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955件

史料纂集古記録編 第105回配本 舜旧記7〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
9,900
鎌田純一・藤本元啓校訂、八木書店、平30、1冊
品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

吉田兼右の子、兼見の弟、神道家梵舜(一五五三-一六三二)の三十歳より没年までの日記。京都吉田山下の神竜院の住職で、兄兼見とともに豊国社の創立に功労があり、のちに家康に神道伝授を約束した事もあった。元和二年(一六一六)家康を久能山に葬った際、天海と争った事は有名である。朝廷にも関係があり、当時の中央における諸般の情勢をみる上で最も貴重な資料の一つである。

〔収録範囲〕
1627〔寛永4〕~1630〔寛永7〕
○吉田家伝書物を関白近衛信尋へ上申す
○九条忠栄に祗候し八雲御抄一巻を進上す
○大町流目薬龍丹膏始めて調合す
○仁和寺皆明院紀伊山伏護摩の事を尋ねらる
○吉田家系図の末々を浄雲院へ進む
○姫百合の種植
○豊国社再興の瑞夢を見る
○東河原に操り高館見物
○浄勝院へ近衛前久自筆の源氏物語を進上す
○南都社家より元々集来る
○四条河原能見物
○西洞院時慶所にて日本書紀神代巻講読
○以心崇伝へ藤氏・源氏系図を貸出す
○中宮徳川和子着帯
○和子の御産平安祈祷
○梵舜の刀等盗む小者を召取
○兼見卿記
○徳川家光疱瘡平癒の祈祷
○日本書紀三十冊人皇紀摺本を家本にて校合
○尾州徳川義直摂津有馬を経て伏見に来る
○日本書紀人皇紀箱出来
○九条忠栄より諏訪系図について尋問あり
○梵舜養猫盗まる
○大角山城へ椿の接ぎ無心す
○豊臣秀吉三十三回忌
○豊国社の社領社家等を元の如く安堵せらる様祈念せしむ
○以心崇伝煩気により灸点記し進上

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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9,900
鎌田純一・藤本元啓校訂 、八木書店 、平30 、1冊
品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 吉田兼右の子、兼見の弟、神道家梵舜(一五五三-一六三二)の三十歳より没年までの日記。京都吉田山下の神竜院の住職で、兄兼見とともに豊国社の創立に功労があり、のちに家康に神道伝授を約束した事もあった。元和二年(一六一六)家康を久能山に葬った際、天海と争った事は有名である。朝廷にも関係があり、当時の中央における諸般の情勢をみる上で最も貴重な資料の一つである。 〔収録範囲〕 1627〔寛永4〕~1630〔寛永7〕 ○吉田家伝書物を関白近衛信尋へ上申す ○九条忠栄に祗候し八雲御抄一巻を進上す ○大町流目薬龍丹膏始めて調合す ○仁和寺皆明院紀伊山伏護摩の事を尋ねらる ○吉田家系図の末々を浄雲院へ進む ○姫百合の種植 ○豊国社再興の瑞夢を見る ○東河原に操り高館見物 ○浄勝院へ近衛前久自筆の源氏物語を進上す ○南都社家より元々集来る ○四条河原能見物 ○西洞院時慶所にて日本書紀神代巻講読 ○以心崇伝へ藤氏・源氏系図を貸出す ○中宮徳川和子着帯 ○和子の御産平安祈祷 ○梵舜の刀等盗む小者を召取 ○兼見卿記 ○徳川家光疱瘡平癒の祈祷 ○日本書紀三十冊人皇紀摺本を家本にて校合 ○尾州徳川義直摂津有馬を経て伏見に来る ○日本書紀人皇紀箱出来 ○九条忠栄より諏訪系図について尋問あり ○梵舜養猫盗まる ○大角山城へ椿の接ぎ無心す ○豊臣秀吉三十三回忌 ○豊国社の社領社家等を元の如く安堵せらる様祈念せしむ ○以心崇伝煩気により灸点記し進上 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第209回配本 花月日記1

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
17,600
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂、八木書店、令2、1冊
江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。白河藩主致仕の日をもって起筆、以後逝去の前年までの日記

【内容説明】
若くして徳川幕府老中首座・将軍補佐となり、「寛政の改革」を断行した松平定信(1758ー1829)。その定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記が『花月日記』である。
 退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。
 日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。まず息定永とその正室綱子、次郎である定栄(真田家養嗣子、後の真田幸貫)、また、各大名の正室となっていく娘たちとその夫、定信の後室隼、さらに姉・妹・実母…。ごく近しい友人として折にふれて記されているのは「月の君」こと堀田正敦、「林の君」こと林述斎である。この二人との「底意なき交じらい」「心隔てぬ友垣」の様には何よりも美しいものがある。時々には内藤信敦・松平輝延・牧野忠精・酒井忠進・松浦静山…、また「寛政の改革」以降も定信の政治基調を維持したいわゆる「寛政の遺老」松平信明等。
 幕政を離れ、さらには藩主も退任して後の定信ではあるが、助言・教導を求めて来訪・対面を願う者は絶えなかった。定信はそのほとんどを謝絶、または1年延ばしなどとはするものの、それでも、日記中には多彩な人物の名が見える。様々な大名家当主、世子、藩の問題を抱えた家老達。また、当代の文化人、北村季文・市川米庵・屋代弘賢等との交流、時に杉田玄白・頼山陽・村田春海・塙保己一等の名もあがる。

【目次】
【所収】文化9年(1812)4月~文化10年(1813)12月

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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17,600
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂 、八木書店 、令2 、1冊
江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。白河藩主致仕の日をもって起筆、以後逝去の前年までの日記 【内容説明】 若くして徳川幕府老中首座・将軍補佐となり、「寛政の改革」を断行した松平定信(1758ー1829)。その定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記が『花月日記』である。  退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。  日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。まず息定永とその正室綱子、次郎である定栄(真田家養嗣子、後の真田幸貫)、また、各大名の正室となっていく娘たちとその夫、定信の後室隼、さらに姉・妹・実母…。ごく近しい友人として折にふれて記されているのは「月の君」こと堀田正敦、「林の君」こと林述斎である。この二人との「底意なき交じらい」「心隔てぬ友垣」の様には何よりも美しいものがある。時々には内藤信敦・松平輝延・牧野忠精・酒井忠進・松浦静山…、また「寛政の改革」以降も定信の政治基調を維持したいわゆる「寛政の遺老」松平信明等。  幕政を離れ、さらには藩主も退任して後の定信ではあるが、助言・教導を求めて来訪・対面を願う者は絶えなかった。定信はそのほとんどを謝絶、または1年延ばしなどとはするものの、それでも、日記中には多彩な人物の名が見える。様々な大名家当主、世子、藩の問題を抱えた家老達。また、当代の文化人、北村季文・市川米庵・屋代弘賢等との交流、時に杉田玄白・頼山陽・村田春海・塙保己一等の名もあがる。 【目次】 【所収】文化9年(1812)4月~文化10年(1813)12月 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

新天理図書館善本叢書26 奈良絵本集 4

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
36,300
天理大学附属天理図書館編、八木書店、令元、1冊
【高精細カラー版】
伝本の稀な室町末期から江戸極初期までの逸品に加え、多彩な作品群の中から優品24点を精選し全8巻に収録!
高精細カラー版により、微細な色遣いが一目瞭然に!

【目次】
[1]あま物語(江戸初期写、二冊)
〔解題〕金光桂子
 貴人と海女との恋愛譚。湯治のため浪速に赴いた左近中将兼光は、土地の海女と歌を詠みあい情けを交わすが、懐妊した海女は身分の違いを感じて入水する。海女は右大臣のもとに生まれ変わり、兼光と再会して再び結ばれ栄華を極める。平安から鎌倉時代にかけての散佚物語の改作と考えられる。物語中に五十首に及ぶ和歌を配し、この期の草子には珍しい歌物語的な作品となっている。本作の奈良絵本は本書の他には上巻を欠く一本が知られるのみ。

[2]大古久まい(江戸前期写、二冊)
〔解題〕齋藤真麻理
 唐の孝行説話を用い、その善報を語るという教訓的内容を持つ。親孝行者の大悦の助は、清水観音のお告げ通り、一本のわらを元に富を得、大黒天、夷三郎の来訪によって、さらに宝物を手にする。大江山の盗賊や悪霊からも二神の助けで救われた後、帝から厚遇され、末永く繁昌した。立身出世・栄華繁昌を願う中世庶民の夢が、清水観音の御利益と福神の助けによって叶う祝儀物である。

[3]磯崎物語(江戸前期写、二冊)
〔解題〕石川透
 日光山の麓に住む武士夫婦の物語。磯崎殿が連れ帰った女に女房が嫉妬し、杖で打ち殺してしまうが、その時被っていた鬼の面と杖が取れなくなる。日光山の稚児学匠である息子に仏への信仰を説かれ、その教えに従い座禅を組むと面も杖も離れ落ち、元の姿となった。女房は殺した女を弔うため出家し、磯崎殿も仏門に入る。本妻が後妻を打ち付ける後妻打の話を基に、女の嫉妬がもたらす悲劇から仏の道へと導く、発心遁世譚。

#八木書店出版物/新天理図書館善本叢書/影印資料
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
36,300
天理大学附属天理図書館編 、八木書店 、令元 、1冊
【高精細カラー版】 伝本の稀な室町末期から江戸極初期までの逸品に加え、多彩な作品群の中から優品24点を精選し全8巻に収録! 高精細カラー版により、微細な色遣いが一目瞭然に! 【目次】 [1]あま物語(江戸初期写、二冊) 〔解題〕金光桂子  貴人と海女との恋愛譚。湯治のため浪速に赴いた左近中将兼光は、土地の海女と歌を詠みあい情けを交わすが、懐妊した海女は身分の違いを感じて入水する。海女は右大臣のもとに生まれ変わり、兼光と再会して再び結ばれ栄華を極める。平安から鎌倉時代にかけての散佚物語の改作と考えられる。物語中に五十首に及ぶ和歌を配し、この期の草子には珍しい歌物語的な作品となっている。本作の奈良絵本は本書の他には上巻を欠く一本が知られるのみ。 [2]大古久まい(江戸前期写、二冊) 〔解題〕齋藤真麻理  唐の孝行説話を用い、その善報を語るという教訓的内容を持つ。親孝行者の大悦の助は、清水観音のお告げ通り、一本のわらを元に富を得、大黒天、夷三郎の来訪によって、さらに宝物を手にする。大江山の盗賊や悪霊からも二神の助けで救われた後、帝から厚遇され、末永く繁昌した。立身出世・栄華繁昌を願う中世庶民の夢が、清水観音の御利益と福神の助けによって叶う祝儀物である。 [3]磯崎物語(江戸前期写、二冊) 〔解題〕石川透  日光山の麓に住む武士夫婦の物語。磯崎殿が連れ帰った女に女房が嫉妬し、杖で打ち殺してしまうが、その時被っていた鬼の面と杖が取れなくなる。日光山の稚児学匠である息子に仏への信仰を説かれ、その教えに従い座禅を組むと面も杖も離れ落ち、元の姿となった。女房は殺した女を弔うため出家し、磯崎殿も仏門に入る。本妻が後妻を打ち付ける後妻打の話を基に、女の嫉妬がもたらす悲劇から仏の道へと導く、発心遁世譚。 #八木書店出版物/新天理図書館善本叢書/影印資料

史料纂集古記録編 第183回配本 兼見卿記5

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
14,300
橋本政宣・岸本眞実・金子拓・遠藤珠紀校訂、八木書店、平28、1冊
神祇大副吉田兼見(1535~1610)の日記。兼見は吉田神道の宗家、吉田社神主の家職を承けて神道管領長上を称し、全国の神職に対して、補任その他神道伝授等につき絶大なる権勢があった。本冊から、2002年に初めて存在が明らかになった天理大学附属天理図書館の兼見の自筆原本からの翻刻である。
〔収録範囲〕1593〔文禄2〕~1595〔文禄4〕

●前冊に続き太閤秀吉と関白秀次に関わる政治情勢に詳しい。朝鮮出兵は続いており、豊臣伝奏をはじめ公家たちも肥前名護屋と京都の間を往還している。

●秀次との関係は近く、彼の施政や文化事業についての記事を多く収めるとともに、子女たちの病平癒祈?と夭折、息女八百姫の命名など、彼の家族に関する記事も豊富である。このため、文禄4年7月に発生した、秀次が謀叛の嫌疑を受け切腹に至る「秀次事件」について、その発覚から、秀吉・秀次の行動、側室・子女たちの処刑、菊亭晴季の配流に至る事件の一連の経緯、この騒動にともなう洛中の混乱などの記事にも詳しく、事件を知る上で不可欠の史料となっている。

●神道関係では、正親町院崩御の諒闇をめぐる後陽成天皇の服喪に関わる清祓を勤め、この行法関係の記録を詳細に残している。また宇喜多秀家室(秀吉養女、前田利家息女)の産褥平癒祈念のため初めて北斗祭を修することになり、洛中洛外の注目を集めるなど、吉田神道興隆に尽力した様子がうかがえる。

●長岡幽斎、毛利輝元、島津義久・義弘、徳川家康ら有力大名との交流など、交友関係にも見るべき点が多い。家康が何度か吉田を訪れるなど、二人の関係が急接近したのも本冊の期間である。また幽斎は文禄4年以降吉田山内に随神庵を営み移り住んだことにより、その動向がより詳細に記され、兼見も彼の交際圏に包まれてゆく。碁打本因坊算砂らとの交友もそのひとつである。

