文字サイズ

  • 小
  • 中
  • 大

古書を探す

半田市勢要覧 昭和14年版 半田市役所庶務課 写真入地図欠

暢気堂書房

半田市勢要覧 昭和14年版 半田市役所庶務課 写真入地図欠

¥3,000 (送料:¥600)

  • 冊数 1
  • 状態 中古品
  • 解説 17-11cm48頁
  • 販売条件等 1棚5段目F54

クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可

かごに入れる
気になる本に追加
印刷

店舗情報

店舗外観

〒203-0033
東京都東久留米市滝山6-2-14-103 
TEL:042-427-9144
FAX:--

308900206484
書籍商 暢気堂書房

書籍の購入について

支払方法等:

商品と一緒に同封する郵便振替用紙で1週間以内にお支払いください。(公費購入の場合は後払いのご相談に応じます。)

商品引渡し方法:

ゆうメール・ゆうパケット・レターパック・ゆうパック

返品について:

当方の不備による場合のみ承ります。

他特記事項:

-

書籍の買い取りについて

古本・骨董品の出張買取のお申込み・ご予約は、お電話・またはメールにて承っております。 お気軽にお問合わせください。
出張費は無料です。旧家、蔵のあるお宅、昭和40年以前の古いお宅の買取は、遠方でも大歓迎です。

送料について

  • ゆうパック・宅配便
  • ゆうメール・メール便
北海道 600円
青森県 600円
岩手県 600円
宮城県 600円
秋田県 600円
山形県 600円
福島県 600円
茨城県 600円
栃木県 600円
群馬県 600円
埼玉県 600円
千葉県 600円
東京都 600円
神奈川県 600円
新潟県 600円
富山県 600円
石川県 600円
福井県 600円
山梨県 600円
長野県 600円
岐阜県 600円
静岡県 600円
愛知県 600円
三重県 600円
滋賀県 600円
京都府 600円
大阪府 600円
兵庫県 600円
奈良県 600円
和歌山県 600円
鳥取県 600円
島根県 600円
岡山県 600円
広島県 600円
山口県 600円
徳島県 600円
香川県 600円
愛媛県 600円
高知県 600円
福岡県 600円
佐賀県 600円
長崎県 600円
熊本県 600円
大分県 600円
宮崎県 600円
鹿児島県 600円
沖縄県 600円
北海道 600円
青森県 600円
岩手県 600円
宮城県 600円
秋田県 600円
山形県 600円
福島県 600円
茨城県 600円
栃木県 600円
群馬県 600円
埼玉県 600円
千葉県 600円
東京都 600円
神奈川県 600円
新潟県 600円
富山県 600円
石川県 600円
福井県 600円
山梨県 600円
長野県 600円
岐阜県 600円
静岡県 600円
愛知県 600円
三重県 600円
滋賀県 600円
京都府 600円
大阪府 600円
兵庫県 600円
奈良県 600円
和歌山県 600円
鳥取県 600円
島根県 600円
岡山県 600円
広島県 600円
山口県 600円
徳島県 600円
香川県 600円
愛媛県 600円
高知県 600円
福岡県 600円
佐賀県 600円
長崎県 600円
熊本県 600円
大分県 600円
宮崎県 600円
鹿児島県 600円
沖縄県 600円

新着書籍

大石寺法門 川澄勳 著 1996年初版カバー帯付 オレンジ出版社川澄勲がその半生をかはて大石寺の古文書を解明された成果であり集大成。宗門も創価学会も夢にも知らぬ法門なり。滅後700年、真反対に歪められてきた日蓮法門の真実を、古文書研究の巨匠がその生涯をかけて解き明かす。 [解説] 序滅後末法の衆生は今、どのような世を迎えて、どのようにして成道を遂げ、安穏な日々を迎えることが出来るのであろうか。菩薩も今となっては、衆生を手当たり次第に地獄に追いおとしているのみである。宗門ではそれを双手を上げて待っているのではないかと思われる程である。宗祖はその日のために霊山浄土を考えて、そこに残されているのが「師弟子の法門」なのではなかろうか。仏・菩薩はなくとも、持って生まれた「因果倶時不思議の一法」があれぱ、師と共に成道できる場が霊山浄土となるのである。今の宗門では、師弟因果の法門については一向に理解していないように思われる。二祖日興上人の佐渡の法華講衆に与えられた御消息を信頼することもなく、「白蓮」と書き入れられたものも疑書と判じて、これを消し去ろうとしているようである。堀上人も本因妙抄、百六箇抄については、すでに3本線をもって切り捨てられているようである。それでは弟子の救われる道は封じられたも同然であって、衆生は地獄に落とされ、成道ということはできなくなる。一体、宗祖二祖のねらいの法門とは何であったのであろうか。この「大石寺法門」の中から、その行く手を求められたいと思う。二祖が『この師弟子の法門』と受けとめられた法門こそ、宗門を代表するようなものになるのではなかろうか。もっともっと掘り下げて、考え直してもらいたいものである。悪口の縁に索かれて「大石寺法門」を書き出してから10年、仏法の創始者としての日蓮像というよりも、思想家、日蓮につなげられる処へ目標をおいて綴ってきたつもりである。 ¥3,000
五十年のあゆみ 北海道旭川北高等学校刊行年 平2年函付き ◇北海道旭川北高等学校1950 4 1 北海道に移管し、北海道旭川北高等学校という現在の名称になる。(1学6、2年5、3年3の14学級)1950 4 11 男女共学制並びに通学区域制実施により分散式挙行1950 5 12 正規の授業が開始される。(現在の開校記念日はこれによる)1952 4 1 鷹栖分校開設1952 11 1 鷹栖分校分離1953 4 1 定時制課程1学級を併置(通常6間口、定1間口)1955 4 1 通常課程1学級定時制課程1学級を増設(通常7間口、定2間口)1955 8 30 北海道知事より職業指導優秀校として表彰1955 9 9 開設15周年、開校5周年記念式挙行1956 11 31 北海道知事より学校植林優秀校として表彰(1954.1.31同前)1957 9 15 職業課程家政科1学級併設(全普7間口、家1間口、定2間口) 昭和40年頃の校舎1958 11 16 NHKラジオ歌唱コンクール全国大会高校の部第2位入賞1960年 第42回甲子園出場1959 4 1 校歌校旗制定1960 8 12 第42回全国高校野球大会(甲子園)出場1960 9 10 開設20周年、開校10周年記念式挙行1962 3 27 第16回学生野球協会結成記念大会(明治神宮球場)出場1962 3 29 隣接地を旭川市より屋外運動場用地として寄付採納願、7.14より引継1962 4 1 全日制課程普通科1学級を増設(全普8間口、家1間口、定2間口)1962 9 12 屋外運動場整備完成記念式挙行1962 11 18 NHKラジオ歌唱コンクール全国大会高校の部第3位入賞 ¥2,500

