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年報『近代出版研究』を創刊しました。在野研究者による書物論集です。

年報『近代出版研究』を創刊しました。在野研究者による書物論集です。

小林昌樹(近代出版研究所)

 

・東京堂で週間ベスト「1位」になったこと
 4月はじめのことなのですが、東京堂書店(神保町すずらん通り)で恒例の、週間ベスト総合の1位に、私が出した『近代出版研究 2022』(皓星社発売)が躍り出て【図1】、出した自分が一番びっくりしました。本屋大賞を受けた『同士少女よ、敵を撃て』などを抑えての1位で、ネット民も「東京堂、こえーよ」と驚いていましたが(おそらく褒め言葉)、ちょっと考えてみると、ここはむしろ「読書人の東京堂」というフレーズが予言として成就している気がします。読書人は万巻の書だけでなく本を読むこと自体にも興味があるようです。

・掲載記事――明治以降、本のこといろいろ
 この『近代出版研究』、外見は学術雑誌っぽいですが、かなり軽く書かれたエッセーもあり、楽しく読めるものが多いです(ガチの学術的論文もあります)。
 題材は、近代の本や読書についてのものをいろいろ取り揃えました。立ち読みの歴史、独学書の歴史、古本の思い出、ハガキ職人系民俗学者の話などですが、なかでも、江戸の大書肆がなぜ明治初期に没落したのかについて、数少ない専門家を招いて話してもらった座談会「明治期に活躍した出版社の近代性とは何か」は、くだけた会話で進んだので、読みやすいかと思います。他にも「図書館」ということばの成立史では、「図書」ということばの意味変化――いまは「書籍」や「本」の同義語となっていますが、最初は違うようなのです――が背景として論じられています。

・書いた人たち――古本つながり
 この4月に創刊した『近代出版研究』創刊号は、私の主宰する同研究所の所報です。研究所といっても、出版史関係の図書・雑誌コレクションと、ちょっとした作業場という構成なのですが、掲載論文の筆者さん達を見ればなんとなくわかるように、私の長年の趣味、古本あつめで知り合いになった方々が大半を占めています。大学教員もおられますが、こちらの方々も古本活動を通じて仲良くなった方がほとんど。古本人脈というか古本フレンズというか。

・使命――近代出版史というか、近代書誌学というか
 実は近代日本の出版を専門として大学にポストを得た人というのは、これまでに2,3人しかいません。いまの我々、本好きが買っている古本のほとんどは、近代古本(つまり江戸期以前の版本や写本でない)なのは皆さん重々承知でしょうが、残念なことに近代出版物を真正面から研究する学問分野が日本にまだ確立していないと、私は見ています。
 ホントなら日本書誌学が近代本を扱ってよさそうなものですが、書誌学が日本に出来た戦前、早々と近代本はオミットされてしまい、書痴・斎藤昌三が改めて近代書誌学が必要だと言ったのが1959(昭和34)年、さらにまた、かの谷沢永一が日本近代書誌学三部作に取り掛かりながら逝いたのは2011(平成23)年のことでした。

・趣味人の活躍し時
 けれど、なにか新しい学問ジャンルが生まれる際には、当然ながら職業的学者はほぼいないわけです。最近できつつあるマンガ学では、実作者やマニア、趣味人がその初期の活動を支えていました。ひるがえって近代本の研究といえば、それこそ古本マニアに大いに期待される、ということになります。
 私は本に関する実務――といっても司書ですが――は結構やったので、今度は本について研究がしたくなり、昨年、私設研究所を作ったのでしたが、一人で研究するだけではちょっとさみしい。そこで知り合いの人々に呼びかけたところ、いろいろな論考が集まったというわけです。1990年前後に日本文学界隈ではやった研究同人誌みたいな感じに仕上がりました。

・この年報をどこで買えるか
 いわゆる査読誌ではもちろんないわけですが、それでもせっかく集まった研究成果を広めたいということで、かねてから「本の本」に意のある皓星社さんに発売をお願いする形で全国にも流通するようにしてもらいました。ISBNもつけてもらっています。刊行頻度が年報なので、委託配本でなく返品可能の注文制となっています。お近くの本屋さんにご注文ください。全国どこの本屋さんでもお取り寄せいただけます。Amazonやhontoなどのネット書店でも買うこともできます。

・「明治文化研究会のようだ」
 知り合いとこの年報の合評会をしたら「年報だからアナールだね」などと言われましたが、いちばん嬉しかったのは「まるで明治文化研究会のような雰囲気がある」というものでした。彼等も大正末の大震災後、古本集めから研究を始めたのです。
 書物論の大家、紀田順一郎さんに献呈したら、お褒めの返信をもらい、これは個人的に嬉しかったことでした。私が若い頃から私淑していた方なので。日本では紀田さんが古本屋探偵小説を開発したのを忘れてはなりませんぞ。
 ともあれ、東京堂で瞬間1位になったのは、雑誌ならではの雑多感があるからかと思います。埋め草のコラム記事などもありますので、どうぞ手に取ってみてください。それこそ「立ち読み」の歴史を立ち読みしてみるのもよろしいかと。

 
 
 
小林昌樹(こばやし・まさき)
 1967年東京生まれ。1992年慶應義塾大学文学部卒業、同年国立国会図書館入館。2021年退官し近代出版研究所主宰。近代書誌懇話会代表。専門は図書館史、近代出版史、読書史。
執筆リスト

 
 
 

近代出版研究 創刊号
発行:近代出版研究所
発売:皓星社
定価:2200円(税込)
判型:A5判並製288頁
好評発売中!
https://www.libro-koseisha.co.jp/publishing/9784774407623/

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県立長野図書館(後編) 奇人が図書館に託したものは  【書庫拝見2】

県立長野図書館(後編) 奇人が図書館に託したものは  【書庫拝見2】

南陀楼綾繁

 2015年に県立長野図書館の館長になった平賀研也さんは、「県立図書館は何のためにあるのか」と考えた。そして翌年、「信州発・これからの図書館フォーラム」をスタートさせ、シンポジウムや講座を行なった。
 そのなかには都道府県立図書館の関係者を集めたシンポジウムや、県内の図書館、博物館、文書館などと連携して地域資源の共有化を図るための場などがあった。そこには当然、県立長野のスタッフも出席する。そこには、「外」からの刺激によって、「中」を変えていこうという平賀さんの目論見があったはずだ。
 一方、資料係の槌賀さんも「所蔵されている資料を再編成したい」という思いがあった。これまで蓄積されてきた資料をどう利用していくべきか?
 二人の問題意識が重なったところで実現したのが、前編で触れた書庫ツアーであり、書庫で見つかった資料を使った展示だったのだ。

 複本の処分についても、ユニークな試みを行なった。一般書の書棚や「PTA母親文庫」で同じタイトルを複数点所蔵していることなどから、1冊を残し、それ以外を除籍(廃棄)する必要が生じた。通常であれば、除籍本を配布するバザーを行なう。しかし、同館では複本の処分じたいを展示にしてしまったのだ。
 2016年11月に開催された「Re’80―バブルでトレンディだった新人類たちへ」は、1980 年代に出版された約 500 冊の除籍本を出版年別に並べ、その年の出来事とともに展示するもの。しかも気に入った本はどれも持ち帰ることができるのだ。
 同時に、同館が行なってきた「団体貸出」サービスから見る「信州の読書活動の歴史」を展示することで、書庫の役割を伝えることにもなった。

 さらに翌年6月には「Re’90s―失ワレタ十年(ロスジェネ)ノムコウ」を開催。今度は1990年代に出版された本が対象だ。
 後になってこの企画を聞いたときに、そんなやり方があったのか! と新鮮な衝撃を受けた。図書館というシステムの中でも、知恵と工夫があれば、まだ面白いことができるのだ。

書庫の中と外をつなげる

 まだ書庫見学の途中だった。
 次に2階へ。ここから4階までは分類ごとに資料が並べられている。じっくり眺めると発見がありそうだが、先を急ぐ。
 ここで一度、書庫から出て、「表」の本館3階に案内される。2019年4月、この階に生まれた「信州・学び創造ラボ」を軸に、県立長野図書館は大きく変わったのだ。
 人と人がつながり、学び合う場として設けられたこのスペースには、「信州情報探索ゾーン」「Co-Learningゾーン」「モノコトベース」がある。
 信州情報探索ゾーンは、本棚に囲まれた六角形の空間だ。そこに並んでいるのは、一見して古い本ばかりだ。
「前身である信濃図書館時代の蔵書や、戦時中に検閲された資料などを、書庫から取り出して並べています。これも書庫の資料の切り出しのひとつです」と平賀さんは云う。棚の本はどれも手に取ってみることができる。千里眼の研究に取り組んだ福来友吉の『透視と念写』(宝文館)なんて本もあった。
 紙の本だけでなく、タッチパネルに触れると、郷土や本に関する情報を呼び出すこともできる。

