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『出版を「自分事」として語るために』(オックスフォード 出版の事典)

『出版を「自分事」として語るために』

山崎隆広(群馬県立女子大学)

 2023年1月、15名の訳者の方々とともに本書を訳出、上梓した。A5判506頁函入。出版が抱える様々な課題を、歴史、経済、法、流通、テクノロジーなど複合的な視点から25章にわたって論じた税込26,400円(!)の大著である。筆者は本書監訳者の一人を務めさせていただいたが、巷間「出版不況」がいわれつづけるなか、決して安くはない価格でありながら、このような正統的出版学の研究書が出版されることはとても重要なことだと思うし、大変嬉しい。世の中まだまだ捨てたものではない、と思う。

 2023年3月25日付『図書新聞』(3584号)掲載の監訳者鼎談の際にもお話ししたのだが、筆者は、本書にはこれまでの出版学の本にはない3つの特徴があると思っている。ひとつめは「メディア論」の視点があるということ。出版にまつわる本というと、どうしても出版の歴史を語るメディア史や、売上の増減を語る産業論の視点に傾きがちになるが、本書にはマクルーハン、フーコー、ブルデューなど、現代思想の重要な知見に基づいた分析が多分に盛り込まれていて、「メディアとしての出版」を根本的なところから語り起こそうとする姿勢が基底にある。メディア論の学徒にとっても非常に有用な視点を提供くれるといえるだろう。ふたつめは、ひとつめの点と関連するが、「出版と技術の関係」に対する言及がきちんとあるということである。出版メディアもその閉じられた世界の中のみで完結しているわけではなく、特に近年は他の様々なメディア技術と影響を与え合いながら成っていることは明らかなのだから、メディアを構成する「技術」に対する批判的視点がしっかり盛り込まれている本書の視座は、大変重要なものと考える。そして3つめとして、本書には伝統的な経済学に基づいた分析があることも非常に特徴的な点といえるだろう。スミス、リカード、マルクス、イリイチなどの名前や、「行動経済学」「不確実性回避指数」「効率的市場価格」などの用語が出てくる出版学の本というのも、あまり類例がないのではないだろうか。

 さらに、本書を通じて感じたのは、出版という我々の営みをめぐる問題が、いまや世界的に共通なものになりつつあるということである。原著の出版はイギリスだが、本書の視点はゲームやコミックなど、ほんの少し前までは日本のサブカルチャーの十八番と思われていた領域や、アジアの検閲の問題にまで及んでいる。10年、20年前であれば「それって海外の出版の話でしょ、日本とは歴史も制度も慣習も違うから」で片付けられてしまいそうな出版をめぐる問題系が、本書を読むと世界共通の「我が事」として迫ってきているように思われるのである。そういった変化の背景には、やはりいくら論じても結論が見えそうにない「デジタル化」や「グローバリゼーション」の問題があることは確かだろう。これまで出版メディアに特徴的だったローカリティが失われつつあることを、本書は示唆するのである。

 ここまで読んでいただいた方にはお分かりの通り、本書は単なる「出版関係者のための専門書」ではない。出版のみならず広くメディアについて研究する研究者、そして出版界に限らず新しいメディアビジネスを構想する実務者など、広く「メディア」に関わりのある人たち(つまりあらゆる人々ということだが)に読んでもらいたい、哲学的で実践的な本なのである。

 さて、この原稿の冒頭で、私は「出版不況」と書いた。しかしその舌の根の乾かぬうちに、筆者は早くもその語りの作法を訂正したい欲望にかられている。この数年あるいは数十年の間の出版をめぐる報道などをみても、「出版」といえば「不況」とあたかもセットのように語られることが多い。しかし、本当にそういった視点でことを片付けてしまってよいのだろうか。近年の「出版不況」を「デジタル化」や「グローバリゼーション」といった言葉に集約させて、つまりは自分以外の「他者」によってもたらされた予期せぬ災厄のように語って納得してしまってはいないか。例えば本書には、「重要なのは、出版社の仕事である情報・文化的生産は、より広い背景を単純化しすぎることなく媒介するという点である」(263頁)といった記述があるが、「不況」の対極で生じている様々な事象を、我々は今こそきちんと検証する必要がある。自戒を込めていえば、「出版=不況」というような脊髄反射的な語り口こそ、我々が見直すべき姿勢なのではないだろうか。

 世界の出版をめぐる問題を、「他人事」ではなく「自分事」として語るということ。我々人間がそうであるように、果たして出版もまた「歴史的存在」であるのなら、やはり出版も人間の終わらない「動的営み」として、歴史的文脈において語られなければならない。本書では、出版の未来についての安易な希望は語られていない。終章で示されるディストピア的な未来予想図もまた、著者たちが抱く確信的なビジョンというよりも、むしろこれからの出版に対して安易に結論を出すことについての拒否であり、また著者たちの思考の混乱をそのまま提示するというある種の誠実さとして捉えるべきだろう。

 おそらく、出版に対する「デジタル化」や「グローバリゼーション」の影響はこれからもまだまだ進んでいく。AIなどの技術進化に対する無防備な礼賛も止まらないだろう。しかし、そういったいわゆるアルゴリズム的思考に収まらない予測不可能性をもつのが我々の社会であり、出版という営為である。出版は豊かで、楽しい。本書はそんなことを考えさせてくれるきわめて貴重な事典なのである。

 
 
 
 


『オックスフォード 出版の事典』
丸善出版 2023年1月発行
A.Phillips, M.Bhaskar編
植村八潮・柴野京子・山崎隆広監訳
A5/528ページ
ISBNコード:978-4-621-30792-2
定価:26,400円(税込)
好評発売中!
https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/?book_no=304830

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新潮社資料室 出版史を体現する資料に囲まれて【書庫拝見12】

新潮社資料室 出版史を体現する資料に囲まれて【書庫拝見12】

南陀楼綾繁

 新潮社は、私が最初にその名前を意識した出版社だ。

 小学生の頃、親に頼んで『星新一の作品集』全18巻を買ってもらった。すでに完結していたが、配達を頼んだ無店舗の本屋さんが毎月1巻ずつ届けてくれるのを首を長くして待った。この作品集には月報とオリジナルの栞、そして新潮社の新刊案内が挟まっていて、本とともに熟読した。

 中学生になると、本屋でPR誌の『波』や文庫刊行目録をもらってきて、やっぱり熟読した。インターネットのない時代、新刊の情報はこういった方法でしか手に入らなかった。そういった経験から、自分にとって新潮社は特別な出版社だった。

 だから、2006年に創刊された『yom yom』に「小説検定」という連載をすることになったときは嬉しかった。あとで編集者から「ナンダロウアヤシゲという名前が文学クイズに合ってると思ったから」と起用の理由を聞かされて、拍子抜けしたものだが。

 連載の何年目だったか、編集者に頼んで資料室を見せてもらった。自社の刊行物が整然と並ぶ棚に感動し、その後、同社で仕事があるたびに理由をつけて潜り込んでいる。社員しか利用できない部屋なので、室内の机で調べ物をしていると「こいつ、何者だ?」という目で見られる。社外でこれだけ何度も入った人間は少ないかもしれない。

 ここを訪れる際に案内してくれるのが、資料室担当の早野有紀子さんだ。こういう調べ方をしたいと聞くと、すぐに答えてくれる。それも知りたかったことのもうひとつ奥を提示してくれるのがありがたい。1971年生まれだから私より歳下だが、資料室の主のような存在だ。ある女性編集者は「早野さん、怖いんですよ。借りた資料の返却が遅れるとすぐ怒られます」と云うが、いや、それはアナタが悪いんでしょ……。

 これまではこそこそと入り込んでいた資料室だが、今回は取材者として隅々まで見せてもらえることができた。そこで明らかになったのは、新潮社の出版物の厚みと、それらを保存管理してきた資料室の奥深さだった。

自社本からレファレンスツールまで揃う

 1896年(明治29)、秀英舎(現・大日本印刷)に勤めていた佐藤儀助が『新聲』を創刊。自分の下宿で新聲社をはじめた。1904年(明治37)、『新潮』を創刊し、新潮社を設立した。

 創業以来、社屋は転々としたが、1913年(大正2)に牛込区矢来町に社屋を新築。それ以来110年。矢来町と云えば新潮社を指す。

 東西線・神楽坂駅の矢来口を出て、地上に上がる。左側にある〈かもめブックス〉は以前は〈文鳥堂書店〉だった。信号を渡ってまっすぐ行くと、左側に新潮社の本館、右側に別館がある。資料室は本館4階にある。

 事務室で早野さんが迎えてくれる。渡り廊下を通って資料室に入る。手前は他社本スペース、奥が自社本スペースになっている。

 他社本スペースにある本は、基本的に寄贈を受けたものが多い。個人全集や単行本などが並ぶが、作家や出版社のバラツキがある。他社の文庫は1990年代までのものが中心で、いまでは手に入らないタイトルもある。「東日本大震災のとき、床に文庫が散らばって大変でした」と早野さん。

 他社の雑誌は総合誌、文芸誌、週刊誌の主要誌が揃っている。以前、資料室では雑誌に載った自社刊行本の書評を収集していた。いまでも別の担当者が継続している。おかげで、新潮社の本がメディアにどう取り上げられたかが判るわけだ。

主要な総合誌、文芸誌、週刊誌がずらり

 事典や書誌など調べるためのツールも充実している。「部数が少ないものもあるので、なるべく買っておくようにしています」。夏目漱石、宮沢賢治、川端康成ら作家ごとの事典があるのも便利だ。

