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三国通覧図説
三國通覧圖説 刊本寫し
海国兵談・三国通覧図説(復刻版)
三国通覧図説 写本 絵入
蝦夷国全図
琉球三省并三十六嶋之図 『三国通覧図説』(林子平・天明5・6)の内 <沖縄学術研究資料9>
三国通覧図説(04の141)
三国通覧図説・海国兵談(7の62)
海国兵談 三国通覧図説 原本東北大学附属図書館蔵 (復刻版)
三國通覽圖説 刋本寫シ
琉球三省並三十六島之図
三国通覧図説 写本 絵入 1冊
1 7 三国通覧図説 林子平 江戸後期頃写 42丁 地誌 写本 古文書
海国兵談・三国通覧図説
江戸物語(三国通覧図説・聖教要録・南蛮寺興發記・切利支丹退治物語・杜の雫・仕懸文庫・南門鼠)収録
蝦夷人物図説
前哲六無斎遺草 全【林子平】 5版
琉球三省并三十六嶋之図 <沖縄学術研究資料9>
林子平全集 第2巻 <皇学蔵 2>
釣魚諸島(「尖閣列島」など)の歴史とその領有権(再論) <『中国研究月報』第292号>
蝦夷國全圖 寫圖
赤夷動静 三国通覧図説 赤蝦夷風説考 北方未公開古文書集成 第三巻
【新刊】 琉球三省并(ならびに)三十六嶋之図 『三国通覧図説』 (林子平・天明5・6)の内
北方未公開古文書集成 全10巻揃
北方未公開古文書集成 全十巻揃 (1.蝦夷志 蝦夷随筆 松前志/2.瓊浦偶筆/3.赤蝦夷動静 赤蝦夷風説考 三国通覧図説/4.休明光記/5.奉使日本紀行/6.遭厄日本紀事/7.千島誌/8.蝦夷風俗図絵/9.北方史・年表・条約・文献総覧/10.蝦夷古地図)
海国兵談
日本科学英雄伝 ; 1 海国兵談 <日本科学英雄伝 ; 1>
日本洋学史の研究 9 (創元学術双書) (神宮文庫所蔵の南蛮系世界図と南洋カルタ/仏訳「三国通覧図説」をめぐる諸問題/司馬江漢筆「名所写生図巻」について/一角の輸入/J・K・ファン=デン=ブルックの遺文/大坂除痘館公館化とその意味)
言論の弾圧
丸山和馬遺文集
科学と伝統
アイヌ研究
林子平傳 日本国防の先覚者 著者 松原晃 出版社 奥川書房 刊行年 昭17年初版 林子平(はやし しへい)元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。諱は友直。のちに六無斎主人と号した。高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。元文3年(1738年)、幕臣岡村良通の次男として江戸に生まれる。父の岡村良通は御書物奉行(620石)として仕えていたが、子平が3歳の頃、故あって浪人の身となり、家族を弟の林従吾(林道明)に預け諸国放浪の旅に出た。子平らは、大名家に往診にも行く開業医であった叔父の従吾のもとで養われる。まもなく、長姉と次姉は仙台藩の江戸屋敷に奉公するようになり、仙台藩5代藩主伊達吉村の侍女として仕えた。次姉のなお(きよ)はその容姿と心ばえが吉村に愛され、やがて6代藩主となる宗村の側室に抜擢され、お清の方と呼ばれるようになった。お清の方は1男1女をもうけた。男子はのちに三河国刈谷藩主土井利信の養嗣子となる土井利置、女子は出雲松江藩主松平治郷の正妻となる方子(青楽院)である。お清の方の縁で、養父の従吾は仙台藩の禄を受けるようになった。従吾の没後、子平の兄の林友諒が封を継ぎ、宝暦6年(1756年)に正式に仙台藩士として150石が下された。同年5月に宗村が死去すると、友諒は家族を引き連れ、仙台川内に移住した。子平は部屋住みの身で妻子は持たなかったが、仙台藩士として生活するようになった。子平はみずからの教育政策や経済政策を藩上層部に進言するが聞き入れられず、禄を返上して藩医であった兄友諒の部屋住みとなり、北は松前から南は長崎まで全国を行脚する。長崎や江戸で学び、大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周、工藤平助らと交友する。ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著し、「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」と喝破して、当時の人びとを驚かせた。『海国兵談』の序を書いたのは、仙台藩医工藤平助であった。また『富国策』では藩の家老佐藤伊賀にあて藩政について説いたが、採用はされなかった。
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