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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14,300
橋本政宣・岸本眞実・金子拓・遠藤珠紀校訂 、八木書店 、平28 、1冊
神祇大副吉田兼見(1535~1610)の日記。兼見は吉田神道の宗家、吉田社神主の家職を承けて神道管領長上を称し、全国の神職に対して、補任その他神道伝授等につき絶大なる権勢があった。本冊から、2002年に初めて存在が明らかになった天理大学附属天理図書館の兼見の自筆原本からの翻刻である。 〔収録範囲〕1593〔文禄2〕~1595〔文禄4〕 ●前冊に続き太閤秀吉と関白秀次に関わる政治情勢に詳しい。朝鮮出兵は続いており、豊臣伝奏をはじめ公家たちも肥前名護屋と京都の間を往還している。 ●秀次との関係は近く、彼の施政や文化事業についての記事を多く収めるとともに、子女たちの病平癒祈?と夭折、息女八百姫の命名など、彼の家族に関する記事も豊富である。このため、文禄4年7月に発生した、秀次が謀叛の嫌疑を受け切腹に至る「秀次事件」について、その発覚から、秀吉・秀次の行動、側室・子女たちの処刑、菊亭晴季の配流に至る事件の一連の経緯、この騒動にともなう洛中の混乱などの記事にも詳しく、事件を知る上で不可欠の史料となっている。 ●神道関係では、正親町院崩御の諒闇をめぐる後陽成天皇の服喪に関わる清祓を勤め、この行法関係の記録を詳細に残している。また宇喜多秀家室(秀吉養女、前田利家息女)の産褥平癒祈念のため初めて北斗祭を修することになり、洛中洛外の注目を集めるなど、吉田神道興隆に尽力した様子がうかがえる。 ●長岡幽斎、毛利輝元、島津義久・義弘、徳川家康ら有力大名との交流など、交友関係にも見るべき点が多い。家康が何度か吉田を訪れるなど、二人の関係が急接近したのも本冊の期間である。また幽斎は文禄4年以降吉田山内に随神庵を営み移り住んだことにより、その動向がより詳細に記され、兼見も彼の交際圏に包まれてゆく。碁打本因坊算砂らとの交友もそのひとつである。 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第223回配本 儀物軌式

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
18,700
徳川林政史研究所編/深井雅海・藤田英昭・萱田寛也校訂、八木書店、令7、1冊
豊富な図で読み解く尾張徳川家の贈答品とその作法
『礼物軌式』(史料纂集古記録編第219回配本)の姉妹編!

【内容説明】
『儀物軌式』(徳川林政史研究所所蔵)とは、尾張徳川家から御三家・御三卿・大名家・旗本家・江戸城や御三家の女中・公家・寺院などに品物を贈る際の仕立方(作法)について、図入りで紹介した史料である。
 文化14年(1817)に成立した。尾張徳川家から徳川将軍家への献上物の仕立方(作法)について記した『礼物軌式』(第219回配本)の姉妹編として位置づけられる。

〔本書の魅力〕
①贈呈に関係する行為の起源がわかる!
『儀物軌式』は全10巻構成である。巻1では「原始」として、各品物を贈る際の作法が決められた時期などについて記されている。本書全体を通して、各宛先に贈った品物や仕立方(作法)の概要だけでなく、贈呈にまつわる作法の契機やその後の変遷まで分析することが可能になる。

②武家・公家・寺院などへの贈呈品の詳細がわかる!
巻2以降は、御三家・御三卿・大名家・旗本家・江戸城や御三家の女中・公家・寺社など宛先ごとに巻が分かれている。品目ごとに、贈呈品の仕立方(作法)の詳細や、容器の図が記されているほか、「近例書抜」として過去の事例も紹介されている。本書巻末に「宛名別贈答の近例一覧」を掲載しているので、宛先に応じてどのような品目を贈呈したのか、その傾向をつかむことが容易になる。

【目次】
巻1凡例・篇目/巻2武家之部(御三家・御三卿やその縁者)/巻3武家之部(十万石以上の大名衆・老中ほか・十万石以下の大名衆・旗本衆ほか)/巻4女中様方(御三家・御三卿の室・息女)/巻5女中衆(尾張徳川家の姻戚ほか)/巻6・7公家衆(摂家・親王家・清華家・大臣家)・神職ほか/巻8・9門跡/巻10尾張徳川家と縁のある社寺ほか

〔解題〕
「儀物軌式」の概要(萱田寛也)
「儀物軌式」にみる鮎鮓の贈答(谷橋啓太)
宛名別品目一覧・宛名別贈答の近例一覧(川島孝一)

#八木書店出版物/-/-
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18,700
徳川林政史研究所編/深井雅海・藤田英昭・萱田寛也校訂 、八木書店 、令7 、1冊
豊富な図で読み解く尾張徳川家の贈答品とその作法 『礼物軌式』(史料纂集古記録編第219回配本)の姉妹編! 【内容説明】 『儀物軌式』(徳川林政史研究所所蔵)とは、尾張徳川家から御三家・御三卿・大名家・旗本家・江戸城や御三家の女中・公家・寺院などに品物を贈る際の仕立方(作法)について、図入りで紹介した史料である。  文化14年(1817)に成立した。尾張徳川家から徳川将軍家への献上物の仕立方(作法)について記した『礼物軌式』(第219回配本)の姉妹編として位置づけられる。 〔本書の魅力〕 ①贈呈に関係する行為の起源がわかる! 『儀物軌式』は全10巻構成である。巻1では「原始」として、各品物を贈る際の作法が決められた時期などについて記されている。本書全体を通して、各宛先に贈った品物や仕立方(作法)の概要だけでなく、贈呈にまつわる作法の契機やその後の変遷まで分析することが可能になる。 ②武家・公家・寺院などへの贈呈品の詳細がわかる! 巻2以降は、御三家・御三卿・大名家・旗本家・江戸城や御三家の女中・公家・寺社など宛先ごとに巻が分かれている。品目ごとに、贈呈品の仕立方(作法)の詳細や、容器の図が記されているほか、「近例書抜」として過去の事例も紹介されている。本書巻末に「宛名別贈答の近例一覧」を掲載しているので、宛先に応じてどのような品目を贈呈したのか、その傾向をつかむことが容易になる。 【目次】 巻1凡例・篇目/巻2武家之部(御三家・御三卿やその縁者)/巻3武家之部(十万石以上の大名衆・老中ほか・十万石以下の大名衆・旗本衆ほか)/巻4女中様方(御三家・御三卿の室・息女)/巻5女中衆(尾張徳川家の姻戚ほか)/巻6・7公家衆(摂家・親王家・清華家・大臣家)・神職ほか/巻8・9門跡/巻10尾張徳川家と縁のある社寺ほか 〔解題〕 「儀物軌式」の概要(萱田寛也) 「儀物軌式」にみる鮎鮓の贈答(谷橋啓太) 宛名別品目一覧・宛名別贈答の近例一覧(川島孝一) #八木書店出版物/-/-

史料纂集古記録編 第222回配本 勘仲記8

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂、八木書店、令7、1冊
蒙古襲来前後の朝廷の様子や、持明院・大覚寺両統迭立など、重要な事件を目撃した実務官人の克明な記録を自筆本により翻刻

【内容説明】
■史料纂集本勘仲記の特長
●自筆本を底本とする最善の本文を提供。
●断簡や逸文、日記本文が現存しない部分の日記目録も収録。
●墨継ぎや文字間隔、追筆・挿入・抹消に見られる兼仲の筆録意識を読み取るなど、最新の研究成果に基づく、最善の本文を提供。


■勘仲記とは
藤原(広橋)兼仲(一二四四■一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。国立歴史民俗博物館に自筆本九十巻が所蔵されているほか、若干の断簡や逸文が伝わっている。日野流の広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の 『民経記』など、代々日記を残した。
 本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。
 とりわけ二度の蒙古襲来とその前後の京都の状況を知る重要な記事を多く含み、朝廷・寺社がこの事態にいかに対処したかを看取できる。

■藤原兼仲
父は経光、母は藤原親実の女。正嘉二年(一二五七)十四歳で叙爵し、治部少輔や摂関家の政所別当などを勤めた。兄兼頼が弘安三年(一二八〇)死去した後、家を継いで四十一歳で蔵人となり、弁官や亀山上皇の院司にもなった。正応五年(一二九二)に蔵人頭から参議となって公卿に列し、永仁元年(一二九三)には権中納言となったが、翌年、これを辞し、延慶元年(一三〇八)六十五歳で死去した。

【目次】
【所収】正応5年(1292)11月~正安3年(1301)11月・補遺/解題(高橋秀樹)

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂 、八木書店 、令7 、1冊
蒙古襲来前後の朝廷の様子や、持明院・大覚寺両統迭立など、重要な事件を目撃した実務官人の克明な記録を自筆本により翻刻 【内容説明】 ■史料纂集本勘仲記の特長 ●自筆本を底本とする最善の本文を提供。 ●断簡や逸文、日記本文が現存しない部分の日記目録も収録。 ●墨継ぎや文字間隔、追筆・挿入・抹消に見られる兼仲の筆録意識を読み取るなど、最新の研究成果に基づく、最善の本文を提供。 ■勘仲記とは 藤原(広橋)兼仲(一二四四■一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。国立歴史民俗博物館に自筆本九十巻が所蔵されているほか、若干の断簡や逸文が伝わっている。日野流の広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の 『民経記』など、代々日記を残した。  本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。  とりわけ二度の蒙古襲来とその前後の京都の状況を知る重要な記事を多く含み、朝廷・寺社がこの事態にいかに対処したかを看取できる。 ■藤原兼仲 父は経光、母は藤原親実の女。正嘉二年(一二五七)十四歳で叙爵し、治部少輔や摂関家の政所別当などを勤めた。兄兼頼が弘安三年(一二八〇)死去した後、家を継いで四十一歳で蔵人となり、弁官や亀山上皇の院司にもなった。正応五年(一二九二)に蔵人頭から参議となって公卿に列し、永仁元年(一二九三)には権中納言となったが、翌年、これを辞し、延慶元年(一三〇八)六十五歳で死去した。 【目次】 【所収】正応5年(1292)11月~正安3年(1301)11月・補遺/解題(高橋秀樹) #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

古代日本の国家形成と東部ユーラシア〈交通〉

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
9,900
中野高行著、八木書店、令5、1冊
東部ユーラシアにおける〈交通〉のなかで日本の古代国家はいかに形成されたのか
継体天皇の即位、白村江の戦い、高麗郡建郡、遣唐使の派遣、渤海との外交など重要な事例を〈交通〉の視点から再検証し、日本古代国家の形成史を描く
諸国とのネットワーク形成と国家成立の関係を解明!

【内容説明】
〈交通〉の機能を、①政治・軍事的機能(戦争や外交をふくむ対外諸関係/交通網)、②経済的機能(生産/土地利用の機能分化/流通・交換・商業/分業)、③思想・社会的機能(自然界に対する人間界優位の確立/社会の緊密化)、④精神的機能(慣習/文字/仏教/法/儒学/礼)に整理し、諸国とのネットワークの形成と国家成立の関係を描く。
 ①政治・軍事的機能(戦争や外交をふくむ対外諸関係/交通網)
  第一章で五・六世紀における東アジア世界の戦争と外交の実像を、第五章で七世紀後半の「唐・新羅戦争」前後における新羅と倭国の国制改革について考察。
 ②経済的機能(生産/土地利用の機能分化/流通・交換・商業/分業)
 第二章・第三章で西日本に構築された交易ネットワークについて、継体天皇の史的意義とあわせて詳述。
 ③思想・社会的機能(自然界に対する人間界優位の確立/社会の緊密化)
 第六章で八世紀前半の律令制国家が設置した高麗郡の様態について検討。
 ④精神的機能(慣習/文字/仏教/法/儒学/礼)
 付論1で律令制国家の胎動期における渡来系移住民(渡来人・帰化人)の諸相を整理・分析。第四章では天智朝における天皇発願寺院の創建と正史の関係を探る。付論2では『令集解』に見える明法家諸説に関する研究史を整理し、律令制国家の始動期から活躍した法律の専門家たちの史的意義と、律令受容の実相を概観。第八章では渤海国王宛慰労詔書に記された〈斗牛〉という語句の思想的背景を追求した。付論3では高校における朝鮮史教育の展望を検討する中で、ユーラシア大陸東部の交易ネットワークという視座がどのように取り扱われているのかを確認。