 正面の棚には、帽子を被った男の写真があり、その隣に和本を収めた箱が置かれている。そこに書かれた文字から、「保科百助」という名前が読み取れる。
 保科百助(五無斎)は信濃図書館の設立に尽力した人物であり、「新田次郎の『聖職の碑』に出てきますよ」と平賀さんに教えられた。新田次郎は長野県の出身だ。そして今回の取材が終わってから、平賀さんの案内で富士見の古本屋〈mountain bookcase〉を訪れると、均一本のコーナーに『聖職の碑』の単行本があったのだ。
 保科は長野師範を卒業後、教員となる。彼が唱えた「にぎりきん式教授法」は凄い名前だが、教員がどっしりと構えて児童の自発性を引き出すというものだ。のちに校長となるが、あっさり職を辞して在野の人になった。生涯独身で、奇人と呼ばれた。
『聖職の碑』にはこうある。
「それからの彼は奇行の教育者と云われるような生活を死ぬまで続けた。信濃の山という山、谷という谷を隈無く歩き廻って採取した鉱物を学校用の標本として整理して売る仕事がしばらく続いたが、県内の学校に一応標本が行きわたればそれで売れ行きは止った。(略)もともとこれは、彼の趣味であって、生活そのものではなかった」

 また、『県立長野図書館三十年史』(1959)によると、保科は早くから図書館の必要性を唱え、信濃教育会が図書館を設立することが決まると、大八車に自分の蔵書1800冊を乗せて運び、すべて寄贈したという。そして1907年(明治40)に信濃図書館が開館した。
 創立の功労者にもかかわらず、保科は図書館の準備委員ではなく、扱いの低い「創立係員」にされた。井出孫六(この人も長野出身だ)は保科の評伝『保科五無斎 石の狩人』(リブロポート)で、この理由を保科が要職になく、日ごろの発言から「あの男は何をしでかすかわからない」と不安視されたからではないかと推測している。

 ちなみに、その後の県立長野図書館の創設の際には、長野市の書籍商・西澤喜太郎が1万3000冊を寄託している。西澤は前回見た「図書購入簿」にあった西沢書店の主だ。これまでは他の資料と混じって分類ごとに配架されていたが、信州情報探索ゾーンでは「西澤喜太郎氏寄贈図書」としてまとめて並べられている。これも書庫からの「切り出し」の成果だろう。

 
信州情報探索ゾーンと保科百助の肖像。報探索ゾーンの書棚が六角形に配置されているのがお判りいただけるだろうか。肖像の右は保科宛に寄贈された漢籍を収めた箱。

郷土資料と保科百助

 ふたたび書庫へ。今度は5階である。
 ここには郷土資料がまとめられている。この書庫の肝とも云える場所だ。
 このフロアは左側、3分の1ほどが網で仕切られており、鍵を開けて入るようになっている。
「ここには以前、古文書が収められていたのですが、1994年に県立歴史館に移管しました」と槌賀さんが説明する。空いた場所には、小林一茶ら信濃の俳人の資料を集めた「関口文庫」「威徳院文庫」などの貴重資料コレクションがある。
 一茶に関しては、代表作『おらが春』(1852年〔嘉永5〕)も所蔵している。他にも俳句や和歌についての資料は多く、長野で詩歌の文化が盛んであることがうかがえる。
 また、県歌になっている「信濃の国」の作曲者である北村季晴の資料の中には、東京音楽学校の学友・滝廉太郎が記したノートもある。

 長野県では戦前に読書運動が盛んで、青年団がその担い手となっていた。それは知識を高めるとともに、国家精神の鼓吹にもつながるものだった。1941年(昭和16)には県立長野図書館が『全村皆読運動について』というパンフレットを発行しているが、その前文には「大東亜秩序の建設」のために文化の水準を高める必要があり、そのために読書推進が必要だと書かれている(国会図書館デジタルコレクションで公開されている)。
 長野と云えば、1998年開催の長野オリンピックの資料もあった。アルバムや関連本はもとより、公式グッズや防寒着までが保管されている。これらを並べるだけでも、展示企画として成立しそうだ。

「こんなものもありますよ」と槌賀さんが取り出したのは、「売上帳 保科百助」と書かれた帙に収まった薄い冊子。保科が鉱物の標本を売った金額が記載されているようだ。
 さらに『MANUAL OF MINERALOGY AND PETROGRAPHY』(1887) という洋書の見返しには、保科が同書を信濃教育会に寄贈した経緯が自身の文字で書き込まれている。同様の文が、現在は信濃教育博物館が所蔵している『TEXT BOOK OF GEOLOGY』(1893)にも書き込まれている。ここでは後者を紹介する。
 それによれば、同書は「五無斎保科百助が明治三十六年中長野県地学標本を帝国大学に献納したる折同大学教授理学博士神保小虎先生よりお移りとして拝受」したものだった。その後、保科は図書館設立のために大半の蔵書を寄贈するが、本書は貴重なものであり、ある理学教師から五円で譲るよう請われていた。

 保科は貧乏で「穀居酒屋よりは毎日々々の催足【促?】なり。市税は滞納の廉により火鉢弐個目醒し(めざまし)時計一個は差押の札の帖【貼?】付しあるなり」という状態だった。 しかし、この本だけを売り飛ばすことはできないと寄贈を決めた。
「貧乏をして見ぬものには此味こそ分らざれ余り心地の善きものには非ず。後に此書を読まんもの其心して一掬の涙を濯がれんには五無斎地下に瞑すべきなり」(引用は『五無斎保科百助評伝』佐久教育会)
 1907年(明治40)にこう記した保科は、その4年後に43歳で亡くなる。その晩年は決して幸せなものではなかったようだ。
 いまこの図書館が利用できるのは、保科のおかげでもあるのだ。そう考えると、この書庫のどこかに保科の魂が漂っているような気がする。


『MANUAL OF MINERALOGY AND PETROGRAPHY』(1887)の見返し

「開かずの間」を書庫に

 平賀さんと槌賀さんはときどき、「あれはどこにあるのかな?」「あ、ここにあったか」などと話している。それもそのはずで、書庫がいまのかたちになったのはつい最近のことなのだ。
 先に触れたように、図書館の3階を「信州・学び創造ラボ」にするのに合わせて、書庫の大整理が行なわれた。そのため、2018年11月から4か月間休館している。
「書庫の各階の構成を変えて、本を移動させました。書棚も分解して運びました。肉体労働の日々でした」と槌賀さんは振り返る。
 
 最大の変化は、これまで「開かずの間」だった6階を書庫にしたことだ。
「それまで床も張られておらず、書庫5階の天井を支える骨組みとパネルがむき出しでした。しかし収容能力が限界に達したため、6階を書庫として使用できるように整備しました」と、槌賀さんは云う。
 2021年4月、書庫6階の工事が終了。そして9月に書庫の各階から抜き出した10万冊を、人力で6階に運び上げたのだ。
「それと同時に各階でも移動があったので、結局40万冊動かした計算になります」と槌賀さん。
 同館の蔵書は全体で約72万冊。そのうち約60万冊が書庫に入っているので、半分以上を動かしたわけだ。想像を絶する大変さだ。いったい何人寝込んだことだろうと、腰痛持ちの私は同情する。しかし、槌賀さんによると「職員はめったにできない作業ということで燃えていましたし、私も筋トレ的に楽しんでいました」とのこと。頭が下がります。

 時間と労力をつぎ込んだおかげで、これまでギチギチだった棚には余裕ができた。今後は購入簿などの記録と、棚の現物を照らし合わせていくつもりだという。
 5年間にわたって同館の改革を進めてきた平賀さんは、任期を終えたいまも書庫にある資料が気になるという。
「戦時中の図書館の記録や戦後のPTA母親文庫の資料などを検証し、展示などで『表』に出してほしいですね」と期待を寄せる。
 図書館の書庫と云えば、いちど形ができたらずっと変わらないという思い込みがあったが、同館では書庫は生きていて、いまも成長中だ。
「今後も書庫の中は変わっていくと思います。きっと完成形はないんでしょうね」と、槌賀さんは笑った。

 
 
 
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一
文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、
図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年
から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」
の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」
の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、
『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』
(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、
編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

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東京都書店商業組合YouTubeチャンネル「東京の本屋さん ~街に本屋があるということ~」開設

東京都書店商業組合YouTubeチャンネル「東京の本屋さん ~街に本屋があるということ~」開設

柴崎王陽(東京都書店商業組合)

東京都書店商業組合は、街なかに本屋がある大切さを伝えるために、YouTube(ユーチューブ)チャンネルを開設しました。チャンネル名は「東京の本屋さん~街に本屋があるということ~」(https://www.youtube.com/c/tokyo-shoten)。

チャンネルでは、東京都内の72店の新刊書店を動画で紹介しています。
中国と深いかかわりを持ち古書も扱う神田神保町の「内山書店」や、渋谷のスクランブル交差点前にある「大盛堂書店」、表参道の「山陽堂書店」など老舗から、「紀伊国屋書店 新宿本店」などの大型チェーン店まで幅広い組合員店舗を取り上げています。

その他、本屋好きの著名人の方々に、読書の楽しさや紙の本の良さ、本屋の魅力を語っていただいています。
お笑い芸人 爆笑問題 太田光さん
ラッパー・ラジオパーソナリティ ライムスター 宇多丸さん
漫画家・イラストレーター・エッセイスト しまおまほさん
モデル トラウデン直美さん
モデル 林芽亜里さん
歴史学者 磯田道史さん
作家 今村翔吾さん
教育評論家 尾木直樹さん
ジャーナリスト 池上彰さん
映画監督 篠原哲雄さん
ラジオドラマ脚本家 北阪昌人さん

更に、映画監督の篠原哲雄氏が手掛ける、今注目の俳優永池奈津子さん主演の独自制作のウェブドラマ「本を贈る」(全9話)も配信しています。わかないづみさんによる主題歌は、本ドラマのための書下ろしです。
あらすじ
街の本屋の一人娘・黒田凪紗(永池南津子)は本が好きで出版社の編集者になり、不況と言われながらも、作家と共に本を生み出す喜びを噛み締めていた。突然の父の死で生活は一変し、母・歌乃(根岸季衣)は本屋を閉めようと言う。お店の準備、仕入れ、配達、赤字経営、二年後の区画整理、改めて現実を知った。やがて本のコンシェルジュ・一ノ関哲弘(矢柴俊博)に出会い、刺激と葛藤の中、書店の人達と本屋に足を運んで貰うイベントを計画する。一方、ブックカフェで出会った天井瑛次郎(福地祐介)と岩佐美玖(米野真織)は、偶然同じ題名の本を読んでいた。運命やいかに?

