「和書ルネサンス」展はみどころ満載!

「和書ルネサンス」展はみどころ満載!

印刷博物館 学芸員 中西保仁

江戸初期の源氏物語絵巻から、著名作家による明治期の教科書まで、バリエーションゆたかな作品がならぶ本展は、古書ファンの皆さまはじめ、日本美術からメディア論に関心のある方まで、幅広くおたのしみいただけます。
「日本で出版された本」=和書のうち、今回は古典文学に注目してみました。15世紀にグーテンベルクが発明した活版印刷により、ギリシャ・ローマ古典との再会を果たしたヨーロッパでのルネサンス(文芸復興)とかけて、今回の展覧会タイトルとしています。

会場の構成[全3部]
第1部.『源氏物語』登場―古典の復興
古来、主に寺院を舞台に版木で宗教書を出版してきた日本で、『源氏物語』をはじめとした古典が印刷出版されるようになるのは、ようやく1600年頃からです。木活字を使ったあたらしい複製テクノロジー「活版印刷」によって、京都の上層町人のあいだで盛んに刊行されました。豪商角倉(すみのくら)素(そ)庵(あん)による「嵯峨本(さがぼん)」が代表例といえるでしょう。嵯峨本出版が下火になる慶長末頃から、木版がふたたび古典出版に力を発揮しはじめます。たかまる読書熱に追いつくには活版出版では心もとなかったためと考えられます。この木版本が1650年代以降、江戸出版文化の主役を担うことになります。
一方、メディアのうつり変わりは一筋縄にいきません。中世からつづく大和絵の伝統は、徳川時代にも絵巻などに受けつがれていました。見事な手業(てわざ)による絵巻は鑑賞のためばかりでなく、古典文学を伝えるメディアとしての役割も担っていたのです。杉原(すぎはら)盛安(もりやす)がプロデュースした〈源氏物語絵巻〉「末摘(すえつむ)花(はな)」(重要文化財、期間限定公開)や「夕顔」断簡を通して、『源氏物語』の華麗な世界をおたのしみください。

第2部.出版がささえた庶民のユーモアと悲哀
挿絵入り本がひろく社会に受け入れられていく18世紀前半、出版の中心は京都・大坂から将軍のお膝元である江戸へうつります。江戸出版の華といえば、浮世絵と双璧をなす「草双紙(くさぞうし)」でしょう。
草双紙の著者や画家には、マルチな才能を持つ者も多くいました。浮世絵師が挿絵画家であり、挿絵画家が作家を兼ねたり。たとえば、18世紀を代表する浮世絵師富川(とみかわ)吟(ぎん)雪(せつ)は、本屋を営み錦絵も販売する傍(かたわ)ら、自分で下絵を描き、黒本・青本では物書きとして文章も執筆しています。黒本『三好(みよし)長慶(ながよし)室町(むろまち)戦(いくさ)』でその多才ぶりをご確認いただけます。

第3部.近代作家はどのように誕生したのか
話し言葉と書き言葉の共通化は、近代文学誕生にとって大切な要素です。たとえば、江戸後期の『浮世風呂』や『春色(しゅんしょく)梅(うめ)児(ご)誉(よ)美(み)』にみられた庶民のリアルな会話は、明治期以降、西欧の書物文化の力も借りながら、言文一致運動へと学問的に整理されていくことになります。
日本文学が欧米で紹介される機会が増えたのも19世紀でした。『浮世形(うきよがた)六枚屏風(びょうぶ)』は柳亭(りゅうてい)種彦(たねひこ)の戯作をウィーンで出版したものです。一方で、西洋から招来した新メディアの新聞や雑誌が、のちに20世紀日本文学作品の発表の場となっていきます。「新小説」では言文一致をめざす小説類が、「ホトトギス」では短歌・俳諧が紹介されています。こうした近代文学作品執筆を可能した背景に、あたらしい日本語の普及があります。その象徴が教科書でしょう。西洋由来の近代教育現場で、読みやすい楷書体活字による教科書をつかい、『源氏物語』や『徒然草』が紹介されています。平安期から守り続けられてきた古典を、幼い子どもが教科書でまなぶ日々がやってくるのです。

文学は日本人にとってリレーのバトンのようなものです。活字と版画の競演により、古典というバトンは確実に、古代・中世から徳川時代へ、そして明治期へと受けつがれ、出版文化がみごとに華ひらきます。百年前に誕生した近代文学も、千年前に誕生した古典文学も、印刷出版文化の力を借りて、現代のわたしたちへ継承されてきたのです。多様かつ複層的な進化をみた日本の印刷出版文化の幅と厚みを、ぜひご堪能(たんのう)ください。

ちなみにポスターに登場する「和書を読む」女性。江戸期の本屋の店先で、試し読みする姿をとりあげました(『江戸名所図会』より)。手にする和書は草双紙かもしれないし、流行りの髪型を集めたファッション誌かもしれません。読書を通してあらたな世界と出会う時代のはじまりの象徴といえるでしょう。

washo
「和書ルネサンス 江戸・明治初期の本にみる伝統と革新」
期間:2021年4月17日(土)~7月18日(日)
開館時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
休館日:毎週月曜日
作品総点数:72点(うち海外借用作品1点。他は印刷博物館および国内機関分)
入場方法:オンラインによる事前予約(日時指定券)制です
ホームページ
https://www.printing-museum.org/washorenaissance/

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asahi

「さよなら朝日」

「さよなら朝日」

石川 智也

 羊頭狗肉の書題と言われてしまうかもしれない。
 私は現役の朝日新聞記者だが、オールドメディアから脱出してネットメディアの世界に飛び込もう……などとは思っていない。辞表を叩き付ける前に、裏切り者の汚名を浴びつつ、立つ鳥跡を濁しまくって会社の不都合な真実を暴露してしまおう……とも考えていないい。いまのところ、社を飛び出す気はまったくない。では、何に対しての「さよなら」なのか。
 若い世代にはもはや通じないだろうが、かつて「朝日岩波文化人」という言葉があった。革新勢力やいまの護憲リベラル勢力が言論のよりどころにし、自由や公正を重んじる立場の人たちから支持を集め、まぎれもなく権威があった。だからこそ週刊誌の「朝日叩き」特集は部数を稼いだし、1990年代の「新しい歴史教科書をつくる会」運動は、少なくとも当事者たちにとっては、戦後民主主義や朝日岩波が代表する主流言論に対する挑戦でもあった。

 しかしいまや攻守は逆転した。「リベラル」は世界的にみても、失地を広げるばかりだ。それはなぜなのか。
 7年8カ月に及んだ安倍政権下、6度の国政選挙でリベラル勢力は敗け続けた。そしてそのたびに、「信任なき勝利」とか「議席数と民意には乖離がある」といった負け惜しみを垂れ流してきた。自分たちこそ賢明で理性的で寛容であると信じ込み、安倍・菅政権やトランプやBREXITを支持し続ける人をまるで言葉も通じない者たちかのように腐して愚民視し、不都合な民意を「ポピュリズム」と断じてきた。
 リベラル失墜の原因は、社会で「上下」の分断と不平等が大きく進行しているにもかかわらず、LGBTQやジェンダーや多様性の問題にばかり熱心で(もちろんこれも重要な問題ではあるが)、グローバル化に適応できない国民を見捨てている、と多くの人に認識されてしまっていることにある。