#八木書店出版物/-/-
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9,900
中野高行著 、八木書店 、令5 、1冊
東部ユーラシアにおける〈交通〉のなかで日本の古代国家はいかに形成されたのか 継体天皇の即位、白村江の戦い、高麗郡建郡、遣唐使の派遣、渤海との外交など重要な事例を〈交通〉の視点から再検証し、日本古代国家の形成史を描く 諸国とのネットワーク形成と国家成立の関係を解明! 【内容説明】 〈交通〉の機能を、①政治・軍事的機能(戦争や外交をふくむ対外諸関係/交通網)、②経済的機能(生産/土地利用の機能分化/流通・交換・商業/分業)、③思想・社会的機能(自然界に対する人間界優位の確立/社会の緊密化)、④精神的機能(慣習/文字/仏教/法/儒学/礼)に整理し、諸国とのネットワークの形成と国家成立の関係を描く。  ①政治・軍事的機能(戦争や外交をふくむ対外諸関係/交通網)   第一章で五・六世紀における東アジア世界の戦争と外交の実像を、第五章で七世紀後半の「唐・新羅戦争」前後における新羅と倭国の国制改革について考察。  ②経済的機能(生産/土地利用の機能分化/流通・交換・商業/分業)  第二章・第三章で西日本に構築された交易ネットワークについて、継体天皇の史的意義とあわせて詳述。  ③思想・社会的機能(自然界に対する人間界優位の確立/社会の緊密化)  第六章で八世紀前半の律令制国家が設置した高麗郡の様態について検討。  ④精神的機能(慣習/文字/仏教/法/儒学/礼)  付論1で律令制国家の胎動期における渡来系移住民(渡来人・帰化人)の諸相を整理・分析。第四章では天智朝における天皇発願寺院の創建と正史の関係を探る。付論2では『令集解』に見える明法家諸説に関する研究史を整理し、律令制国家の始動期から活躍した法律の専門家たちの史的意義と、律令受容の実相を概観。第八章では渤海国王宛慰労詔書に記された〈斗牛〉という語句の思想的背景を追求した。付論3では高校における朝鮮史教育の展望を検討する中で、ユーラシア大陸東部の交易ネットワークという視座がどのように取り扱われているのかを確認。 #八木書店出版物/-/-

史料纂集古記録編 第218回配本 平戸記1

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
17,600
奈良中世日記研究会校訂(丹生谷哲一・生駒孝臣・岩田慎平・大島佳代・高正樹・斎木涼子・曽我部愛・吉江崇・・・
『吾妻鏡』の欠落を補う、鎌倉時代史研究の基本史料!
承久の乱後、朝幕関係の転換期を生きた廷臣の日記

【内容説明】
〔『平戸記』とは〕
平経高(1180-1255)の日記。姓の「平」と民部卿の唐名である「戸部尚書」の「戸」から『平戸記』と呼ばれ、『経高卿記』とも称される。
平経高は治承4年(1180)、桓武平氏高棟流の平行範の子として生まれた。はじめ吉田経房の猶子となるが、のち復姓し蔵人、弁官を経て元仁元年(1224)45歳にして従三位に叙され、公卿となる。建長7年(1255)、76歳で薨ずるまで八朝(後鳥羽~後深草天皇)に仕え、博学にして故実に通じ、関白九条道家の側近の一人である。
現在、延応2(仁治元)・仁治3年、寛元2・3年の写本と部類記などに引用された逸文が伝存する。

〔本書の特長〕
①底本に古写本を採用した最良のテキストを提供
『平戸記』の自筆原本はなく、南北朝期の書写と推定される伏見宮本、「明暦」の印記をもつ東山御文庫所蔵本(新写本)を主たる底本として翻刻・校訂を行った。長らく「史料大成」本が使用されてきたが、古写本を底本としていないという現況に鑑み、今回新たに諸写本を調査した上で校合を施した。また、標出(内容の要約)を付して読解の便宜を図った。
②鎌倉時代の研究に不可欠の第一級の史料
『平戸記』には鎌倉幕府の基本文献である『吾妻鏡』で欠落する仁治3年の記事が収録されている。記主の経高は、承久の乱後の親幕府派に信任され、朝廷の政務や故実に通じた人物として人々から一目置かれていた。そのため、本書は公武に関わる記事に富む。第1冊には高麗国牒状など外交の記事、仁治改元における年号勘文や除目における聞書など朝廷政務に関わる文書、後嵯峨天皇の即位・大嘗祭の関連記事、関東の鎌倉幕府・京都の九条家の動向に関する記事などが収録されている。

【目次】
【所収】延応2年(1240)正月~仁治3年(1242)9月

#八木書店出版物/-/-
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17,600
奈良中世日記研究会校訂(丹生谷哲一・生駒孝臣・岩田慎平・大島佳代・高正樹・斎木涼子・曽我部愛・吉江崇) 、八木書店 、令5 、1冊
『吾妻鏡』の欠落を補う、鎌倉時代史研究の基本史料! 承久の乱後、朝幕関係の転換期を生きた廷臣の日記 【内容説明】 〔『平戸記』とは〕 平経高(1180-1255)の日記。姓の「平」と民部卿の唐名である「戸部尚書」の「戸」から『平戸記』と呼ばれ、『経高卿記』とも称される。 平経高は治承4年(1180)、桓武平氏高棟流の平行範の子として生まれた。はじめ吉田経房の猶子となるが、のち復姓し蔵人、弁官を経て元仁元年(1224)45歳にして従三位に叙され、公卿となる。建長7年(1255)、76歳で薨ずるまで八朝(後鳥羽~後深草天皇)に仕え、博学にして故実に通じ、関白九条道家の側近の一人である。 現在、延応2(仁治元)・仁治3年、寛元2・3年の写本と部類記などに引用された逸文が伝存する。 〔本書の特長〕 ①底本に古写本を採用した最良のテキストを提供 『平戸記』の自筆原本はなく、南北朝期の書写と推定される伏見宮本、「明暦」の印記をもつ東山御文庫所蔵本(新写本)を主たる底本として翻刻・校訂を行った。長らく「史料大成」本が使用されてきたが、古写本を底本としていないという現況に鑑み、今回新たに諸写本を調査した上で校合を施した。また、標出(内容の要約)を付して読解の便宜を図った。 ②鎌倉時代の研究に不可欠の第一級の史料 『平戸記』には鎌倉幕府の基本文献である『吾妻鏡』で欠落する仁治3年の記事が収録されている。記主の経高は、承久の乱後の親幕府派に信任され、朝廷の政務や故実に通じた人物として人々から一目置かれていた。そのため、本書は公武に関わる記事に富む。第1冊には高麗国牒状など外交の記事、仁治改元における年号勘文や除目における聞書など朝廷政務に関わる文書、後嵯峨天皇の即位・大嘗祭の関連記事、関東の鎌倉幕府・京都の九条家の動向に関する記事などが収録されている。 【目次】 【所収】延応2年(1240)正月~仁治3年(1242)9月 #八木書店出版物/-/-

史料纂集古記録編 第20回配本 教言卿記2〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
9,900
臼井信義・嗣永芳照校訂、八木書店、令5、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

中納言正二位山科教言(一三二八-一四一〇)の日記。応永十二年山科家は火災にあい累代の記録を亡失したが、その後をうけて書き続けた日記で、他にあまり記録を残さないこの時代の重要な史料である。教言は義満の寵遇をうけ、また山科家が代々内蔵頭となるのもこの時からで、従って義満の行動や寮領支配を知る好個の史料であり、また禅僧の往来や、音楽・医薬関係の記事も豊富。

〔収録範囲〕
1407〔応永14〕~1408〔応永15〕
○鳥の供御人歳末課役未進
○広橋兼宣山科家の文書を購い教興に贈る
○教言教興の院司に補せられたることを義満に謝す
○義満教言をして琵琶を修理せしむ
○播磨細川荘の長夫上洛
○教言平緒を本銭返の質に取る
○義満教興の子徳菊丸を三千院に入室せしめんとす
○遣明使帰朝するにより義満兵庫に赴く
○季璞梵璞教言を訪う
○豊原定秋の血脈を献ず
○帰朝の船二十万貫を進む
○義満明人を伴いて常在光院に紅葉を観る
○明人に見せんがため北山女院元日拝礼の事
○義満明船を見んため兵庫に到る
○室町第にヒキカエルの大群現る
○備前居都荘山科家一円知行につき守護より故障す
○山科家借物返済
○教興教豊高倉永行を訪い直衣袴等の秘説を受く
○後小松天皇義満の北山第に行幸せらる
○義満義嗣を伴い伊勢へ参宮せんとす
○平家物語勧進
○義満薨ず
○教言焼香のため等持院に参詣す
○飛騨匠家熙上洛
○南都無人と六方衆の喧嘩
○甲州大中中建より使僧来る

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第20回配本 教言卿記2〔オンデマンド版〕

9,900
臼井信義・嗣永芳照校訂 、八木書店 、令5 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 中納言正二位山科教言(一三二八-一四一〇)の日記。応永十二年山科家は火災にあい累代の記録を亡失したが、その後をうけて書き続けた日記で、他にあまり記録を残さないこの時代の重要な史料である。教言は義満の寵遇をうけ、また山科家が代々内蔵頭となるのもこの時からで、従って義満の行動や寮領支配を知る好個の史料であり、また禅僧の往来や、音楽・医薬関係の記事も豊富。 〔収録範囲〕 1407〔応永14〕~1408〔応永15〕 ○鳥の供御人歳末課役未進 ○広橋兼宣山科家の文書を購い教興に贈る ○教言教興の院司に補せられたることを義満に謝す ○義満教言をして琵琶を修理せしむ ○播磨細川荘の長夫上洛 ○教言平緒を本銭返の質に取る ○義満教興の子徳菊丸を三千院に入室せしめんとす ○遣明使帰朝するにより義満兵庫に赴く ○季璞梵璞教言を訪う ○豊原定秋の血脈を献ず ○帰朝の船二十万貫を進む ○義満明人を伴いて常在光院に紅葉を観る ○明人に見せんがため北山女院元日拝礼の事 ○義満明船を見んため兵庫に到る ○室町第にヒキカエルの大群現る ○備前居都荘山科家一円知行につき守護より故障す ○山科家借物返済 ○教興教豊高倉永行を訪い直衣袴等の秘説を受く ○後小松天皇義満の北山第に行幸せらる ○義満義嗣を伴い伊勢へ参宮せんとす ○平家物語勧進 ○義満薨ず ○教言焼香のため等持院に参詣す ○飛騨匠家熙上洛 ○南都無人と六方衆の喧嘩 ○甲州大中中建より使僧来る #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第149回配本 勘仲記1〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
11,000
高橋秀樹・櫻井彦・中込律子校訂、八木書店、令5、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
■史料纂集本勘仲記の特長
●自筆本を底本とする最善の本文を提供。
●断簡や逸文、日記本文が現存しない部分の日記目録も収録。
●墨継ぎや文字間隔、追筆・挿入・抹消に見られる兼仲の筆録意識を読み取るなど、最新の研究成果に基づく、最善の本文を提供。
●第一冊等に収録の建治元年十・十一月記、同二年春記は初翻刻。他の記事にも大幅な修正を施した。


■勘仲記とは
藤原(広橋)兼仲(一二四四―一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。国立歴史民俗博物館に自筆本九十巻が所蔵されているほか、若干の断簡や逸文が伝わっている。日野流の広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の 『民経記』など、代々日記を残した。
 本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。
 とりわけ二度の蒙古襲来とその前後の京都の状況を知る重要な記事を多く含み、朝廷・寺社がこの事態にいかに対処したかを看取できる。

■藤原兼仲
父は経光、母は藤原親実の女。正嘉二年(一二五七)十四歳で叙爵し、治部少輔や摂関家の政所別当などを勤めた。兄兼頼が弘安三年(一二八〇)死去した後、家を継いで四十一歳で蔵人となり、弁官や亀山上皇の院司にもなった。正応五年(一二九二)に蔵人頭から参議となって公卿に列し、永仁元年(一二九三)には権中納言となったが、翌年、これを辞し、延慶元年(一三〇八)六十五歳で死去した。

〔収録範囲〕
①1274年〔文永11〕~1277年〔建治3〕

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第149回配本 勘仲記1〔オンデマンド版〕

11,000
高橋秀樹・櫻井彦・中込律子校訂 、八木書店 、令5 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 ■史料纂集本勘仲記の特長 ●自筆本を底本とする最善の本文を提供。 ●断簡や逸文、日記本文が現存しない部分の日記目録も収録。 ●墨継ぎや文字間隔、追筆・挿入・抹消に見られる兼仲の筆録意識を読み取るなど、最新の研究成果に基づく、最善の本文を提供。 ●第一冊等に収録の建治元年十・十一月記、同二年春記は初翻刻。他の記事にも大幅な修正を施した。 ■勘仲記とは 藤原(広橋)兼仲(一二四四―一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。国立歴史民俗博物館に自筆本九十巻が所蔵されているほか、若干の断簡や逸文が伝わっている。日野流の広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の 『民経記』など、代々日記を残した。  本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。  とりわけ二度の蒙古襲来とその前後の京都の状況を知る重要な記事を多く含み、朝廷・寺社がこの事態にいかに対処したかを看取できる。 ■藤原兼仲 父は経光、母は藤原親実の女。正嘉二年(一二五七)十四歳で叙爵し、治部少輔や摂関家の政所別当などを勤めた。兄兼頼が弘安三年(一二八〇)死去した後、家を継いで四十一歳で蔵人となり、弁官や亀山上皇の院司にもなった。正応五年(一二九二)に蔵人頭から参議となって公卿に列し、永仁元年(一二九三)には権中納言となったが、翌年、これを辞し、延慶元年(一三〇八)六十五歳で死去した。 〔収録範囲〕 ①1274年〔文永11〕~1277年〔建治3〕 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第16回配本 葉黄記1〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
9,900
菊地康明・田沼睦校訂、八木書店、令5、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

