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押小路甫子日記 1
押小路甫子日記 揃
押小路甫子日記 覆刻版 全3冊 <日本史籍協会叢書> <48>
押小路甫子日記 1 覆刻<日本史籍協会叢書48>
押小路甫子日記 (日本史籍協会叢書 48・49・50) 1~3(3冊) 覆刻
押小路甫子日記第二
押小路甫子日記1-3 全3冊揃 日本史籍協会叢書48-50
押小路甫子日記 一・二・三巻揃 日本史籍協会叢書48・49・50
押小路甫子日記
押小路甫子日記 1 復刻再刊版 (日本史籍協会叢書 48)
押小路甫子日記 1~3巻揃
押小路甫子日記一 日本史籍協会叢書48
日本史籍協会叢書 48/49/50 押小路甫子日記 (一/二/三)全三冊揃
押小路甫子日記 復刻版 全3巻揃 (日本史籍協会叢書 48~50)
押小路甫子日記 第一 日本史籍協会編・刊 刊行年 大正6年初版 解説 裸本 A5版 752ページ押小路甫子、江戸時代後期から明治時代にかけての女官、著作家。大外記押小路師武の養女。孝明天皇幼時の御乳人を務め、のち孝明朝の大御乳人。日記『大御乳人甫子記』や、随筆『大御乳人甫子雑記』を著した。 文化5年10月7日(1808年11月24日)、左大史の壬生知音の次男壬生正路の娘として生まれる。初名は満子。その後、大外記の押小路師武の養女となる。壬生家と押小路家は、共に「地下官人の棟梁」とされ、下級実務官僚の首座とされた家格である。天保6年(1835年)7月、仁孝天皇第四皇子の煕宮(後の孝明天皇)の儲君御乳人となる。東宮御乳人を経て、弘化3年(1846年)2月、孝明天皇が受禅し、大御乳人(中級女官である命婦の次席)となる。慶応3年(1867年)1月、明治天皇践祚に伴って大御乳人を辞すが、明治4年(1871年)6月まで前大御乳人として勤仕した。隠居女官名は椹木。明治17年(1884年)9月12日、数え77歳(満75歳)で死去。その日記『大御乳人甫子記』全25冊は、安政6年(1859年)から明治4年(1871年)までの職務記録を記した貴重史料[1]。『大御乳人甫子雑記』全3冊と合わせ、大部分は『日本史籍協会叢書』に『押小路甫子日記』として所収されている。押小路甫子時代江戸時代後期‐明治時代生誕文化5年10月7日(1808年11月24日)死没明治17年(1884年)9月12日改名満子→甫子別名隠居女官名:椹木官位儲君御乳人、東宮御乳人、大御乳人、前大御乳人主君孝明天皇→明治天皇氏族小槻氏嫡流壬生家→中原氏嫡流押小路家父母実父:壬生正路養父:押小路師武
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