『日本古典文学大辞典』(岩波書店)など大部の辞典から個人事典まで揃う

 ここまででも興味深いが、いよいよ奥の自社本スペースへと向かう。
「ここから奥は昼休みと18時以降には原本室入口のドアに鍵をかけるので、入れなくなるんです」と早野さんが云う。自社刊行物はそれだけ貴重な財産なのだ。

 自社本スペースは大ざっぱに、手前が単行本、中央が文庫、奥が雑誌という構成で、移動式の書架に収められている。

 単行本と文庫はそれぞれ、著者の五十音順に配列されている。同じタイトルの本が並んでいるのは、改版や復刊、改装も1点として数えるからだ。
「文字の拡大や解説・年譜の変更、カバーの有無などの変化は、社内の台帳でも判らないことがあり、現物を見て確認する必要があります」

 たとえば、新潮文庫の太宰治『人間失格』は1952年の初版以来、9種類が刊行されている。最初の2種では解説を小山清が、以降は奥野健男が執筆していることや、映像化に合わせてカバーが変わっていることなどが判る。
「ただ、帯は増刷などでしょっちゅう変わるので、全部は保存していません。新潮文庫の帯のコレクターがいたら貴重ですね(笑)」

 最近では、映像化などに際して、カバーのほぼ全面を覆う「フル帯」というのも出てきて、頭が痛いところだ。

単行本の棚。著者名の50音順に配列

9種類の『人間失格』

 単行本については、全集や「純文学書下ろし特別作品」「とんぼの本」などのシリーズはまとめられている。

 文庫の棚とは別の場所に、「新潮OH!文庫」が並んでいた。2000年創刊でサブカル系のノンフィクション、エッセイなどを刊行した。松沢呉一『魔羅の肖像』とか大泉実成『消えたマンガ家』とかあったなあ。新潮社に太田出版・扶桑社のテイストが入り込んだみたいで、好きなレーベルだったが短命に終わった。新潮文庫100周年を記念して2014年にスタートした「新潮文庫nex」も、別にまとめられている。

コアなファンが多かった「新潮OH!文庫」

歴史を語る数々の資料

 奥の雑誌の棚には、『新潮』『小説新潮』『週刊新潮』などのバックナンバーが合本されて並べられている。以前、『波』の創刊から50年をたどる仕事をしたときには、ここから数十冊の合本を借り出した。

1956年2月創刊以来の、『週刊新潮』バックナンバーが並ぶ

 書架に「新潮社主催各賞の受賞記録・選評については別ファイルを用意しています」という紙が貼られている。三島由紀夫賞、山本周五郎賞、新潮ミステリー大賞などを指す。それだけ利用率が高いのだろう。
「こんなのもありますよ」と、早野さんが案内してくれたのは、壁際のファイリングボックスだ。全集やフェアのパンフレットなどがファイリングされている。こんなのがあるなんて知らなかった。新潮社の歴史に関心のある私にとってはお宝の山じゃないか!

 1966年に本館新社屋が落成した際のパンフレットもある。この年は創立70周年にあたり、社史『新潮社七十年』を刊行している。

 また、別の場所には新潮文庫の解説目録(社内では「カイモク」と略称されているそうだ)が発行順に並んでいる。これも貴重な資料だ。

社の資料のファイリングボックス

1966年に本館新社屋が落成した際のパンフレットも

 ここで資料室の歴史を概観しておく。

 戦後、自社の出版物を集めて、倉庫に置いてあったという。本館が落成した際、4階のいまとは別の場所に資料室が設けられた。そのとき担当になったのが、秋元洋子さんという社員だった。

 1982年発行の『専門図書館』91号に、新潮社資料室の訪問記が載っている(後藤光明「専門図書館を見る その58」)。そこでは秋元さんの仕事ぶりが次のように礼賛されている。
「出版社という性格を考えれば、当然のことと考えがちだが、いろいろこれ迄に見た中でも、これほど迄に、ものの見事に整備、いや完備に近い型で一堂に集められた例を見たことはない。しかも、この自社刊行物の収集整備は秋元さんが独自に行っているとのことで、記録をきちんと整備せよという命令からではないとのこと。これは、先見性を持ったすばらしい作業である」

 この秋元さんを継いで、二代目の資料室担当になったのが早野さんだ。図書館情報大学在学中に新潮社からの求人があり、1993年に新卒で入社。資料室は1990年頃に現在の場所に移転している。
「秋元さんとは6年ほど一緒に働きました。新潮社の資料が大好きな方で、聞けばなんでも教えてくださいました」と、早野さんは振り返る。20年ほどまえ秋元さんが退職して以降は、アルバイトを除けば 早野さんがひとりでこの部屋を守ってきたのだ。
「『新潮社一〇〇年図書総目録』と社史『新潮社一〇〇年』をつくる際には、自社刊行本を全部見ました。自社の歴史を感じるとともに、これらの資料を守る責任を感じました」と話す。

いよいよ閉架書庫へ

 現在、自社本スペースに並んでいるのは、1975年以降の刊行物だ。それ以前の刊行物は、閉架書庫に収められている。以前は社外の倉庫に収められていたが、早野さんの時代になってここに集められたという。ここに入れてもらうのは初めてだ。

 扉を開けると、かなり広い空間がある。

 手前には戦前に刊行された本と雑誌を収めた棚がある。これは中性紙保存箱に収められている。中を見せてもらうと、数冊ずつ入っている。


中性紙保存箱が並ぶ一角とその中身

 1914年(大正3)に刊行された最初の新潮文庫もある。クジャクの図案を箔押しした厚表紙。新潮文庫の創刊100年を記念して、2014年に第一期刊行のうちから 5点が完全復刻で刊行されている。

 奥に進むと、書架が並ぶ。ここには終戦後から1974年までの単行本、文庫、雑誌が並べられている。

復刊された5冊の新潮文庫

 棚を眺めていくと、こんな本やシリーズがあったのか! と興奮する。たとえば、1953年にスタートした「一時間文庫」は、「新書判流行の機運にさきがけ、多彩な収録内容と新鮮さを盛って全集と文庫の中間をねらったシリーズ」(『新潮社一〇〇年図書総目録』)とある。

 その一冊にクリスチァン・ディオール、朝吹登水子訳『私は流行をつくる』があった。ファッションデザイナーであるディオールの著書としては、最初に翻訳されたものではないか? 同行した編集者氏は「いま開催中のディオールの展覧会にあわせて復刊すればよかったのに……」と悔やんでいた。ほかにも掘り起こすべきお宝がまだまだ埋もれているはずだ。

「一時間文庫」には復刊したら読みたいタイトルも

 雑誌は合本とは別に、一冊ずつ紙に包んで保管している。どれも美しい状態だ。私も連載していた『yom yom』を見てみると、あれ、記憶にない表紙がある。
「2017年に紙の雑誌の発行が終わり、電子版に移行するのですが、それからしばらく社内用に数冊のみ印 刷版を制作していました。その1部が資料室にあるんです」と早野さんは説明する。公式な刊行物ではないため、国会図書館にも収められていない、いわば幻の雑誌だ。

『yom yom』は43号まで紙で発行されていた。

 電子化と云えば、新潮社はカセットブックやビデオブック、CDブック、CD-ROM版など、新しいメディアに対応した刊行物も多い。その現物ももちろんここにある。

 1989年には、新潮カセットブックの読者向けにラジカセまで発売した。音響メーカーのラックスと協力して開発した「SLK-1」で、定価3万円(税込み)。「取次各社が取扱を拒否したので、全国書店と直接取引き発売となる」と『新潮社一〇〇年図書総目録』にある。そのラジカセもどこかにあるのだろう。

新潮カセットブックの棚

 別の場所には限定版も保管されている。檀一雄『火宅の人』の限定版(136部)の表紙(子羊皮)には司修のオリジナルエッチングが印刷されている。2003年刊行の『優香 Pure&Lure』には、生ポジ20組40枚と特製3Dビュアーが封入されている。そういえば、出版界を「3Dもの」が席巻した時代がたしかにあったと思いだされる。

『火宅の人』限定版の表紙、司修がオリジナルエッチングに一冊ずつ手採色を施している

 また、新潮社が手がけている自費出版物も、閉架書庫に入っている。広く流通する本ではないので、これもまた貴重な資料だ。
「早野さんがこの中で最も貴重だと思う本を見せてください」と頼むと出してくれたのが、1923年(大正12)に刊行されたポール・クローデルの『聖ジュヌヴィエーヴ(原本は旧カナ表記)』だ。クローデルが駐日大使として来日した際、彼の「全巻に日本趣味の横溢するものを」というリクエストに応じ、富田渓仙らの絵を伊上凡骨が木版で印刷、経本風の仕立てで刊行した。1000部制作され、うち300部が日本国内で販売された(『新潮社一〇〇年図書総目録』)。「新潮社としては最初の国際出版だと思います」と早野さんは云う。


ポール・クローデルの詩集『聖ジュヌヴィエーヴ』の表紙と扉。クローデルは1921年から1927年にかけて、駐日大使を務めた

 さらに、ここにはこの世に4部しかない本まである。新潮社では単行本と新書で発行部数が10万部を超えると、総革装・天金で装丁され、見返しに手染めマーブル紙を使った特装本が4冊だけ制作される。うち2冊は著者に献呈され、1冊は社長室、1冊は資料室に所蔵される。第一号は三島由紀夫の『金閣寺』。その並びは、戦後のベストセラー史を体現しているようで壮観だ。