 さらに、リベラルが右派やネトウヨだけでなく多くの人にうさん臭がられているのは、そうしたエリート主義だけでなく、自由・公正・寛容という真にリベラルな価値自体を実は裏切り、ダブルスタンダードでご都合主義的な言動をとっていることに理由があるのかもしれない。つまり、「言っていることとやっていることが違うじゃないか!」と。
 2014年の池上彰コラム問題は自らに不都合な言説を隠微に排除しようとしたことに他ならないし、東京五輪をめぐっては、主要メディアはいまに至るまで、「中止」も含めた開かれた議論を展開しているとは言い難い。朝日、毎日を含め全国紙はすべて東京五輪のスポンサーになっているが、一方では「報道では公正を貫く」と宣言している。

 黄昏れゆくリベラルが「朝日」としてまた昇るためには、従来の報道や論説における矛盾や欺瞞、過ちを直視したうえで、「非リベラル」な体質と「さよなら」し、批判的自己検証によって再生するしかない。
 そうした狙いの下、本書では、「世間にご迷惑をおかけしました」式の謝罪報道、日本版パリテ法報道、憲法9条問題、原発報道、沖縄問題、天皇制について取り上げ、それらをめぐるリベラル言論が実のところ、それぞれムラ社会的同調圧力、セクシズム、立憲主義の破壊、原子力平和利用の推進、米軍基地の固定化、権威主義という、リベラリズムの反対物に転化していることを指摘した。

 いわばリベラル言論にみられる「うさん臭さ」をなんとか可視化した、ということだが、当然ながら、こういう批判はすべて自分に跳ね返ってくる。結局は安全地帯からの遠吠えで「ええかっこしい」じゃないか、とか、腰が引けた内部批判だ、と見られてしまうかもしれない。社内言論の不統一は読者を混乱させる、という指摘もありそうだ。リベラル陣営からは「味方叩きをしている場合か」との声もあるかもしれない。
 しかし、リベラル失墜の原因が、標榜する自由や公正といった価値をひそかに裏切っていることを嗅ぎ取られていることにあるのなら、捲土重来のためには、自らの弱点を見つめるしかない。
 もはやリベラルは挑戦者なのだから。

 日本の新聞ではここ10年ほど、署名記事が増えている。が、記者の名を並べれば並べるほど(近ごろは4人とか5人の署名記事も散見される)、取材者・書き手としての主体性は霧消してしまっている。個の責任が組織に融解してしまった「集団主語」の報道や論説は、日本のメディアへの信頼を減退させる要因になってしまっている。
 本書は論考集であり、ファクトに肉薄すべき社会部系の記者である私の「本務」ではないかもしれない。しかし、逃げずに自らを主語にし、リスクを負った上で、論拠を示し且つ反論に開かれた「論」を提示したつもりである。こうした姿勢こそが、ファクトが容易に「オルタナティブ・ファクト」によって相対化されてしまうこの時代に、意見の異なる者同士の相互批判的言論の場を担保することにつながるのではないか。少なくとも、自社の社論を正面から批判する記者がおり、社内に多様な言論があることを示すことは、言論機関としての信頼をつなぎ留めることにつながり、読者にとっての利益にもなるはずだと、信じたい。
 テーマが多岐にわたった論考集ゆえに、読み通すのは難儀かもしれないが、関心ある章をつまみ食いしていただくだけで十分。ぜひご一読を。

asahi
『さよなら朝日』石川智也 著 
柏書房刊 定価 本体1,800円+税 好評発売中!
http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b561388.html

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『日本の包茎』と古書市場

『日本の包茎』と古書市場

澁谷知美

 『日本の包茎 男の体の200年史』という本を筑摩書房より上梓した。日本人男性の過半数が仮性包茎である。清潔にしていれば医学的には問題がないとされる状態だ。なのに仮性包茎を「恥ずかしい」と感じる男性が多いのはなぜか。そのナゾをさぐるべく、幕末から現代まで、医学書から週刊誌まで、ありとあらゆる包茎にまつわる語りを集めて分析した。

 明らかになったのは、包茎を恥ずかしいと思う感覚はすくなくとも1890年代から存在したこと、その感覚が消えつつあるという指摘が1920・30年代にあったこと、にもかかわらず、恥の感覚をあえて増幅させ、商売のタネにした人びとが戦後に登場したことだった。その人びととは、包茎手術をウリにする美容整形外科医である。彼らのうちのひとりは、包茎は手術すべきという「常識」を「ビジネス」のために「捏造」したと、後年、白状している。

 タイトルにギョっとする方もおられるかもしれない。しかし、自分でいうのもなんだが、内容はいたってまじめである。わたしは女性であり、わたしにとって男性の身体は他者の身体だ。他者に失礼があってはいけないので、調査は真剣かつ念入りにおこなった。だから、男性の読者から「包茎は恥ずかしいという観念が商売のために作られたものだとわかり、長年のコンプレックスから解放された」という声をいただいたときは、ほっとした。

 執筆には12年かかった。時間がかかった理由のひとつが、敗戦から1960年代にかけての資料が不足していたことだった。戦前なら、大学図書館にある医学雑誌や国会図書館にある通俗性欲学と呼ばれるジャンルの書籍にあたればよい。わずかだが自分でも古書店で買い集めた。1970年代以降であれば、大宅壮一文庫に所蔵されている青年誌や大衆誌などが資料となる。だが、そのあいだをつなぐミッシングリンクがなかなか埋まらなかった。

 もちろん、『完全なる結婚』(1946年)をはじめとする、敗戦後に流行したセックス指南書は国会図書館にあり、実際に手がかりとした。だが、それだけでは足りない。当時、大量に刊行されては消えた『夫婦生活』などのカストリ雑誌や『100万人のよる』などのエロ雑誌も見なければ、当時の人びとのビビッドな感覚はわからない。『夫婦生活』は国会図書館にもあるが欠号が多い。『100万人のよる』にいたっては所蔵がない。かといって、わたしの財力では収集するにも限界がある。はて、どうしよう……。

 そうやってグズグズしていた矢先、とある方にコレクションを見せていただけることになった。『夫婦生活』や『100万人のよる』はもちろん、そのほかの類似の雑誌も十分な数があった。いったいどのくらいの資金を投入されたのか。見当もつかない。

 酸化した表紙をそっとめくる。見つけて思わず快哉をさけんだのは、「仮性包茎はそのままで性生活に支障ないか?」という『夫婦生活』1954年1月号の記事だった。仮性包茎は「普段は包茎だが“その時”には包茎でなくなる」ものとして描かれている。問題であるようなないような、仮性包茎はそんなイメージでとらえられていたことがわかった。この号は国会図書館にはない。

 同時代の『夫婦生活』には、「仮性包茎か? いつも早漏気味」という記事、「半包茎なのですがどんな注意が必要でしようか?」という相談もあり、当時、仮性包茎が注目されつつあったことがわかった(同誌1951年6月号および1955年6月号。これらの号は国会図書館にあり)。仮性包茎という概念そのものは戦前から存在するが、ここまで一般向けの雑誌で注目されたことはなかった。

 一方、同時代のほかの資料からは、仮性包茎に手術をすすめる医師はそれほど多くはないこともわかった。そこで、「かならずしも手術がすすめられるわけではないが、仮性包茎が注目されはじめた時代」として当時を位置づけることができた。ミッシングリンクが埋まったのである。

 『100万人のよる』では、1962年刊の7巻8号に載っていた記事「あなた! 性器整形はちよつと待て」に助けられた。60年代に性器整形ブームがあったが、その裏で手術の失敗も多かった。性器を台なしにされた患者は医師に再手術を請うも、「ノイローゼ」と一蹴される。あるいは、場所が場所だけに泣き寝入りを強いられる。そんな悲惨な事例が報告されている。失敗した手術の「尻ぬぐい」、つまり再手術を某大学病院がさせられているとも書かれており、ブームを多面的に見ることができた。くりかえすが、この雑誌は、国会図書館に所蔵がない。