後嵯峨上皇の近臣葉室定嗣(一二〇八-一二七二)の公事日記。寛元四年(一二四六)、定嗣三十九歳参議兼大蔵卿から四十一歳権中納言までの間が中心となる。僅かな期間であるが、奉行院司として後嵯峨院政開始期の政務の衝にあたり、関東申次事務のうち雑務を分掌するなど、朝幕の間にあって枢要な地位を占めている。また院を中心とする諸公事・行事が克明に記述されており貴重である。

〔収録範囲〕
1230〔寛喜2〕~1247〔宝治元〕
○道家の息福王(法助)仁和寺道深法親王の許に出家
○関白良実の罷免を関東に計り一決
○関白交代の事情
○道家自ら関白初任次第を作る
○後嵯峨天皇御譲位次弟
○剣璽渡御の行列図
○西園寺実氏任太政大臣節会
○関東申次(重時は九条道家細事は高階経雅)
○申次の事を関東に諮問す
○宗尊親王着袴定
○山門衆徒蜂起
○執権北条経時卒去により関東騒動
○道家保元以後の家領の伝領経緯を定嗣に語る
○多武峯の墓鳴動す
○京都大火
○関東より頼経の近習に対する北条時頼の処置を報ず
○道家邸付近の不穏は天狗の所為の風説
○関東の使者安達泰盛頼経の上洛を報ず
○八条院領伝領により邦子内親王沙汰す
○興福寺衆徒蜂起
○申次交迭(道家より西園寺実氏)
○徳政興行
○武士の洛中守護停止
○未曽有の大雪
○関東騒動以後実経解任運動起る
○後嵯峨治世間に摂政の改任四度は希代の事なり
○院評定所の人名を幕府に通達し諒承の返答あり
○天変大流星

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第16回配本 葉黄記1〔オンデマンド版〕

9,900
菊地康明・田沼睦校訂 、八木書店 、令5 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 後嵯峨上皇の近臣葉室定嗣(一二〇八-一二七二)の公事日記。寛元四年(一二四六)、定嗣三十九歳参議兼大蔵卿から四十一歳権中納言までの間が中心となる。僅かな期間であるが、奉行院司として後嵯峨院政開始期の政務の衝にあたり、関東申次事務のうち雑務を分掌するなど、朝幕の間にあって枢要な地位を占めている。また院を中心とする諸公事・行事が克明に記述されており貴重である。 〔収録範囲〕 1230〔寛喜2〕~1247〔宝治元〕 ○道家の息福王(法助)仁和寺道深法親王の許に出家 ○関白良実の罷免を関東に計り一決 ○関白交代の事情 ○道家自ら関白初任次第を作る ○後嵯峨天皇御譲位次弟 ○剣璽渡御の行列図 ○西園寺実氏任太政大臣節会 ○関東申次(重時は九条道家細事は高階経雅) ○申次の事を関東に諮問す ○宗尊親王着袴定 ○山門衆徒蜂起 ○執権北条経時卒去により関東騒動 ○道家保元以後の家領の伝領経緯を定嗣に語る ○多武峯の墓鳴動す ○京都大火 ○関東より頼経の近習に対する北条時頼の処置を報ず ○道家邸付近の不穏は天狗の所為の風説 ○関東の使者安達泰盛頼経の上洛を報ず ○八条院領伝領により邦子内親王沙汰す ○興福寺衆徒蜂起 ○申次交迭(道家より西園寺実氏) ○徳政興行 ○武士の洛中守護停止 ○未曽有の大雪 ○関東騒動以後実経解任運動起る ○後嵯峨治世間に摂政の改任四度は希代の事なり ○院評定所の人名を幕府に通達し諒承の返答あり ○天変大流星 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第216回配本 花月日記4

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂、八木書店、令5、1冊
「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻!

【内容説明】
江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。白河藩主致仕の日をもって起筆、以後逝去の前年までの日記。定信の見識を通じての、当代の世情、事件、及び政治・文化面の具体的な記述、様々な人物への評言には、実に興味深いものがある。
 若くして徳川幕府老中首座・将軍補佐となり、「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。
 退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。
 日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。
 なお、「浴恩園」は閉鎖された旧築地市場(東京都中央区)の広大な跡地に眠っている。数十年にわたり地下に埋もれてきたが、都などは東京五輪・パラリンピック後の再開発に伴い、初の発掘調査を検討。庭園の再発見と実態解明に期待が高まっている。

【目次】
【所収】文化15年(1818)正月~文政4年(1821)12月

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂 、八木書店 、令5 、1冊
「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻! 【内容説明】 江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。白河藩主致仕の日をもって起筆、以後逝去の前年までの日記。定信の見識を通じての、当代の世情、事件、及び政治・文化面の具体的な記述、様々な人物への評言には、実に興味深いものがある。  若くして徳川幕府老中首座・将軍補佐となり、「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。  退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。  日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。  なお、「浴恩園」は閉鎖された旧築地市場(東京都中央区)の広大な跡地に眠っている。数十年にわたり地下に埋もれてきたが、都などは東京五輪・パラリンピック後の再開発に伴い、初の発掘調査を検討。庭園の再発見と実態解明に期待が高まっている。 【目次】 【所収】文化15年(1818)正月~文政4年(1821)12月 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

尊経閣善本影印集成80 尊経閣古文書纂 社寺文書 1〔第十輯 古文書〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
28,600
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介、八木書店、令4、1冊
所領の安堵状や補任状、寺院の運営など、多岐にわたる古文書群
【内容説明】
「尊経閣古文書纂」のうち、社寺文書を中心とした古文書群で、神社が二群、仏寺が一五群、総数は八四五点である。内訳は、石清水八幡宮文書=一三二点、加茂社文書=一四点、仁和寺心蓮院文書=一九点(以上、三群を「社寺文書」一として集成)、宝菩提院文書=九九点、東福寺文書=一九五点(以上、二群を「社寺文書」二として集成)、長福寺文書=一四五点、大覚寺文書=一五点、大光明寺文書=一二点(以上、三群を「社寺文書」三として集成)、高野蓮養坊文書=二七点、南禅寺慈聖院文書=四八通、天龍寺真乗院文書=一四点、天龍寺周悦関係文書=二三点、西興寺文書=二〇点、園城寺実相院文書=二一点、清水寺文書=一〇点、神護寺文書=二一点、青蓮院文書=二九点(以上、九群を「社寺文書」四として集成)。社寺文書の内容は、所領の安堵状や補任状が多くを占めるほか、寄進状や田地売券、祈?状など多岐にわたる。石清水八幡宮文書は、多くの別宮・社領を有した石清水八幡宮の古文書群で、所領安堵や土地相論に関する古文書が多く残り、『史料纂集古文書編 尊経閣文庫所蔵石清水文書』(八木書店)に翻刻されている。東福寺文書は、京都五山に列せられ、武家政権から庇護を受けた東福寺から流出したものの一部で、足利尊氏の自筆祈?状などが伝わる。また、末寺や別院の運営、寺家の経営に関する古文書も残されている。長福寺文書は、現在の京都市右京区梅津に所在する長福寺の伝来文書で、寺院の金融資金である祠堂銭関係の古文書も残されている。さらに、天龍寺真乗院文書は、京都五山筆頭天龍寺の塔頭である真乗院の古文書だが、楠木正成らに仕えた和泉国和田氏に関係する古文書を含み、大塔宮(護良親王)の令旨や楠木正儀の書状が伝わっている。

#八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料
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28,600
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介 、八木書店 、令4 、1冊
所領の安堵状や補任状、寺院の運営など、多岐にわたる古文書群 【内容説明】 「尊経閣古文書纂」のうち、社寺文書を中心とした古文書群で、神社が二群、仏寺が一五群、総数は八四五点である。内訳は、石清水八幡宮文書=一三二点、加茂社文書=一四点、仁和寺心蓮院文書=一九点(以上、三群を「社寺文書」一として集成)、宝菩提院文書=九九点、東福寺文書=一九五点(以上、二群を「社寺文書」二として集成)、長福寺文書=一四五点、大覚寺文書=一五点、大光明寺文書=一二点(以上、三群を「社寺文書」三として集成)、高野蓮養坊文書=二七点、南禅寺慈聖院文書=四八通、天龍寺真乗院文書=一四点、天龍寺周悦関係文書=二三点、西興寺文書=二〇点、園城寺実相院文書=二一点、清水寺文書=一〇点、神護寺文書=二一点、青蓮院文書=二九点(以上、九群を「社寺文書」四として集成)。社寺文書の内容は、所領の安堵状や補任状が多くを占めるほか、寄進状や田地売券、祈?状など多岐にわたる。石清水八幡宮文書は、多くの別宮・社領を有した石清水八幡宮の古文書群で、所領安堵や土地相論に関する古文書が多く残り、『史料纂集古文書編 尊経閣文庫所蔵石清水文書』(八木書店)に翻刻されている。東福寺文書は、京都五山に列せられ、武家政権から庇護を受けた東福寺から流出したものの一部で、足利尊氏の自筆祈?状などが伝わる。また、末寺や別院の運営、寺家の経営に関する古文書も残されている。長福寺文書は、現在の京都市右京区梅津に所在する長福寺の伝来文書で、寺院の金融資金である祠堂銭関係の古文書も残されている。さらに、天龍寺真乗院文書は、京都五山筆頭天龍寺の塔頭である真乗院の古文書だが、楠木正成らに仕えた和泉国和田氏に関係する古文書を含み、大塔宮(護良親王)の令旨や楠木正儀の書状が伝わっている。 #八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料

中世天皇家の作法と律令制の残像

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
7,700
久水俊和著、八木書店、令2、1冊
世に残された古代律令制の実像とは? 
朝廷と室町幕府のあらたな関係を提示

【下級役人に注目した公武共同執行体制の再構築】
●最新の学説「公武統一政権」では、朝廷=天皇、幕府=将軍の“個人商店”ともいえる趣で、最上層部のみを対象に述べられており、下級役人は軽視されている。
●幕府には政所があり、朝廷には官司請負化しているものの律令国家以来の太政官制が健在なのにもかかわらず、里内裏=内廷機能ばかりが注目され、太政官制は「形骸化」したと誤認される。
●公武の実務担当の下級役人を手がかりに、公武共同による執行体制の再構築を試みる。

【皇統はどのように確立したのか】
●正平一統(南北朝期の正平年間〔1346‐70〕に一時的に南北朝が合体したこと)がきっかけとなり北朝は後光厳院流・崇光院流の2つに分裂。後花園は後光厳院流を継承したのか、それとも血脈優先で崇光院流を継承したのか。現在の皇室にもつながる問題に挑む。
●後花園(貞成)への尊号宣下により崇光院流に決着したする通説に対して、「家(イエ)」を構成する要素は公事作法・仏神事・学芸など多岐にわたる点に注目し、新説を提示。皇統の問題を追求する。

【平安京大内裏跡の復原】
●中世後期から近世初頭、「内野」と呼ばれた平安京大内裏跡を復原。これまではほとんどが里内裏=内廷機能中心に論展開されており、内野を舞台に展開された太政官・神祇官・真言院の国家的機能が軽視されている。さらに、中世内野を復原した諸地図に至っては、空閑地のままである。
●内野に存続した神祇官・太政官庁・真言院および神泉苑の機能を明確にし、内野での機能的終焉を追跡する。同時に、内野に何故これらの官衙・禁苑が維持されたのかを、その終焉から帰納的に考察する。終焉の画期となった聚楽第・二条城築城と内野の連関も試みる。

#八木書店出版物/-/-
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7,700
久水俊和著 、八木書店 、令2 、1冊
世に残された古代律令制の実像とは?  朝廷と室町幕府のあらたな関係を提示 【下級役人に注目した公武共同執行体制の再構築】 ●最新の学説「公武統一政権」では、朝廷=天皇、幕府=将軍の“個人商店”ともいえる趣で、最上層部のみを対象に述べられており、下級役人は軽視されている。 ●幕府には政所があり、朝廷には官司請負化しているものの律令国家以来の太政官制が健在なのにもかかわらず、里内裏=内廷機能ばかりが注目され、太政官制は「形骸化」したと誤認される。 ●公武の実務担当の下級役人を手がかりに、公武共同による執行体制の再構築を試みる。 【皇統はどのように確立したのか】 ●正平一統(南北朝期の正平年間〔1346‐70〕に一時的に南北朝が合体したこと)がきっかけとなり北朝は後光厳院流・崇光院流の2つに分裂。後花園は後光厳院流を継承したのか、それとも血脈優先で崇光院流を継承したのか。現在の皇室にもつながる問題に挑む。 ●後花園(貞成)への尊号宣下により崇光院流に決着したする通説に対して、「家(イエ)」を構成する要素は公事作法・仏神事・学芸など多岐にわたる点に注目し、新説を提示。皇統の問題を追求する。 【平安京大内裏跡の復原】 ●中世後期から近世初頭、「内野」と呼ばれた平安京大内裏跡を復原。これまではほとんどが里内裏=内廷機能中心に論展開されており、内野を舞台に展開された太政官・神祇官・真言院の国家的機能が軽視されている。さらに、中世内野を復原した諸地図に至っては、空閑地のままである。 ●内野に存続した神祇官・太政官庁・真言院および神泉苑の機能を明確にし、内野での機能的終焉を追跡する。同時に、内野に何故これらの官衙・禁苑が維持されたのかを、その終焉から帰納的に考察する。終焉の画期となった聚楽第・二条城築城と内野の連関も試みる。 #八木書店出版物/-/-