是非、ご視聴とチャンネル登録をお願いします。

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本日は、YouTubeチャンネルから、神田神保町の「内山書店」を紹介します。他にも、各書店の歴史やこだわりを発信しています。
—–
本の街・神田神保町にある内山書店。そのルーツは中国・上海にあります。
内山書店が中国・上海で誕生したのは1917年。日本から上海へ、目薬の販売員として渡った内山完造さんが、自宅の玄関先で細々と書店をはじめました。当時、日本の租界地だった上海には多くの日本人がいて、彼ら相手に日本の本を仕入れて売るスタイルでした。書店は評判となり、日本人だけでなく中国の人々、なかでも、魯迅や郭沫若など中国の文化人や学者らが足繁く通うようになったといいます。
上海の書店業が成功し、完造さんは自分の弟の内山嘉吉さんに東京で書店をすることを勧めます。それが、1935年に創業した東京の内山書店です。内山書店3代目社長の内山深さんは、「当初は世田谷区で開業しましたが、1年足らずで神保町近くに越してきました。その頃は中国に関する本を中心に販売しており、あまりお客様が来ませんでした」と振り返ります。深さんによれば、「確か一番最初のお客が(取り調べのために訪れた)公安だった」とのこと。その後、日中戦争(1937-1945)が激しくなり、上海の内山書店は撤退せざるを得なくなります。
深さんは、「いま日本では、中国に対する感情があまり良くない部分もあります。しかし中国では、お互いにもっと交流しようという流れができてきています。日本でも、中国の柔らかめの本を若者たちが購入しています。自分が欲しいと思ったものが、たまたま中国のものだったりもします。民間レベルで反日反中関係なく交流していけたらと思います」と語ります。多様なルーツを持つ人同士の理解を深めたい、内山書店創業からの想いはこれからも続いていきます。