特装本『金閣寺』

「もし火事になったら、この部屋から絶対に持ち出す本を5冊決めてあります」と早野さん。

 他にも見たいものはまだまだあるが、ここまでですでに2時間近くが経過している。再訪を期して、閉架書庫を出る。

膨大な刊行物の記録

 閉架書庫には「出版原簿」「図書原簿」「紙型原簿」などと題されたファイルがあった。また、資料室内には「図書発行台帳」と題するカードボックスがある。単行本、文庫、叢書の書名50音順になっていて、カードには初版の部数や重版の回数とそれぞれの部数が記されている。ベストセラーのデータを調べる際には役立つだろう。利用する人が多くて間違いが生じやすいのか、「混ぜるな(怒)」と注意喚起の貼り紙があった。
「このボックスにあるのは戦後から1980年代の刊行物の記録です。その後はコンピュータで管理されています」と早野さん。

閉架書庫の「原簿」の棚

資料室内の「図書発行台帳」カードボックス。「混ぜるな(怒)」はこのボックスの上に貼られている

 資料室の蔵書管理も以前は紙のカードだった。そのボックスはいまも隅の方にある。2007年には所蔵目録のデータベースを社内LANで利用できるようになった。
「いまのところ、1996年以降の刊行物についてですが、小説の収録作品や装丁者まで検索できるようになりました。一番利用されるのは、担当した編集者を確認するためです」

 これによって、レファレンスの件数は減ったが、単行本と文庫の違いなどDBに入っていない情報への問い合わせは多い。

 資料室の事務室には、雑誌別の執筆者カードボックスがある。1970年代から94年頃まで取られたもので、たとえば、『芸術新潮』に『気まぐれ美術館』を連載した洲之内徹が、『小説新潮』や『波』にも寄稿していることが判る。また、単行本や雑誌の編集部が独自に執筆者索引をつくっている場合もある。

 いずれはこれらのデータが既存のDBと結合すれば、いまよりももっと、自社の歴史が調べやすくなると思う。

新潮社の「名校閲」を支える場所

 こんなに充実した資料室だが、以前は社員の利用率はあまり高くなかったという。
「使い方が判らないという声を受けて、新入社員研修で説明したりしています。最近では社内異動が増えたせいか、以前より資料室の存在が認知されるようになりました」と早野さんは云う。

 そんななか、社内で一番この部屋を使い倒しているのが、同じフロアにある校閲部の方々だろう。新潮社の校閲がありがたく、時に恐ろしい存在であることは、同社で仕事をしたことのある著者なら身に染みて知っている。こんなことまでよく調べてくれたと感謝することが多い。
「事実関係を調べるには、紙の出版物に当たるのが一番確実です」と話すのは、校閲部の前部長で、定年後も同部に勤める飯島秀一さん。文学系の評論などでは、引用を確認するために閉架書庫の資料を閲覧することもあるという。

 現在は創業125年記念の社史に収録する年表等を校正している。あれ、でも125周年って2021年だったんじゃあ……?
「まだずっとやっているんです(笑)。100年目までは以前の社史や出版目録が出ているんですが、それでもこれだけ直しがあります」と見せてもらったゲラには、気が遠くなるような付箋が貼られていた。

 新潮社のブランドを支える縁の下の力持ちである校閲部を、資料で支えているのが資料室なのだ。

 入社以来、ずっとひとりでこの部屋を守ってきた早野さんは、「自分があと3人いたらすごくいい資料室になると思うんですが……」と苦笑する。定年まであと8年のうちに、できるだけ整理を進めて、次の担当者に引き継ぎたいと話す。

 本が並んでいる場所にいることが好きだという早野さんは、「資料室にいると、担当者以外では最初にまっさらな新刊を手に取ることができるのが嬉しいです」と語る。ちなみに、彼女がよく読むのは海外文学。「あと、横溝正史も好きなんです」。好きな本の話をする早野さんは楽しそうだ。

 出版業界では雑誌の休刊が続き、紙からデジタルにシフトする動きが早まっている。この世界の片隅にいる私も、じわじわと苦しくなってきている。それでも、この資料室に来ると、やはり、紙でしか伝えられない文化があるのだと感じる。

 
 
 
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

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『近代出版研究 第2号「雑著・雑本・ミセレイニアス」が出来ました』

『近代出版研究 第2号「雑著・雑本・ミセレイニアス」が出来ました』

小林昌樹(近代出版研究所)

 この雑誌は近代出版について「小さい問題の登録」を目標に始めた年刊の研究誌で、創刊は昨年、みなさんにお伝えしました。4月7日に第2号が発刊されたのでお知らせします。

未開拓のジャンルには古本が利く!――オカルト、UFO、霊術

 巻頭には英文学者で小説家、横山茂雄先生のロングインタビューを載せました。先生は、オカルト史研究を切り開いた方です。こういった、先行研究も方法論もないジャンルを研究するには、なにか秘密があるに違いないと見込んでお話を伺ったところ、果たして、広汎な古本利用があったことが分かりました。そのうえ、当時、『特殊古本雑誌』(1982)なる同人誌まで出されていたのです。

 京都で才気ある大学生が特異な対象を研究すべく、古本を求めて疾駆するさまは、あたかも森見登美彦氏の小説さながら。オカルト研究をはじめ、幻想文学、ミステリ、UFO研究、霊術の話もあります。先生の回顧談は爆笑につぐ爆笑で、オカルト史研究のインタビューがこんなに面白くなるとは思いませんでした。

メディア史大家に「新聞内報」を

 戦前、業界紙はあったのですが、「業界紙」という言葉はなかったことはご存知ですか? 代わりに「内報」「通信」と呼ばれていました。今回、大家の枠には「メディア史」という言葉を広めた佐藤卓己先生から「新聞内報」についてご寄稿を賜りました。メディア史、特にマスコミ史上、新聞内報は重要にもかかわらず、ほとんど研究されてきませんでした。寄稿依頼に上洛した際に下鴨神社の古本まつりで待ち合わせ、先生に隠れ家的喫茶店へ案内されるまま、名水の井戸水をごちそうになったのは、私のようなアズマエビスには一生の思い出です。

コンビニ本、民俗学、内容見本、明治雑本

 初めて特集「雑本」を設け、5本の論考を載せました。個々の雑本を列挙して解説する本はそこそこあるのですが、雑本とは何かを正面から論じたものは、あまり見られません。

 今回、私は雑本の定義をざっと見てみましたが、日本でも中国でも、そもそも書目編纂上の図書分類からこの種の言葉が生じているというのは意外な事実でした。

 雑本の一種、「コンビニ本」について、妖怪がらみで(笑)テレビ番組「チコちゃんに叱られる」に登場する飯倉義之先生に今回初めてご寄稿いただきました。京都のハマムラでご一緒した若先生がこんな有名人になられるとは……。『民俗学入門』(岩波新書)がヒットした菊地暁先生にはその雑本趣味をお願いしました。民俗学と古本、そして近代出版研究の相性がいいのは、当誌の新規性というよりも、実は昭和初期以来の伝統です。

 エロ・グロ・ナンセンス、昭和初期の梅原北明らによるアバンギャルドな出版を研究した『地下出版のメディア史』が話題となった大尾侑子先生には「内容見本」史を寄せてもらいました。31年前に紀田順一郎さんの『内容見本にみる出版昭和史』(本の雑誌社)を読んで以来、ずっと気になっていました。大変な力作で、その起源から分かります。

 前回「図書」および「図書館」の語源を130年ぶりで明らかにした鈴木宏宗さんには、かの『明治文化全集』に含まれる雑本が、どれだけ古本に支えられていたかを分析してもらいました。帝国図書館は戦前、日本で一番、雑本が揃っていた図書館ではありますが、『明治文化全集』は、やはり多くが古本利用で賄われていたと判りました。かような実証は帝国図書館の蔵書構成を知悉する人にしかできますまい。

出版社営業や「映える」図書館など時事も

 本誌は「雑」誌なので、周辺の話題も載ります。今回のそれは、出版社の「営業」職が平成期に何をどのように行っていたのかの報告です。これは、出版社・志学社代表である平林緑萌さんに、若い頃の体験をご寄稿いただきました。書籍の流通というものは、私などには「日本出版配給(株)」よろしく「配給」のごとく感じられてしまいますが、これを読むと一変しますね。

 図書館時事もあります。昨年夏に移転開館し、映える図書館としてSNSで「きれい」「素敵」「感動」などと絶賛を浴びた金沢市にある石川県立図書館について、そのリニューアルの主眼を、なんと田村俊作館長じきじきに寄稿いただきました。

第二特集は雑誌

 目次に明示しませんでしたが、第二特集が「雑誌」になっています。南方熊楠が寄稿していた英国雑誌について、サントリー学芸賞を取られた志村真幸先生にご寄稿いただきました。アマチュア研究者「アンティカリ(好古家)」が活躍する雑誌なんて、まるで当誌のよう。

 在野研究者のオタさんには日本最初の健康雑誌についてご寄稿いただきました。霊術がらみで横山先生の流れに連なる方でもあります。霊術と健康は国民健康保険のなかった日本で、むしろ自然なつながりなのでした。

 大正前期の「グラフ雑誌」について、やはり在野の藤元直樹さんにご寄稿いただきました。雑誌史研究が、特定雑誌研究の単なる集積になってしまっているなか、「総合雑誌」「業界誌」といった、雑誌固有のジャンル史はとても重要です。

 稲岡勝先生の「雑誌屋考」は、明治半ばから昭和前期まで、書店とは別に成立していた小売店について重厚な実証です。前の創刊号で、私が埋もれていた雑誌屋を、「立ち読み」の発生源として召喚した甲斐があったというものです。

 神道雑誌史もあります。新進気鋭の木村悠之介さんに聞くまで、神道出版の取次があったなんて知りませんでした。

 前回、趣味の新聞縦覧実践法を寄稿いただいた松崎貴之さんには今回、明治期新聞縦覧所の成れの果てについてご寄稿いただきました。私も見つけられなかった明治期統計が使われていてびっくりです。アンティカリの実践ですね。仕事実践に強い人は趣味実践にも強いのです。