 図書館の資料だけでセクシュアリティの歴史を研究することはできない。図書館は見向きもしないような、古書市場に出回っている性にかんする有名無名の本や雑誌。これらがあってこそ、歴史家は時代を描くことができる。時代の諸相を書き記したものの集積を文化と呼ぶならば、古書市場は文化を支えているのである。

houkei
『日本の包茎 ─男の体の200年史』 澁谷 知美 著
筑摩書房刊 1,760円(税込) 好評発売中!
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480017239/

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2021年5月10日号 第322号

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 古書市&古本まつり 第100号
      。.☆.:* 通巻322・5月10日号 *:.☆. 。
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メールマガジンは、毎月2回(10日号と25日号)配信しています。

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━━━━━━━━━━【シリーズ 古書の世界】━━━━━━━━

神田古書店街 後編

            神田古書店連盟 矢口書店 矢口哲也

 メルマガ読者の皆様、神田古書店街後編です。
前回は古本まつりが始まるまでの神田古書店街の歴史について簡単
に触れました。
神保町の古本屋が活気を取り戻そうと昭和35年に第一回「古本まつ
り青空掘り出し市」を千代田区の共催で開催しました。
神保町交差点の現在の岩波ビルが建つ前の空き地で始まりました。

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矢口書店
http://yaguchishoten.jp/

神田古書店連盟
http://jimbou.info/index.html

━━━━━━━━━【シリーズ 古本マニア採集帖】━━━━━━

第28回 下平尾直さん 出版の出発点に古本があるひと

                      南陀楼綾繁

 7年前、千駄木の〈往来堂書店〉で、藤原辰史『食べること考え
ること』と都甲幸治『狂喜の読み屋』の2冊が並べられていた。店
長の笈入建志さんによると、版元の「共和国」の最初の刊行物だと
いう。その時点ではどちらも知らない著者だったが、造本の良さに
惹かれて前者を買った。その後も池内規行『回想の青山光二』など、
値段は張るが手元に置いておきたい本を出す出版社として印象に残
った。

続きはこちら
/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=6946

南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一
文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、
図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年
から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」
の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。
「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ
・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人を
つなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に
『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、『一箱古本市
の歩きかた』(光文社新書)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、
『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』
(ちくま文庫)、共著『本のリストの本』(創元社)などがある。

ツイッター
https://twitter.com/kawasusu

『蒐める人 情熱と執着のゆくえ』 南陀楼綾繁 著
皓星社刊 価格:1,600円(+税) 好評発売中!
http://www.libro-koseisha.co.jp/publishing/atsumeruhito/

━━━━━【5月10日~6月15日までの全国即売展情報】━━━━━

⇒ https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

※現在、新型コロナウイルスの影響により、各地で予定されている
即売展も、中止になる可能性がございます。ご確認ください。
お客様のご理解、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

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第42回 古本浪漫洲 Part 2 ※5月11日(火)まで中止(12日再開予定)

期間:2021/05/10~2021/05/12
場所:新宿サブナード2丁目広場(催事場)
新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111

http://www.kosho.co.jp/furuhon_romansu/

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第42回 古本浪漫洲 Part 3

期間:2021/05/13~2021/05/15
場所:新宿サブナード2丁目広場(催事場)
新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111

http://www.kosho.co.jp/furuhon_romansu/

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五反田遊古会

期間:2021/05/14~2021/05/15
場所:南部古書会館 品川区東五反田1-4-4

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第42回 古本浪漫洲 Part 4

期間:2021/05/16~2021/05/18
場所:新宿サブナード2丁目広場(催事場)
新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111

http://www.kosho.co.jp/furuhon_romansu/

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第42回 古本浪漫洲 Part 5(300円均一)

期間:2021/05/16~2021/05/18
場所:新宿サブナード2丁目広場(催事場)
新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111

http://www.kosho.co.jp/furuhon_romansu/

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新橋古本市 【中止になりました】

期間:2021/05/17~2021/05/22
場所:新橋駅前 SL広場

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浦和宿古本いち(埼玉県)

期間:2021/05/20~2021/05/23
場所:JR浦和駅西口 さくら草通り徒歩5分 マツモトキヨシ前

https://twitter.com/urawajuku

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趣味の古書展

期間:2021/05/21~2021/05/22
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

https://www.kosho.tokyo

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中央線古書展

期間:2021/05/22~2021/05/23
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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第98回 彩の国 所沢古本まつり(埼玉県)

期間:2021/05/26~2021/06/01
場所:くすのきホール 
(西武線所沢駅東口前 西武第二ビル8階 総合大会場)

https://tokorozawahuruhon.com/

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BOOK & A(ブック&エー)

期間:2021/05/27~2021/05/30
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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和洋会古書展

期間:2021/05/28~2021/05/29
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

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センター南駅・港北古書フェア(神奈川県)

期間:2021/05/29~2021/06/07
場所:センター南駅・港北古書フェア

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城南古書展

期間:2021/06/04~2021/06/05
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

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6月反町古書会館展(神奈川県)

期間:2021/06/05~2021/06/06
場所:神奈川古書会館

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第19回 つちうら古書倶楽部の古本市(茨城県)

期間:2021/06/05~2021/06/13
場所:茨城県土浦市大和町2-1 つちうら古書倶楽部

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杉並書友会

期間:2021/06/05~2021/06/06
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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有隣堂藤沢店4階古書フェア(神奈川県)

期間:2021/06/10~2021/06/23
場所:有隣堂藤沢店4階

http://www.yurindo.co.jp/store/fujisawa/

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書窓展(マド展)

期間:2021/06/11~2021/06/12
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
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好書会

期間:2021/06/12~2021/06/13
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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 次回は2021年5月下旬頃発行です。お楽しみに!
└─────────────────────────┘

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全古書連は全国古書籍商組合連合会(2,200店加盟)の略称です

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日本の古本屋メールマガジンその322 2021.5.10

【発行】
 東京都古書籍商業協同組合:広報部・「日本の古本屋事業部」
 東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
 URL  http://www.kosho.or.jp/

【発行者】
 広報部:志賀浩二
 編集長:藤原栄志郎

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神田古書店街 後編

神田古書店街 後編

神田古書店連盟 矢口書店 矢口哲也

メルマガ読者の皆様、神田古書店街後編です。
前回は古本まつりが始まるまでの神田古書店街の歴史について簡単に触れました。
神保町の古本屋が活気を取り戻そうと昭和35年に第一回「古本まつり青空掘り出し市」を千代田区の共催で開催しました。
神保町交差点の現在の岩波ビルが建つ前の空き地で始まりました。マスコミが多数報道してくれたことで地方からも人が来て、入場制限をするほどの賑わいだったそうです。その後会場を数回変えながら、今では東京都の後援そして数多くの協賛を頂き名称も「東京名物神田古本まつり」となりました。平成15年の江戸開府400年事業を機に、靖国通りに本の回廊が出現する現在の形になり、おかげさまで一昨年60回を迎えることができました。こうして長く続けて来られたのも、近隣の皆様を始め多くの方々のご理解とご協力、そして何より神田の古書店をご愛顧頂いているお客様のおかげと大変感謝しております。昨年の古本まつりは新型コロナ感染拡大防止のため、初めて完全に中止になりました。春には神保町さくらみちフェスティバルとして、桜の咲く週末3日間ワゴンセールを行っていますが昨年、今年と同じくコロナ禍で中止になりました。

