文字サイズ

  • 小
  • 中
  • 大

古書を探す

子供の科学 昭和32年2月号3月号 1957年 Oゲージ市街電車設計図 速くなる日本のバス 他 出版社 誠文堂新光社 

暢気堂書房

¥3,000

  • 解説 1棚1段目3左側

クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費可 海外発送不可

かごに入れる
気になる本に追加
印刷

店舗情報

店舗外観

〒203-0033
東京都東久留米市滝山6-2-14-103 
TEL:042-427-9144
FAX:--

308900206484
書籍商 暢気堂書房

新着書籍

おすすめの書籍

今井善一郎著作集 -民俗編- 今井善一郎著作集刊行会編 出版社 煥乎堂 刊行年 昭52 今井善一郎著作集刊行会編 煥乎堂 今井 善一郎1909年(明治42年)10月8日 - 1976年(昭和51年)1月10日)、群馬県出身の民俗学者。933年(昭和8年)に慶應義塾大学法学部を卒業後、家業を継ぐ。同年、橘太郎の名で「北橘村郷土かるた」とその解説書の「橘陰郷土読本」の稿本をつくる。又この年には父の善兵衛が北橘村の村長に就任する。1935年(昭和10年)、今井善兵衛の名で『更生農村』を刊行する。1936年(昭和11年)、群馬県教育委員会による「群馬県庶民教育史調査」の北橘村の部の作成に協力する。同年1月30日、倉持多代と結婚する。1939年(昭和14年)、『上毛及上毛人』の7~10月号に橘太郎の筆名で「木曽義仲及び其子孫と上野」を執筆する。1941年(昭和16年)9月、『習俗歳時記 赤城山西南麓農家の年中行事』を刊行する。同年同月、柳田國男から『習俗歳時記』の礼状として葉書をもらう。同年、柳田主宰の民間伝承の会に入会する。 1943年(昭和18年)6月に臨時召集令状を受けて高崎聯隊に入隊するが心臓肥大の為即日帰郷する。同年、勢多郡誌民俗調査のため都丸十九一と民俗調査を行う。1946年(昭和21年)9月29日、上毛民俗の会の発会式を開き、同年10月に『上毛民俗』第1号を発行する。同年12月1日、北橘村農地委員となる。1950年(昭和25年)10月、日本民俗学会評議員となる。1951年(昭和26年)、北橘村固定資産評価審査委員、北橘村農業委員、群馬県文化財調査委員、北橘村民生委員、北橘村農事及民事一般調停委員など多くの役職を委嘱される。1952年(昭和27年)12月、群馬県文化財専門委員を委嘱される。1953年(昭和28年)12月、民事一般、宅地建物及農事調停委員となる。1954年(昭和29年)1月、前橋家庭裁判¥
¥1,500
あぶくま洞・入水鍾乳洞 ; 幻想の地底への誘い 著者 高橋紀信 出版社 鈴木勝治 刊行年 昭和54年 発行 ページ数 80p 悠久の歳月をかけて創られた大自然の造形美。全長4218.3m、公開部600mの洞内に、多種多様な鍾乳石が数多くある、日本有数の鍾乳洞。あぶくま洞は福島県田村市にある鍾乳洞。阿武隈高原中部県立自然公園内に位置する。なお本項ではあぶくま洞と同じ水源からの水流で形成された洞穴群に属する入水鍾乳洞についても述べる。あぶくま洞は1969年(昭和44年)9月12日、石灰岩採掘中に偶然発見。旧名は「釜山鍾乳洞」。現在の釜山採石場跡地でのこと。発見時のあぶくま洞は深さ12mの縦穴と、北へ60m、南西方向へ15mの横穴からなる小規模なものであった[2]。これは現在の観光洞の出口付近に位置する。翌1970年(昭和45年)3月に日本大学の探検隊が洞内を探索。それまで終点とされていた北に60m地点の風穴を掘り抜いたところ、あぶくま洞の本洞を見出した。その後も洞内の探検が繰り返され、総延長3,000m以上の長さがあることが確認されている。一般見学施設としては1973年(昭和48年)6月にオープン。田村市滝根町にある洞穴では、鬼穴とその他の小さな洞穴は古くから知られ、鬼穴には大多鬼丸の伝説が残されていたものの小さな窪みと認識されていた[2]。しかし、1977年(昭和52年)に鬼穴は深さ51mの縦穴であぶくま洞東本洞とつながっていることが判明。
¥1,500

書籍の購入について

支払方法等:

商品と一緒に同封する郵便振替用紙で1週間以内にお支払いください。(公費購入の場合は後払いのご相談に応じます。)

商品引渡し方法:

ゆうメール・ゆうパケット・レターパック・ゆうパック

返品について:

当方の不備による場合のみ承ります。

他特記事項:

-

書籍の買い取りについて

古本・骨董品の出張買取のお申込み・ご予約は、お電話・またはメールにて承っております。 お気軽にお問合わせください。
出張費は無料です。旧家、蔵のあるお宅、昭和40年以前の古いお宅の買取は、遠方でも大歓迎です。