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本事業は、東京都中小企業団体中央会より委託を受け、令和3年度 中小企業新戦略支援事業(団体向け)に係る特別支援『新しい日常対応型業界活性化プロジェクト』として、東京都書店商業組合が運営しました。

~~~~~
YouTubeチャンネル「東京の本屋さん~街に本屋があるということ~」
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東京都書店商業組合
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TEL:03-3291-0853
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Mail:kumiai@tokyo-shoten.or.jp

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2022年4月11日号 第344号

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 古書市&古本まつり 第111号
      。.☆.:* 通巻344・4月11日号 *:.☆. 。
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メールマガジンは、毎月2回(10日号と25日号)配信しています。

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━━━━━━━━━━【シリーズ 古書の世界】━━━━━━━━

古本屋四十年(Ⅳ)

                古書りぶる・りべろ 川口秀彦

 今までに二度『街の古本屋入門』の名を出したのは、私が著者を
意識し続けてきたからである。著者の志田三郎は本名石田友三、私
が神奈川古書組合に加入した直後の84年に神奈川組合の理事長になっ
た人である。その年から『神奈川古書組合三十五年史』が出た92年
秋までの8年半で、神奈川組合の新規加入者は約20人いる。組合や市
場の仕事の関係で私はその全員から古本屋になった動機を聞いている
が、10名がはっきりと石田の本の影響が最大の要因だと答えていた。
そうでない人も石田の本を読んでいる人が多かった。石田の次の理事
会の理事となった私が、石田の存在と影響力を意識したのはこの頃で
ある。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=9111

━━━━━━━━━【シリーズ 古書の世界】━━━━━━━━━

古本が繋がる時1

                  樽見博(日本古書通信社)

古本の世界は不思議だなと改めて痛感させられたことが、このとこ
ろ二つ続いたので紹介したい。ある雑誌の記事や、本への書き込み
が、知らないでいた事実を教えてくれた。調べ始めたら次の部屋へ
の扉を開くように、ある古本が別の古本へ繋がっていったのである。
語呂合わせではなく、古書趣味とは考証趣味だと私は考えているが、
古書探求の面白さを実感した。インターネットの普及で古書の売買
の在りようは確かに変化したが、この面白さは何も変わっていない。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=9071

━━━━━━━━━【シリーズ 書庫拝見1】━━━━━━━━━

県立長野図書館(前編) 書庫の「中」と「外」をつなげる

                         南陀楼綾繁

 大学に入った直後に、高校の同級生と一緒に国立国会図書館に行った。
 日本で一番大きい図書館ってどんなところだろうと興味津々、とにかく
書棚の本を手に取ってみたいと思っていた。しかし、入館してすぐその期
待は打ち砕かれる。手続きをして中に入ってみると、どこにも本棚はなく、
中央に大きなカードケースが置いてあるだけだったからだ。
 手持無沙汰にケースを開けて中のカードをめくってみたものの、それ以
上どうすればいいか判らずに、友人と顔を見合せ、そのまま帰ってしまっ
た。何でもいいから1冊選んで請求してみるという頭がそのときは働かな
かったのだ。それが閉架式の図書館との出会いだ。
 その後、図書館や文学館、博物館などに通うようになって、開架として
表に出ている本はごく一部であり、貴重な本は奥にある閉架書庫に収まっ
ていることが判ってくる。
 取材などで書庫を見せてもらえる機会があると興奮した。案内する館の
人もどこか誇らしげだ。書庫には、その館の歴史を伝える資料も所蔵され
ている。
 開架の書棚はその図書館のいわばよそ行きの顔であり、本質はむしろ書
庫にこそあるのではないか。そう思うようになった。
 この連載では、普段は一般利用者が入ることができない閉架書庫に足を
踏み入れ、そこで見つけた本や資料を紹介する。それとともに、書庫内を
知り尽くす館員に、資料の管理や活用について話を聞く。
 書庫という奥の院を拝見することで、私なりにその図書館や文学館の新
たな表情を描ければと思う。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=9149

南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一
文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、
図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年
から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」
の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」
の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、
『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』
(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、
編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

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「コショなひと」始めました

東京古書組合広報部では「コショなひと」というタイトルで動画
配信をスタート。
古書はもちろん面白いものがいっぱいですが、それを探し出して
売っている古書店主の面々も面白い!
こんなご時世だからお店で直接話が出来ない。だから動画で古書
店主たちの声を届けられればとの思いで始めました。
お店を閉めてやりきったという店主、売り上げに一喜一憂しない
店主、古本屋が使っている道具等々、普段店主同士でも話さない
ことも・・・
古書店の最強のコンテンツは古書店主だった!
是非、肩の力を入れ、覚悟の上ご覧ください(笑)

コショなひと 古書ニイロク
コショなひと 古本遊戯 流浪堂
春の神田古本まつり2
コショなひと その時 股旅堂 仕事の岐路
コショなひと 古本うさぎ書林 神田古本まつり密着篇
コショなひと ノースブックセンターOP編

YouTube 東京古書組合
https://www.youtube.com/channel/UCDxjayto922YYOe5VdOKu9w

━━━━━【4月11日~5月15日までの全国即売展情報】━━━━━

https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

※現在、新型コロナウイルスの影響により、各地で予定されている
即売展も、中止になる可能性がございます。ご確認ください。
お客様のご理解、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

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光が丘 春の古本市

期間:2022/03/16~2022/04/15
場所:リブロ光が丘店 リヴィン光が丘5階 東京都練馬区光が丘5-1-1

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横浜ハンズの古本市(神奈川県)

期間:2022/03/26~2022/04/27
場所:東急ハンズ横浜店 イベントスペース(横浜モアーズ6階)
   横浜市西区南幸1-3-1横浜モアーズ

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古書ノ市OLD BOOK&CULTURE FAIR」@阪急MEN’S OSAKA(大阪府)

期間:2022/03/30~2022/04/19
場所:阪急メンズ大阪5Fプロモーションスペース51
   大阪府大阪市北区角田町7番10号

https://www.hankyu-dept.co.jp/mens/event/00954890/?catCode=501002&subCode=502007

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西武本川越PePeのペペ古本まつり(埼玉県)

期間:2022/03/31~2022/04/12
場所:西武鉄道新宿線 本川越駅前ペペ広場

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オールデイズクラブ古書即売会(愛知県)

期間:2022/04/08~2022/04/10
場所:名古屋古書会館 名古屋市中区千代田5-1-12

https://hon-ya.net/

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第3回南大沢古本まつり

期間:2022/04/08~2022/04/14
場所:京王相模原線南大沢駅前~ペデストリアンデッキ~三井アウトレット前特設テント

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書窓展(マド展)

期間:2022/04/08~2022/04/09
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

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平井のはみだし古本市

期間:2022/04/09~2022/04/17
場所:平井の本棚 2階 江戸川区平井5-15-10
   (JR総武線・平井駅北口改札より徒歩30秒)

https://kosho-hanautadou.peatix.com/

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横浜めっけもん古書展(神奈川県)

期間:2022/04/09~2022/04/10
場所:神奈川古書会館1階 横浜市神奈川区反町2-16-10

http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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大均一祭

期間:2022/04/09~2022/04/11
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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アクロスモール新鎌ヶ谷古本市(千葉県)

期間:2022/04/12~2022/04/20
場所:アクロスモール新鎌ヶ谷 1F 中央エレベーター前・中央エスカレーター前
   千葉県鎌ケ谷市新鎌ヶ谷2-12-1

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春の古本掘り出し市(岡山県)

期間:2022/04/20~2022/04/25
場所:岡山シンフォニービル1F  自由空間ガレリア

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ぐろりや会