神田古書店街では昭和50年に連合目録「古本」を創刊しています。「古本」は平成21年まで30年以上続きました。そして「古本」に代わり平成22年に新たに「神保町公式ガイド」を創刊し、現在10号まで出ています。昨年はコロナ禍で発行を中止しました。
神田古書店街ではお客様のご要望に応えられるよう、古本まつりの際に神保町交差点に古本相談所を設け古書店の有志が応接したり、ハガキに探求書を書いて頂き各書店に回したり、CD-ROM版「神田書店街」の刊行、データベース作成による在庫検索システムなど様々なサービスを展開しました。
そして平成8年の第37回神田古本まつりに合わせて、インターネットのホームページ「BOOK TOWN 神田」を開設しました。ここでは書名や著者からといった検索のみならず、「英米文学」「デザイン」等520に分類されたジャンルからの検索が可能になり、古書店の専門と在庫が分かるようになりました。古書店だけでなく周辺の飲食店やスポーツ用品店なども紹介しました。

そして平成17年「BOOK TOWN 神田」の後継サイトとして高野明彦教授のご協力を得て、神田神保町にある書店や古書店の蔵書から、検索した言葉の集まりをたよりに関心に近い物を探す(連想検索)ポータルサイト「BOOK TOWN じんぼう」が開設されました。
昨年「東京名物神田古本まつり」は中止になりましたが、毎年、東京古書会館で同時開催されていた「特選古書即売展」については、会場での即売を取りやめ、「特別企画 特選古書即売展 出品目録」を発行し、通販でお客様に楽しんで頂けるよう切り替えました。従来の冊子による目録に加え、今回初めてインターネットによる目録をバーチャル特選古書即売展として(https://tokusen-kosho.jp/)配信しています。その中で行われた「今年の神田古本まつりは中止になったので、神田を歩いてみた。」という企画では、即売展に参加している店を動画で紹介することで、ご自宅に居ながら古書店巡りが出来るようになりました。しかも古書店は入りづらいというイメージで敬遠していた方々にも、とても楽しんで頂ける企画です。

そして今年「BOOK TOWN じんぼう」(jimbou.info)はリニューアルします。360度カメラで店内を撮影したパノラマ写真を使ってお店の雰囲気を伝えます。そのほか基本情報、地図など簡単な紹介をすることになっています。取り扱っている商品については各店のページをリンクしますので、ご覧頂けるお店もあると思います。5月リリース予定で現在作成中です。すでに3月半ばには100店舗以上の撮影が終了しています。
コロナ禍での厳しい状況はまだ続きそうですが、神田古書店街も皆様のお役に立てるよう試行錯誤を重ねています。

昨年14号になる「神保町が好きだ!」(発行所:本の街・神保町を元気にする会)では「現代マンガは神保町から始まった⁉」という特集が組まれました。
老舗の和食屋・洋食屋・中華料理店などが立ち並ぶ「グルメの街」であり、大学・専門学校・予備校などが存在する「学生の街」でもある神田には、お茶の水の楽器街、小川町のスポーツ用品街、などほかにも魅力は一杯あります。コロナが収束し、また皆様をお迎え出来る日が来ることを心より祈っております。

参考文献
「神田書籍商同志会史」神田書籍商同志会
「稿本神田古書籍商史 正・続・三編」東京都古書籍商業協同組合神田支部(第一支部)
「東京古書組合五十年史」東京都古書籍商業協同組合 
「神田神保町書肆街考」鹿島茂 筑摩書房
「神保町公式ガイドブックVol.3」神田古書店連盟
「神保町が好きだ!第14号」神保町を元気にする会

矢口書店
http://yaguchishoten.jp/

神田古書店連盟
http://jimbou.info/index.html

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第28回 下平尾直さん 出版の出発点に古本があるひと

第28回 下平尾直さん 出版の出発点に古本があるひと

南陀楼綾繁

 7年前、千駄木の〈往来堂書店〉で、藤原辰史『食べること考えること』と都甲幸治『狂喜の読み屋』の2冊が並べられていた。店長の笈入建志さんによると、版元の「共和国」の最初の刊行物だという。その時点ではどちらも知らない著者だったが、造本の良さに惹かれて前者を買った。その後も池内規行『回想の青山光二』など、値段は張るが手元に置いておきたい本を出す出版社として印象に残った。
 2年前に出版業界紙で、社主の下平尾直(しもひらお・なおし)さんに取材をした。東久留米のファミレスで3時間近い話を聞くと、端々に古本のことが出てくる。この人の根っこには古本や古本屋の経験があるのだろうと感じていたので、今回話を伺うことにした。
 
 下平尾さんは1968年の元旦、大阪府高石市に生まれ、岸和田市に育った。両親と3つ下の弟との4人家族。父は会社員。母は本好きで、本棚には文学全集や美術全集が並んでいた。
 幼稚園のときに読んだ絵本では、「少年がコールタールまみれでひたすら道を歩く」場面がなぜか記憶に残っている。
 小学校に入ると、星新一や司馬遼太郎を読むようになる。『小学4年生』で当時のアイドルの太川陽介が太宰治の『人間失格』が面白いと話していたことから興味を持った。
「母に読んでみたいと云ったら、デパートの本屋に行ったときに、店員さんに『人間失格』ってどうなのって聞くんですよ(笑)。店員が『ちょっと早いかもしれませんね』と云ってその時は買ってもらえず、後で、巡回図書館の車内で新潮文庫の『ヴィヨンの妻』を見つけて読み、むんむんと扇情的な描写に昂奮したのが文学への目覚めでした」
 近所には数軒の新刊書店があり、それらをはしごして、新潮文庫の太宰治を少しずつ買った。さらに芥川龍之介、菊池寛、森鴎外などの短篇集も片っ端から読んだ。
「薄くて安かったからですが、短篇は読んでハッと気づかされるところがあって好きでした。中学に入ると、太宰の『女の決闘』に出てくるクライストやホフマンを岩波文庫で探しました。古典的な海外文学もひと通り読みましたが、同時代のSFやミステリなどはまったく読まなかったですね。古いものばっかりで」
 中学校ではABBAやビートルズなどの音楽にハマり、とくにビートルズはファンクラブにも入った。「25年後に上京してから西武池袋の古書展で、ペンネームで投稿した会報を見つけたんで、すぐにレジに持って行きました(笑)」。
 下平尾さんは私と同学年だが、エンタメ小説ばかり読み、テクノポップとフュージョンばかり聴いていた私と違い、文化の王道を走っていたのだなと感じる。もちろん、どっちかいいという話ではないが。

 中学3年のとき、岸和田の書店で織田作之助『夫婦善哉』(新潮文庫)を見つける。当時、織田作の文庫は新刊でこれしか買えなかった。
「他の書店には置いてなかったから、返品漏れか売れ残りだったんでしょう。最初はあまり面白くなかったけど、阿倍野にある高校に通うようになり、通学途中に織田作の小説の舞台を通ってみたら、ばーっと風景が浮かんできて、一気に愛着が湧きました」
 はじめて古本屋で買ったのも織田作の本だった。梅田の「かっぱ横丁」にあった〈加藤京文堂〉(マンガ家のグレゴリ青山さんがここでのバイト体験を『ブンブン堂のグレちゃん』で描いている)で、『世相』の初版を2000円ほどで買う。
「同書に入っている『四月馬鹿』は、武田麟太郎を追悼した小説です。それで気になって、古書で新潮文庫の『銀座八丁』を買い、その後、大阪球場の一階にあった「なんばん古書街」で『武田麟太郎全集』全3巻(新潮社)を買います。文学とロック以外のものにはまったく関心がなくて、典型的な文系人間でした」
 高校は私立男子校で、制服のない自由な校風だった。下平尾さんは在学中に文化祭の実行委員を務め、プログラムの編集担当係だった。「それが私のはじめて編集した印刷物です。2万部印刷したのですが、もうこれから先はこの部数を抜けそうな気がしません(笑)」。