史料纂集古記録編 第178回配本 兼見卿記4

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
14,300
橋本政宣・金子拓・堀新・遠藤珠紀校訂、八木書店、平27、1冊
神祇大副吉田兼見(1535~1610)の日記。兼見は吉田神道の宗家、吉田社神主の家職を承けて神道管領長上を称し、全国の神職に対して、補任その他神道伝授等につき絶大なる権勢があった。神事に関する記載のほか、変転する中央政界の情勢、特に信長・秀吉・家康らの有力武将達の動静に詳しく、社会および学芸等に関する記載も豊富で、安土桃山時代の最も重要な史料である。

〔収録範囲〕1588〔天正18〕~1590〔天正20〕

●本冊には、豊臣秀吉による小田原北条氏攻め・奥羽仕置を経て朝鮮出兵に至る政治情勢、また、聚楽第の整備、禁裏の造替、東山大仏の建立をはじめとした京都の大規模な都市改造に関連する記事を豊富に収める。

●秀吉の愛息鶴松の夭折、生母大政所や弟秀長の死去など肉親との死別から、甥秀次への関白職譲与に至る豊臣政権内部の動向も詳しい。大徳寺への木像設置に端を発した千利休の処罰と、彼の家族に対する苛酷な拷問の風聞も記録されている。

●禁中内侍所造替による八咫鏡遷座のための神事や、吉田社境内における八神殿再興など、後陽成天皇と生母勧修寺晴子の吉田社神主兼見への信頼がますます厚くなる。

●長岡幽斎、毛利輝元、島津義久・義弘、徳川家康ら有力大名との交流、近衛信輔の乱心、嫡孫(のちの萩原兼従)の誕生、文禄2年に実行される嫡子兼治に対する家督譲与後に住むための新第建築など、日常的な出来事にも見るべき点が多い。

●兼見の弟で、吉田山下の神龍院の住職であった梵舜の日記『舜旧記』全8冊(史料纂集古記録編:完結)と併読することにより、織田信長の台頭、本能寺の変、豊臣秀吉の天下平定にいたる様子が看取できよう。

●次の第5より、新発見の天理図書館所蔵の自筆原本を収録し、全6冊として刊行する。

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
14,300
橋本政宣・金子拓・堀新・遠藤珠紀校訂 、八木書店 、平27 、1冊
神祇大副吉田兼見(1535~1610)の日記。兼見は吉田神道の宗家、吉田社神主の家職を承けて神道管領長上を称し、全国の神職に対して、補任その他神道伝授等につき絶大なる権勢があった。神事に関する記載のほか、変転する中央政界の情勢、特に信長・秀吉・家康らの有力武将達の動静に詳しく、社会および学芸等に関する記載も豊富で、安土桃山時代の最も重要な史料である。 〔収録範囲〕1588〔天正18〕~1590〔天正20〕 ●本冊には、豊臣秀吉による小田原北条氏攻め・奥羽仕置を経て朝鮮出兵に至る政治情勢、また、聚楽第の整備、禁裏の造替、東山大仏の建立をはじめとした京都の大規模な都市改造に関連する記事を豊富に収める。 ●秀吉の愛息鶴松の夭折、生母大政所や弟秀長の死去など肉親との死別から、甥秀次への関白職譲与に至る豊臣政権内部の動向も詳しい。大徳寺への木像設置に端を発した千利休の処罰と、彼の家族に対する苛酷な拷問の風聞も記録されている。 ●禁中内侍所造替による八咫鏡遷座のための神事や、吉田社境内における八神殿再興など、後陽成天皇と生母勧修寺晴子の吉田社神主兼見への信頼がますます厚くなる。 ●長岡幽斎、毛利輝元、島津義久・義弘、徳川家康ら有力大名との交流、近衛信輔の乱心、嫡孫(のちの萩原兼従)の誕生、文禄2年に実行される嫡子兼治に対する家督譲与後に住むための新第建築など、日常的な出来事にも見るべき点が多い。 ●兼見の弟で、吉田山下の神龍院の住職であった梵舜の日記『舜旧記』全8冊(史料纂集古記録編:完結)と併読することにより、織田信長の台頭、本能寺の変、豊臣秀吉の天下平定にいたる様子が看取できよう。 ●次の第5より、新発見の天理図書館所蔵の自筆原本を収録し、全6冊として刊行する。 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

俊成筆昭和切 古今和歌集両序

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
15,400
天理図書館所蔵/久保木秀夫編・解題、八木書店、令7、1冊
新たに確認された藤原俊成の真筆!
存否不明となっていた昭和切の真名序・仮名序を高精細カラー版で刊行、定家本の解明にも必備の書

【内容説明】
俊成真筆という計り知れない意義■久保木秀夫(日本大学教授)

 藤原俊成真筆の『古今和歌集』昭和切は、昭和3年(1928)に巻一~十の上帖が分割されて生じた名物切である。と同時に、現在に至るまで700年以上に亘り流布本の地位を占め続けてきた、いわゆる定家本の底本と目されている重要本文資料である。もっともその昭和切上帖では真名序・仮名序の全丁・全文が欠けていた。それが久曽神昇によって発見され、全文翻刻が提供されたのであるが、影印化まではされることなく、典籍としての姿は不明のまま存否不明となっていた。 ところが天理大学附属天理図書館に収蔵されている「古今和歌集両序」という列帖装一括り分の残簡が、まさにその昭和切の真名序・仮名序そのものだった。同本を精査するに、既知の翻刻の誤りを訂し得るばかりでなく、翻刻だけでは知られなかった、俊成また他筆による他本注記や勘物、訓点等も確認できたのであった。 『古今和歌集』俊成本・定家本の生成過程を検討する上で、さらには広く同集に関わる諸問題を調査研究する上でも、この影印本は不可欠必備、また書誌学・文献学・書学・書道・訓点語研究など、広範囲に亘り活用されることも大いに期待される次第である。

【附載】『古今和歌集 俊成本』両序(国立歴史民俗博物館所蔵)
本書では昭和切「両序」の影印本文に加え、俊成本・第一類のほぼ完本として重要な永暦二年(1161)俊成奥書を持つ国立歴史民俗博物館蔵本(鎌倉時代後期頃写)の「両序」全丁のカラー図版を附載し、とりわけ朱書き部分について昭和切との対照の便に供する。

#八木書店出版物/-/-
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15,400
天理図書館所蔵/久保木秀夫編・解題 、八木書店 、令7 、1冊
新たに確認された藤原俊成の真筆! 存否不明となっていた昭和切の真名序・仮名序を高精細カラー版で刊行、定家本の解明にも必備の書 【内容説明】 俊成真筆という計り知れない意義■久保木秀夫(日本大学教授)  藤原俊成真筆の『古今和歌集』昭和切は、昭和3年(1928)に巻一~十の上帖が分割されて生じた名物切である。と同時に、現在に至るまで700年以上に亘り流布本の地位を占め続けてきた、いわゆる定家本の底本と目されている重要本文資料である。もっともその昭和切上帖では真名序・仮名序の全丁・全文が欠けていた。それが久曽神昇によって発見され、全文翻刻が提供されたのであるが、影印化まではされることなく、典籍としての姿は不明のまま存否不明となっていた。 ところが天理大学附属天理図書館に収蔵されている「古今和歌集両序」という列帖装一括り分の残簡が、まさにその昭和切の真名序・仮名序そのものだった。同本を精査するに、既知の翻刻の誤りを訂し得るばかりでなく、翻刻だけでは知られなかった、俊成また他筆による他本注記や勘物、訓点等も確認できたのであった。 『古今和歌集』俊成本・定家本の生成過程を検討する上で、さらには広く同集に関わる諸問題を調査研究する上でも、この影印本は不可欠必備、また書誌学・文献学・書学・書道・訓点語研究など、広範囲に亘り活用されることも大いに期待される次第である。 【附載】『古今和歌集 俊成本』両序(国立歴史民俗博物館所蔵) 本書では昭和切「両序」の影印本文に加え、俊成本・第一類のほぼ完本として重要な永暦二年(1161)俊成奥書を持つ国立歴史民俗博物館蔵本(鎌倉時代後期頃写)の「両序」全丁のカラー図版を附載し、とりわけ朱書き部分について昭和切との対照の便に供する。 #八木書店出版物/-/-

史料纂集古記録編 第220回配本 花月日記5

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂、八木書店、令6、1冊
「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻!

【内容説明】
江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。白河藩主致仕の日をもって起筆、以後逝去の前年までの日記。定信の見識を通じての、当代の世情、事件、及び政治・文化面の具体的な記述、様々な人物への評言には、実に興味深いものがある。
 若くして徳川幕府老中首座・将軍補佐となり、「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。
 退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。
 日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。
 なお、「浴恩園」は閉鎖された旧築地市場(東京都中央区)の広大な跡地に眠っている。数十年にわたり地下に埋もれてきたが、都などは東京五輪・パラリンピック後の再開発に伴い、初の発掘調査を検討。庭園の再発見と実態解明に期待が高まっている。

【目次】
【所収】文政5年(1822)正月~文政8年(1825)12月

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18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂 、八木書店 、令6 、1冊
「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻! 【内容説明】 江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。白河藩主致仕の日をもって起筆、以後逝去の前年までの日記。定信の見識を通じての、当代の世情、事件、及び政治・文化面の具体的な記述、様々な人物への評言には、実に興味深いものがある。  若くして徳川幕府老中首座・将軍補佐となり、「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。  退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。  日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。  なお、「浴恩園」は閉鎖された旧築地市場(東京都中央区)の広大な跡地に眠っている。数十年にわたり地下に埋もれてきたが、都などは東京五輪・パラリンピック後の再開発に伴い、初の発掘調査を検討。庭園の再発見と実態解明に期待が高まっている。 【目次】 【所収】文政5年(1822)正月~文政8年(1825)12月 #八木書店出版物/-/-

室町幕府将軍直臣と格式

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
11,000
西島太郎著、八木書店、令6、1冊
将軍直臣から読み解く室町幕府の家格秩序
将軍直臣は守護・大名といかなる関係を構築したか
将軍権力の再生産構造を武家儀礼と直臣の家格秩序の観点で徹底解明
将軍直臣層を番衆(奉公衆)だけではなく、外様衆にまで広げて検討!

【内容説明】
①在地有力者が中央権力といかに結びついていくのかを信仰面から解き明かす
 郡鎮守の地方神社が、全国から崇敬を受けるようになる理由は何か。本書では、新興勢力が寺社へ奉加(寄付)を行うことの意味を考察する。室町将軍による近江浅井氏に対する栄典授与や、地方の在地領主による愛宕信仰の受容を示す社記を分析し、実態を解明する。

②番衆(奉公衆)に限定せず外様衆を含めた将軍直臣総体を意識し将軍権力を読み解く
 将軍直臣が分布する尾張・三河の外様衆や番衆(奉公衆)を一覧にまとめ、根拠となる所領所見とともに提示する。また、大嘗会における天羽衣役の調進過程を詳細に分析することで、朝廷・幕府・在地領主の三者が支えた室町期大嘗会の実像に迫る。

③将軍直臣と守護・大名権力との関係を紐解く
 出雲尼子氏はいかにして主家京極氏から守護職を簒奪したのか。尼子氏の出雲・隠岐守護への補任過程を幕府格式のあり方から検討する。尼子氏が守護被官から将軍直臣へと立場を変えることで、守護そして大名へと至ることを解明し、定説より37年早い守護補任を説く。石見益田氏にとっての家格「大外様」の意味や、戦国期畿内の争乱を近江六角氏の姻戚関係などから俯瞰する。また鎌倉~江戸時代の大名京極氏墓所の変遷とその意義を探る。

④在地領主・大名研究の展望を示す研究史整理と書評を収載
 戦国期畿内とその周辺の武家領主研究をまとめ、研究書の書評を通じ、新たな武家領主研究の方向性を提示する。

#八木書店出版物/-/-
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11,000
西島太郎著 、八木書店 、令6 、1冊
将軍直臣から読み解く室町幕府の家格秩序 将軍直臣は守護・大名といかなる関係を構築したか 将軍権力の再生産構造を武家儀礼と直臣の家格秩序の観点で徹底解明 将軍直臣層を番衆(奉公衆)だけではなく、外様衆にまで広げて検討! 【内容説明】 ①在地有力者が中央権力といかに結びついていくのかを信仰面から解き明かす  郡鎮守の地方神社が、全国から崇敬を受けるようになる理由は何か。本書では、新興勢力が寺社へ奉加(寄付)を行うことの意味を考察する。室町将軍による近江浅井氏に対する栄典授与や、地方の在地領主による愛宕信仰の受容を示す社記を分析し、実態を解明する。 ②番衆(奉公衆)に限定せず外様衆を含めた将軍直臣総体を意識し将軍権力を読み解く  将軍直臣が分布する尾張・三河の外様衆や番衆(奉公衆)を一覧にまとめ、根拠となる所領所見とともに提示する。また、大嘗会における天羽衣役の調進過程を詳細に分析することで、朝廷・幕府・在地領主の三者が支えた室町期大嘗会の実像に迫る。 ③将軍直臣と守護・大名権力との関係を紐解く  出雲尼子氏はいかにして主家京極氏から守護職を簒奪したのか。尼子氏の出雲・隠岐守護への補任過程を幕府格式のあり方から検討する。尼子氏が守護被官から将軍直臣へと立場を変えることで、守護そして大名へと至ることを解明し、定説より37年早い守護補任を説く。石見益田氏にとっての家格「大外様」の意味や、戦国期畿内の争乱を近江六角氏の姻戚関係などから俯瞰する。また鎌倉~江戸時代の大名京極氏墓所の変遷とその意義を探る。 ④在地領主・大名研究の展望を示す研究史整理と書評を収載  戦国期畿内とその周辺の武家領主研究をまとめ、研究書の書評を通じ、新たな武家領主研究の方向性を提示する。 #八木書店出版物/-/-