さらにユニークな書き手

 日本で近代出版研究という学問ジャンルは未成立で、そういう意味で生来の学者先生はほぼいないので、そのスジで有名なツイッタラー、兵務局さん(@Truppenamt)をお呼びしました。児玉誉士夫と小佐野賢治の獄中読書体験を対比する、なんて、ふつうの本好きにはできません。

創刊号も増刷しました

 今回、2号の前評判もよい中、創刊号が品切れになりアマゾン・マケプレでプレミアが付いてしまったので、思い切って創刊号を増刷しました。ふつう雑誌の増刷はしないので、2号を見てオモシロいと思われた向きには創刊号もぜひ定価で入手されることをお勧めします。

 
 
 
 


『近代出版研究 第2号』
皓星社刊
近代出版研究所編
A5判並製/288ページ
ISBNコード:978-4-7744-0786-9
定価:2,000円(税別)
好評発売中!
https://www.libro-koseisha.co.jp/publishing/9784774407869/(試し読みあり)

 
 


『近代出版研究 創刊号』
皓星社刊
近代出版研究所編
A5判並製/288ページ
ISBNコード:978-4-7744-0762-3
定価:2,000円(税別)
好評発売中!
https://www.libro-koseisha.co.jp/publishing/9784774407623/(試し読みあり)

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『移民が移民を考える―半田知雄と日系ブラジル社会の歴史叙述―』 【大学出版へのいざない5】

『移民が移民を考える―半田知雄と日系ブラジル社会の歴史叙述―』 【大学出版へのいざない5】

京都外国語大学外国語学部ブラジルポルトガル語学科講師 フェリッペ・モッタ

 2023年は日本ブラジル移民115周年を記念する年です。「移民」という単語は多義的で、新天地を求めて越境する人、また具体的な歴史的事象をも指します。日本社会においては外国人労働者および難民をもっと受け入れるべきかどうかという問題が激論されていますが、日本にはかつて多くの人々を国外に送り出した過去があると意識している人はどのくらいいるのでしょうか。戦後に勝ち取った経済大国という地位は我々の「移民」に対する記憶を微妙なものにしたのかもしれません。しかし、送出国としての過去を認識しなければ真の国際化と多文化共生は不可能であり、空言で終わってしまうと感じざるを得ません。移民史研究はこのように、我々の「今」とも強く繋がっています。

 「移民」という言葉、そしてその事象に人生を根本的に変えられた人物がいます。半田知雄(1906~1996)はかつて日本がブラジルに送った移民の一人でした。子どもの時に親に連れられブラジルに渡った彼は、日系ブラジル社会と共に人生を歩み、「移民である」とはどういうことなのかを問い続けます。拙著においては、一人の移民として、そして移民知識人層の一人として日本ブラジル移民とはどういうものであったのかを突き詰めた半田の営為を見つめ、その葛藤の人生を論じました。

 本書ではなるべく移民が自ら叙述した一次資料を活用し、「移民」という歴史的事象がいかに論じられてきたかを明らかにしようと努めました。資料のデジタル化が進み、オンラインでアクセスすることもできましたが、できる限り現地の資料館まで足を運びました。「日本の古本屋」から入手できたものも多々あります。

 画家であり、移民史研究家であった半田知雄に注目することにより、自己の歴史を叙述する「移民知識人」という主体者の姿を浮き彫りにさせる目論見がこの研究の根幹にありました。というのは、移民研究者が「移民」を考え始めるよりもはるかに早い段階から、移民自身は自らの存在と歴史に向き合っていたからです。半田知雄の活動は孤立されたものではなく、芸術家の団体(聖美会)、知識人の集い(土曜会)、移民による文学(コロニア文学)などとも関わっていました。空間と時間において行われる「出会い」、それからその「出会い」が一人の人物の思想形成にどう働きかけるかを考えるにあたっては、本書にも記しましたが、安田常雄が渋谷定輔を対象に著した『出会いの思想史―渋谷定輔論』が大きな手掛かりになりました。安田は詩人、農民運動家と思想者という側面を持つ渋谷本人からの聞き取り調査と文献資料から渋谷の思想世界と大正デモクラシーの時代を考察しています。渋谷という個人の多面性、渋谷の著した『農民哀史』という知的・文化的産物、それから「出会い」をキーワードに一人の人間の思想史を辿った安田常雄の著作は、歴史研究の複雑性、思想経路の入り乱れと絡み合い、思想史・社会史・農民史の重複する様相を示しています。本書も、日系ブラジル社会の社会史に光を当てつつ、半田知雄をはじめとする日系移民知識人の思想史に貢献することを目標としています。

 半田の提唱により、移民が辿った経路を象徴する物質文化が集められ、現在のブラジル日本移民史料館(サンパウロ市)の開設にいたりました。同じように、半田は移民が書き残した記述を後世に残す必要性を常に説いていました。私も移民研究者の一人として、移民が自らの歴史を記すべく残したその蓄積に敬意を払い、それを踏まえる立場から移民史を考える必要があると思っています。

 本書は次のような構成です。半田の略伝を記したうえで、第一章では、日系ブラジル社会における知識人グループの存在と言論活動を、戦前の雑誌を素材に分析し、半田の大著である『移民の生活の歴史』(1970年)を論じました。第二章では、半田が生涯にわたって繰り返し立ち戻った少年時代の記憶をめぐる記述を、エゴ・ドキュメント論を起用して取り上げ、ナラティヴの再編としての歴史叙述を見つめました。第三章では、画家としての半田知雄の活動に注目し、移民自身が自らの「生活」を表象し、その表象が移民の記憶として受容されていくプロセスを取り上げました。第四章では、ブラジル日系社会史における最大の出来事である戦争と敗戦の経験を取り上げ、「勝ち負け抗争」の深い軋轢、さらに「他者」として立ち現れた戦後日本からの移民との出会いに至るまでの戦前移民の悩みが深刻化する状況を、コロニア文学を援用して論じました。そして、第五章では、文化伝承・言語・移民心理という三つのキーワードをたてて半田知雄の思想を体系的に考察しました。

 本書の五章すべてを繋げている糸は「移民」を理解したい、「移民」を説明したいという半田知雄の頑な意志ですが、その活動を汲み取ろうとする今の移民史研究者である著者の姿がそれに重なります。時には「叙述者」と「対象」との距離が伸びたり縮んだり、私と公が交叉し、領域が曖昧になることは半田の移民史によくあることです。それでも、主体性と客観性の均衡と闘いながら移民が移民を考えつづけました。歴史を叙述するとはどういう営みなのかを多角的に考えるきっかけになれば幸いです。

 
 
 
 
 


書名:『移民が移民を考える ―半田知雄と日系ブラジル社会の歴史叙述―』
著者名:フェリッペ・モッタ
出版社名:大阪大学出版会
判型/製本形式/ページ数:A5判/上製/318頁
税込価格:6,050円
ISBNコード:978-4-87259-759-2
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本という文化をつなぐ――震災と原発事故を乗り越えて 【古本屋でつなぐ東北(みちのく)6】

本という文化をつなぐ――震災と原発事故を乗り越えて 【古本屋でつなぐ東北(みちのく)6】

(福島県・岡田書店)岡田 悠

 岡田書店は、祖父の兄が戦前、福島県いわき市中心部より南にある植田町で開業しました。戦後は中心部に近い内郷に店を構えました。

 その後、祖父が港町の四倉で新刊書店を始め、そこで祖母も少しだけ貸本屋もしていたそうです。私はその町で育ちました。

 小さな商店街にある本当に小さな店でしたが、小学校の近くで、私と兄は毎日店で母の迎えを待っていました。そのうち父も会社を辞め古本屋を始め、小学生の私の周りは本だらけになりました。しかし、私は本には全く興味を持たず、読むのは漫画くらいで当時好きだった月刊誌は祖父が毎月与えてくれるし、欲しい漫画は父が全巻揃えてくれました。お小遣いを貯めて自分で買う事はなく、本の有り難みのようなものを感じる事はありませんでした。もちろん、自分が古本屋になるなど、考えた事もありませんでした。

 専門学校で上京し、卒業後は数年ねばりましたが、二十四歳で実家に帰る事になりました。そこから何となく父の古本屋の手伝いをするようになり、特に出張買取や催事の荷物運びが私の役目でした。その後、インターネット販売を始め、自分で仕入れた商品を催事などでも販売するようになり、地元や宮城県・茨城県の即売会に参加させて頂くことになりました。

 そのうち、いわき市平の国道6号沿いにあった店の手前にバイパスができ、通勤客などが減り、店舗のほうは閉める事にしました。インターネット販売と即売会に力を入れるようになり、特に仙台イービーンズは今でも長いお付き合いになっています。

 そして、私自身結婚し、この仕事に本腰を入れて「これからだ!」という時に……東日本大震災、そして福島原発事故が起きました。

 あの日、私は倉庫で商品整理をしていましたが、急いで外に出ると、立っていることがやっとの揺れ。見た事もないくらいフェンスや電線が揺れていました。そして、けたたましいカラスの鳴き声を今でも覚えています。

 福島第一原発が水素爆発をおこし、避難しなければと思った時に手を差し伸べてくれたのは古書ふみくらさんでした。須賀川市長沼にある、ふみくらさんのご実家に、私は二週間、父達は三ヶ月ほど避難させて頂きました。

 先に戻った私は、酷い有様の倉庫を途方に暮れながらも少しずつ片付け始めました。父がいわき市の借り上げ住宅に戻れるようになり、倉庫の片付けが順調に進みはじめ、再始動した時には、地元の小さな即売会以外は再開出来ませんでした。