 1年浪人して、関西大学法学部に入る。現代思想ブームに反発して西洋マルクス主義関係の本を読むうちに、たまたまドイツ文学者・池田浩士の『ルカーチとこの時代』(平凡社)を手にする。
「当時、私の聖地みたいに通っていた〈旭屋書店〉本店で買いました。難しいけど面白かったので他にもあれこれ池田さんの本を読んだら、東アジア反日武装戦線のことが書いてあった。関心を持って大阪で救援運動をしている会に行ってみたら、先日亡くなった水田ふうさんがいて、すでに死刑判決が確定していて、この会ではすることがないよ、と。ふうさんがパートナーでアナキズム詩人の向井孝さんを紹介してくれて、死刑廃止運動の例会に顔を出すようになります。ネクラな文学少年が社会化された瞬間です(笑)。関大駅前にあった〈ボーケンオー〉という古本屋の店主が岡本民さんという運動系のフォーク歌手で、池田さんが関大でも非常勤で教えていると云うので、2年くらい、ふうさんと授業に潜りこみました。そうやって池田さんにも面識を得たのですが、当時から、考え方はマルクス主義、行動はアナキズムと、両方に足をかけてたんですね」
 この頃、金賛汀『朝鮮人女工のうた』(岩波新書)を読んで驚いたことがあった。
「サブタイトルに『1930年・岸和田紡績争議』とあるように、強制連行されて岸和田紡績の工場で働かされた朝鮮人女工のストライキを描いたものですが、最も戦闘的だった春木工場の跡地に、私が通っていた中学が建っていた。ここは小説『岸和田少年愚連隊』の舞台になった中学なんですが、さらに調べてみると、このときストライキを調停した堺警察の署長が武田左二郎といって、武田麟太郎の父だった。奇縁を感じましたね。授業にはまったく出ませんでしたが、こういうことを調べる勉強は面白かった」
 関大の図書館は一時期、書誌学者の故・浦西和彦氏が図書館長を務めており、充実した蔵書で知られる。下平尾さんはその図書館の書庫に通いつめて、手あたり次第に貴重な本や雑誌を読みまくった。並行して、死刑廃止運動のイベントを手伝ったり、日本寄せ場学会の雑誌『寄せ場』の編集委員や「文学史を読みかえる」研究会の事務局を務めたりした。
「この頃は運動と読書が結びついていました。プロレタリア文学や転向作家、戦争作家への関心も生まれ、底辺から社会を見る視点を持つようになりました」と、下平尾さんは振り返る。

 大学1年から朝日新聞社の編集局でアルバイトをし、5年目からは東宝の宣伝企画室でアルバイトをする。「イベントでゴジラの着ぐるみに入ったこともあります(笑)」。留年を重ね、7年生のときに父が亡くなる。「こんな親不孝もありません」
大学卒業後、大阪のデザイン会社でコピーライターとして勤めたあと、池田浩士さんから誘われて、京都大学に新設された大学院の人間・環境学研究科に入る。修士論文のテーマは「底辺下層文学史」。内田魯庵が訳したドストエフスキーの『罪と罰』が、近現代の日本の文学や思想にもたらした影響をたどった。
「池田さんご自身が資料へのこだわりが強烈な研究者で、こちらも負けじと古本屋が目に入ると必ず寄っていました。当時は〈天牛堺書店〉が通学沿線のいくつかの駅構内に出店していて、280円とか580円とかの均一台がしょっちゅう入れ替っていたので、講義に行くふりをしては途中下車して古書店を回るのが日課でした」
 そこで戦前のプロレタリア演劇に関わった大岡欽治の蔵書を見つける。その中には、官憲の目から逃れるためだろう、紙を貼って背表紙のタイトルを隠した本もあったという。
「古書目録もよく送っていただきました。母と2人暮らしの自宅に50冊ぐらい届く月もあったのですが、あとで東京に引っ越すときに転居通知を出さなかったので、母が迷惑して『もう送ってこないように』と連絡した古書店もあったと聞きました(笑)。この場をお借りしてお詫びいたします」
 神保町の〈高橋書店〉の目録にはプロレタリア文学や転向作家が多く載っており、学部時代からよく電話で注文していた。ある年の夏休みに上京したついでに店に寄ったら、狭い通路が本の山だらけで、奥にいた背の高い白髪のおじいさんが日比野志朗『呉淞クリーク』(中央公論社)を差し出した。
「しれっと『ウースンクリークですね』と答えたら、『若いのによく読めたね』と褒めてくれて(笑)。〈中野書店〉の目録で、10年以上探していた山岸藪鴬訳『空中軍艦』(博文館)を見つけたときは嬉しかった。山岸は太宰と親交のあった山岸外史の父で、たしか4万5000円でした。学生時代、大学院時代と、本とレコードだけに金をつぎ込んでいました。大学院時代には日本学術振興会の特別研究員だったのですが、そのころの事務書類を見ると、〈あきつ書店〉〈石神井書林〉〈中野書店〉がずいぶん記載されています(笑)。この時期は、新刊だろうが古本だろうが、買った本はとにかく全部読むことを自分に課していました」

 博士課程に進んで3年目に突発性難聴となり、治らないまま常に耳鳴りに悩まされることになる。
「もうガクッときましたね。耳鳴りで眠れないので睡眠薬とアルコールに依存して、1年ほどは最暗黒時代でした(笑)。とはいえずっとそうしているわけにもいかないと思い直して、大学院は放ったらかして、編集プロダクションに就職しました。作文の通信講座をゼロから立ちあげたり、教育学者の齋藤孝さんの本を編集したりして、2年ほどいましたが、あまりに忙しすぎたんですが、かえってこんなポンコツでも社会で通用するんだと自信がついたというか(笑)」
その後、別の編プロを経て、2007年に東京の水声社に編集者として入社した。同社には7年勤務し、80冊ほどを編集した。そのかたわら、2011年には悪麗之介の筆名でインパクト出版会から『俗臭 織田作之助[初出]作品集』『天変動く 大震災と作家たち』という2冊のアンソロジーを出している。
 2014年に共和国を設立。「池田浩士さんがかつて出していた雑誌が『共和国』だったり、当時お世話になった詩人で翻訳家の管啓次郎さんに『書店という共和国』という素敵なエッセイがあったので」この屋号に決める。下平尾さんが社主である一人だけの出版社だ。文学、芸術、哲学、映画などジャンルを問わず、幅広く出版。これまでに60冊近くを刊行した。
「新しい本をつくるときも、これまでに触れてきた古書の蓄積から考えています」と下平尾さんは云う。「本をつくる出版という行為も、過去に出された無数の本からの引用であることに自覚的でありたい」。10代の頃、新刊で買えない織田作を求めて、古本屋に足を運んだことが思い出される。高見順『いやな感じ』、萩原恭次郎『断片』の復刊や、今年に出た武田麟太郎『蔓延する東京 都市底辺作品集』では、追加収録する資料や下平尾さんが書く解題に、これまで集めて読んできた本から得たものが投入されている。
「武田麟太郎の『暴力』が掲載予定だった『文藝春秋』は、この作品を削除して発行されましたが、『蔓延する東京』の編集中に〈日本の古本屋〉で注文してみたら、届いたのが四半世紀ほど現物を探してきたその無削除版だったんです。こういう偶然や発見があるので、古本と付き合うのはやめられません」

