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戦史叢書 大本営陸軍部 全10巻の内、2,5,7,8,9,10 の6冊
美術 第6号(昭和19年7月)「大東亜建設と日本美術・秋山謙蔵」
(詩誌) 日本詩 昭和19年7月(第1巻第2号)―詩人・津村信夫逝く―水乞ひ(遺稿詩篇)(津村信夫)、津村信夫の死を悼む(丸山薫)、津村信夫の死(神保光太郎)、興津朝思(堀口大學)、白鳥陵にて(尾崎喜八)、苦しみの日にこそ(永瀬清子)ほか
寮生名簿 弘前高等学校北溟寮 昭和19年7月
集古 復刻版 本巻 全8巻揃 ((別巻:索引及び会員名簿)欠)(輸送函付)
特秘外事警察報 復刻版 補巻全8巻、別巻2冊共 全75巻(77冊)揃(10輸送函付) (大正10年2月~昭和19年7月 第1号~第255号)
新女苑 第8巻第7号 昭和19年7月
婦人之友 第38巻第7号 昭和19年7月
工藝指導 Vol.13 No.5 1944年7月
戦史叢書(75)大本営陸軍部(8)昭和19年7月まで 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室:著 昭和49年
航空朝日 昭和19年7月1日
美術 第6號 (昭和19年7月)
南十字星の煌く下に 鎮魂歌-惨烈のフィリピン戦
南十字星の煌く下に : 鎮魂歌-惨烈のフィリピン戦
熊野浜歌 : 詩集
[仮題] D51形蒸気機関車 戦時設計資料綴
台湾防空読本/台湾防空読本追録
明治のお伽噺 上下2冊揃 初版 カバー付
草炭調査報告竝開発方策、他(昭和19年7月、技術院生産技術課)他に、草炭製造作業法、草炭製品規格など、合計3点の草炭資料
昭和戦時期の日本映画 : 監督と映像表現
昭和戦時期の日本映画 監督と映像表現
回天 [回天作戦の追憶/回天特攻作戦時期一覧表/他]著者 回天顕彰会 刊行年 昭和40.10 ページ数 74p サイズ A5 回天は、太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷、日本軍初の特攻兵器である。「回天」という名称は、特攻部長大森仙太郎少将が幕末期の軍艦「回天丸」から取って命名した[3]。開発に携わった黒木博司中尉は「天を回らし戦局を逆転させる(天業を既倒に挽回する)という意味で「回天」という言葉を使っていた。秘密保持のため付けられた〇六(マルロク)、㊅金物(マルロクかなもの)、的(てき)との別称もある。1944年(昭和19年)7月に2機の試作機が完成し、11月20日のウルシー環礁奇襲で初めて実戦に投入された[7]。終戦までに420基が生産された。兵器としての採用は1945年(昭和20年)5月28日のことだった。回天は超大型魚雷「九三式三型魚雷(酸素魚雷)」を改造し、特攻兵器としたものである。九三式三型魚雷は直径61cm、重量2.8t、炸薬量780kg、時速48ノットで疾走する無航跡魚雷で、主に潜水艦に搭載された。回天はこの酸素魚雷を改造した全長14.7m、直径1m、排水量8tの兵器で、魚雷の本体に外筒を被せて気蓄タンク(酸素)の間に1人乗りのスペースを設け、簡単な操船装置や調整バルブ、襲撃用の潜望鏡を設けた。炸薬量を1.5tとした場合、最高速度は55km/hで23キロメートルの航続力があった。ハッチは内部から開閉可能であったが、脱出装置はなく、一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はなかった。回天が実戦に投入された当初は、港に停泊している艦船への攻撃、すなわち泊地攻撃が行われた。最初の攻撃(玄作戦)で給油艦ミシシネワが撃沈されたのをはじめ、発進20基のうち撃沈2隻(ミシシネワ、歩兵揚陸艇LCI-600)、撃破(損傷)3隻の戦果が挙げられている。アメリカ軍はこの攻撃を特殊潜航艇「甲標的」による襲撃と誤認し、艦上の兵士はいつ攻撃に見舞われるかという不安にかられ、泊地にいても連日火薬箱の上に坐っているような戦々恐々たる感じであったという。
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