 これはまずいと思い、以前から交流のあった茨城県や千葉県の書店さんに相談したところ、所沢彩の国古本まつりを紹介して頂き、そこから東京や関東の書店さんと繋がりができました。新宿サブナードや神奈川県・千葉県の即売会などたくさんの書店さんたちに助けて頂き、関東の催事を駆け回る日々が始まりました。その後は、つちうら古本倶楽部の立ち上げにも参加させて頂き、本以外に楽器販売などにも挑戦しました。つちうらでは、そんな異色なチャレンジを後押しして頂き感謝しています。

 二〇一五年九月には、父や兄家族が住んでいた、母の実家がある楢葉町が避難指示解除になります。家族で話し合った結果、私が住むことになり、すぐ考えが浮かびました。「場所はある、インターネット販売と催事の準備の倉庫だけでは勿体無い、店を開こう」。そこからは夢中でした。解除の三ヶ月ほど前から楢葉町に通い、準備をし、ほぼ解除と同時に開店しました。もともと母方の祖母が小さな商店をしていたスペースで、ブロックや板で棚を手作し本を並べました。最初の一週間はお客様はゼロで、来てくれたのは犬の散歩をする近所のお父さんだけでした。

 現在は、隣にあった納屋を改装し、スチールの棚にして店も少し広くなりました。

 催事についてはのちに声を掛けて頂いた八王子古本まつりと復活した仙台イービーンズに絞り、イービーンズでは期間限定の常設店(仙台古本倶楽部)にも参加させて頂きました。そして新たにFORUS古本市仙台古本倶楽部が始まります。

 店のお客様は当初原発作業員の方が中心でしたが、今では地元の方や復興関連の方に変わり、週末は忙しさを感じるようになりました。ほぼ毎週末来てくださる常連の役場職員の方が言ってくれました。「楢葉町には本屋さんはありませんでした。本という文化を持って来てくれてありがとう。」

 私はこの町で、少しでも長く古本屋を続けていきたいと思います。

 

 
 
(「日本古書通信」2023年1月号より転載)

 
 
 
 


『増補新版 東北の古本屋』 折付桂子著
文学通信刊
ISBN978-4-909658-88-3
四六判・並製・312頁(フルカラー)
定価:本体1,800円(税別)好評発売中!
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2023年3月24日号 第367号

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1.『スイス観光業の近現代―大衆化をめぐる葛藤』

                  関西大学文学部准教授 森本慶太

2.マイナー雑誌を研究する――『児童雑誌の誕生』の調査をふりかえって

             京都華頂大学現代家政学部准教授 柿本真代

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━━━━━━━━━【大学出版へのいざない4】━━━━━━━━━━━

『スイス観光業の近現代―大衆化をめぐる葛藤』

                  関西大学文学部准教授 森本慶太

 スイスという国に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。こう
尋ねると、登山電車、牛、チーズ、マッターホルン、それに「ハイジ」な
ど、アルプスの山々に関わる要素を挙げる人が少なくありません。そこは
スイスに行けば訪れるべき場所であり、しばしば観光と結びつけて語られ
ます。世界経済フォーラムの「旅行・観光競争力ランキング」でもしばし
ば上位にランクインしているように、たしかにスイスは「観光大国」の顔
をもっています。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=11273

書名:『スイス観光業の近現代―大衆化をめぐる葛藤』
著者名:森本 慶太
出版社名:関西大学出版部
判型/製本形式/ページ数:A5判/上製/184頁
税込価格:3,080円
ISBNコード:978-4-87354-758-9
Cコード:C3022
好評発売中!
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━━━━━━━━━━【自著を語る(306)】━━━━━━━━━━

マイナー雑誌を研究する――『児童雑誌の誕生』の調査をふりかえって

            京都華頂大学現代家政学部准教授 柿本真代

 明治期の児童雑誌といえばなにが想起されるだろうか。『穎才新誌』、
『少年園』、『小国民』、そして『少年世界』などがよく知られるとこ
ろだろう。本書『児童雑誌の誕生』でおもに扱ったのは『少年園』とそ
れ以前の〈胎動期〉の児童雑誌、『よろこばしきおとづれ』、『ちゑの
あけぼの』である。これら2誌には著名な作家の関わりもほとんどなく、
おそらく『少年園』を除けば児童文学に関心のある人でも「ああ、あの
雑誌」となる人は少ないのではないだろうか。本書がこれらの雑誌を対
象としたのは、児童雑誌にどんな作家のどんな作品が掲載されたかより
も、児童雑誌という媒体そのものの成り立ちをとらえたかったからであ
る。一般的な知名度の低いこれらの児童雑誌がどのようにうまれたのか
を知るためには、必然的に周辺史料を発掘することが不可欠となった。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=11281

『児童雑誌の誕生』
文学通信刊
柿本真代著
A5判・上製・296頁
ISBN978-4-86766-001-0 C0095
定価:本体2,800円(税別)
好評発売中!
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━━━━━━━━━━━━━【次回予告】━━━━━━━━━━━

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「大学出版へのいざない」シリーズ 第5回

書名:移民が移民を考える ―半田知雄と日系ブラジル社会の歴史叙述―
著者名:フェリッペ・モッタ
出版社名:大阪大学出版会
判型/製本形式/ページ数:A5判/上製/318頁
税込価格:6,050円(税込)
ISBNコード:978-4-87259-759-2
Cコード:C3020
好評発売中!
https://www.osaka-up.or.jp/books/ISBN978-4-87259-759-2.html
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『オックスフォード 出版の事典』
丸善出版刊
植村八潮・柴野京子・山崎隆広 監訳
判型:A5 528ページ
ISBNコード:978-4-621-30792-2
Cコード:3504
定価:26,400円(税込)
好評発売中!
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『近代出版研究 第2号』
皓星社刊
近代出版研究所編
A5判並製/288ページ
ISBNコード:978-4-7744-0786-9
定価:2,000円(税別)
2023年4月7日発売予定(試し読みあり)
https://www.libro-koseisha.co.jp/publishing/9784774407869/
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マイナー雑誌を研究する――『児童雑誌の誕生』の調査をふりかえって

マイナー雑誌を研究する――『児童雑誌の誕生』の調査をふりかえって

京都華頂大学現代家政学部准教授 柿本真代

 明治期の児童雑誌といえばなにが想起されるだろうか。『穎才新誌』、『少年園』、『小国民』、そして『少年世界』などがよく知られるところだろう。本書『児童雑誌の誕生』でおもに扱ったのは『少年園』とそれ以前の〈胎動期〉の児童雑誌、『よろこばしきおとづれ』、『ちゑのあけぼの』である。これら2誌には著名な作家の関わりもほとんどなく、おそらく『少年園』を除けば児童文学に関心のある人でも「ああ、あの雑誌」となる人は少ないのではないだろうか。本書がこれらの雑誌を対象としたのは、児童雑誌にどんな作家のどんな作品が掲載されたかよりも、児童雑誌という媒体そのものの成り立ちをとらえたかったからである。一般的な知名度の低いこれらの児童雑誌がどのようにうまれたのかを知るためには、必然的に周辺史料を発掘することが不可欠となった。

 あとがきでも書いたように、本書の出発点は大阪で1886(明治19)年に創刊された『ちゑのあけぼの』であった。『少年園』といえば山縣悌三郎や高橋太華、『小国民』といえば石井研堂と、初期の児童雑誌の編集者らはいずれも著名で、その後も教科書や児童出版文化に関わった人物が多い。しかし『ちゑのあけぼの』の関係者のなかで名が知られているのはのちに警醒社の社主となった福永文之助ぐらいで、福永も含めその後とくに教育や児童文学に関わった形跡はみられなかった。そんな彼らがなぜ児童雑誌に関心をもち、いちはやく創刊にたどり着いたのか。ひょっとしたら参照したなにかがあったのではないだろうか。そんなやや失礼な疑惑から、「元ネタ」探しがはじまった。

 とはいえ、やみくもに史料を漁れば元ネタにたどり着くわけではない。空振りももちろん数えきれないほど多かったが、いまふりかえって有効だったのは①実物を複数閲覧すること、②総目次を作成すること、③関係者の足跡を可能な限り跡付けることであったように思う。実物を複数調査することで、署名から持ち主の属性がわかるなど、読者層を想定しやすくなった。関係者がどんな人物であったのかを調べることは、彼らが影響を受けた出版物にあたることにつながり、結果的に参照した日本のキリスト教新聞や雑誌、さらにアメリカで発行されていた日曜学校新聞など、元ネタの存在も明らかになった。総目次をつくる作業は頁番号の振り方など迷うことも多かったが、児童雑誌が「文学」だけを掲載するものではないということを改めて痛感したし、記事の仮タイトルをつけていく作業によって元ネタとの類似性に気づきやすくなった。

 幸運だったのは、関係したのが宣教団体や日曜学校連盟などのキリスト教に関連する団体だったため、本国宛ての報告や資金の使途などについての史料が遺されていたことである。これらの資金はアメリカの一般信徒の献金によって成り立っていたために、なににいくら使用されたのかを報告する必要があったのである。これらの史料のうち、宣教師らと本国の間で交わされた書簡はマイクロフィルムあるいは複製版を日本で閲覧できるものもあり、翻刻・翻訳も一部行われている。日曜学校関係の報告や雑誌は運動の拠点であった東海岸の図書館や史料館などに保存されており、ニューヨークで閲覧することができた。もっともこれらの宣教師らによる報告と、日本人キリスト者の回想や日記・書簡とをつきあわせると認識が異なっている部分も多々ある。本書では複数の児童雑誌がアメリカの雑誌のどんな記事を選択・翻訳し編集したのかを分析したが、それは同時に編集者らが〈西洋〉との葛藤のなかで子どもたちになにを伝えようとしたかを明らかにすることにもなった。