 もうひとつ、古本のおかげだというのが造本のことだ。共和国では創立以来すべての本のデザインを、ブックデザイナーの宗利淳一さんが担当している。
 山家悠平『遊廓のストライキ』の初版では、カバーに遊廓の格子窓のような穴を開けた。これはレッド・ツェッペリンのアルバムの仕掛けを再現したものだという。また、ジョセフ・チャプスキ『収容所のプルースト』をはじめとするシリーズ「境界の文学」の造本は、戦前に刊行されていた「版画荘文庫」に影響を受けているという。下平尾さんが出会ってきた古本やレコードのデザインから得た発想を、宗利さんが具現化していると云える。
「学生時代が長すぎたこともあって世の中に出るのが遅かったし、まして東京に来ても私のことなんて誰も知らないですからね。むしろ気軽に、宗利さんや著者、訳者、友人たちとバンド活動の気分で出版社をやっています。いつまで続くことやら」

 駅から数分の所に自宅兼事務所があるが、自室の押し入れや窓の前にも本の山が出来ており、あるはずの本が出てこないのはしょっちゅうだ。「最近はリビングにも侵食して、足の踏み場もないんですよ」と下平尾さんは云う。そのため、「共和国の本拠で話を聞きたい」という私の願いは、今回も却下された。「共和国の福利厚生施設になってほしい」と下平尾さんが云う居酒屋〈佳辰〉に向かう途中、共和国があるマンションを横目にして、いつかはここにスパイとして潜入したいものだと思うのだった。

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南陀楼綾繁
1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。
「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人をつなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、共著『本のリストの本』(創元社)などがある。

ツイッター
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『蒐める人 情熱と執着のゆくえ』 南陀楼綾繁 著
皓星社 価格:1,600円(+税) 好評発売中!
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2021年4月26日号 第321号

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     。.☆.:* その321・4月26日号 *:.☆. 。
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☆INDEX☆
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1.「原発事故は終わっていない」
          元京都大学原子炉実験所助教  小出裕章
2.血と汗と涙の日本外食史      阿古真理
3.「雑誌の図書館 大宅壮一文庫 開館50周年を迎えて」
                   大宅壮一文庫 平澤昇

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━━━━━━━━━━━━【自著を語る(263)】━━━━━━━━

「原発事故は終わっていない」

          元京都大学原子炉実験所助教  小出裕章

 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震と、それが引き起
こした巨大な津波によって東北地方の太平洋岸にあった市町村が壊
滅的な打撃を受けた。その上、悲劇はそれだけでは済まなかった。
東京電力福島第一原子力発電所(以下、「福島原発」と表記)も地
震と津波に襲われた。地震と同時に、福島原発は運転を停止し、自
ら電気を起こすことができなくなった。そうした場合には、外部の
送電線から電力の供給を受けるはずであったが、送電線の鉄塔が地
震で倒壊し、外部から電力の供給が断たれた。

続きはこちら
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『原発事故は終わっていない』小出裕章 著
毎日新聞出版刊 税込価格1,430円 好評発売中!
http://mainichibooks.com/books/social/post-759.html

━━━━━━━━━━━【自著を語る(264)】━━━━━━━━━

血と汗と涙の日本外食史

                   阿古真理

 私は生活史研究家という肩書で、食を中心にした暮らしの歴史を
書いている。最初の食の本『うちのご飯の60年 祖母・母・娘の食
卓』(筑摩書房)で家庭の食卓を描いたことから、これまでは家庭
料理の歴史を書く機会が多かった。その仕事を見守ってくださって
いた亜紀書房の内藤寛さんが、総合的に食の歴史がわかるように、
と「今度は外食を書いてみませんか?」とご依頼くださり、書くこ
とになったのが今年3月に上梓した『日本外食全史』である。

続きはこちら
/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=6854

『日本外食全史』 阿古真理 著
亜紀書房刊 定価:3,080円(税込)  好評発売中!
https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=997

━━━━━━━━━━━【 大宅壮一文庫 】━━━━━━━━━

『大宅壮一と古本収集』

           平澤 昇(公益財団法人 大宅壮一文庫)

 大宅壮一文庫は評論家・大宅壮一(1900~1970年)の収集した蔵
書を引き継いで作られた日本で最初の雑誌専門図書館です。
「集めた資料を多くの人が共有して利用できるものにしたい」とい
う遺志に基づき、現在も雑誌の収集と雑誌記事索引の作成を継続し、
今年の5月17日で創立50周年を迎えます。

大宅壮一は戦後日本を代表する評論家で新語づくりの名人でもあり、
大宅の生み出した“一億総白痴化”“口コミ”は現在でも日常用語
として使われています。
大宅は他界するまでに執筆資料として雑誌17万冊、書籍3万冊を約20
年間(1951~1970年)にわたって収集し続けました。

続きはこちら
/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=6859

「雑誌の図書館 大宅壮一文庫 開館50周年を迎えて」
大宅壮一文庫 平澤昇
https://www.oya-bunko.or.jp/

━━━━━━━━━━━━━【次回予告】━━━━━━━━━━━

『日本の包茎 ─男の体の200年史』 澁谷 知美 著
筑摩書房刊 1,760円(税込) 好評発売中!
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480017239/

「印刷博物館企画展 和書ルネサンス」
会期:2021年4月17日(土)~7月18日(日)
休館日:毎週月曜日(ただし5月3日は開館)、5月6日(木)
開館時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
入場方法:オンラインによる事前予約(日時指定券)制です

ホームページ
https://www.printing-museum.org/washorenaissance/

━━━━━━━━━【日本の古本屋即売展情報】━━━━━━━━

4月~5月の即売展情報

※新型コロナウイルスの影響により、今後、各地で予定されている
即売展も、中止になる可能性がございます。ご確認ください。
お客様のご理解、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

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 【バックナンバーコーナー】
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┌─────────────────────────┐
 次回は2021年5月中旬頃発行です。お楽しみに!
└─────────────────────────┘

*☆ 本を売るときは、全古書連加盟の全国の古書店に ☆*
全古書連は全国古書籍商組合連合会(2,200店加盟)の略称です

https://www.kosho.or.jp/buyer/list.php?mode=from_banner

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日本の古本屋メールマガジンその321 2021.4.26

【発行】
 東京都古書籍商業協同組合:広報部・「日本の古本屋事業部」
 東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
 URL  http://www.kosho.or.jp/

【発行者】
 広報部:志賀浩二
編集長:藤原栄志郎

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『大宅壮一と古本収集』

『大宅壮一と古本収集』

 平澤 昇(公益財団法人 大宅壮一文庫)

大宅壮一文庫は評論家・大宅壮一(1900~1970年)の収集した蔵書を引き継いで作られた日本で最初の雑誌専門図書館です。
「集めた資料を多くの人が共有して利用できるものにしたい」という遺志に基づき、現在も雑誌の収集と雑誌記事索引の作成を継続し、今年の5月17日で創立50周年を迎えます。

大宅壮一は戦後日本を代表する評論家で新語づくりの名人でもあり、大宅の生み出した“一億総白痴化”“口コミ”は現在でも日常用語として使われています。
大宅は他界するまでに執筆資料として雑誌17万冊、書籍3万冊を約20年間(1951~1970年)にわたって収集し続けました。主な入手方法は古本屋からで、計算すると毎日約27冊を購入したことになります。個人の蔵書としては記録的な冊数を集めたといえるでしょう。

