JavaScript を有効にしてご利用下さい.
文字サイズ
古書を探す
アダルト商品の検索を行う場合、18歳未満の方のご利用は固くお断りします。 あなたは18歳以上ですか?
城崎郡豊岡旌表関係文書
立石古墳群発掘調査報告 豊岡中核工業団地予定地内埋蔵文化財発掘調査報告1
加陽土屋ヶ鼻遺跡群 -民間開発事業にかかる埋蔵文化財発掘調査概要ー 豊岡市文化財調査報告書29
地方都市近郊山村における農業振興と環境整備 兵庫県豊岡市 (昭和59年度 山村振興特別調査報告) NO.110
重要文化財酒垂神社本殿修理工事報告書 (兵庫県豊岡市)
加陽土屋ヶ鼻遺跡群 -民間開発事業にかかる埋蔵文化財発掘調査概要豊岡市文化財調査報告書29
城崎郡農会三十年誌
豊岡城館遺跡発掘調査報告書 市立図書館建設にかかる事前調査ほか
豊岡市須恵器窯跡分布調査報告書1 付録:窯跡周辺の古墳分布調査 北近畿における埋蔵文化財調査報告書 第2冊
目で見る豊岡の文化史
『あぜみち文化』1950年11月(5号)〔学校文集〕
但馬国府・国分寺館年報第3号(平成19年度)
北但広域市町村圏振興整備計画 第1編 基本構想/第2編 基本計画
但馬・高屋古窯 <豊岡市文化財調査報告書 豊岡市立郷土資料館調査報告書 第11集>
王香遺絶 完
宮内堀脇遺跡 Ⅰ(本文編・図版編)/Ⅱ 3冊 ※豊岡市出石町
加陽土屋ケ鼻遺跡群 : 民間開発事業にかかる埋蔵文化財発掘調査概要 豊岡市文化財調査報告書 豊岡市立郷土資料館調査報告書29集
写真集 コウノトリ物語 日本最大の大型野鳥 ほろびゆくものはうつくしい
週刊朝日 1962年6月1日
鳥切手シリーズ (4)「こうのとり」 記念切手張込み封筒 (スタンプ押印、解説書入り)
戦時生活基準 昭和十八年八月
木下保楽壇生活30年祝賀 門下生謝恩音楽会プログラム
『ひろっぱ』1953年3月〔兵庫/学校文集〕
和本江戸天明3年跋(1783)紀行文「但州城崎湯山道記」1冊
『みつばち』1953年3月(3号)〔兵庫/学校文集〕
藤井重夫色紙 献呈入 表裏面毛筆肉筆 昭和44年元旦藤井重夫(1916年2月10日 - 1979年1月17日)。兵庫県豊岡市生まれ。豊岡商業学校卒(現兵庫県立豊岡総合高等学校)。第二次世界大戦中は中国大陸および南方に転戦する。戦後は、朝日新聞記者をしながら小説を書き、1951年、『佳人』で芥川賞候補、1959年に退社し作家に専念、1965年、大阪の戦災孤児を描いた『虹』『オール讀物』発表で直木賞を受賞。
『あぜみち文化』1950年8月(1号)〔学校文集〕
新版 杞柳産業の盛衰 : 地場産業産地の淘汰
重要文化財酒垂神社本殿修理工事報告書(兵庫県豊岡市)
色紙 斎藤隆夫(天城) 書 漢詩「飲馬統江果何日‥‥」四行
とよおか発掘情報 : 第1号(1995年度後期)兵庫県豊岡市埋蔵文化財情報誌
兵庫の祭
竹野町鬼神谷窯跡の資料(兵庫県豊岡市) <竹野町文化財調査報告書 第1集 兵庫県埋蔵文化財調査集報第3集抜冊>
絵葉書 観光 海女 城崎温泉・日和山海岸 国立公園 (兵庫県豊岡市)
目の眼 古美術・民芸のこころにふれる 1982年9月号 五周年記念特別号
五反田遺跡 豊岡市所在 県立コウノトリの郷公園整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 兵庫県文化財調査報告 第227冊
体育館・武道場・屋内プール <建築設計資料 41>
ひょうごの滝
現代日本建築家全集 14 吉武泰水 増田友也 内田祥哉 高橋テイ一
半坂峠古墳群・辻遺跡兵庫県文化財調査報告書第18冊
学士会会員氏名録 平成13年・14年用(2001・2002) 解説 B5判1410頁厚冊 一般社団法人学士会、国立七大学(北大・東北大・東大・名大・京大・阪大・九大)の卒業生・学生・教員など、約5万人の会員からなる合同同窓団体。七大学の総長も会員で、各大学支部の支部長。旧帝国大学の流れを汲む大学の出身者によって構成されている学士会。その創立は、1886(明治19)年に遡る。この年は官立の旧東京大学が帝国大学令の公布を受けて改組され、「帝国大学」(後の東京帝国大学、現・東京大学)と名称を改めた年に当たる。以来、学士会は各地に創設された帝国大学と共に、その卒業生らを会員として130余年の歴史を歩む。学士会の誕生のきっかけであり、いまも底流で脈々と受け継がれてきているもの。それは、いわば謝恩の情です。まず、学士会の黎明期を語る上では、欠かすことのできない2人の「恩師」の存在があります。1人は加藤弘之・旧東京大学初代総理。そして、もう1人は、加藤氏の旧東京大学総理時代に補佐を務め、後に帝国大学総長となった濱尾新氏です。2人は偶然にも但馬(現・兵庫県豊岡市)の出身で、共に日本最初の総合大学の礎を築いた立役者ですが、学士会の草創に深く関わった人物でもあるのです。加藤氏は、江戸期の1860(万延元)年に東京大学の淵源である蕃書調所の教官となったのを始めとして、改称された開成所、東京開成学校などで教鞭を執り、東京開成学校(法・理・文の3学部)と東京医学校(医学部)が統合した旧東京大学の総理(当初は綜理)に就任しました。日本で初めて立憲思想を紹介した『鄰草』を著すなど、時流であった西洋の学術と研究を進めてきた一方で、国学や漢学の教師を養成するために文学部に古典講習科を設けるなど、幅広い視野でわが国近代の教育界を先導しました。その後に官・学界の多くの要職を担い、明治の総帥ともいわれる加藤氏でしたが、その人柄は良く、学生生活にもきめ細かい配慮を見せていました。統合当初、法・理・文の3学部と沿革の異なる医学部の孤立を解消するため、ボート部員に医学部の学生を積極的に勧誘させるなど、学生間の交流やスポーツの奨励にも心を砕きました。また、好きな哲学の話になると、学生と友達のように接して意見を交換したといわれています。
<<前へ 1 2 3
在庫検索から見つからなかった場合は、書誌(カタログ)からも検索できます。 お探しの古書が登録されていれば、在庫が無い本や条件に合わない本についても、こちらからリクエストを行うことができます。