介を殿中大廊下において斬る ○内匠頭を田村右京太夫に預け即夜切腹を命ず ○桂昌院王子権現へ参詣 ○桂昌院結縁灌頂を受く ○保明に松平姓と一字を賜う(松平吉保と改名) ○吉保邸全焼 ○高尾山薬王寺を常法談所となす ○綱吉女鶴姫吉保の駒込六義園に行く ○信濃善光寺出開帳 ○天神八百年忌連歌百韻 ○本多忠晴寺社奉行に補せらる ○東福門院二十五年忌 ○赤穂浪士四十六人切腹 ○吉良義周御預 ○桂昌院出開帳の成田不動尊新田不動尊を拝す ○四谷より出火紀伊侯邸類焼し芝の海まで延焼の大火となる ○小田原大地震鎌倉川崎津波 ○水戸侯邸より出火し谷中へ飛火し大火となる ○浄土宗法問 ○奥州藤原秀衡祈祷所の本尊を拝見 ○利根川堤防決潰す ○品川沖の海面赤色に変化す ○綱吉甲府侯徳川綱豊を養子になすべき内意を隆光に伝う #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第176回配本 楽只堂年録4

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
15,400
宮川葉子校訂、八木書店、平27、1冊
『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された、吉保の公用日記。初の全文翻刻。吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。柳沢吉保の生涯は、周囲の嫉妬も手伝いまげて伝えられてきた。本書の刊行によって吉保本人は勿論、犬公方として悪名高い綱吉の実像、幕臣達や吉保一族の動向、柳沢家と公家衆との文化交流、大奥の女性の生活等、表舞台には現れない貴重な事実を知ることが出来る。

【収録】元禄15年(1702)9月~元禄16年(1703)12月

元禄15年9月14日の御成御殿の経営成就、同10月21日、吉保は六義園に「様々の名所」として「八十八境」を定め、「園を六義園」とし「六義園記」を自ら著しました。「六義園記」は本書に収録されています。その記述には、六義園作庭の精神的中核ともなった和歌に因む名所について、和歌を交じえて解説があります。

元禄15年12月15日、赤穂浪士の討入の記事が見えます。浅野内匠頭の家臣46人が吉良邸に押し入り、義央を殺し泉岳寺に立退き、他家に御預けになります。 翌年2月4日、切腹を仰付られていく過程が淡々と記述されています。

元禄16年11月23日、元禄の大地震が起こります。この地震の震源地は、千葉県の野島崎と推定されており、その規模は関東大震災よりも大きいものでした。本書では「今暁八つ半時、希有の大地震によりて、吉保・吉里、急て登城す、大手の堀の水溢れて橋の上を越すによりて、供の士、背に負て過く」とあり、各地に甚大な被害をもたらしました。吉保の許に入った情報によれば、死者は約6,700人、潰家や津波による流失家屋は約3万軒とあり、同月29日に起った火災により更に20万人余りの人命が失なわれたとされる未曾有の大惨事となりました。

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15,400
宮川葉子校訂 、八木書店 、平27 、1冊
『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された、吉保の公用日記。初の全文翻刻。吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。柳沢吉保の生涯は、周囲の嫉妬も手伝いまげて伝えられてきた。本書の刊行によって吉保本人は勿論、犬公方として悪名高い綱吉の実像、幕臣達や吉保一族の動向、柳沢家と公家衆との文化交流、大奥の女性の生活等、表舞台には現れない貴重な事実を知ることが出来る。 【収録】元禄15年(1702)9月~元禄16年(1703)12月 元禄15年9月14日の御成御殿の経営成就、同10月21日、吉保は六義園に「様々の名所」として「八十八境」を定め、「園を六義園」とし「六義園記」を自ら著しました。「六義園記」は本書に収録されています。その記述には、六義園作庭の精神的中核ともなった和歌に因む名所について、和歌を交じえて解説があります。 元禄15年12月15日、赤穂浪士の討入の記事が見えます。浅野内匠頭の家臣46人が吉良邸に押し入り、義央を殺し泉岳寺に立退き、他家に御預けになります。 翌年2月4日、切腹を仰付られていく過程が淡々と記述されています。 元禄16年11月23日、元禄の大地震が起こります。この地震の震源地は、千葉県の野島崎と推定されており、その規模は関東大震災よりも大きいものでした。本書では「今暁八つ半時、希有の大地震によりて、吉保・吉里、急て登城す、大手の堀の水溢れて橋の上を越すによりて、供の士、背に負て過く」とあり、各地に甚大な被害をもたらしました。吉保の許に入った情報によれば、死者は約6,700人、潰家や津波による流失家屋は約3万軒とあり、同月29日に起った火災により更に20万人余りの人命が失なわれたとされる未曾有の大惨事となりました。 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第182回配本 楽只堂年録5