大宅の古本収集には数々のエピソードが残されています。
古書組合員のみが参加できる市場に懇意の古本屋と密かに入り資料を購入。版元にもない一冊の本を版元と競売になったときには、古本屋側が大宅に本を落札してあげる。旅先でも古書漁りに専念し、チッキ(鉄道郵便)で古本の詰まった蜜柑箱を何箱も家に送り付ける。講演先の長崎で見つけた「出島」に関する資料をめぐって井上靖氏と古本屋で争奪戦などです。

古本屋側から見た大宅の古本収集に関する記録は少ないのですが『大宅文庫ニュース63号』に掲載された出久根達郎氏の随筆「おおやさん」には月島の店員時代に聞いた大宅の古本購入の様子について書かかれています。三人連れで月島の古本屋を訪れると2時間ほど本を漁り、下町の古本屋ならではの豊富な実話雑誌、カストリ雑誌、芸能誌を見て宝の山だと喜び、持ち帰れない量の古本を大量購入し、自動車便で送ってもらったそうです。

このようにして膨大な資料を集めたのは『実録・天皇記』『炎は流れる』の執筆資料として利用するためでした。収集した17万冊の雑誌を全て読むことは当然不可能です。大宅は「本は読むものではなく引くものだ」という発想で雑誌記事の分類を開始します。

「僕は珍本や稀覯本を集める趣味はないよ。僕の場合、一冊の本は百科事典の一項目に相当するのでね。それを引く可能性があるかないかでその本の価値が決まる。十円の本でも一万円の本でも、差別しないね。何万冊あっても、全体で一冊の本になるわけだ。」と大宅は述べています。

雑誌記事をひとつひとつデータ化するために常4~5人の助手を雇い、人物情報の「人名索引」と事項別の「件名索引」に分類しました。
当時は誰も見向きもしない週刊誌やカストリ雑誌などの記事を独自の「大宅式分類」で分類し、雑誌の記事による民衆史の百科事典を作りあげたのです。

「大宅式分類」の世相を反映した項目立ては、図書館の十進分類法にはないおもしろさがあり、分類の最上位項目にあたる33の大項目を見ても[奇人変人][おんな][趣味・レジャー]などがあります。検索キーワードは常に更新され、最近話題の[ウーバーイーツ]で検索すると48件、[新型コロナウィルス感染症]は4,406件、[芸能界と新型コロナウィルス]では124件の雑誌記事タイトルが検索できます。

[古本屋][古書、珍書][インターネット古書店]なども分類されており、例えば[古書、珍書]の雑誌記事データで最も古いものは「大震災と古書の保存」(『中央史談』1924年3月号,宮地直一著)になります。この記事中には関東大震災後の神田の古本屋に関する記述があり「震災当時には誰しも再起を予期しなかった神田に軒を連ねた古本屋が、八部通りまではバラック建てに復奮せられて(後略)」と書かれ、当時の神田復興にかける古本屋の意気込みを知る貴重な資料といえます。

[インターネット古書店]で検索すると、最も古いものは「パソコンで古書情報を。江東区の古本屋が始めた「古書ネット」。※高森古書」(『自由時間』1992年10月1日号)になり、分類の便宜上この記事はインターネット古書店に分類されていますが、インターネット普及以前のパソコン通信によるネット古書店の状況について知ることができます。

設立時は蔵書20万冊、索引データ30万件から始まった大宅壮一文庫ですが、設立50年を迎え蔵書80万冊、索引データ700万件にまで成長することができました。出版各社をはじめ多くの利用者の皆様、そして大宅の集書にご協力いただいた古本屋の皆様のお力添えのおかげと心から感謝しております。

最後に宣伝をさせていただきますが、電子書籍が席巻する令和の時代にあっても、大宅壮一文庫は紙媒体の出版物へのこだわりを持ち続けています。

『大宅壮一文庫 雑誌記事人物索引』シリーズを日外アソシエーツからオンデマンド出版で毎年刊行しています。各年版を見れば単なる人物索引ではなく毎年のキーマンを通して社会文化を読み通せる索引目録です。

『大宅壮一文庫所蔵総目録』を今年5月に刊行いたします。皓星社のご協力により実に38年ぶりの所蔵目録の刊行となります。大宅壮一文庫の蔵書リストとしてだけではなく、日本の一般大衆誌の出版状況を俯瞰できる資料となっています。
図書館関係の方でご興味をお持ちの方は各出版社、大宅壮一文庫まで是非お問い合わせ下さい。

※大宅壮一が他界して50年以上が過ぎ、当時の大宅を知る方も少なくなってきました。古本屋側の皆様から見た大宅の思い出やエピソードをご存知の方がいらっしゃいましたら是非お教え下さい。kengaku@oya-bunko.or.jp 宛にメールをお送りいただければ幸いです。

「雑誌の図書館 大宅壮一文庫 開館50周年を迎えて」
大宅壮一文庫 平澤昇
https://www.oya-bunko.or.jp/

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「原発事故は終わっていない」

「原発事故は終わっていない」

元京都大学原子炉実験所助教 小出 裕章

 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震と、それが引き起こした巨大な津波によって東北地方の太平洋岸にあった市町村が壊滅的な打撃を受けた。その上、悲劇はそれだけでは済まなかった。東京電力福島第一原子力発電所(以下、「福島原発」と表記)も地震と津波に襲われた。地震と同時に、福島原発は運転を停止し、自ら電気を起こすことができなくなった。そうした場合には、外部の送電線から電力の供給を受けるはずであったが、送電線の鉄塔が地震で倒壊し、外部から電力の供給が断たれた。そうなった時には、非常用の発電機が立ち上がって、必要な電力を供給するはずであった。しかし、地震発生約1時間後に襲ってきた津波によって非常用発電機が水没し、そこからの電力の供給も断たれた。そのため、すべての交流電源が失われる全所停電に陥った。原発事故の専門家の間では、全交流電源の喪失こそ、破局的事故を引き起こす最大の要因であることが常識であった。

 原子力を推進してきた国と電力会社によれば、全交流電源の喪失など絶対に起こらないものであった。1999年9月30日に茨城県東海村の核燃料加工工場において、これもまた絶対に起らないはずだった「臨界事故」が起き、二人の労働者が筆舌に尽くしがたい苦痛の末、命を落とした。その事故を受け、原子力安全委員会は2000年度の「原子力安全白書」に以下のように記した。

多くの原子力関係者が「原子力は絶対に安全」などという考えを実際には有していないにもかかわらず、こうした誤った「安全神話」がなぜ作られたのだろうか。その理由としては以下のような要因が考えられる。
・外の分野に比べて高い安全性を求める設計への過剰な信頼
・長期間にわたり人命に関わる事故が発生しなかった安全の実績に対する過信
・過去の事故経験の風化
・原子力施設立地促進のためのPA(パブリック・アクセプタンス=公衆による受容)活動のわかりやすさの追求
・絶対的安全への願望

 あまりにばかげた理由ばかりで呆れるが、願望で安全は守れない。本当なら、この時点で深く反省すべきであった。しかし、彼らは本心では反省などしなかった。その後も、「絶対的安全への願望」は生き続け、「原発で全交流電源が喪失することなど絶対あり得ない、そんな事故を想定することは不適当だ」と国も電力会社も言い続けた。そのうえ、東京電力は政府の地震調査研究推進本部による津波の予測さえ無視し、破局的事故を招いたのであった。

 事故後も、事故の翌日には1号機で水素爆発が起きるなど、炉心が熔融し大量の水素が発生していることが確実であるにも拘わらず、国や東京電力、その取り巻きの学者たちは、事故の深刻さを無視し、ひたすら彼らの願望に基づいた楽観的な情報を流し続けた。その陰では、10万人を超える人々が生活を根こそぎ破壊されて流浪化していった。あまりに過酷な避難生活の中で、命を落とす人もいたし、自ら命を絶つ人もいた。