期間:2022/04/22~2022/04/23
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

http://www.gloriakai.jp/

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本の散歩展

期間:2022/04/22~2022/04/23
場所:南部古書会館 品川区東五反田1-4-4
   JR山手線、東急池上線、都営浅草線五反田駅より徒歩5分

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好書会

期間:2022/04/23~2022/04/24
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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港北古書フェア(神奈川県)

期間:2022/04/27~2022/05/08
場所:有隣堂センター南駅店店頭ワゴン販売
   市営地下鉄センター南駅の改札を出て直進、右前方。※駅構内

http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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浦和宿古本いち(埼玉県)

期間:2022/04/28~2022/05/01
場所:さくら草通り(JR浦和駅西口 徒歩5分 マツモトキヨシ前)

https://twitter.com/urawajuku

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第19回 四天王寺 春の大古本祭り(大阪府)

期間:2022/04/29~2022/05/05
場所:大阪 四天王寺 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18

http://kankoken.main.jp/

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名鯱会(愛知県)

期間:2022/04/29~2022/05/01
場所:名古屋古書会館 2階 名古屋市中区千代田5-1-12

https://hon-ya.net/

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城北古書展

期間:2022/04/29~2022/04/30
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

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西部古書展書心会

期間:2022/04/29~2022/05/01
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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第26回八王子古本まつり

期間:2022/05/01~2022/05/05
場所:JR八王子駅北口ユーロード特設テント

http://hachiojiusedbookfestival.jp/

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春の古書大即売会(京都府)

期間:2022/05/01~2022/05/05
場所:京都市勧業館「みやこめっせ」 京都市左京区岡崎成勝寺町9-1

http://koshoken.seesaa.net/

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東京愛書会

期間:2022/05/06~2022/05/07
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

http://aisyokai.blog.fc2.com/

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反町古書会館展(神奈川県)

期間:2022/05/07~2022/05/08
場所:神奈川古書会館1階 横浜市神奈川区反町2-16-10

http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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杉並書友会

期間:2022/05/07~2022/05/08
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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第45回 古本浪漫洲 Part1 

期間:2022/05/09~2022/05/11
場所:新宿サブナード2丁目催事場 新宿区歌舞伎町1-2-2

https://kosho.co.jp/furuhon_romansu/

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第45回 古本浪漫洲 Part2 

期間:2022/05/12~2022/05/14
場所:新宿サブナード2丁目催事場 新宿区歌舞伎町1-2-2

https://kosho.co.jp/furuhon_romansu/

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BOOK & A(ブック&エー)

期間:2022/05/12~2022/05/15
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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フリーダム展

期間:2022/05/13~2022/05/14
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

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第45回 古本浪漫洲 Part3 

期間:2022/05/15~2022/05/17
場所:新宿サブナード2丁目催事場 新宿区歌舞伎町1-2-2

https://kosho.co.jp/furuhon_romansu/

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日本の古本屋メールマガジンその344 2022.4.11

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 東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
 URL  http://www.kosho.or.jp/

【発行者】
 広報部:志賀浩二
 編集長:藤原栄志郎

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県立長野図書館(前編) 書庫の「中」と「外」をつなげる  【書庫拝見1】

県立長野図書館(前編)  書庫の「中」と「外」をつなげる  【書庫拝見1】

南陀楼綾繁

 大学に入った直後に、高校の同級生と一緒に国立国会図書館に行った。
 日本で一番大きい図書館ってどんなところだろうと興味津々、とにかく書棚の本を手に取ってみたいと思っていた。しかし、入館してすぐその期待は打ち砕かれる。手続きをして中に入ってみると、どこにも本棚はなく、中央に大きなカードケースが置いてあるだけだったからだ。
 手持無沙汰にケースを開けて中のカードをめくってみたものの、それ以上どうすればいいか判らずに、友人と顔を見合せ、そのまま帰ってしまった。何でもいいから1冊選んで請求してみるという頭がそのときは働かなかったのだ。それが閉架式の図書館との出会いだ。
 その後、図書館や文学館、博物館などに通うようになって、開架として表に出ている本はごく一部であり、貴重な本は奥にある閉架書庫に収まっていることが判ってくる。
 取材などで書庫を見せてもらえる機会があると興奮した。案内する館の人もどこか誇らしげだ。書庫には、その館の歴史を伝える資料も所蔵されている。
 開架の書棚はその図書館のいわばよそ行きの顔であり、本質はむしろ書庫にこそあるのではないか。そう思うようになった。
 この連載では、普段は一般利用者が入ることができない閉架書庫に足を踏み入れ、そこで見つけた本や資料を紹介する。それとともに、書庫内を知り尽くす館員に、資料の管理や活用について話を聞く。
 書庫という奥の院を拝見することで、私なりにその図書館や文学館の新たな表情を描ければと思う。

いざ、県立長野図書館へ!

 最初に訪問したのは、長野県長野市にある県立長野図書館だ。
 2021年12月の初め、新幹線で長野駅に着くと、前館長の平賀研也さんが車で出迎えてくれた。平賀さんは企業での仕事を経て、2001年に長野県伊那市に移住。2007年に公募で伊那市立伊那図書館の館長となった。その後、2015年4月~20年3月まで県立長野の館長を務めた。現在は各地の図書館に関するプロジェクトに関わりながら、「たきびや」という謎の活動をしている不思議な人だ。
 平賀さんとはその2か月ほど前に茅野市で行われた「まちライブラリー」関連のトークイベントで一緒だった。その際、図々しくも「県立長野の書庫を見せてください」とお願いしたところ、「いつでもどうぞ」と云ってもらえた。
 こんなに簡単に書庫拝見が実現したのは、平賀さんに私が信頼されたから……では残念ながらなく、平賀さんの館長時代から県立長野が「書庫を生きたものとして活用する」ことに取り組んできたからだ。あとで述べるように、思いもかけないしかたで、さまざまな人が同館の書庫に入っている。

 今日の長野市はいい天気だ。5分ほど走ると、県立長野図書館に到着した。いかにも図書館らしい重厚な建物だ。若里公園に面しており、隣にはコンサートなどを開催する県民文化会館がある。
 館内の事務室を訪れると、槌賀基範さんが出迎えてくれた。北海道室蘭市生まれで、信州大学で歴史学を学ぶ。2002年に長野県の司書として採用され、県立長野図書館に配属される。途中、県立高等学校の図書館勤務となった3年間以外はずっと同館で勤務してきた。現在は資料情報課資料係として、書庫内の資料を知り尽くすエキスパートだ。温厚な人柄で、なにを聞いても丁寧に答えてくれそう。口から先に生まれたような平賀さんとは対照的だ。この二人がいたら、鬼に金棒ではないか。
 挨拶もそこそこに書庫に案内される。
 同館は1929年(昭和4)に長門町で開館。現在とは長野駅をはさんで反対側、善光寺近くの文教地区にあった。現在は長野市立長野図書館がある。最初の館は3階建てだった。1979年に現在の場所に移転し、新図書館を建設。地上3階、地下1階建て。それに対して書庫は地上6階、地下1階である。
 しかし、6階は開館以来、なににも使われていない「開かずの間」だったという。書庫の入り口にある「書庫案内」には、5階までしか表示されていない。しかし、その上には紙が貼られて訂正されている。新しい「書庫案内」を見ると6階までが使われているのだ。これはどういうことだろう? 疑問を抱きつつ、まずは地下に足を踏み入れた。
 中に入ると、整然と並ぶ書棚が我々を迎える。資料を保存するため、照明は抑え目だ。

地下書庫に潜入

 ここでまず見せてもらったのは、「PTA母親文庫」をはじめとして団体貸出などで使用していた図書の棚だ。PTA母親文庫は1950年に開設されたもので、県内の何か所かに「配本所」を設置し、そこを通じて学校のPTA会員向けに図書を貸し出した。当時、婦人層が本に接する機会は少なかったため、母親文庫の活動は大きな支持を集めたという。同じ本を複数冊購入して貸し出していたが、現在は1冊ずつ所蔵している。
 このフロアには一般書が並ぶ棚もある。1950~80年代ごろの小説やエッセイが中心のようだ。内田百閒、尾崎一雄、佐多稲子らの本もある。手近な1冊を抜いて裏見返しを見ると、貸出カードを入れるポケットが貼られており、そこには「本を大切に 返す期限に遅れぬように」と大きく、「読書とともに 観察思考の力を 養わなければならない」と小さく書かれていた。