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
15,400
宮川葉子校訂、八木書店、平28、1冊
『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された吉保の公用日記。初の全文翻刻。吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。柳沢吉保の生涯は、周囲の嫉妬も手伝いまげて伝えられてきた。本書の刊行によって吉保本人は勿論、犬公方として悪名高い綱吉の実像、幕臣達や吉保一族の動向、柳沢家と公家衆との文化交流、大奥の女性の生活等、表舞台には現れない貴重な事実を知ることが出来る。

【収録】宝永元年(1704)正月~宝永2年(1705)3月

2月、吉保継嗣吉里が酒井忠挙女頼子と婚姻。吉里の新居では「松に多春を契る」題で新婚を寿ぐ歌会が催されました。私的な歌会ながら、当時の武家社会での文芸活動の実際が知られます。またこの頃、吉保・吉里父子が霊元上皇に献上した「千首和歌」が、仙洞官庫に永久保存される栄誉を担います。

3月13日、元禄17年は宝永元年になります。同じ頃、吉保側室町子の「千首和歌」も仙洞官庫に永久保存されることになりました。結果的に見て、この頃が柳沢家の文芸活動の最盛期であったと言えるようです。ただ、悲しいこともありました。4月12日、綱吉息女で、紀伊徳川綱教室であった鶴姫が28歳の若さで逝去してしまったことです。吉保は我が娘のように日々配慮し続けた姫の逝去に、落胆をぬぐえませんでした。

12月、継嗣がなかった綱吉は、吉保の尽力を得て、ついに甲府宰相綱豊を継嗣に決定します。この尽力への恩賞として甲斐国を賜った吉保は、15万石(内高22万余石)に増禄します。川越城は秋元喬知に明け渡し、綱豊からの甲府城の受け取りは、宝永2年3月のことでした。

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15,400
宮川葉子校訂 、八木書店 、平28 、1冊
『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された吉保の公用日記。初の全文翻刻。吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。柳沢吉保の生涯は、周囲の嫉妬も手伝いまげて伝えられてきた。本書の刊行によって吉保本人は勿論、犬公方として悪名高い綱吉の実像、幕臣達や吉保一族の動向、柳沢家と公家衆との文化交流、大奥の女性の生活等、表舞台には現れない貴重な事実を知ることが出来る。 【収録】宝永元年(1704)正月~宝永2年(1705)3月 2月、吉保継嗣吉里が酒井忠挙女頼子と婚姻。吉里の新居では「松に多春を契る」題で新婚を寿ぐ歌会が催されました。私的な歌会ながら、当時の武家社会での文芸活動の実際が知られます。またこの頃、吉保・吉里父子が霊元上皇に献上した「千首和歌」が、仙洞官庫に永久保存される栄誉を担います。 3月13日、元禄17年は宝永元年になります。同じ頃、吉保側室町子の「千首和歌」も仙洞官庫に永久保存されることになりました。結果的に見て、この頃が柳沢家の文芸活動の最盛期であったと言えるようです。ただ、悲しいこともありました。4月12日、綱吉息女で、紀伊徳川綱教室であった鶴姫が28歳の若さで逝去してしまったことです。吉保は我が娘のように日々配慮し続けた姫の逝去に、落胆をぬぐえませんでした。 12月、継嗣がなかった綱吉は、吉保の尽力を得て、ついに甲府宰相綱豊を継嗣に決定します。この尽力への恩賞として甲斐国を賜った吉保は、15万石(内高22万余石)に増禄します。川越城は秋元喬知に明け渡し、綱豊からの甲府城の受け取りは、宝永2年3月のことでした。 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

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