 それほどの被害を生んだ事故であったにも拘わらず、事故を起こしたことに責任があるはずの国も東京電力も、誰一人として責任をとろうとしないし、処罰もされない。国と東京電力は、事故収束のロードマップ(工程表)を作成し、事故後30年から40年で熔け落ちた炉心を回収し、安全な容器に封入し、福島県外に搬出するとしている。それどころか 原子炉建屋の解体を含めた廃炉作業を終わらせると言っている。そんなことは到底できない。熔け落ちた炉心を取り出すこともできないし、仮に取り出しができるとしても100年以上の歳月が必要である。原子炉建屋を解体し、敷地を更地に戻すこともできない。いまだに彼らはすべてを願望の上に描いている。

 事故当日に発令された「原子力緊急事態宣言」は10年の歳月流れた今も、解除されていない。国はそのことを忘れさせてしまおうとしていて、すでに多くの日本人は原子力緊急事態宣言が続いていることを忘れさせられている。そして、国は原発事故など大したことはない、被曝だって大したことはないと言い始め、従来あった被曝の法令を反故にし、1年間に20ミリシーベルトまでの被曝は我慢しろと言い出した。その被曝量は、放射能や放射線を取り扱って給料を得る大人、放射線業務従事者に対してようやくに許した限度である。それを放射線感受性の高い子どもにも適用し、本来なら「放射線管理区域」に指定して一般人の立ち入りを禁じなければならない放射能汚染地に帰還せよと指示を出した。

どこの世界でも、いつの時代でも、歴史は強者によって書き残された。しかし、このあまりにもひどい事実を忘れさせたくない。本書は、福島原発事故の過酷さと、被害者の悲惨さを書き記したものである。日本というこの国は、100年後も原子力緊急事態宣言を解除できずにいるはずである。その時に本書は古書として生き延びているであろうか? そうあって欲しい。

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『原発事故は終わっていない』小出裕章 著
毎日新聞出版刊 税込価格1,430円 好評発売中!
http://mainichibooks.com/books/social/post-759.html

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血と汗と涙の日本外食史

血と汗と涙の日本外食史

阿古真理

 私は生活史研究家という肩書で、食を中心にした暮らしの歴史を書いている。最初の食の本『うちのご飯の60年 祖母・母・娘の食卓』(筑摩書房)で家庭の食卓を描いたことから、これまでは家庭料理の歴史を書く機会が多かった。その仕事を見守ってくださっていた亜紀書房の内藤寛さんが、総合的に食の歴史がわかるように、と「今度は外食を書いてみませんか?」とご依頼くださり、書くことになったのが今年3月に上梓した『日本外食全史』である。

 幸い、外食に関しては、大量の参考文献がある。そしてインターネットがあるおかげで、ウェブマガジン等の情報に加え、古書の情報も比較的たやすく見つかる。
例えば、西洋料理の日本史。フランス料理の日本史はくり返し書かれ、NHKの『きょうの料理』で有名になった帝国ホテルの村上信夫やホテルオークラの小野正吉については、いくつも資料がある。しかし、同番組に最初に出演したフランス料理人で、彼らより前にフランス料理を支えた田中徳三郎については、あまり資料がない。そして見つけたのが、田中の自伝的エッセイ集の『西洋料理六十年』(柴田書店)で、1975年刊である。戦前の西洋料理史で重要な役割を果たす「中央亭」についても、社史として発行されたらしい『西洋料理事始 中央亭からモルチェまで』(中央亭)を見つけた。こちらは1980年刊である。

 こうして集めた新刊・古書は、段ボール箱10箱分にもなった。
 『日本外食全史』は何しろ全史なので、料亭からお好み焼きなどの庶民食、フランス料理やイタリア料理、中国料理、インド料理まで、主だった外食全部の歴史を掘った。
 非常に感銘を受けたのが、外食史が庶民の血と汗と涙の結晶でできている事実だった。飲食業で働く苦労だけでなく、外食文化に新しい展開をもたらした料理人や創業者に、そもそも苦労人が目立つのだ。
 「天皇の料理番」として有名になり、その人生が小説になり、三度もテレビドラマ化された秋山徳蔵は若い頃、なかなか生業を決められず、結婚させられても家に居つかず家族を困らせた。焦って他店でも修業したことが師匠にバレ、不遇をかこってフランス渡航を思いつく。しかし、現地ではアジア人差別に遭遇している。やがて努力が認められると、フランスで店を開こうと考えたぐらいに気に入った秋山だったが、求められて帰国し、戦前日本の西洋料理界を背負う巨人になった。

 帝国ホテルの村上信夫も、苦労人である。洋食屋を営んでいた父は、村上が2歳だったときに関東大震災で2店に増やした店を両方失う。不動産経営で食いつないだ後、立ち直って料理人に戻ろうとした折、家に転がり込んできた親せきからもらった結核で亡くなる。母も結核をうつされ亡くなる。村上が5年生のときだ。結局小学校も卒業できないまま料理人修業に入って、帝国ホテルで大成した。その間戦争にも行き、シベリア抑留も体験している。
 ホテルオークラの小野正吉は、激戦地ラバウルからの生還者である。彼の苦労はどちらかといえば、社会人としてが大きい。修業中の厨房は暴力が横行し、殴られたり罵声を飛ばされたりしている。ホテルオークラでは、レストランで修業してきたことで、部下たちから軽く見られるなどの苦労をしている。しかし、出身ホテルが違うことから対立する部下たちをまとめようと、本場フランスからシェフを招いて皆で学んだ結果、新参ホテルのレストランが一流に育っていくのである。

 戦後、隅田川東側の下町で人気を得ていた酎ハイをアレンジし、居酒屋チェーンに導入したのは、「村さ来」創業者の清宮勝一である。けた外れに儲かるこの商品の考案が、次々と居酒屋チェーンが生まれ発展する契機となった。
 清宮は国後島の網元の家で生まれたが、日本が北方四島を失ったあおりで、家族で根室に移住している。父は漁師をし、母は雑貨屋を営んで、8人の息子を育てた。大学進学をしようとしたところまではある程度恵まれていたとも言えるが、浪人中に父と弟が時化のために遭難。進学を断念し、当時流行っていたトリスバーのバーテンダーから始めて、人生を切り開いた。

 何かと問題が取り沙汰されるワタミ創業者の渡邉美樹も、実は苦労人である。母を小学校5年生のときに亡くしている。その後すぐに父の会社が行き詰まり、苦しんだ末にキリスト教系新興宗教に入信していた。恵まれない人のために貢献しようと、事業家を志して居酒屋チェーンを始めている。
 居酒屋チェーンはコロナ禍、特に苦しんでいる飲食業でもある。何しろ営業が制限され、閉店が相次ぐ業界なのである。彼らの苦労はいつまで続くのか。もしかすると、昭和が終わった頃にファミレスが従来の商売をやっていきにくくなったように、居酒屋チェーンは平成が終わった今、新しいビジネスモデル構築を必要としてるのかもしれない。実際、新しい形態の居酒屋ビジネスは、生まれ始めている。

 その時代時代で生じるさまざまな問題にぶつかり、新しい外食のあり方をつくってきた彼らなくして、日本の外食の今はあり得ない。日本が世界有数のグルメ大国になれたのは、こうした人々の貢献あってこそなのである。

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『日本外食全史』 阿古真理 著
亜紀書房刊 3,080円(税込) 好評発売中!
https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=997

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