あべこべ *封印した話、深夜に戸を叩く者、一〇〇枚の短冊が起こす奇跡、何かが這いずり回る幽霊屋敷、絶対に転んではいけない場所……他* (『あべこべ』はじめにより) 本のタイトルにもなっている「あべこべ」は私の代表作であり、怪談デビューの話でもあります。 ちょうど怪談と都市伝説の間のようなお話で、すごく気に入っています。 「あべこべ」はひっくり返る、反対、さかさなどの意味があると同時に「此方彼方(あちらこちら)」とも言い換えることができ、いろいろな場所や方向などを意味します。 本書に収めたお話はまさにいろいろな場所で、いろんな方から聞きました。 怖い話もあれば、不思議な話もあります。 いままで聞いてきたなかでも特に気に入っているお話を選びました。 彼方(こちら)の世界ではなかなか体験できない、此方(あちら)の世界のお話。 『あべこべ』の世界を読んで体験してみてください。 【目次】 あべこべ/白い手/予感/傘がない/橋津の海岸/五島のガッパ/犬を飼ってはいけない村/芋虫/転ぶな/鮎釣り/黄昏時に歩く人/迷い家/まぼろしのうどん/ マナーさん/犬の話/ガジばあ伝説/シュガーポット/深夜に戸を叩く/不意な来訪者/関東の幽霊屋敷/宿直/飛び降り/高松の幽霊屋敷/沖縄の事故/ 知らない男がついてくる/インド逃避行記/311/犬鳴トンネル/それに会うと/抱き人形/カミサマ
逃げ水半次無用帖 事件の底に潜む様々な女の貌。女の中には「母」と「魔」が棲む。母よ何処。過去を引きずり、色気と憂いに満ちた無用の男半次が、岡っ引きの娘小夜とともに挑む難事件の数々。江戸情緒と艶に彩られた新感覚捕物帳。
有栖川の朝 人生は「配役」の問題だ。殿様面部屋の大俳優・安間安間と、バカで酒乱で美貌の三十女・華ちゃん。二人を拾った老女「川獺のお月さん」は、等に王朝の衣装を着て、ニセ華族さまの結婚でひと儲けをたくらむが…。 現実の出来事を大事に、可笑しくて切ない人間模様を華やかに豪華な筆致で描き出す、久世光彦最後の小説。
飲食男女 : おいしい女たち ベッドで林檎を齧る女。お粥を作ってくれた女。朝の台所に立つ女。食べたもののある風景から立ちのぼる官能の記憶。傑作恋愛掌篇集
昭和恋々 : あのころ、こんな暮らしがあった : Photo essay
聖なる春 春が来ないなら、夢でもみるしかない・・・・。 クルムトの名画に寄せて描く哀しい恋の」伝説。 カラー図版多数収録!
卑弥呼 <女性性器を呼ぶのに、もっと明るい全国統一名称があっていい。>
陛下 憧れ下、金木犀の香りに包まれて、あなたに愛されたい…陸軍中尉・剣持梓は、近い頃から繰り返し見る幻の中で、真剣に下への熱い思いを募らせていただきました。昭和維新が熱っぽく語られる時代、心ひかれる存在・北一輝との交流を経て、梓は静かに「叛乱」に身を投じてゆく…。六つの出来事の外側、そして甘美で衝撃的な恋愛物語。
月がとっても青いから <マイ・ラスト・ソング> <マイ・ラスト・ソング 3> 森繁久彌がアカペラで歌った「月の砂漠」、母が台所で口ずさんでいた「これぞマドロスの恋」……忘れがたい歌にまつわるエッセイ集
月がとっても青いから <マイ・ラスト・ソング> <マイ・ラスト・ソング 3> 森繁久彌がアカペラで歌った「月の砂漠」、母が台所で口ずさんでいた「これぞマドロスの恋」……忘れがたい歌にまつわるエッセイ集
蝶とヒットラー 鳥や獣の剥製を売る店から、義眼、青色パイプ、ナチスの制服、昆虫、ステンドグラス、ドール・ハウス、貝殻を売る店など、幻想と妖かしの12店をたずね、黄昏の陳列棚に永遠の時を求め、夢のまどろみにも似た玩具物喪志譚。
聖なる春 春が来ないのなら、夢でもいるしかない・・・・・。 クリムトの名画に寄せて描く哀しい恋の伝説。 カラー図版多数収録!
マイ・ラスト・ソング : あなたは最後に何を聴きたいか <文春文庫>
聖なる春 春が来ないのなら、夢でもいるしかない・・・・・。 クリムトの名画に寄せて描く哀しい恋の伝説。 カラー図版多数収録!
聖なる春 春が来ないんなら、夢でも見るしかなし・・・・・。 クリムトの名画に寄せて描く哀しい恋の伝説。 カラー図版多数収録!
昭和恋々 : あのころ、こんな暮らしがあった : Photo essay 世の中の変化の速度が速くなった今、「十年ひと昔」という言葉ももはや廃れてしまったのだろうか。年号が昭和から平成へと変わって丸十年が過ぎた。改めて振り返ってみると、生活のなかで昭和を感じさせるものがだんだんと消え去っていることに気が付くはずだ。 作家の山本夏彦氏と、演出家で作家としても知られる久世光彦氏が、エッセイで昭和の暮らしをよみがえらせた。山本氏は「下宿屋」「髪床」「質屋」などを引き合いに戦前の東京の街を描き、久世氏は「入学式」「虫干し」「七輪」「障子洗い」といった季節の風物詩から戦中、戦後の庶民の生活ぶりを浮かび上がらせた。 久世氏の「汽車」という章にはこんな一節がある。「汽車にあって電車にないのは《未練》である。このまま行こうか戻ろうか。発車のベルが鳴っても、まだ間に合うのが汽車だった」。すべての章にタイトルに合うように「あのころ」の写真が添えられており、それが昭和への郷愁をいっそうかき立てる。 原っぱや露地では、べーごまやめんこ、あやとりや、ままごとで遊ぶ子どもたちの声が響き、家には夕餉の支度で忙しい割烹着姿の母親がいた…。名だたる名文家二人のエッセイと90余点の写真で、いま、鮮やかに甦る、昭和あのころ。
THE NIPPON POSTERS <dddギャラリー第200回企画展 DNPグラフィックデザイン・アーカイブ収蔵品展Ⅵ>