 本書は幸いにもこれらの史料を活用できたことで、国境を越えて子どものための読み物がもたらされ、翻訳・編集を経て日本の児童雑誌がうまれ、そして新たな読者集団が形成されていく過程を実証的に描き出すことができたのではないかと考えている。本書で扱ったのはアメリカ―中国―日本のルートのみであったが、日本から植民地期の朝鮮・台湾、そして日清戦争後の中国への児童文学や児童雑誌の伝播ルートの解明も同様の手法によってできる可能性もある。

 明治期の児童雑誌を扱っているものの、巖谷小波も若松賤子も登場しない本書は果たして児童「文学」の研究かと問われれば正直心もとないが、児童文学「史」の研究ではあるつもりである。一国史・作品史とは異なる観点から児童文学史を再構築していく契機になればと思う。

 
 
 
 


『児童雑誌の誕生』
文学通信刊
柿本真代著
A5判・上製・296頁
ISBN978-4-86766-001-0 C0095
定価:本体2,800円(税別)
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『スイス観光業の近現代―大衆化をめぐる葛藤』 【大学出版へのいざない4】

『スイス観光業の近現代―大衆化をめぐる葛藤』 【大学出版へのいざない4】

森本慶太(関西大学文学部准教授)

 スイスという国に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。こう尋ねると、登山電車、牛、チーズ、マッターホルン、それに「ハイジ」など、アルプスの山々に関わる要素を挙げる人が少なくありません。そこはスイスに行けば訪れるべき場所であり、しばしば観光と結びつけて語られます。世界経済フォーラムの「旅行・観光競争力ランキング」でもしばしば上位にランクインしているように、たしかにスイスは「観光大国」の顔をもっています。

 しかし、「観光大国」の知名度からは意外なことですが、19世紀に花開くスイス観光の歴史を扱った研究は国内外ともに少ないのが現状です。そもそも国内のスイス史研究では、高校世界史でも言及される宗教改革など、中近世史研究でこそ一定の蓄積がありますが、19世紀以降の近現代史研究は依然としてわずかです。さらに、一般的なイメージとは異なり、スイス経済史で存在感が大きかったのは工業であり、観光業の位置づけが相対的に低かったことから、スイス本国ですら観光の歴史は主たる研究対象とはみなされてきませんでした。

 天邪鬼かつ競争嫌いの私には、「スイス」と「観光」という歴史研究で未開拓の領域が魅力的に映りました。しかし、未開拓ということは、入口となる先行研究を収集する段階から手がかりが乏しく、助け合える仲間もいないということです。スイスに留学した時は、観光地めぐりもほどほどに(!)、図書館や文書館にこもってひたすら研究の糸口を探し求める日々が続きました。テーマの選択を後悔したことも一度や二度ではありません。

 今回上梓した本書は、このように暗中模索しつつ進めてきた研究をまとめたものです。現在ではおなじみの、アルプス観光を中心とするスイス観光業の姿が確立するのは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのことです。この時代に鉄道や宿泊施設をはじめとするインフラが充実し、保養やレジャーでスイスを訪れる外国人観光客は急速に増加しました。本書のタイトルを一見して、こうした観光地発展の秘密を解明する本かと期待されるかもしれません。しかし、本書のテーマはアルプスや登山鉄道ではありません。それは、黄金期が終わり、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての激動の時代に、客数減少という危機に立ち向かった業界人による取り組みです。この主題の選択にも、私の天邪鬼ぶりが発揮されているといえるでしょう。

 もちろん、単なる天邪鬼でこうしたテーマを選んだわけではありません。危機のなかにこそ、次の時代につながる新しい要素が顔を出すと思ったからです。第一次世界大戦後のスイスでは、国家間の競争の激化や社会状況の変化にともない、戦前のように外国人富裕層の旅行様式を前提とする高水準の観光の維持が限界に達していました。そのことに気づいた観光業界は業界団体を組織化し、新たな方向性を模索していきました。本書でとくに注目したのは、副題にもある大衆化への対応です。研究の過程で、1930年代から40年代前半にかけての観光業界には、観光の大衆化と客層の差別化をめぐるせめぎあいの渦中にあったことがみえてきました。そこからは、「安価なスイス」と銘打って、大衆化を全面的に打ち出した旅行団体や、同時代のナショナリズムの高まりも反映して、スイス国民に向けて国内旅行の普及を促進する旅行資金補助事業が出現しました。

 本書では以上の事例研究を踏まえ、第二次世界大戦後に本格化するマス・ツーリズムとの連続性を意識しつつ、20世紀前半のスイス観光業の模索のなかに、近代から現代へと向かう観光の過渡的状況がみえてくるという展望を示しました。「アフター・コロナ」の観光像が模索されている現在、スイス観光業の近現代史が何らかのヒントを与えることができれば幸いです。

 
 
 
 
 


書名:『スイス観光業の近現代―大衆化をめぐる葛藤』
著者名:森本 慶太
出版社名:関西大学出版部
判型/製本形式/ページ数:A5判/上製/184頁
税込価格:3,080円
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2023年3月10日号 第366号

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━━━━━━【古本屋でつなぐ東北(みちのく)5】━━━━━━

銀糸に悩む日々――地元資料を伝える店を目指して

             (山形県・古書紅花書房遊学館前店)苅谷 博

 今日もクモの巣とたたかっています。

 彼女たちの精勤さには目を見張るものがあり、窓辺や天井の隅は元より
平積みされた本の隙間や本棚の中の僅かな隙間にまで巧みに糸を掛ける様
はいつも関心させられます。そこにどんな獲物がいるのか興味が沸かない
訳ではないのですが、いかんせん物販を生業とする身としては生態観察よ
りも商品の見た目の良さを優先せねばならず、開店前には一通り掃除機を
かけハタキをかけして店の体裁を整えようと努めます。しかしいつの間に
やらまた新たな銀糸が掛かっているのです。

(「日本古書通信」2022年12月号より転載)

続きはこちら
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━━━━━━━━━【シリーズ書庫拝見11】━━━━━━━━━

遅筆堂文庫 後編 この場所を「地球の中心」として

                         南陀楼綾繁

 いよいよ、遅筆堂文庫の閉架書庫に入る。案内人は文庫の職員である
遠藤敦子さんと井上恒さんだ。

 遠藤さんは川西町の隣にある南陽市生まれ。地元出身ということで、
井上ひさしを愛読し、1978年に山形市に来た作家の講演も聴いている。
「図書館は市民に開かれたものであるべきだと話されていました」と振
り返る。また、「山形こまつ座」のメンバーとしてチケットの販売を手
伝ったりした。
「農改センターにあった頃の遅筆堂文庫でアルバイトしていたこともあ
ります」

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=11245

南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一
文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、
図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年
から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」
の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」
の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、
『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』
(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、
編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

ツイッター
https://twitter.com/kawasusu

川西町フレンドリープラザ・遅筆堂文庫
https://www.kawanishi-fplaza.com/book/guide_book/chihitsudo.html

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「コショなひと」始めました

東京古書組合広報部では「コショなひと」というタイトルで動画
配信をスタート。
古書はもちろん面白いものがいっぱいですが、それを探し出して
売っている古書店主の面々も面白い!
こんなご時世だからお店で直接話が出来ない。だから動画で古書
店主たちの声を届けられればとの思いで始めました。
お店を閉めてやりきったという店主、売り上げに一喜一憂しない
店主、古本屋が使っている道具等々、普段店主同士でも話さない
ことも・・・
古書店の最強のコンテンツは古書店主だった!
是非、肩の力を入れ、覚悟の上ご覧ください(笑)

※今月の新コンテンツはありません。

YouTubeチャンネル「東京古書組合」
https://www.youtube.com/@Nihon-no-Furuhon-ya

━━━━━【3月10日~4月15日までの全国即売展情報】━━━━━

⇒ https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

※現在、新型コロナウイルスの影響により、各地で予定されている
即売展も、中止になる可能性がございます。ご確認ください。
お客様のご理解、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

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フィールズ南柏 古本市(千葉県)

期間:2023/03/04~2023/03/16
場所:フィールズ南柏 モール2 2階催事場  柏市南柏中央6-7

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西部古書展書心会

期間:2023/03/10~2023/03/12
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

https://www.kosho.ne.jp/?p=563

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オールデイズクラブ古書即売会(愛知県)

期間:2023/03/10~2023/03/12
場所:名古屋古書会館 名古屋市中区千代田5-1-12

https://hon-ya.net/

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紙魚之會

期間:2023/03/10~2023/03/11
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

https://www.kosho.ne.jp/?p=604

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反町古書会館展(神奈川県)

期間:2023/03/11~2023/03/12
場所:神奈川古書会館1階 横浜市神奈川区反町2-16-10

http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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光が丘 春の古本市

期間:2023/03/15~2023/05/14
場所:リブロ光が丘店 東京都練馬区光が丘5-1-1 リヴィン光が丘5階
   都営大江戸線光が丘駅A4出口より徒歩3分

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趣味の古書展

期間:2023/03/17~2023/03/18
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

https://www.kosho.tokyo

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新橋古本まつり

期間:2023/03/20~2023/03/25
場所:新橋駅前SL広場

https://twitter.com/slbookfair

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第102回シンフォニー古本まつり(岡山県)

期間:2023/03/22~2023/03/27
場所:岡山シンフォニービル1F  自由空間ガレリア

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浦和宿古本いち(埼玉県)

期間:2023/03/23~2023/03/26
場所:さくら草通り(JR浦和駅西口 徒歩5分 マツモトキヨシ前)

https://twitter.com/urawajuku

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フジサワ古書フェア(神奈川県)

期間:2023/03/23~2023/04/19
場所:有隣堂藤沢店4階ミニ催事場 JR藤沢駅南口フジサワ名店ビル4階

http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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第10回 小倉駅ナカ本の市(福岡県)