史料纂集古記録編 第10回配本 教言卿記1〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
9,900
臼井信義・嗣永芳照校訂、八木書店、令5、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

中納言正二位山科教言(一三二八-一四一〇)の日記。応永十二年山科家は火災にあい累代の記録を亡失したが、その後をうけて書き続けた日記で、他にあまり記録を残さないこの時代の重要な史料である。教言は義満の寵遇をうけ、また山科家が代々内蔵頭となるのもこの時からで、従って義満の行動や寮領支配を知る好個の史料であり、また禅僧の往来や、音楽・医薬関係の記事も豊富。

〔収録範囲〕
1405〔応永12〕~1406〔応永13〕
○教言邸類焼日記焼失
○教言花山院忠定より年皇代記を借写す
○畠山義清発狂により紀伊に追放さる
○明使の接待は天竜相国両寺
○義満北小路の邸を欠所として教言に与う
○義満室日野業子薨ず
○義満の北山南邸放火さる
○義満明船を見んとし兵庫に赴く
○山科家鎮守社新造吉田兼敦神体を奉納す
○播磨細川の百姓山科家司を訴う
○義満広橋兼宣を責勘す
○足利満兼教言の子大中中建を武蔵永興寺住侍と為す
○山科家司大沢重長逐電
○義持父義満の責勘を蒙り日野重光邸に赴き仲介を請う
○唐船六七艘兵庫着岸
○樋口の道場に茶ばかり飲みて生る女あり
○義満重光をして大鏡を索めしむ
○段銭使山科東荘に入る
○義満山科東荘の段銭を免除す
○室町第修理料足不足のため段銭は権門勢家領と雖も之を課す
○教言駕輿丁等の魚鳥等新儀の商売停止を義満に請う
○山科東荘段銭京済守護請取
○日野重光邸の対屋放火さる
○教言入質して中間等の給分を下行す

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史料纂集古記録編 第10回配本 教言卿記1〔オンデマンド版〕

9,900
臼井信義・嗣永芳照校訂 、八木書店 、令5 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 中納言正二位山科教言(一三二八-一四一〇)の日記。応永十二年山科家は火災にあい累代の記録を亡失したが、その後をうけて書き続けた日記で、他にあまり記録を残さないこの時代の重要な史料である。教言は義満の寵遇をうけ、また山科家が代々内蔵頭となるのもこの時からで、従って義満の行動や寮領支配を知る好個の史料であり、また禅僧の往来や、音楽・医薬関係の記事も豊富。 〔収録範囲〕 1405〔応永12〕~1406〔応永13〕 ○教言邸類焼日記焼失 ○教言花山院忠定より年皇代記を借写す ○畠山義清発狂により紀伊に追放さる ○明使の接待は天竜相国両寺 ○義満北小路の邸を欠所として教言に与う ○義満室日野業子薨ず ○義満の北山南邸放火さる ○義満明船を見んとし兵庫に赴く ○山科家鎮守社新造吉田兼敦神体を奉納す ○播磨細川の百姓山科家司を訴う ○義満広橋兼宣を責勘す ○足利満兼教言の子大中中建を武蔵永興寺住侍と為す ○山科家司大沢重長逐電 ○義持父義満の責勘を蒙り日野重光邸に赴き仲介を請う ○唐船六七艘兵庫着岸 ○樋口の道場に茶ばかり飲みて生る女あり ○義満重光をして大鏡を索めしむ ○段銭使山科東荘に入る ○義満山科東荘の段銭を免除す ○室町第修理料足不足のため段銭は権門勢家領と雖も之を課す ○教言駕輿丁等の魚鳥等新儀の商売停止を義満に請う ○山科東荘段銭京済守護請取 ○日野重光邸の対屋放火さる ○教言入質して中間等の給分を下行す #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第80回配本 花園天皇宸記3〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
11,000
村田正志校訂、八木書店、令5、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

花園天皇(一二九七-一三四八)の日記。天皇は、鎌倉末期から建武の中興の動乱期を過し、持明院統に属しながら、皇位継承争いに対し、常に公正な態度を持した。本記は、延慶三年から正中二年におよび、その記事は、南北両統迭立問題から元弘の乱にいたる過程に詳しく、さらに禁中の年中行事、その他諸儀については歴代宸記の中でもすぐれ、当時の政治・文化を知る上で重要な史料。

〔収録範囲〕
1323〔元亨3〕~1332〔元弘2〕
○三代実録を閲読してこれを後伏見上皇に返進しまた本朝世紀を給う
○紅葉遊覧のため東山に御幸
○花園上皇内覧三人の朝儀を批判せらる
○野府記を見了し宇治左府記を閲覧せらる
○西園寺実衡屋形舟を献ず
○夜々和漢書を見て或は暁鐘に到る
○文選講読
○和泉三河は花園上皇の分国
○小右記の藤原実資は賢識無双たり
○室町院領の事につき使節を関東に遣すべし
○安楽光院に赴き信西文書を披見
○論語談義
○行幸の奢侈を批判し専ら読書研鑚せらる
○京中に謀叛勃発す
○日野資朝俊基六波羅に拘禁せらる
○資朝俊基陳謝のため鎌倉に下向
○後醍醐天皇頗る困惑
○金沢貞将勢五千騎上洛
○資朝は佐渡に配流俊基は近日帰洛
○立坊につき日野俊光資名父子鎌倉に下向す
○立坊は猶御和談たるべしという
○大流星あり
○俊光面目なくして上洛
○京都騒動合戦に及ばんとす
○楠木正成の赤坂城落居を待つ
○後醍醐天皇及び皇子らを検知
○討幕参与の者の罪科処分

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第80回配本 花園天皇宸記3〔オンデマンド版〕

11,000
村田正志校訂 、八木書店 、令5 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 花園天皇(一二九七-一三四八)の日記。天皇は、鎌倉末期から建武の中興の動乱期を過し、持明院統に属しながら、皇位継承争いに対し、常に公正な態度を持した。本記は、延慶三年から正中二年におよび、その記事は、南北両統迭立問題から元弘の乱にいたる過程に詳しく、さらに禁中の年中行事、その他諸儀については歴代宸記の中でもすぐれ、当時の政治・文化を知る上で重要な史料。 〔収録範囲〕 1323〔元亨3〕~1332〔元弘2〕 ○三代実録を閲読してこれを後伏見上皇に返進しまた本朝世紀を給う ○紅葉遊覧のため東山に御幸 ○花園上皇内覧三人の朝儀を批判せらる ○野府記を見了し宇治左府記を閲覧せらる ○西園寺実衡屋形舟を献ず ○夜々和漢書を見て或は暁鐘に到る ○文選講読 ○和泉三河は花園上皇の分国 ○小右記の藤原実資は賢識無双たり ○室町院領の事につき使節を関東に遣すべし ○安楽光院に赴き信西文書を披見 ○論語談義 ○行幸の奢侈を批判し専ら読書研鑚せらる ○京中に謀叛勃発す ○日野資朝俊基六波羅に拘禁せらる ○資朝俊基陳謝のため鎌倉に下向 ○後醍醐天皇頗る困惑 ○金沢貞将勢五千騎上洛 ○資朝は佐渡に配流俊基は近日帰洛 ○立坊につき日野俊光資名父子鎌倉に下向す ○立坊は猶御和談たるべしという ○大流星あり ○俊光面目なくして上洛 ○京都騒動合戦に及ばんとす ○楠木正成の赤坂城落居を待つ ○後醍醐天皇及び皇子らを検知 ○討幕参与の者の罪科処分 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第66回配本 花園天皇宸記2〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
9,900
村田正志校訂、八木書店、令5、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

花園天皇(一二九七-一三四八)の日記。天皇は、鎌倉末期から建武の中興の動乱期を過し、持明院統に属しながら、皇位継承争いに対し、常に公正な態度を持した。本記は、延慶三年から正中二年におよび、その記事は、南北両統迭立問題から元弘の乱にいたる過程に詳しく、さらに禁中の年中行事、その他諸儀については歴代宸記の中でもすぐれ、当時の政治・文化を知る上で重要な史料。

〔収録範囲〕
1319〔文保3〕~1323〔元亨3〕
○兵庫関を大覚寺に寄進のため八幡神輿入洛
○勅撰集の予定により後伏見花園両上皇の詠歌を求む
○園城寺金堂戒壇を供養せんとするにより山門衆徒蜂起す
○延暦寺衆徒園城寺の金堂戒壇等一宇を残さず焼き払う
○実兼玄上の出現及び御幸を慶賀す
○二条道平以下酩酊乱舞に及ぶ
○念仏宗を批判
○日野資朝菅原公時と文談論議せらる
○学道の至らず末世澆季の相を歎息せらる
○続千載集奏覧せらる
○赤斑瘡流布し病悩の者多し
○古事記及び古語拾遺等を披見
○新渡唐の犬を献ずるあり
○盲目の琵琶法師平治平家を語るを聴聞せらる
○猿の芸能を見て感想あらせらる
○西園寺実衡をして三河国を知行せしめらる
○白拍子
○文保の御和談の時二代相続立坊は幕府の所存にあらずという
○尊治親王践祚の後邦良親王立坊し其後に量仁親王立坊あるべし
○伏見天皇崩御の後西園寺実兼の意により継承の順位固定するは実兼の僻案なり
○実兼薨去
○大仏宣時法師死去

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第66回配本 花園天皇宸記2〔オンデマンド版〕

9,900
村田正志校訂 、八木書店 、令5 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 花園天皇(一二九七-一三四八)の日記。天皇は、鎌倉末期から建武の中興の動乱期を過し、持明院統に属しながら、皇位継承争いに対し、常に公正な態度を持した。本記は、延慶三年から正中二年におよび、その記事は、南北両統迭立問題から元弘の乱にいたる過程に詳しく、さらに禁中の年中行事、その他諸儀については歴代宸記の中でもすぐれ、当時の政治・文化を知る上で重要な史料。 〔収録範囲〕 1319〔文保3〕~1323〔元亨3〕 ○兵庫関を大覚寺に寄進のため八幡神輿入洛 ○勅撰集の予定により後伏見花園両上皇の詠歌を求む ○園城寺金堂戒壇を供養せんとするにより山門衆徒蜂起す ○延暦寺衆徒園城寺の金堂戒壇等一宇を残さず焼き払う ○実兼玄上の出現及び御幸を慶賀す ○二条道平以下酩酊乱舞に及ぶ ○念仏宗を批判 ○日野資朝菅原公時と文談論議せらる ○学道の至らず末世澆季の相を歎息せらる ○続千載集奏覧せらる ○赤斑瘡流布し病悩の者多し ○古事記及び古語拾遺等を披見 ○新渡唐の犬を献ずるあり ○盲目の琵琶法師平治平家を語るを聴聞せらる ○猿の芸能を見て感想あらせらる ○西園寺実衡をして三河国を知行せしめらる ○白拍子 ○文保の御和談の時二代相続立坊は幕府の所存にあらずという ○尊治親王践祚の後邦良親王立坊し其後に量仁親王立坊あるべし ○伏見天皇崩御の後西園寺実兼の意により継承の順位固定するは実兼の僻案なり ○実兼薨去 ○大仏宣時法師死去 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第98回配本 舜旧記6〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
9,900
鎌田純一・藤本元啓校訂、八木書店、平30、1冊
【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

吉田兼右の子、兼見の弟、神道家梵舜(一五五三-一六三二)の三十歳より没年までの日記。京都吉田山下の神竜院の住職で、兄兼見とともに豊国社の創立に功労があり、のちに家康に神道伝授を約束した事もあった。元和二年(一六一六)家康を久能山に葬った際、天海と争った事は有名である。朝廷にも関係があり、当時の中央における諸般の情勢をみる上で最も貴重な資料の一つである。

〔収録範囲〕
1622〔元和8〕~1626〔寛永3〕
○萩原兼従へ神道之名目抄日本書籍抄を進ず
○四条河原勧進能見物
○四条河原女能見物
○日光東照宮に於て家康七回忌
○福島正則へ音信
○中将棋盤の代四文目五分
○少将棋盤の代二文目五分
○実相院へ諸国一宮記を遣わす
○在所の瓜見
○茶屋清次江戸にて死去
○碁興行
○徳川義直へ進上の藤氏大系図七冊出来
○徳川頼宣平癒祈祷、京衆見物
○日本書紀講釈
○将棋興行
○碁打本因坊法印算砂死去
○萩原兼従と日本書紀雑談
○近年京都火事に依り盛方院家の医書大半焼失
○伏見城にて徳川家光と対面
○南蛮の生姜蜜漬
○黒田長政京にて死去
○徳川和子平産のため吉田兼英梵舜祈念す
○皇女興子御生誕
○後水尾天皇女御と共に中和門院へ行幸
○近代見物貴賤群集
○高台院不例により吉田家へ祈祷仰せらる
○高台院薨ず
○内裏御能あり
○高麗人上洛し大徳寺に旅宿
○三宝院義演死去
○後水尾天皇二条城に行幸