「新聞もありますよ」と誘われたところには、「信濃毎日新聞」の原紙綴りがあった。現存する新聞では県内で最も長く続いている。他にも県内発行の新聞は多い。また、地域面があることから朝日新聞、読売新聞などの原紙も保存されている。
 さらに、16ミリフィルムを入れたケースが並ぶ棚もある。県政ニュース、農業や漁業、議会、学校、松本城など、さまざまなテーマの映像だ。こういうフィルムを上映会で観たことがあるが、いろんな発見があって面白い。

 館内には未整理の業務資料も多い。箱の一つを槌賀さんが開けると、そこには同館の歴史を語る資料が詰まっていた。手書きのものが中心で、経年により古びてはいるが、この世に1冊しかない貴重な資料ばかりだ。
 開館から10年間の「図書館統計表」には、毎年の来館者などが記録されている。
 手書きで記されている、戦前の「図書購入簿」。同館の前身は1907年(明治40)に設置された信濃図書館だが、1925年(大正14)の購入簿を見ると、1冊目の『現代戯曲全集』に続いて、2冊目以降に宮武外骨が自分の出版社・半狂堂で刊行していた『震災画報』『面白半分』『変態知識』など12冊が並ぶのが面白い。どういう購入基準だったのか?
 また、県立長野になった1929年(昭和4)の図書購入簿を見ると、「供給者」として〈西沢書店〉が見える。同店は現在も営業しているとのこと。同店の店主・西澤喜太郎についてはあとでも触れる。
 1945年の「当直日誌」もある。8月15日の項を見ると、「異状なし」と終戦の日でも淡々と記されている。
 これらの資料をめくっていると、たちまち時間が過ぎてしまうが、まだ書庫めぐりははじまったところなのだ。

 
信濃図書館の『図書購入簿』(第2号、1925年4月)と、その1ページ目。二行目に「外骨」「半狂堂」の名前が見える

クロっぽい本が次々に……

 階段で1階に上がる。ここには児童書、信濃図書館時代の本、戦前の本などがあり、いわゆるクロっぽい本が目に付く。
 児童書の棚には、宮沢賢治の『風の又三郎』の年代も出版社も異なる版がずらりと並ぶ。
「『注文の多い料理店』は終戦後に文章が一部差し換えられているのが判ります」と、平賀さんは云う。
 同館では2017年から月1回「館内見学ツアー」を開催。毎回、テーマに沿って、館員が書庫を案内した。そこでも児童書は人気だそうだ。
 このツアーの一環として、なんと「古本セドリツアー」まで開催。プロの古本屋さんをゲストに招いて、書庫にある珍しい本を探すというものだ。もちろん、それらの本が買えるわけではないのだが、「客の目」になって本棚を見渡すのは新鮮な体験だったと思う。

 別の棚には、「出版物差押通知接受簿」が収まっていた。1933年(昭和8)5月から1944年(昭和19)2月までの期間に差押対象となった図書、雑誌、新聞の内容、問題になった個所が詳細に記録されている。
 それとともに、処分の対象となった図書や雑誌の現物も何点かあった。たとえば、『改造』1939年(昭和14)8月号では、論文の一部が切り取られている。当時の検閲の実態を示す貴重な資料だ。なお、「出版物差押通知接受簿」は「信州デジタルコモンズ」で公開されている。
「以前、別の調査で書庫に入った際、この記録を見つけました」と槌賀さんは云う。平賀館長に提案し、2015年8月に企画展「発禁1925-1944 戦時体制下の図書館と知る自由」が開催された。出版・表現の自由への関心を持つ見学者が全国から集まったという。


「出版物差押通知接受簿」。中には、差押年月、書名、接受日、取扱者名が記載されている

 また、同年12月には「GIFT 子どもの世界が変わった時―進駐軍とともにやってきた児童書と戦前・戦中・戦後―」展を開催。館員が書庫を整理中に、児童書に押された「GIFT」のスタンプを見つけたことから生まれた企画だ。連合国軍最高司令官総司令部の民間情報教育局が全国23か所に設置した図書館であるCIE図書館と、そこから移行したアメリカ文化センターについての展示だった。
 このとき展示されたなかに、CIE図書館のPR用に同館で配布した栞がある。その裏には「最寄りのCIE図書館に行く習慣をつけませう。どの図書館も皆さんと関係深い事柄―保健、政治、音楽、農業、機械、織物、科学、家庭等々―に関する書籍、雑誌、パンフレツト等をたくさんとりそろへて、皆さんの御利用をお待ちしてゐます」とある。
 具体性のある呼びかけは、アメリカらしいなと思う。戦前の日本の図書館では利用者へのこういったアプローチは、ほとんどなかったのではないか。

 書庫の資料を企画展という形で書庫の「外」に出した根底には「県立図書館は何のためにあるのか」という平賀館長の問題意識があった。
「それまでの図書館は本を所蔵することには熱心だったけど、その利用についての議論が足りなかった。書庫の資料をテーマごとに切り出して、『外』で見せることが必要だと思いました」と平賀さんは云う。
 書庫の「中」と「外」にある壁を壊し、両方をつなげることで、これまでと違う図書館のかたちが見えてくるのではと考えたのだ。

(次回に続く)

 
 
 
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一
文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、
図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年
から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」
の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」
の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、
『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』
(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、
編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

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県立長野図書館
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Copyright (c) 2022 東京都古書籍商業協同組合

古本屋四十年(Ⅳ)

古本屋四十年(Ⅳ)

古書りぶる・りべろ 川口秀彦

 今までに二度『街の古本屋入門』の名を出したのは、私が著者を意識し続けてきたからである。著者の志田三郎は本名石田友三、私が神奈川古書組合に加入した直後の84年に神奈川組合の理事長になった人である。その年から『神奈川古書組合三十五年史』が出た92年秋までの8年半で、神奈川組合の新規加入者は約20人いる。組合や市場の仕事の関係で私はその全員から古本屋になった動機を聞いているが、10名がはっきりと石田の本の影響が最大の要因だと答えていた。そうでない人も石田の本を読んでいる人が多かった。石田の次の理事会の理事となった私が、石田の存在と影響力を意識したのはこの頃である。

 もっとも、最大の要因だと答えた10人のうち現在も組合員でいるのは2人だけで、その2人とも、とっくに店舗をやめて無店舗通販のみの古本屋になっている。『三十五年史』を出した時の組合員は169名、増減があって現在は104名、そのうち92年から続いているのは42人、店舗営業を続けているのは27人である。92年の頃には無店舗だと組合加入を原則として認めていなかったから、この30年の間に街の新刊屋がなくなった以上に街の古本屋もなくなっているといえる。小資本で始められる古本屋だから、うまく行かない時に転業を決意しやすいのかも知れない。

 神奈川というのは古本屋の営業形態の新機軸が出てくる土地柄なのか、80年代に『街の古本屋入門』の影響下にあるような小資本型の古本屋、90年少し前からロードサイド型といえる「古本小屋」などのチェーン店とその系譜につらなるブックオフ、インターネット通販では今世紀初め頃からの紫式部、いずれも神奈川が発祥のようだ。

 紫式部については良く知らないが、最初の頃のその事務所の住所は当時の私の自宅から30mも離れていない場所だった。そこは私と同年輩の女性が始めた古本屋で、90年代後半の創業の組合員だったが、彼女が間もなく病を得てからは会えなくなり、紫式部との関係については聞いていない。店自体も10年は続いていないで、閉店後に亡くなっている。

 私が組合員になった80年代半ば、神奈川組合には他業種転入組だが古本屋商売についての理論家と思える人が2人いた。1人は石田だが、もう1人は牧野誠という、石田よりは少し年上の人である。東京町田の古本屋高原書店がその広さで話題になりだした80年頃、横浜の繁華街伊勢佐木町の商業ビルでワンフロア80坪ほどの先生堂書店という広い古本屋をやっていた。私と牧野は横浜南支部という同じ支部所属で、その頃はまだ週1回やっていた南支部の支部市や、週2回の本部市で何回か話を聞いたことがある。古本業界は外への発信力を強化すればもっと儲けられるというようなことを聞かされたと覚えている。石田とはソリが合わなかったようで、2人の口論の現場に居合わせたこともある。石田理事会の後半に先生堂を人に譲り、牧野は組合を脱けて、非組合員として「古本小屋」チェーンを始め、そこから「ぽんぽん船」という古本屋チェーンが派生した。「古本小屋」「ぽんぽん船」の成功を見ていた坂本孝が牧野にロードサイド型古本チェーン展開のノウハウを聞いて相模原にブックオフの1号店を始めた。坂本と牧野ではチェーン系古本屋をシステムとして売るところは同じでも、牧野はまだ本という商材に坂本より愛着があったと思えた。牧野先生堂から出た古本屋が2人、今も神奈川組合で活躍中である。1人は数年前に自社ビルを持つまでになった長倉屋書店長倉健之、もう1人は現在の神奈川組合理事長の藤沢湘南堂西嶋 聖光である。西嶋は今は無店舗だが、一時は100坪規模の店を複数を持つ、多店舗・大型店展開の神奈川の筆頭古本屋だった。その店員からは現在も店舗営業をしている組合員の古本屋が6、7人出ている。非組合員として古本屋を開業したのはその倍近くいると聞いたが、そちらはほとんど古本屋は廃業しているらしい。牧野も石田も坂本も亡くなってしまったし、こんな神奈川組合史外伝みたいなことはここいらで終りとしよう。

 本物の『神奈川古書組合三十五年史』は、小田原の高野書店を中心として、多少の準備期間のあと、石田理事会の86年に発刊を決定し、商業協同組合発足後三十五年目の88年に発行するつもりだったのだが、実際に出たのは92年になっていた。本格的な編集執筆作業に入ってから満6年はかかってる。私も編纂委員の1人として分担執筆に参加し、編集者経験もあったことから、全体的な編集実務についても仕事を任されて「序にかえて」まで書いている。組合前史を入れたら三十五年ではなく六十五年史でもよかったのだが、戦前の神奈川の市場に2系統あって、多少の時間的なズレがあるので、誰もが異論のないところで、商業協組になってから三十五年という表題にしたのだ。

 この組合史編集には石田友三も参加している。石田と私が編集委員として並んだ本がもう1冊あって、そのことも私が石田を意識する大きな原因になっている。その本のことを書く前に、私の屋号についてもう一度。「りぶる・りべろ」は“自由な本屋”の欧文訳である。なぜ自由か、60年代末から70年代にかけての時期、自由という言葉の重さを思い、自由社会主義者評議会という団体のメンバーになったりしていたからだ。その団体は準備会のまま終ったが、簡単に言うと絶対自由主義というアナキズムに憧れていたのだ。石田と私が今世紀になる前後に編集委員となり、2004年に刊行されたのは『日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版)という本である。

 石田は95年に影書房から『ヨコ社会の理論—暮らしの思想とは何か』という本を出した。貰ったのか買わされたのか忘れたが、すぐに読んで、この元理事長は、いつもはパワハラ気味なのに根はアナキストなのかと思ったものだ。日常生活のアナキズム的な過し方を提唱している本である。この頃から非暴力をテーマとするアナキスト向井孝らとのつきあいが始まっていたのだろう。