おすすめの書籍

映画パンフ(新世界芸能社) 罪と罰 監=ジョルジュ・ランパン 出版社 出=ロベール・オッセン ドストエフスキーの「罪と罰」を「幸福への招待」のシャルル・スパークが、全く現代風に置きかえた脚本にし、「二百万人還る」のジョルジュ・ランパンが監督した文芸篇。撮影監督は「河」のクロード・ルノワール、音楽は「われら巴里ッ子」のモーリス・ティリエ。主な出演者は「不良の掟」の監督で俳優出身のロベール・オッセンと「野性の誘惑」のマリナ・ヴラディの夫妻を中心に「ヘッドライト」のジャン・ギャバン、「夏の夜は三たび微笑む」のウラ・ヤコブソン、「洪水の前」のベルナール・ブリエ、「快楽」のガビ・モルレ、昨年来日、東宝「裸足の青春」に出演したローラン・ルザッフルなど。監督 ジョルジュ・ランパン 脚本 シャルル・スパーク原作 フョードル・M・ドストエフスキー製作 ジュール・ボルコン撮影 クロード・ルノワール Louis Stain音楽 モーリス・ティリエ ロベール・オッセン Rene Brunelロベール・オッセン ジャン・ギャバン Commissar Galletジャン・ギャバン マリナ・ブラディ Liliマリナ・ブラディ ウーラ・ヤコブソン Nicoleウーラ・ヤコブソン ベルナール・ブリエ Antoine Monestierベルナール・ブリエ ギャビー・モルレー Brunel's Motherギャビー・モルレー イベット・エチエバン Therese MarcellinYvette Etievant ジュリアン・カレット Pierre Marcellinジュリアン・カレット ローラン・ルザッフル Andre Painterローラン・ルザッフル1956年製作/フランス
¥1,500
大阪ろまん 石浜恒夫著 、全国書房 、昭42 、234p 図版 、B6初版 ビニルカバーなし 帯イタミ 石濱恒夫(1923年〈大正12年〉2月24日 - 2004年〈平成16年〉1月9日、80歳没)大阪府大阪市出身。父は歴史学者(東洋史学)の石濱純太郎。従兄に小説家の藤沢桓夫がいる。2人の娘のうち長女は女優の京春上、次女はエッセイスト、挿絵画家の石浜紅子。大阪高等学校を経て、東京帝国大学文学部美術史学科在学中から父の友人であった織田作之助などの影響を受けて文学を志し、大学卒業後に川端康成に弟子入りし、鎌倉の川端の私邸に住み込み師事した。1968年(昭和43年)に川端がノーベル文学賞を受賞した際には、ストックホルムでの授賞式に同行している。また、大学在学中に学徒出陣で召集され、陸軍戦車学校に入り、戦車部隊配属となる。その部隊で一緒だったのがのちの司馬遼太郎であり、石濱と司馬はこの時以来、司馬が亡くなるまで親交が深かった。また、司馬と同様に西長堀アパートに居住していたこともある。1946年に文学同人誌『文学雑誌』に参加し、小説家としての活動を始める。1953年に発表した「らぷそでい・いん・ぶるう」が芥川賞候補となった。1957年に、同人誌『近代説話』を司馬、寺内大吉らとはじめる。歌謡曲の作詞も手がけ、地元大阪を舞台とした数々のヒット曲を世に送り出した。テレビドラマの脚本も数多く手がけた。若い頃からヨットマンとしても知られ、1977年には娘の紅子他1人と共に、ヨットで大西洋を無寄港で横断した。1985年に文楽の桐竹勘十郎とともに「大阪芸術賞」を受賞。2004年(平成16年)1月9日、肺癌のために死去。80歳没。「大阪芸術賞」の贈呈理由として、「大阪をこよなく愛し、大阪の盛り場の叙情を血肉化する数少ない作家」であり、「大阪の風俗・人情を哀感を込めて描く」作家として作品は高く評価されており、「大阪文壇の発展に寄与した功績は大きい」。
¥2,000