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史料纂集古記録編 第98回配本 舜旧記6〔オンデマンド版〕

9,900
鎌田純一・藤本元啓校訂 、八木書店 、平30 、1冊
【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 吉田兼右の子、兼見の弟、神道家梵舜(一五五三-一六三二)の三十歳より没年までの日記。京都吉田山下の神竜院の住職で、兄兼見とともに豊国社の創立に功労があり、のちに家康に神道伝授を約束した事もあった。元和二年(一六一六)家康を久能山に葬った際、天海と争った事は有名である。朝廷にも関係があり、当時の中央における諸般の情勢をみる上で最も貴重な資料の一つである。 〔収録範囲〕 1622〔元和8〕~1626〔寛永3〕 ○萩原兼従へ神道之名目抄日本書籍抄を進ず ○四条河原勧進能見物 ○四条河原女能見物 ○日光東照宮に於て家康七回忌 ○福島正則へ音信 ○中将棋盤の代四文目五分 ○少将棋盤の代二文目五分 ○実相院へ諸国一宮記を遣わす ○在所の瓜見 ○茶屋清次江戸にて死去 ○碁興行 ○徳川義直へ進上の藤氏大系図七冊出来 ○徳川頼宣平癒祈祷、京衆見物 ○日本書紀講釈 ○将棋興行 ○碁打本因坊法印算砂死去 ○萩原兼従と日本書紀雑談 ○近年京都火事に依り盛方院家の医書大半焼失 ○伏見城にて徳川家光と対面 ○南蛮の生姜蜜漬 ○黒田長政京にて死去 ○徳川和子平産のため吉田兼英梵舜祈念す ○皇女興子御生誕 ○後水尾天皇女御と共に中和門院へ行幸 ○近代見物貴賤群集 ○高台院不例により吉田家へ祈祷仰せらる ○高台院薨ず ○内裏御能あり ○高麗人上洛し大徳寺に旅宿 ○三宝院義演死去 ○後水尾天皇二条城に行幸 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

尊経閣善本影印集成79 尊経閣古文書纂 諸家文書 2〔第十輯 古文書〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
34,100
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介、八木書店、令4、1冊
室町幕府、戦国大名、織豊政権など、武家的色彩の強い古文書群

【内容説明】
「尊経閣古文書纂」のうち、武家文書を中心とした古文書群で、総点数は四四七点である。内訳は、一条文書=一七点、飯尾文書=五七点、蜷川文書=一二点、堀文書=一〇点、日置文書=五点、加藤文書=五一点、野上文書=一八点、駒井文書=二一点(以上、八群を「諸家文書」一として集成)、籠手田文書=八二点、天野文書=四五点、得田文書=二二点、得江文書=二九点、吉見文書=一二点、毛利文書=一〇点、当家文書(前田文書)=一七点、中原文書=三九点(以上、八群を「諸家文書」二として集成)。その内容は、武家政権が発給した御教書や奉行人奉書、戦国大名や織田・豊臣政権が発給した書状、さらには着到状や軍忠状などを多く含み、武家的色彩の強い古文書群となっている。諸家文書のうち飯尾文書は、室町幕府奉行人であった飯尾氏にまつわる古文書群で、飯尾氏の所領があった遠江国羽鳥荘・能登国土田荘・美濃国古呂々比村に関する永正期(一五一〇年頃)の古文書が含まれている。蜷川文書は、幕府政所執事を世襲した伊勢氏の家臣である蜷川氏が戦国時代初期に受給した古文書が大半を占める。また加藤文書は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関する朱印状が大部分を占め、朝鮮現地での上納物資を列挙した目録もあって貴重である。野上文書は、豊後国玖珠郡飯田郷野上村を名字の地とする野上氏、天野文書は、伊豆国田方郡天野を名字の地とする天野氏にそれぞれ伝わった古文書群の一部であるが、両家ともに名字の地を離れて能登国に移住し、加賀藩五代前田綱紀の時代に古文書を献上して原本を現在に伝えた。また籠手田文書は、肥前国松浦氏の家臣であった籠手田氏に伝来した古文書で、ほとんどが大永期~天文初期(一五二〇~三〇年代)の籠手田定経宛の武家儀礼に関する書状である。

#八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
34,100
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介 、八木書店 、令4 、1冊
室町幕府、戦国大名、織豊政権など、武家的色彩の強い古文書群 【内容説明】 「尊経閣古文書纂」のうち、武家文書を中心とした古文書群で、総点数は四四七点である。内訳は、一条文書=一七点、飯尾文書=五七点、蜷川文書=一二点、堀文書=一〇点、日置文書=五点、加藤文書=五一点、野上文書=一八点、駒井文書=二一点(以上、八群を「諸家文書」一として集成)、籠手田文書=八二点、天野文書=四五点、得田文書=二二点、得江文書=二九点、吉見文書=一二点、毛利文書=一〇点、当家文書(前田文書)=一七点、中原文書=三九点(以上、八群を「諸家文書」二として集成)。その内容は、武家政権が発給した御教書や奉行人奉書、戦国大名や織田・豊臣政権が発給した書状、さらには着到状や軍忠状などを多く含み、武家的色彩の強い古文書群となっている。諸家文書のうち飯尾文書は、室町幕府奉行人であった飯尾氏にまつわる古文書群で、飯尾氏の所領があった遠江国羽鳥荘・能登国土田荘・美濃国古呂々比村に関する永正期(一五一〇年頃)の古文書が含まれている。蜷川文書は、幕府政所執事を世襲した伊勢氏の家臣である蜷川氏が戦国時代初期に受給した古文書が大半を占める。また加藤文書は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関する朱印状が大部分を占め、朝鮮現地での上納物資を列挙した目録もあって貴重である。野上文書は、豊後国玖珠郡飯田郷野上村を名字の地とする野上氏、天野文書は、伊豆国田方郡天野を名字の地とする天野氏にそれぞれ伝わった古文書群の一部であるが、両家ともに名字の地を離れて能登国に移住し、加賀藩五代前田綱紀の時代に古文書を献上して原本を現在に伝えた。また籠手田文書は、肥前国松浦氏の家臣であった籠手田氏に伝来した古文書で、ほとんどが大永期~天文初期(一五二〇~三〇年代)の籠手田定経宛の武家儀礼に関する書状である。 #八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料

異聞 本能寺の変―『乙夜之書物』が記す光秀の乱―【史料で読む戦国史④】

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
3,080
萩原大輔著、八木書店、令4、1冊
信長が殺されたそのとき、光秀は本能寺にいなかった!
朝日新聞ほか、メディアで大きく取り上げられた新発見の史料を徹底解読し、戦国史最大の謎に迫る。

【内容説明】
【第一章】本書で取り上げる新発見史料『乙夜之書物』とはどのような史料で、著者はどのような人物なのか、紹介する。
【第二章】光秀の挙兵から本能寺襲撃までを取り上げる。信長襲撃のとき、光秀は本能寺ではなく鳥羽にいたなど、衝撃の記述を紹介する。
【第三章】信長嫡男の信忠が立て籠もった二条御所攻めを扱う。
【第四章】安土城占拠から山崎の戦い、坂本落城のほか、光秀家臣たちの「その後」もたどる。
【第五章】光秀の乱に直面した前田利長の動向や、信長の死を堺で知った徳川家康が断行した「神君伊賀越え」、佐々成政が厳寒期の北アルプスを踏破した「さらさら越え」、伊達政宗が死装束で秀吉との対面に臨んだと伝わる「小田原参陣」など、著名な逸話が『乙夜之書物』ではどのように記述されたのか、紹介する。
【付録】『乙夜之書物』の記述内容を一覧化した表を載せ、実際に本史料を閲覧してアクセスできるガイドとした。主な引用史料には解題をつけるなど、ブックガイドを付した。

●光秀は本能寺にいなかった―新発見の史料『乙夜之書物』を徹底解読し、戦国史最大の謎に迫る。
●本能寺の変に関するあらたな情報を提供する『乙夜之書物』。確たる同時代史料が限られる中で、今後の研究に資する貴重な内容を数多く収録する。本能寺での戦いがどのように行われたのか、そこに至るまでに光秀はどのように動いたのか、変後の情勢など、本能寺の変を再検討するうえで必読の史料。
●本能寺の変(光秀の挙兵)だけでなく、山崎の戦いや坂本の落城(光秀方の滅亡)までも記述。本書では本能寺襲撃だけをことさらに取り上げるのではなく、光秀の反乱全体で再検討する。

#八木書店出版物/中世/単行本◆歴史
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3,080
萩原大輔著 、八木書店 、令4 、1冊
信長が殺されたそのとき、光秀は本能寺にいなかった! 朝日新聞ほか、メディアで大きく取り上げられた新発見の史料を徹底解読し、戦国史最大の謎に迫る。 【内容説明】 【第一章】本書で取り上げる新発見史料『乙夜之書物』とはどのような史料で、著者はどのような人物なのか、紹介する。 【第二章】光秀の挙兵から本能寺襲撃までを取り上げる。信長襲撃のとき、光秀は本能寺ではなく鳥羽にいたなど、衝撃の記述を紹介する。 【第三章】信長嫡男の信忠が立て籠もった二条御所攻めを扱う。 【第四章】安土城占拠から山崎の戦い、坂本落城のほか、光秀家臣たちの「その後」もたどる。 【第五章】光秀の乱に直面した前田利長の動向や、信長の死を堺で知った徳川家康が断行した「神君伊賀越え」、佐々成政が厳寒期の北アルプスを踏破した「さらさら越え」、伊達政宗が死装束で秀吉との対面に臨んだと伝わる「小田原参陣」など、著名な逸話が『乙夜之書物』ではどのように記述されたのか、紹介する。 【付録】『乙夜之書物』の記述内容を一覧化した表を載せ、実際に本史料を閲覧してアクセスできるガイドとした。主な引用史料には解題をつけるなど、ブックガイドを付した。 ●光秀は本能寺にいなかった―新発見の史料『乙夜之書物』を徹底解読し、戦国史最大の謎に迫る。 ●本能寺の変に関するあらたな情報を提供する『乙夜之書物』。確たる同時代史料が限られる中で、今後の研究に資する貴重な内容を数多く収録する。本能寺での戦いがどのように行われたのか、そこに至るまでに光秀はどのように動いたのか、変後の情勢など、本能寺の変を再検討するうえで必読の史料。 ●本能寺の変(光秀の挙兵)だけでなく、山崎の戦いや坂本の落城(光秀方の滅亡)までも記述。本書では本能寺襲撃だけをことさらに取り上げるのではなく、光秀の反乱全体で再検討する。 #八木書店出版物/中世/単行本◆歴史

史料纂集古記録編 第212回配本 花月日記2

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂、八木書店、令3、1冊
江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。白河藩主致仕の日をもって起筆、以後逝去の前年までの日記

【内容説明】
若くして徳川幕府老中首座・将軍補佐となり、「寛政の改革」を断行した松平定信(1758ー1829)。その定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記が『花月日記』である。
 退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。
 日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。まず息定永とその正室綱子、次郎である定栄(真田家養嗣子、後の真田幸貫)、また、各大名の正室となっていく娘たちとその夫、定信の後室隼、さらに姉・妹・実母…。ごく近しい友人として折にふれて記されているのは「月の君」こと堀田正敦、「林の君」こと林述斎である。この二人との「底意なき交じらい」「心隔てぬ友垣」の様には何よりも美しいものがある。時々には内藤信敦・松平輝延・牧野忠精・酒井忠進・松浦静山…、また「寛政の改革」以降も定信の政治基調を維持したいわゆる「寛政の遺老」松平信明等。
 幕政を離れ、さらには藩主も退任して後の定信ではあるが、助言・教導を求めて来訪・対面を願う者は絶えなかった。定信はそのほとんどを謝絶、または1年延ばしなどとはするものの、それでも、日記中には多彩な人物の名が見える。様々な大名家当主、世子、藩の問題を抱えた家老達。また、当代の文化人、北村季文・市川米庵・屋代弘賢等との交流、時に杉田玄白・頼山陽・村田春海・塙保己一等の名もあがる。

【目次】
【所収】文化11年(1814)正月~文化12年(1815)12月

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂 、八木書店 、令3 、1冊
江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。白河藩主致仕の日をもって起筆、以後逝去の前年までの日記 【内容説明】 若くして徳川幕府老中首座・将軍補佐となり、「寛政の改革」を断行した松平定信(1758ー1829)。その定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記が『花月日記』である。  退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。  日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。まず息定永とその正室綱子、次郎である定栄(真田家養嗣子、後の真田幸貫)、また、各大名の正室となっていく娘たちとその夫、定信の後室隼、さらに姉・妹・実母…。ごく近しい友人として折にふれて記されているのは「月の君」こと堀田正敦、「林の君」こと林述斎である。この二人との「底意なき交じらい」「心隔てぬ友垣」の様には何よりも美しいものがある。時々には内藤信敦・松平輝延・牧野忠精・酒井忠進・松浦静山…、また「寛政の改革」以降も定信の政治基調を維持したいわゆる「寛政の遺老」松平信明等。  幕政を離れ、さらには藩主も退任して後の定信ではあるが、助言・教導を求めて来訪・対面を願う者は絶えなかった。定信はそのほとんどを謝絶、または1年延ばしなどとはするものの、それでも、日記中には多彩な人物の名が見える。様々な大名家当主、世子、藩の問題を抱えた家老達。また、当代の文化人、北村季文・市川米庵・屋代弘賢等との交流、時に杉田玄白・頼山陽・村田春海・塙保己一等の名もあがる。 【目次】 【所収】文化11年(1814)正月~文化12年(1815)12月 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第81回配本 師郷記4〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
9,900
藤井貞文・小林花子校訂、八木書店、令2、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