 私とアナキズムとの関係は、60年代後半の学生時代に、マルクス主義の中でも前衛主導型ではないヨーロッパ・マルクス主義に魅かれていて、同じように評議会社会主義を唱える自由社会主義、いわゆる無政府主義とは少し違う理論形成をしようとするアナキズムに展望を見つけ、そうしたアナキストとつき会い出したのが始まりである。70年になって、麦社という全国規模のアナキスト団体の実務担当の若手労働力として数年間運営委員をやっていた。生活手段としての薔薇十字社などでの編集者稼業を表とすれば、裏ではボランティアとしてアナ系団体の仕事を週1、2回やっていた。薔薇十字社というのは、澁澤や種村などの著者たちも経営陣もアナーキーといえる人たちだから、そんな二重生活もさして矛盾を感じることはなかった。その二重生活の中から、私の古本屋への道が少しずつ築かれていたのだろう。

 薔薇十字社の先輩社員で営業担当の石井康夫という人が、下北沢に移る前の、確か早大正門通りにあった古本屋の幻游社でバイトをしたことがあり、店主の長沢久夫が薔薇十字社に来訪したり、こちらから下北沢へ訪ねたりして古本屋話を聞いていた。丸山たちと私が祐天寺のあるご書店の棚を作っていた頃には石井は日吉に本店のある古本屋誠文堂のできたばかりの戸塚の支店の店長をしていて、店主の内山勇夫を紹介された。内山はまだ開業して5年ほどで、古本屋開業についてのアドバイス、体験談を具体的に話してくれた。

 麦社の方では、麦社パンフレットの納品先として、後から新刊屋修業をさせてもらうことになる文鳥堂四谷店や模索舎、神田ウニタだけでなく、新丸子の古書店甘露書房にもよく行った。創業店主の高橋光吉は戦前はアナキズム系の労働運動の有力な活動家だったし、戦後は46年にアナキスト連盟に加わり、60年安保の頃は秋山清、大沢正道、向井孝らと自由思想研究会を結成、自店を発売元としたアナ系の出版物を出していた。また、それ以外のアナ系のパンフも置いていた。その頃、アナキズム文献を捜すなら甘露書房という定評があった。

 まったく礼を失しているのだが、私はこの東横線の古本屋2人、高橋光吉と内山勇夫の葬儀には参列していない。内山の時は組合の催事の仕事がはずせず、体調もよくなかったので不義理をした。高橋の時は意図的に行かなかった。組合に入ったばかりで古本屋に専心しよう、アナキズムから少し離れようと思っていて、アナ系の知り合いに会いたくない時期だったのだ。今はアナ系の人達とつき合っているのだから、まったく申し訳ないことをしたと思っている。誠文堂(移転した)は内山夫人が、甘露書房は子息と孫が店を継いで現在も営業を続けているがアナ系の本はないようだ。


神奈川古書組合三十五年史(1992年刊)

日本アナキズム運動人名事典(増補改訂版, 2019年刊)
書影は増補改訂版。2004年刊の元版の時から編集委員が、
半減したので、これには私の名は残ったが、石田友三の名はない。

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2022年3月25日号 第343号

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☆INDEX☆
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1.『「第一藝文社」をさがす旅』         早田リツ子

2.『古本スタイル創刊!』             林 哲夫

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━━━━━━━━━【自著を語る(288)】━━━━━━━━━━━

『「第一藝文社」をさがす旅』          早田 リツ子

 2015年春、当時コロンビア大学の東アジア図書館で働いていた友
人から、北川冬彦の『純粋映画記』を出版した第一藝文社について
問うメールが届いた。北川が滋賀県大津市の出身であることは知っ
ていたが、彼の著作を刊行した出版社が大津にあったというのは初
耳だった。友人は詳しい情報を求めていたわけではないので、ここ
で「わからない」と返信すれば済む話だったのに、いま思えば何か
の力が働いたかのようにもう少し調べてみようと思い立ったのだ。

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https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=9060

『第一藝文社をさがして』 早田リツ子 著
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━━━━━━━━━【自著を語る(289)】━━━━━━━━━━━

『古本スタイル創刊!』               林 哲夫

やっぱり、雑誌がやりたくなるのです。昨年末に『古本スタイル』
という古本好きの雑誌を創刊しました。岡崎武志、山本善行らと発
行していた同人誌『sumus』が13号をもって休刊したのが2010年です
から、そろそろ何かやりたくて、雑誌の虫がウズウズしていたのは
間違いありません。

そこへもってきて世界の終末を見るような新型コロナ騒動です。
それまでは、『sumus』が休刊する直前(2009)に京都で善行堂とい
う古本屋をはじめた山本善行も、古本ソムリエと自他ともに許し、
その弁舌と同じように絶好調で古本商道まっしぐらでした。ところ
が、一転、地獄を見たのです。一時は「店を閉めようかと思う」と
悲壮な面持ちで語ることもありました。それでも〈善行堂倶楽部〉と
いう「おすすめ古本直販システム」(要するに古本おまかせ弁当です
ね)をひねり出しては、かろうじて日々を乗り切ってきたのです。

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━━━━━━━━━━━━━【次回予告】━━━━━━━━━━━

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内容
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②ドラマ『本を贈る』篠原哲雄監督(全9話)
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━━━━━━━━━【日本の古本屋即売展情報】━━━━━━━━

3月~4月の即売展情報

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日本の古本屋メールマガジン その343・3月25日

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古本が繋がる時1

古本が繋がる時1

樽見博(日本古書通信社)

古本の世界は不思議だなと改めて痛感させられたことが、このところ二つ続いたので紹介したい。ある雑誌の記事や、本への書き込みが、知らないでいた事実を教えてくれた。調べ始めたら次の部屋への扉を開くように、ある古本が別の古本へ繋がっていったのである。語呂合わせではなく、古書趣味とは考証趣味だと私は考えているが、古書探求の面白さを実感した。インターネットの普及で古書の売買の在りようは確かに変化したが、この面白さは何も変わっていない。

私が編集している『日本古書通信』の関西の読者から、アナーキスト詩人だった向井孝と山口英の戦前の俳句誌『句と評論』での活動期間を教えてほしいという依頼があった。この二人の詩人の出発が当時台頭していた新興俳句への参加であることを『日本古書通信』や『京大俳句を読む会』会報に私が執筆したのを読まれたからであろう。早速所蔵する三年分ほどの『句と評論』を改めて調べてお知らせした。手元には昭和7年9月の創刊号と10月号、昭和8年の第二巻一号から翌年の第三巻、昭和12年の一年分(巻数表記無し)がある。見て行くと第二巻一号の6号記事に「新興句会小会 常陸笠間田中青牛報」があり、昭和7年11月26日に、茨城県笠間町の青牛邸で参会者十名の句会を開き、高点を得た九名の作品を記録していた。末尾には「午前零時散会。天地三者へ『句と評論』十一、十、九月各号を呈した」とある。陶器で知られる笠間は私の生まれ故郷で我が家の墓もある。歴史はあるが田舎町である。新興俳句始動期に既に笠間にその支部ともいうべき存在があったことに驚愕といっていいくらいの驚きを覚えた。所蔵の『句と評論』は、平成14年に刊行した拙著『戦争俳句と俳人たち』(トランスビュー)執筆時に求めていたが、まだ十代だった三橋敏雄や、先の向井、山口などの作品を調べたのみで、当時はこの小さな記事に全く気が付かなかったのである。

田中青牛という俳人は初めて知ったのだが、この1月号巻頭二人目で「酉の字」というエッセイも寄稿している。『句と評論』でもそれなりの位置にいた俳人と考えられるのである。勿論、この程度では俳句文学事典などに立項はない。その後も毎号「笠間新興句会報」は掲載され、他にも「近江句会」「銀座句会」「七里ガ浜句会」「白山句会」「札幌句会」が出来て行ったようだ。前年昭和7年の9月号にも「漢詩と俳句・続」というエッセイと俳句三句、10月号にもエッセイ「秋の蚊」と俳句四句を掲載している。俳句には「茨城 田中青牛」とある。また、創刊号の裏表紙裏に『合本句と評論』第一輯の広告があり、青牛は「蕪村の一面」と「『日本名勝俳句』を見て」が収録されているようだ。この二編は未所蔵の昭和7年11月、12月号に掲載されたものだろうか。

昭和8年分を見て行くと、9月号に遺影を添えた青牛の追悼特集があってまた驚いた。遺稿「眼白」と、妻田中みぐさの「臨終記」、橋本桂秋の「笠間俳壇と青牛氏」、及び松崎華外、松原地蔵尊、藤田初巳共編になる「青牛句鈔」が掲載されていた。笠間に新興俳句を呼び込みながら数カ月で亡くなってしまったのだ。「青牛句鈔」で青牛の俳句歴が、大正15年夏の『黄橙』、昭和2年秋の『境地』、昭和5年夏の『群青』、昭和5年秋の『新黄橙』、そして昭和6年夏の『句と評論』投句時代と変遷したことが分かった。昭和6年に『句と評論』が出ていたということは、第一巻一号とある昭和7年9月号で体制の変化があり仕切り直しをしたということだろうか。青牛句は百八十句あまりが収録されているが、創刊9月号掲載の句「独居のひとりを襲ふ蚊なりけり」の前に『句と評論』掲載句が十三句ある。

この追悼特集では、青牛が病を得て東京から故郷の笠間の実家に帰り、従来の笠間の俳壇に新風を注いだこと。実家の環境が病気に良くないので町場の桂町に引っ越したこと。それでも結核には勝てず4月25日に32歳で亡くなり、雨の降る翌日、光照寺の荼毘堂に運ばれたこと。戒名は「法心院雄山青牛居士」。幼い子供二人と、やはり俳人である妻みぐさがいたこと、またその「臨終記」を読むと、法政大学出身(私の同郷の先輩ということになる)で、教師をしていたらしいことは何となくわかった。しかし肝心の本名が分からない。

そこで思いついたのが『茨城俳句』(昭和54年)という枕のような近代の茨城県出身と関係俳人のアンソロジーである。所持している筈だが出て来ないので、コロナ休館を終えた地元市立図書館所蔵本を見た。先の『句と評論』追悼記事を元に作品二十句が掲載され、ごく簡単な経歴として本名田中虎雄、明治34年生まれ、教員、前記の俳歴、父悠峯(善治)、兄白甫も作家とある。その父悠峯も妻みぐさも各一頁を当てられている。ただ、これだけではどこの教師であったのか、何を教えていたのかもわからず、まだ具体的な人物像が浮かび上がって来ない。『句と評論』の中核の一人で多くの文章も書き、病を得ながらも帰郷して句会を主宰し共鳴者を集めながらあまりに早い死を迎え、しかも「臨終記」の伝える末期は胸を締め付けられるような哀切極まるものである。もっと詳しく知りたいという気持ちを消すことが出来なかった。
もう一度『句と評論』を見て行くと、昭和8年7月号の俳句欄に「笠間俳壇と田中青牛氏」を書いた橋本桂秋が「五月廿一日石寺村なる青牛氏の墓地に詣る」と題して「枯葉燃して線香つける春の山」という句を出していた。青牛は住まいに近い光照寺で荼毘に付され、葬儀もしたが埋葬は実家のある石寺村(現在笠間市)にあるようだ。田舎によくある田圃や畑のなかにある村の墓地だろう。