期間:2023/03/23~2023/04/02
場所:小倉駅ビル内・JAM広場 (JR小倉駅 3階 改札前)

https://twitter.com/zCnICZeIhI67GSi

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五反田遊古会

期間:2023/03/24~2023/03/25
場所:南部古書会館 品川区東五反田1-4-4
   JR山手線、東急池上線、都営浅草線五反田駅より徒歩5分

https://www.kosho.ne.jp/?p=567

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神保町さくらみちフェスティバル 春の古本まつり

期間:2023/03/24~2023/03/26
場所:神田神保町古書店街(靖国通り沿い)

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第3回 みんなでつくる古本まつり(大阪府)

期間:2023/03/24~2023/03/26
場所:大阪 南千里駅前まるたす広場 大阪府吹田市津雲台1丁目1

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和洋会古書展

期間:2023/03/24~2023/03/25
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

https://www.kosho.ne.jp/?p=562

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中央線古書展

期間:2023/03/25~2023/03/26
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

https://www.kosho.ne.jp/?p=574

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青札古本市

期間:2023/03/30~2023/04/02
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

https://www.kosho.ne.jp/?p=618

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西武本川越PePeのペペ古本まつり(埼玉県)

期間:2023/03/30~2023/04/11
場所:西武鉄道新宿線 本川越駅前ペペ広場

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下町書友会

期間:2023/03/31~2023/04/01
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

https://www.kosho.ne.jp/?p=572

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書窓展(マド展)

期間:2023/04/07~2023/04/08
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

https://www.kosho.ne.jp/?p=571

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大均一祭

期間:2023/04/08~2023/04/10
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

https://www.kosho.ne.jp/?p=622

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横浜めっけもん古書展(神奈川県)

期間:2023/04/08~2023/04/09
場所:神奈川古書会館1階 横浜市神奈川区反町2-16-10

http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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全古書連は全国古書籍商組合連合会(2,200店加盟)の略称です

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日本の古本屋メールマガジンその366 2023.3.10

【発行】
 東京都古書籍商業協同組合:広報部・「日本の古本屋」事業部
 東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
 URL  https://www.kosho.or.jp/

【発行者】
 広報部・編集長:藤原栄志郎

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 いたします。なお、ご質問の内容によりましては、返信が大幅に
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遅筆堂文庫 後編 この場所を「地球の中心」として【書庫拝見11】

遅筆堂文庫 後編 この場所を「地球の中心」として【書庫拝見11】

南陀楼綾繁

 いよいよ、遅筆堂文庫の閉架書庫に入る。案内人は文庫の職員である遠藤敦子さんと井上恒さんだ。

 遠藤さんは川西町の隣にある南陽市生まれ。地元出身ということで、井上ひさしを愛読し、1978年に山形市に来た作家の講演も聴いている。「図書館は市民に開かれたものであるべきだと話されていました」と振り返る。また、「山形こまつ座」のメンバーとしてチケットの販売を手伝ったりした。
「農改センターにあった頃の遅筆堂文庫でアルバイトしていたこともあります」

 その後、県内にある個人記念館で学芸員として働いていたが、2007年、川西町フレンドリープラザに指定管理制度が導入され、NPO法人遅筆堂文庫プロジェクト(現・かわにし文化広場)が管理者となったのを機に、職員となった。
「この年の生活者大学校の打ち上げで、井上先生が編集者の方に私を紹介してくださったことに感激しました。先生はナスの漬物が大好物で、私の母が漬けたナスを出すと喜ばれて、舞台に上がる直前まで食べておられました(笑)」

 以来、遅筆堂文庫と町立図書館で司書・学芸員として働きながら、井上の蔵書についてこつこつ調べてきた。いまでは遅筆堂文庫の生き字引として、さまざまな問い合わせに対応している。私もこれまで何度も教えてもらった。

 そこに援軍として加わったのが、その名も井上恒【ひさし】さんだ。作家と紛らわしいので、恒さんと呼ぼう。

 岩手県盛岡市に生まれた恒さんは、小学生の頃に『ブンとフン』を読み、「この人はなんてバカバカしいことを考えるんだろう」と面白がった。同姓同名であることから愛読するようになり、仙台の予備校に通っていた頃に、井上ひさしの講演を聞いたこともある。
「その頃、井上先生に『弟子入りさせてほしい。娘さんのひとりと結婚したい』という手紙を書いたけど、投函できませんでした。あまりにも強い個性に引き込まれてしまうのが怖くて、書かれたものだけと付き合っていくことにしました」と回想する。

 井上ひさしが亡くなったあと、未完に終わった作品が多いことに気づき、作品リストをつくりはじめる。そのリストを井上ひさしを研究する今村忠純さんに見せると、遅筆堂文庫を紹介されたという。
「最初にここに来たのは2012年です。井上先生が集めた雑誌もあり、汲めども尽きない場所だと感じて年に何度か通いました」

 2019年に「井上ひさし研究会」が設立されると、恒さんも幹事になる。遠藤さんはこの際、恒さんに遅筆堂に腰を据えて研究してほしいと思い、町に相談する。その結果、2021年から3年間、地域おこし協力隊の隊員として遅筆堂文庫で働くことになったのだ。恒さんは愛犬のソーニャとともに札幌から単身赴任してきた。

 図書館の仕事をしながら、井上ひさし文献の調査を行う。昨年3月には『井上ひさし著作目録 基本編』を刊行。全刊行書籍を50音順に配列。目次や装丁者・解説者などのデータも詳しく入っており、使いやすい。
「任期中に全エッセイの目録と、対談・講演などの目録を刊行しようと準備しています」と話す恒さんは、水を得た魚のように遅筆堂文庫のなかを自在に泳いでいる。

主に導かれ、書庫の中へ

 頼もしい二人の先導で、閉架書庫に入る。

 集密書架の側面に書かれている分類記号は、前回紹介した「研究室」のものと同じく、井上ひさし独自のものだ。

遅筆堂文庫の閉架書庫

 ただ、一般の閲覧者が手に取ってみられる研究室と異なり、書庫にはより貴重な資料を収めている。分類のうち、A=言語、B=江戸、C=地図、E=文学賞選考本は、研究室にはなくこの書庫だけにある。
「言語、江戸、地図は井上さんの仕事の基本とも云えるもので、特に貴重な本が多いので書庫にだけあります」と、遠藤さんは説明する。F=貴書が書庫にしかないのは当然だろう。

言語に関する本が並ぶ棚

 井上はことばについて、小説やエッセイで多様なアプローチを試みている。なかでもNHKでドラマ化され、のちに演劇にもなった『國語元年』は、近代の日本語の成立の過程を探る作品。私も高校生の頃にドラマを観て、「全国共通の日本語ってこうやってできたんだ」と驚いた。
「ここにある山本正秀『近代文体発生の史的研究』(岩波書店)には、同作のモデルとなった西村茂樹についての記述を細かくチェックしています」と、遠藤さんは云う。

 また、『広辞苑』の各版もある。第3版の扉には「『新村出』がない。『ベクレル』なし。これはマヅイ!」の書き込みがある。

『広辞苑』の書き込み

「新村出は『広辞苑』の編者です。ベクレルは放射能の単位です。この3版が出たのは1985年で、翌年にチェルノブイリ原発での事故が起きます。先を見通していることにゾクッとしました」と遠藤さん。

 江戸の棚には、忠臣蔵に関する約300冊がある。小説『不忠臣蔵』や戯曲『イヌの仇討』で活用された。

 井上は神保町の〈小宮山書店〉から、あるコレクターが集めた忠臣蔵に関する一括資料135冊を購入。それを一冊ずつ丁寧にめくってみると、福本日南『元禄快挙録』のページの間から、新聞の「愛読者くじ」が見つかった。他にも見つかったものを元に、コレクター氏がどんな人物だったかを想像して楽しんでいる(「頁間を読む」、『井上ひさしコレクション ことばの巻』岩波書店)。

 このようにページの間に挟まっているものや本への書き込みを、「痕跡本」として楽しむ変わり者が最近出てきたが、井上はもっと前からそれを実践していたのだ。

 もちろん、紙へのフェティシズムということだけでなく、資料と格闘した作家らしく、この文章には本を集めた先人への敬意も込められている。

書き込みに作家の精神を見る

 地図に関する資料も、集め方が半端ではない。小説『四千万歩の男』を書く際には、伊能忠敬の自筆の測量術の教科書『測遠要術』を200万円で入手したという。

伊能忠敬自筆『測遠要術』

 のちに井上が蔵書を手放すという話を聞きつけて、千葉県が『測遠要術』を含む伊能忠敬関係の資料を譲ってほしいと云ってきた。
「『ほかの本はどうするんですか』と聞いたら、『忠敬の資料以外はまた古本屋に引き取ってもらいます』と言うんです。(略)腹を立てました、このときは。『うちには雑本も多い。だけどこれはみんなわけがあって集めたもので、貴重なものなんです』と怒鳴りました」(『本の運命』文藝春秋)

 このとき千葉県が井上の蔵書をそっくり受け入れていたら、いまの遅筆堂文庫は存在していない。その意味でも、伊能関係の資料は重要なのだ。

 もっとも、右では「200万で入手した」とある『測遠要術』だが、購入した時のたすき状の値札には「九拾万」とある。すべての痕跡を保存するという遅筆堂文庫の原則によって、作家自身の勘違いが判明したわけだ。

