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敦煌壁畫集
利他性の経済学 : 支援が必然となる時代へ
農産物の増産蒐荷方策に就て 康徳九年度
胡蝶夢
日本留学中国人名簿関係資料(編集復刻版) 1~7巻 【収録資料】1~3巻日本留學中華民國人名調 上中下 興亜院政務部 昭15刊 4巻日本留學支那要人録 興亜院政務部 昭17刊 5巻第九版留日學生名簿 日華学会学報部 昭10刊 6巻日本陸軍士官學校中華民國留學生名簿 日本陸軍士官学校印・郭榮生校補 民国64年刊/第二版留日學務規程及槪況 日華學會編印 昭12刊 7巻支那留學生状況調査書 東亜同文会 大8刊/支那人本邦留學情況改善案(大正7年6月調査)/中國留日同學會季刋第一号 中国留日同学会編 民国31年刊 <アジアにおける日本の軍・学校・宗教関係資料第3期>
新修恭仁山荘善本書影
興亜教育学習資料 第一輯
М・ウェーバー 経済と社会 7冊
靑木正兒全集 第1巻 (支那文学思想史、支那文学概説、清代文学評論史)
心理臨床学研究 第22巻第6号
経済と社会 既刊 7冊の内、(宗教社会学),(支配の社会学 1・2) の3冊 (1992~1993年版)
東京国立博物館所蔵 竹島卓一旧蔵 「中国史跡写真」目録 東洋学研究情報センター叢刊18
京大東洋学の百年
満蒙はどうなる?
復刻版 東洋史研究 全20巻 附総目録 揃
東洋文化研究所所蔵 山本照像館等撮影 中国史跡写真目録 東洋学研究情報センター叢刊24
このまま滅ぶな、日本 <論戦 2004>
大学の危機 : 日本は21世紀の人材を養成しているか
地域実践心理学 : 支えあいの臨床心理学へ向けて
「立教大学<全カリ>のすべて」 リベラル・アーツの再構築 <シリーズ教養教育改革ドキュメント / 寺崎昌男, 絹川正吉 監修 1>
慶応義塾大学講座経済学 支那の幣制 (1)~(3)
大阪市立大学生活科学部紀要 第44巻(分冊2) 人間福祉学
経済と社会 既刊 6冊 (支配の諸類型、法社会学、宗教社会学、支配の社会学1・2、都市の類型学)(1984~1999年版)/儒教と道教 (名著翻訳叢書) の7冊
中国文字学 (支那語)
支那史学史 2 <東洋文庫 559>
東京から考える : 格差・郊外・ナショナリズム <NHKブックス 1074> 第2刷
漢文の基礎 昭和42年初版カバー 著者 赤塚忠 全382頁 出版社 旺文社 赤塚 忠(1913年〈大正2年〉4月9日[1] - 1983年〈昭和58年〉11月28日)、日本の中国学者。東京大学名誉教授。古代中国哲学・中国文学・金石学に広く業績がある。角川書店『新字源』編者の一人。 1913年、茨城県取手市に生まれた。東京帝国大学支那哲学科で学び、学生時代は宇野哲人や塩谷温に師事した。1936年に大学を卒業し、1937年から1941年まで同大学大学院で学びつつ、郁文館中学と神戸商業大学(神戸経済大学)予科に勤務。二度応召して中国大陸に赴き、陸軍大尉として敗戦を迎えた。戦後、神戸大学と神戸経済大学に勤務。神戸時代には京都大学人文科学研究所の貝塚茂樹の研究会に参加した。1955年、東京大学文学部助教授となった。1962年に学位論文「周代文化の研究」を東京大学に提出して文学博士の学位を取得。1964年に教授昇進。東京大学では、加藤常賢の後任として、宇野精一と並んで戦後の中国哲学研究室の中心を担う一方で[3]、二松學舍大学をはじめ諸大学の講師も兼任した。1974年、東京大学を定年退官し名誉教授となった。その後は二松學舍大学教授となり、教鞭をとった。二松學舍では学校法人二松學舍評議員や附属図書館長などの要職を務めた。学界では日本中国学会理事長、東方学会評議員などを務め、国際的に知られた。1983年11月28日逝去。
経済と社会 既刊 7冊揃 (支配の諸類型、法社会学、宗教社会学、支配の社会学1・2、都市の類型学、音楽社会学)(昭和61~63年版)(支配の社会学1のみ昭和35年版)
「東京から考える」 格差・郊外・ナショナリズム <NHKブックス 1074>
秋から冬へ : 随想
歴史的岐路に立つ大学と学問 : その危機をどう打開するか
各國の大学行政 <教育調査資料集 8>
創薬研究とコンピューター科学
ファウストとホムンクルス : ゲーテと近代の悪魔的速度
吉川幸次郎遺稿集 第2巻
支那史学史 2巻セット <東洋文庫 559>
一般力学30講 <物理学30講シリーズ 1>
学士会会員氏名録 平成13年・14年用(2001・2002) 解説 B5判1410頁厚冊 一般社団法人学士会、国立七大学(北大・東北大・東大・名大・京大・阪大・九大)の卒業生・学生・教員など、約5万人の会員からなる合同同窓団体。七大学の総長も会員で、各大学支部の支部長。旧帝国大学の流れを汲む大学の出身者によって構成されている学士会。その創立は、1886(明治19)年に遡る。この年は官立の旧東京大学が帝国大学令の公布を受けて改組され、「帝国大学」(後の東京帝国大学、現・東京大学)と名称を改めた年に当たる。以来、学士会は各地に創設された帝国大学と共に、その卒業生らを会員として130余年の歴史を歩む。学士会の誕生のきっかけであり、いまも底流で脈々と受け継がれてきているもの。それは、いわば謝恩の情です。まず、学士会の黎明期を語る上では、欠かすことのできない2人の「恩師」の存在があります。1人は加藤弘之・旧東京大学初代総理。そして、もう1人は、加藤氏の旧東京大学総理時代に補佐を務め、後に帝国大学総長となった濱尾新氏です。2人は偶然にも但馬(現・兵庫県豊岡市)の出身で、共に日本最初の総合大学の礎を築いた立役者ですが、学士会の草創に深く関わった人物でもあるのです。加藤氏は、江戸期の1860(万延元)年に東京大学の淵源である蕃書調所の教官となったのを始めとして、改称された開成所、東京開成学校などで教鞭を執り、東京開成学校(法・理・文の3学部)と東京医学校(医学部)が統合した旧東京大学の総理(当初は綜理)に就任しました。日本で初めて立憲思想を紹介した『鄰草』を著すなど、時流であった西洋の学術と研究を進めてきた一方で、国学や漢学の教師を養成するために文学部に古典講習科を設けるなど、幅広い視野でわが国近代の教育界を先導しました。その後に官・学界の多くの要職を担い、明治の総帥ともいわれる加藤氏でしたが、その人柄は良く、学生生活にもきめ細かい配慮を見せていました。統合当初、法・理・文の3学部と沿革の異なる医学部の孤立を解消するため、ボート部員に医学部の学生を積極的に勧誘させるなど、学生間の交流やスポーツの奨励にも心を砕きました。また、好きな哲学の話になると、学生と友達のように接して意見を交換したといわれています。
應縣木塔大木作研究‧榫卯篇(全三冊)
物理学30講シリーズ 【1〜10】 10冊 <1>
福祉社会学研究 9
宇宙を目指して海を渡る
現代と教育 : 革命的左翼の闘い
支那のユーモア<岩波新書 特装版>
近世日本の儒学
支那游記<芥川龍之介文学館 名著複刻>
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