私は墓参りを兼ねて笠間に行き、光照寺を訪ねた。真宗大谷派の立派なお寺である。御朱印集めをしている妻に親切に対応して下さったご80歳くらいの住職の奥様に、昭和8年4月にこの寺で葬儀をされた田中青牛という俳人のことを知りませんか、お墓は石寺にあるようですがと、聞いても当然のことながら首を傾げられただけだった。無理もないことで、青牛が最期を迎えた桂町とよばれる地域だけを教えて頂いた。城址のある佐白山の麓、日動美術館や笠間小学校のすぐそばである。

カーナビで石寺の位置は分かった。市街から北に大分離れた山里である。病院に通うにも句会を開くにもあまりに不便である。しかも今を去る90年前、街に出るには数時間を要したに違いない。山の中を車でグルグル回ってみたが、墓らしいものは発見できなかった。

家に帰りグーグルマップの衛星写真で笠間市石寺を見たが、墓場らしきものは見つけられなかった。

調べもここまでかなと諦めかけた頃である。昨年末に石田波郷と石塚知二が主宰した『鶴』の未所蔵分を多く含んだ俳句雑誌の束を古書市場で落札していた。必要と思われる物だけ抜いて、捨てるものを束ねてしばらく放置していた。いよいよ処分しようと最後にチェックしたら、細谷源二が札幌で出していた俳句雑誌『氷原帯』が二部あり、片方は1967年7月号(第二十巻七号)で何と「句と評論・広場」特集を組み、松原地蔵尊、湊楊一郎、細谷源二、砂川長城子、そして田中から姓を変えた関口みぐさが文章を寄せていたのである。みぐさの文章「思い出 たぐり寄せられた綱に」には青牛に関する記載はなかったが、地蔵尊の「『句と評論』創刊より九年迄の展開」は青牛に詳しく触れていた。危うく捨ててしまうところであった。さらに驚いたことに、この号には、みぐさが江原という方に書いた手紙が挟まれていたのである。こんな偶然があるのかと身震いがした。ところが次にあらたな本との出会いが続いたのである(つづく)


『句と評論』昭和8年9月号 田中青牛追悼記事

 
 


『氷原帯』1967年7月号と関口みぐさ(旧姓田中)の手紙

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「第一藝文社」をさがす旅

「第一藝文社」をさがす旅

早田 リツ子

 2015年春、当時コロンビア大学の東アジア図書館で働いていた友人から、北川冬彦の『純粋映画記』を出版した第一藝文社について問うメールが届いた。北川が滋賀県大津市の出身であることは知っていたが、彼の著作を刊行した出版社が大津にあったというのは初耳だった。友人は詳しい情報を求めていたわけではないので、ここで「わからない」と返信すれば済む話だったのに、いま思えば何かの力が働いたかのようにもう少し調べてみようと思い立ったのだ。

 まずは図書館のレファレンスサービスを利用することにした。その結果、参考文献として紹介されていた古書店主山本善行さんの「純粋映画記 北川冬彦」(林哲夫編著『書影でたどる関西の出版100―明治・大正・昭和の珍本稀書』)に出合い、大いに驚くことになる。そこには北川だけでなく伊丹万作や今村太平、杉山平一等の名があり、天野忠、中江俊夫などの詩人の名があった。

 社主中塚道祐(悌治・勝博名義もある)についての詳細は不明のまま、次は国立国会図書館の書誌検索で、第一藝文社の本をリストアップする作業を始めた。それによって刊行書に映画評論、詩集、いけばなの本が多いことがわかってきた。実はこのあたりで、くだんの友人宛に概要を伝えて終わることも考えていた。

 ところでリストは当然ながら発行順につくりたいと思っていたのだが、国会図書館も各地の図書館の書誌も、ほとんど発行年までの記載なので同年内の刊行順がわからない。いま思えば、私的な小レポートが思いがけず長い記録になった直接的なきっかけは、発行日を知るために各地の図書館の蔵書を借り、さらに気になる本を全国各地の古書店さんから取り寄せた結果ともいえそうだ。

 私はこれまで、おもに農山村女性の生活史を聞き書きで記録してきた。その地に結びついて営まれた暮らしの話を聞かせてもらうのは、私にとって時代と地域社会を知るための貴重な学びの機会だった。子守り奉公、女工労働、過酷な農作業、敗戦後の変化へとつづく話の底には、戦争がどっしりと居すわっていることも常に意識させられた。

 第一藝文社をさがす旅をつづけた基本的な動機も、この出版社の主要な社業が敗戦までのほぼ10年だった点にある。大津で創業し、間もなく京都へ事務所を移した個人出版社が、困難な時代にどのような本を出したのか全容を知りたくなったのだ。もう一つは、その後明らかになってくる中塚道祐という人の誠実な人柄と、地主の跡取り息子である出自を嫌い、理想の社会を夢見た生き方に関心をもったからだった。さらに決定的だったのは、中塚の長男修さん(故人)との出会いと協力があったことである。

 修さんから託された資料中の自伝『思い出の記』(私家版)と、中塚が編集していたいけばな流派機関誌によって、彼の個人史と、本と著者に関するエピソードが一度に目の前に現れたのだ。それからはリスト作成をつづけながら、第一藝文社の本を実際に手に取って読んだ。もちろん私にも入手可能なもの、理解できそうなものに限られ、その理解も充分とはいえなかったのだが。いけばな関係にも関心はあったが割愛した。

 戦時体制下で刊行された本を手にすることには、新刊書では味わえない身の引き締まる感覚があった。刊行間もない第一藝文社の本を待ちかねていたように買い求め、傍線を引きながら熱心に読んだ読者との出会いも、古書ならではの感動だった。また「いけばな批評家」としての中塚の活動も注目に値する。「挿花は決して一部階級のものであつてはならぬ」と書いた中塚が、作庭家、いけばな・茶道の研究家として著名な重森三玲に師事し、第一藝文社の社名の相談にものってもらったという結びつきにも驚いた。最初の刊行本は重森の『挿花の観賞』である。

 今回は本に導かれるままに時間をさかのぼる旅だった。第一藝文社を通して多くの出会いがあった。なかでも日本映画の向上を願って労を惜しまず尽力した杉本峻一、中塚の篤実な人柄を尊んだ今村太平や杉山平一、今村の親友日名子元雄(文化財保護の専門家)、厚木たか(『文化映画論』の訳者)、九州の詩人西山明、経済学の本を遺した友人佐久間紀彦などはとくに印象に残っている。また中塚に思想的な影響を与えつつ、自らは自由な生き方を選べないまま若くして世を去った、姉の中塚くめも忘れ難い人である。

 一冊の本が世に出るまでに、さまざまな人の力が注がれていることにいつも胸が熱くなる。今回は資料をさがす段階から、図書館と「日本の古本屋」の検索サイトを通じて全国の古書店さんに助けられた。本が届くたびに「よくぞ持っていてくださった!」と心から感謝した。

 最後に中塚のメッセージを記しておきたい。〈日本はいま戦争をしていないけれど、しかしいま地球上には戦争がある。この地球上の、どの地域に戦争があっても、それは、しんの平和でない〉――本書「いけばなと平和」より。


『第一藝文社をさがして』 早田リツ子 著
夏葉社 定価:2,750円(税込)好評発売中!
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古本スタイル創刊!

古本スタイル創刊!

林 哲夫

やっぱり、雑誌がやりたくなるのです。昨年末に『古本スタイル』という古本好きの雑誌を創刊しました。岡崎武志、山本善行らと発行していた同人誌『sumus』が13号をもって休刊したのが2010年ですから、そろそろ何かやりたくて、雑誌の虫がウズウズしていたのは間違いありません。

そこへもってきて世界の終末を見るような新型コロナ騒動です。それまでは、『sumus』が休刊する直前(2009)に京都で善行堂という古本屋をはじめた山本善行も、古本ソムリエと自他ともに許し、その弁舌と同じように絶好調で古本商道まっしぐらでした。ところが、一転、地獄を見たのです。一時は「店を閉めようかと思う」と悲壮な面持ちで語ることもありました。それでも〈善行堂倶楽部〉という「おすすめ古本直販システム」(要するに古本おまかせ弁当ですね)をひねり出しては、かろうじて日々を乗り切ってきたのです。

かつて善行堂ファンで満員だった店内は、コロナ禁足によって、全国からの客がパッタリと絶え、地元の常連がときおり顔を見せるていどです。店主は、ジャズやクラシックのレコードをかけながら、上林暁か何かをしんみりと読んでいるのです。

コロナ以前から「雑誌、出したいなあ」と善行堂はつぶやくことがありました。小生も、たしかに、腕が鳴ってはいたのです。けれども、実際に編集レイアウトを担当する身としてはもうひとつふんぎりがつきませんでした。「出せたらいいね、誰か若い人がやってくれたらいいんだけどなあ」などとはぐらかしていました。ですが、コロナのどん底で、あまりに閑そうにしている店主を見ていると、もちろん小生自身も、画家として個展など開けない状況でしたので、閑だということに変わりはありません。「じゃ、やりますか!」

そして「二人が雑誌やるなら、うちが版元になりましょう」という有難い提案が善行堂の常連さんからありました。古書とレコードのヘビーコレクター(体育館みたいな書庫を持っておられます)でもある書肆よろず屋さんです。それまですでに小生が『ふるほんのほこり』(2019)と『日々スムーム』(2021)を、善行堂は『本の中の、ジャズの話』(2020)という単行本を書肆よろず屋さんから出させてもらっていましたから、やるとなったら話は早いのです。誌名も三人であれこれ議論したりはせず、メッセンジャーのやりとりだけで、善行堂の提案した「古本スタイル」に決まりました。

雑誌の内容は、二人が古本ネタを書くのは当然として、ゲスト毎号一人を原則としました。創刊号では善行堂へ高校生のときから通っており、現在は立派な古本真人間となった鈴木裕人さんにお願いしました(南陀楼綾繁『古本マニア採集帖』にも登場)。『龍膽寺雄の本』(2020)で読書人をギョッとさせた鈴木さんは「龍膽寺雄と歩く街」と題した詳細な龍膽寺雄読み解き術を執筆してくださいました。古本魂をいたく刺戟する内容です。

善行堂は久々に復活した「善行堂日記」を掲載しました。相変わらず笑わしてくれる。

《画家のAさん、日が暮れてからご来店。善行堂の灯りに誘われて、と言ってくださる。昔は遅くまで開いている店も多かったが、近頃少なくなって寂しいという話から、コロナの話へ。そういえば丸山書店は遅くまでやっていたな。深夜に入れる書店っていいな。
 コロナの話では、若い子もちゃんとマスクをしているのを、そこまで守らなくてもいいのでは、と言い出した。若いんだからマスクなんて外して話すぐらいやないと、などとも言い出す。私は下を向いて聞いていたが、ふと見ると、その人、ほぼマスクを外しているではないか。若い人ではなく、自分が外したいんだ。マスクはしてもらわないと、と言おうとしたけど、もう帰りそうだったので言わないですんだ。》

小生は古本道に迷い込んだ初期の思い出を京都の山崎書店さんとの交遊を中心に書いてみました。コロナ禍の谷間を見計らって、松山〜大分〜鹿児島〜倉敷と古本屋巡りをしましたので、そのレポートも載せました。「本の本」として『オン・ザ・ロード』(トゥーヴァージンズ、2021)を紹介。余ったスペースには「古本クロスワードパズル上級編」(これはちょっと難しいですぞ)、オーウェルの「古書店の思い出(抄訳)」などを埋め込み、これにて一丁上がり。

体裁はA5判32頁および片袖折返し表紙、ともにファンシーペーパー使用でやや高級感を出しました。表紙デザインはあえて古本を避けて、ブリキのヒコーキを配置しました(これも古本市で買ったものですが)。

昨夏、東京オリンピック効果によって、ふたたび患者数が急増し始めたころに着手して、少し収まってきた11月には完成しました。ところがどうでしょう、ご存知の通り、そこからまたもやオミクロン株が猛威を振い始めたのです(さらには変異株も次々と)。しきりに「ウィズ・コロナ」というような掛け声が聞こえます。『古本スタイル』も、無理せずに古本病と共生する、そんな気持で続けて行けたら良いなと思っています。ご希望の方は古書善行堂(http://zenkohdo.shop-pro.jp)まで、よろしくお願いいたします。そろそろ2号の締切も近いのです。

林 哲夫(はやし・てつお)
1955年、香川県生れ。画家、著述家、装幀家。著書に『喫茶店の時代』(ちくま文庫)、『古本屋を怒らせる方法』(白水社)、『本のリストの本』『本の虫の本』(ともに共著、創元社)など。装幀本に『書影でたどる関西の出版100』(創元社)、『花森安治装釘集成』(みずのわ出版)他。

 
 
 
(註1)岡崎武志、山本善行、南陀楼綾繁、荻原魚雷、扉野良人、生田誠、松本八郎らと出していた
 
 
 


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