 また、R=著作資料にも、ある本を書くために集めた資料をまとめて配架している。たとえば、「樋口一葉」は演劇『頭痛肩こり樋口一葉』などのために集められたもの。
「狸」は小説『腹鼓記』のための資料約80冊。井上は神保町の古本屋に「狸」と「狐」のタイトルが付いた本を集めるように依頼した。「こうして神田から、狸と狐の本が全部消えてしまった(笑)」(『本の運命』)。のちにスタジオジブリがアニメ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』をつくる際、高畑勲監督と鈴木敏夫プロデューサーが遅筆堂に見学に来たという(『ここが地球の中心 井上ひさしと遅筆堂文庫』山形県川西町)。

 棚を眺めているだけでも、興味深い本が次々見つかるし、遠藤さんと恒さんが交互にいろいろ見せてくるので、なかなか先に進まない。嬉しいけど困った。

 書庫見学の最後に、お二人に「お気に入りの資料は?」と聞いてみる。

 遠藤さんが持ってきたのは、『和田芳恵全集』第4巻(河出書房新社)だ。この巻には和田が打ち込んだ樋口一葉の研究がまとまっている。
「『小説が金になるのを、母も妹も待つてゐただらうし、』という部分に赤線が引かれ、『こう簡単に「待たれ」ても困る』と書き込んであります。ここに同じ作家として井上先生が一葉に寄せた思いが見える気がします」

『和田芳恵全集』の書き込み

 一方、恒さんが選んだのは、『チェーホフ全集』全18巻(中央公論社)。井上はこの作家を愛読し、晩年にチェーホフを描いた戯曲『ロマンス』を書いた。全集の各巻の背表紙に手書きで内容を書き込み、使いやすくしている。

『チェーホフ全集』の背表紙

「本文にも傍線や書き込みが多いです。特に『三人姉妹』には膨大な書き込みがあり、それを拾っていけば井上先生の『三人姉妹論』ができるほどです。作家の本質である『笑い』の原点にも関わる蔵書だと思います」

 恒さんはいま、この全集の書き込みの分析を行なっているそうだ。

 なお、フレンドリープラザにはこの閉架書庫とは別の場所に、井上ひさし家から寄託されたノートや手紙類、スクラップブックなどが収蔵されているが、いまのところ公開されていない。整理が進み、順次公開されることを望みたい。

分室の貴重な雑誌群

 井上ひさしの蔵書があるのは、フレンドリープラザだけではない。 

 2008年、山形市の洋菓子店〈シベール〉の本社敷地内に「遅筆堂文庫山形館」が開館した。劇場を含む複合施設「シベールアリーナ」を建てるというシベールの社長の構想に、井上が賛同するかたちで実現した。蔵書は川西町の遅筆堂文庫から約2万冊を貸し出すかたちをとった。

 それを運営する財団の事務局長となったのが、遠藤征広さん。前回述べたように井上ひさしと川西町をつないだ立役者であり、名著『遅筆堂文庫物語』の著者である。私は数年前に、この山形館を訪れて遠藤さんにお会いしている。

 シベールは2019年に経営破綻したが、総合化学メーカーの東ソーが「シベールアリーナ」の命名権を獲得し、2020年に「東ソーアリーナ」と改名。遅筆堂文庫山形館もこれまで通り存続したのは、ひとまず良かった。

 川西町に話を戻す。

 膨大な数のある井上蔵書は、フレンドリープラザだけでは収容できず、別の場所にも置いてある。それが「川西町交流館あいぱる」だ。

川西町交流館あいぱる

 同施設は旧川西町立第二中学校の校舎を活用したもので、同校の校歌は井上ひさしが作詞し、井上と『ひょっこりひょうたん島』などでコンビを組んだ宇野誠一郎が作曲している。

川西町立第二中学校の校歌碑

 その歌碑があいぱるの入り口にあるが、「ひたすら ひとすじ ひたむきに/よく聞き よく読み よく学べ/(略)川西二中に ことばあり」というフレーズが、じつに井上ひさしらしいと感じた。なお、第二中学校は統合されて川西町立川西中学校となったが、この校歌はいまも歌われている。

 作家のゆかりのあるこの施設の2階の4つの部屋に、以前の遅筆堂文庫があった農改センターから蔵書を運び終わったのは、2015年。それ以来、「遅筆堂文庫分室」として閲覧希望者に公開している。

遅筆堂文庫分室の一室

「ここにあるものは雑誌が中心です。井上先生のもとにあった文芸誌から業界誌、時刻表、パンフレット、チラシまで多種多様で、捨てないことへの執念を感じます」と、遠藤さんは云う。私もここには何度か訪れているが、そのたびに物量に圧倒された。

 遅筆堂文庫プロジェクトの阿部孝夫さんが中心になって、コツコツ整理されてきたが、カオスな状態がかなり続いていたらしい。しかし、今回見たところ、雑誌はタイトル別に棚に並べられたり、箱詰めされたりして、全体像が見えてきた。

 多彩な仕事をした作家だけあり、送られてくる雑誌だけでも尋常な量ではない。しかし、井上は自らさまざまな雑誌を入手している。農業、野球、医学、音楽、映画、経済、地域、食べ物、ファッション……。小説やエッセイに利用したものもあったはずだが、それ以上に、目についた雑誌は買い込んでしまう習性があったのだろう。

 図書館に所蔵されている雑誌も多いが、地方で発行されている雑誌やミニコミ、PR誌の類は、入手しようと思っても困難な場合が多い。貴重なものだ。

 また、古書店から届く古書目録も段ボール箱に10箱以上あった。中を見てみれば、井上がどんな本にチェックしたかが判るはずで、関心の向き方を知る手がかりになるだろう。

古書目録を収めた箱

 さらに、鎌倉の井上家にあった蔵書も、井上の没後に定期的に送られてくる。約1万5000冊が並んでいるが、まだまだ増えるらしい。

 そういえば、前に来た時に面白い雑誌を見つけたっけ、と記憶にある場所に行ってみると、見つからない。整理の過程で別の場所に移されたようだ。気になって探し回っているうちに、遠藤さんが見つけてくれた。さすが遅筆堂の主だ。

 その雑誌は『王様手帖』といい、パチンコ屋で配布していた。がんで亡くなったパチプロ田山幸憲の日記が連載されていたことで知っていたが、現物を見るのは初めてだ。表紙の絵はますむらひろし。青山光二や秋山駿の名前があり、中を開くと赤瀬川原平、山田太一、土井たか子らのインタビューが掲載されている。面白い!

『王様手帖』

「でも、井上先生は耳がよすぎて、パチンコ屋にいるとうるさいからやらないと、エッセイで書いていますけどね」と、恒さんが首をひねる。縁のない場所の雑誌でも、どこからか入手しているところがスゴいのだ。

文庫が作家研究を発展させる

 井上ひさしが故郷の町に夢見た「地球の中心」の図書館・遅筆堂文庫。作家が没したあとも、その遺志を継ぐ人たちによって、遅筆堂文庫は存続するだけでなく、日々、成長している。

 毎年の吉里吉里忌には作家を敬愛する人たちが全国から集まり、井上ひさし研究会の事務局もここに置かれている。

 さらに、蔵書を利用することで、井上ひさしの研究が進展している。

 昨年、井上が24歳で書いた戯曲『うま』の原稿があるところで発見された。そのことは、テレビ番組の「開運!なんでも鑑定団」で取り上げられ、ニュースにもなった。

 その原稿の現物は、4月の吉里吉里忌で展示されたが、その際に裏表紙の裏側に井上が執筆年を書き込んでいるのを発見したのが、遠藤さんだった。この戯曲は『うま 馬に乗ってこの世の外へ』として集英社から刊行された。

 同じく昨年、『週刊文春』に連載されたが、単行本化されないままになっていた小説『熱風至る』が幻戯書房から全2巻で刊行された。

 新選組を描いたこの小説のために井上ひさしが集めた資料も、遅筆堂文庫にある。恒さんはこれらの資料を調査し、付箋やメモなどの痕跡をチェックした。その成果を同書の巻末に「参考文献一覧(抄) 井上ひさし旧蔵書より」として発表した。同作を読んで関心を持った人が、遅筆堂文庫で資料を見る際の手がかりになる。

 それもこれも、川西町が井上ひさしの蔵書を全部受け入れ、長年かけて整理してきたおかげだ。1987年の遅筆堂文庫開館から36年が経つが、その間、川西町は方針を変えなかった。選挙のたびに方針が変わる自治体が多いだけに、そのことが稀有に思える。

 フレンドリープラザの人たちも、作家への敬意を持ち続けており、遅筆堂文庫の運営、吉里吉里忌の開催、こまつ座の上演などを行なう。井上関連だけでなく、この施設では演劇、音楽、映画、落語など毎週のようにイベントが開催されており、県内から多くの人が集まる。その点でも「地球の中心」になっているのだ。

 毎年開催される一箱古本市でも、フレンドリープラザのみなさんは出店者やお客さんに対して気持ちよく接してくれる。だから、毎年来たくなるのだ。

昨年の一箱古本市の様子(川西町フレンドリープラザ提供)

 なによりも、自分たちがはじめた一箱古本市というイベントが、子どもの頃から愛読してきた井上ひさしのゆかりの場所で開催されていることが誇らしい。本に関わる活動を続けてきて、本当によかったと思う。

 遅筆堂文庫を守ってきた遠藤さんは、今年3月で定年を迎えたが、新年度以降も週に数日通うことになっている。来年度で地域おこし協力隊の任期を終える恒さんは、「やれることを精一杯やります」と話す。新たに遅筆堂文庫に関わる人が必要になるかもしれない。

 これから先も、遅筆堂文庫という場所が、それを守る人たちによって、ここにあり続けることを願う。この場所はすでに、井上ひさしという個人を超えて、さまざまな人たちが本によってつながる「地球の中心」になっているのだから。

 
 
※本連載中の写真の無断転載・拡散を禁じます。

 
 
 
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

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