大外記中原師郷自筆。応永二十七年(一四二〇)一月から長禄二年(一四五八)十二月まで、永享八年を欠きほぼ続く。『師守記』と同じく外記局務の書留で、政務・朝儀に関する記録を主とし、世上の事件についての師郷の見聞も並記されている。師茂・師守の家が六角と称され、師郷の家は押小路家といわれた。六角家の断絶後、外記局務の記録は押小路に伝えられたものと推定される。

〔収録範囲〕
1445〔文安2〕~1448〔文安5〕
○近江合戦にて佐々木満綱勢討たれる者多し
○東大寺戒壇院炎上
○一条兼良と近衛房嗣の座次は兼良を上とす
○松囃子猿楽あり
○甘露寺親長師郷を召し春日祭六位外記史不参然るべからざるを申す
○佐々木政頼宿所に討入あり
○飛鳥井邸にて新続古今和歌集を見る
○四位弁と五位少納言着座順を論ずべき事あり
○造内裏のため洛中洛外に棟別を懸けらる
○美濃国合戦
○六角時綱蜂起のため政頼近江進発
○加賀国にて合戦あり富樫教家生捕らる
○山名持豊被官人と甲斐常治被官人喧嘩
○知事方僧確執による放火により天竜寺炎上
○徳政と号し土一揆蜂起
○日暮時分世上物騒軍兵馳走す
○畠山持国の沙汰により南朝護聖院宮を討つ
○伊勢において長野勢と関勢合戦あり
○貞成親王より藤原行成筆の手本他引物を禁裏に進上せらる
○北畠教具と長野合戦
○洪水により五条橋法輪橋流さる
○六条河原に赤松則繁の首を晒す
○赤松満元の事により山名持豊細川持常争う

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第81回配本 師郷記4〔オンデマンド版〕

9,900
藤井貞文・小林花子校訂 、八木書店 、令2 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 大外記中原師郷自筆。応永二十七年(一四二〇)一月から長禄二年(一四五八)十二月まで、永享八年を欠きほぼ続く。『師守記』と同じく外記局務の書留で、政務・朝儀に関する記録を主とし、世上の事件についての師郷の見聞も並記されている。師茂・師守の家が六角と称され、師郷の家は押小路家といわれた。六角家の断絶後、外記局務の記録は押小路に伝えられたものと推定される。 〔収録範囲〕 1445〔文安2〕~1448〔文安5〕 ○近江合戦にて佐々木満綱勢討たれる者多し ○東大寺戒壇院炎上 ○一条兼良と近衛房嗣の座次は兼良を上とす ○松囃子猿楽あり ○甘露寺親長師郷を召し春日祭六位外記史不参然るべからざるを申す ○佐々木政頼宿所に討入あり ○飛鳥井邸にて新続古今和歌集を見る ○四位弁と五位少納言着座順を論ずべき事あり ○造内裏のため洛中洛外に棟別を懸けらる ○美濃国合戦 ○六角時綱蜂起のため政頼近江進発 ○加賀国にて合戦あり富樫教家生捕らる ○山名持豊被官人と甲斐常治被官人喧嘩 ○知事方僧確執による放火により天竜寺炎上 ○徳政と号し土一揆蜂起 ○日暮時分世上物騒軍兵馳走す ○畠山持国の沙汰により南朝護聖院宮を討つ ○伊勢において長野勢と関勢合戦あり ○貞成親王より藤原行成筆の手本他引物を禁裏に進上せらる ○北畠教具と長野合戦 ○洪水により五条橋法輪橋流さる ○六条河原に赤松則繁の首を晒す ○赤松満元の事により山名持豊細川持常争う #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第77回配本 師郷記3〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
8,800
藤井貞文・小林花子校訂、八木書店、令2、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

大外記中原師郷自筆。応永二十七年(一四二〇)一月から長禄二年(一四五八)十二月まで、永享八年を欠きほぼ続く。『師守記』と同じく外記局務の書留で、政務・朝儀に関する記録を主とし、世上の事件についての師郷の見聞も並記されている。師茂・師守の家が六角と称され、師郷の家は押小路家といわれた。六角家の断絶後、外記局務の記録は押小路に伝えられたものと推定される。

〔収録範囲〕
1439〔永享11〕~1444〔嘉吉4〕
○上杉持朝千葉胤直持氏を攻む
○持氏自害
○大和越智兄弟討たる
○坂本五月会喧嘩死者負傷者多し
○新続古今和歌集進
○四条河原にて公人駕輿丁確執
○囃子物内裏に参る
○関東物騒により軍勢の発向を命ぜらる
○神宮大風洪水の被害注進
○結城落城により人々義教邸参賀
○常陸結城没落
○結城氏朝持朝討死し持氏の両子捕わる
○義教赤松教康宿所にて弑せらる
○教康播磨国に没落す
○赤松満祐教康父子追討の綸旨
○仁和寺において細川持之家侍等喧嘩数名殺さる
○土一揆あり
○山名持豊ら赤松城を攻略満祐自害す
○足利義勝徳政を許容す
○近江山門領に六角満綱押妨
○土一揆土倉に入る
○山門衆徒下落
○祇園社犬神人田楽等と共に騒動
○師郷局務を仰付けらるにより中山定親邸等に伺候
○加賀国守護職事の争いのため洛中物騒
○内裏焼亡
○賊清涼殿乱入
○剣璽賊徒に奪取らる
○北野社西京神人閉篭衆のために焼亡す
○諸国牢人等嵯峨辺に集合の風聞あり

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第77回配本 師郷記3〔オンデマンド版〕

8,800
藤井貞文・小林花子校訂 、八木書店 、令2 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 大外記中原師郷自筆。応永二十七年(一四二〇)一月から長禄二年(一四五八)十二月まで、永享八年を欠きほぼ続く。『師守記』と同じく外記局務の書留で、政務・朝儀に関する記録を主とし、世上の事件についての師郷の見聞も並記されている。師茂・師守の家が六角と称され、師郷の家は押小路家といわれた。六角家の断絶後、外記局務の記録は押小路に伝えられたものと推定される。 〔収録範囲〕 1439〔永享11〕~1444〔嘉吉4〕 ○上杉持朝千葉胤直持氏を攻む ○持氏自害 ○大和越智兄弟討たる ○坂本五月会喧嘩死者負傷者多し ○新続古今和歌集進 ○四条河原にて公人駕輿丁確執 ○囃子物内裏に参る ○関東物騒により軍勢の発向を命ぜらる ○神宮大風洪水の被害注進 ○結城落城により人々義教邸参賀 ○常陸結城没落 ○結城氏朝持朝討死し持氏の両子捕わる ○義教赤松教康宿所にて弑せらる ○教康播磨国に没落す ○赤松満祐教康父子追討の綸旨 ○仁和寺において細川持之家侍等喧嘩数名殺さる ○土一揆あり ○山名持豊ら赤松城を攻略満祐自害す ○足利義勝徳政を許容す ○近江山門領に六角満綱押妨 ○土一揆土倉に入る ○山門衆徒下落 ○祇園社犬神人田楽等と共に騒動 ○師郷局務を仰付けらるにより中山定親邸等に伺候 ○加賀国守護職事の争いのため洛中物騒 ○内裏焼亡 ○賊清涼殿乱入 ○剣璽賊徒に奪取らる ○北野社西京神人閉篭衆のために焼亡す ○諸国牢人等嵯峨辺に集合の風聞あり #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第52回配本 台記1

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
5,940
橋本義彦・今江廣道校訂、続群書類従完成会、昭51、1冊
【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

左大臣藤原頼長(一一二〇-一一五六)の日記。頼長は古代と中世を分けた保元の乱の謀主として有名である。その日記は、詳細かつ内容に富み、保元の乱に至るまでの政治動向を知る無二の史料である。また、平安末期の公家社会の学問・思想・風俗を知る上でも貴重である。本記は明治年間に『史料大観』に収めて刊行されたが、新出写本も少なくなく、全面改訂を必要とする。

〔収録範囲〕
1136〔保延2〕~1143〔康治2〕
○藤原伊通着座の故実を談ず
○源雅定と下名作法につき言談
○関白忠通の功により長男頼長を内大臣に任ず
○大饗指図
○源雅定に笙を習う
○忠実忠通に叙位除目の事を習う
○興福寺大衆上洛し玄覚の僧正補任を訴う
○延暦寺兵仗停止の宣旨
○関白邸において作文会あり
○豊原時秋につき平調入調を習う
○待賢門院判官代源盛行ら国母呪詛の事により配流
○忠通藤原基俊源師俊卒して文道亡ぶと嘆ず
○源友員殺害され世人罪を源為義に帰す
○西行法師一品経書写を勧進
○三井延暦両寺衆徒合戦
○藤原行成家屋の崩れる夢を見て程なく薨ず
○南都悪僧を捕え源為義に付して奥州に流す
○大風雨鳥羽朱雀大路大河の如し
○藤原経宗は無双の英雄なり
○源成雅と藤原頼輔乱闘(我朝未曽有の珍事)
○成雅を解官に処す
○鳥羽崇徳両院態野御幸
○藤原実頼日記に冷泉帝を狂帝と書記す
○聖徳太子の霊を拝し十七条憲法に任せて執政せんことを誓う
○紀宗広妾うわなり打ち

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第52回配本 台記1

5,940
橋本義彦・今江廣道校訂 、続群書類従完成会 、昭51 、1冊
【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 左大臣藤原頼長(一一二〇-一一五六)の日記。頼長は古代と中世を分けた保元の乱の謀主として有名である。その日記は、詳細かつ内容に富み、保元の乱に至るまでの政治動向を知る無二の史料である。また、平安末期の公家社会の学問・思想・風俗を知る上でも貴重である。本記は明治年間に『史料大観』に収めて刊行されたが、新出写本も少なくなく、全面改訂を必要とする。 〔収録範囲〕 1136〔保延2〕~1143〔康治2〕 ○藤原伊通着座の故実を談ず ○源雅定と下名作法につき言談 ○関白忠通の功により長男頼長を内大臣に任ず ○大饗指図 ○源雅定に笙を習う ○忠実忠通に叙位除目の事を習う ○興福寺大衆上洛し玄覚の僧正補任を訴う ○延暦寺兵仗停止の宣旨 ○関白邸において作文会あり ○豊原時秋につき平調入調を習う ○待賢門院判官代源盛行ら国母呪詛の事により配流 ○忠通藤原基俊源師俊卒して文道亡ぶと嘆ず ○源友員殺害され世人罪を源為義に帰す ○西行法師一品経書写を勧進 ○三井延暦両寺衆徒合戦 ○藤原行成家屋の崩れる夢を見て程なく薨ず ○南都悪僧を捕え源為義に付して奥州に流す ○大風雨鳥羽朱雀大路大河の如し ○藤原経宗は無双の英雄なり ○源成雅と藤原頼輔乱闘(我朝未曽有の珍事) ○成雅を解官に処す ○鳥羽崇徳両院態野御幸 ○藤原実頼日記に冷泉帝を狂帝と書記す ○聖徳太子の霊を拝し十七条憲法に任せて執政せんことを誓う ○紀宗広妾うわなり打ち #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

明治大学図書館所蔵 三条西家本 除目書

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
16,500
明治大学除目書刊行委員会編/田島公・末柄豊・牧野淳司・南保勝美、八木書店、令3、1冊
新発見!
平安時代・後三条天皇自撰の幻の儀式書を初公開
後三条天皇自撰の除目の儀式次第・作法を書いた、幻の儀式書『除秘鈔』(『院御書』の除目儀部分)の影印・翻刻・解説を付して全貌を初公開。
九条家流の故実書と、室町期の地方文化ネットワークを知る紙背文書も併載。

■除秘鈔
後三条天皇自撰の幻の儀式書『院御書』を知る決定版
 後三条天皇(1034-73、在位1068-72)の自撰による、除目の儀式次第・作法を書いた儀式書。長らく全貌は不明のままであったが、近年尊経閣文庫所蔵『無題号記録』(尊経閣善本影印集成49収録)こそ『院御書』(「いんのおふみ」。または「いんのみふみ」とも)であることが立証された。明治大学本は尊経閣本にはない多くの情報がみつかり、平安時代を知る資料として大変貴重。本書の公刊により全貌が明らかに。天文9年(1540)三条西公条筆。

無外題春除目
三条西公条筆による九条家流の故実書
『除秘鈔』と同時期に三条西公条によって書写された、九条家流の除目故実書。2種の史料が混在しており、九条家本『春除目抄』が記す儀式とほぼ同内容を持つものと、九条家流の除目作法を記した問答形式の故実書とに分かれる。本書により本文の釈読を含めた精細な内容が公開される。

除秘鈔・無外題春除目紙背文書
15-16世紀の京都と地方をつなぐ文化的ネットワークを知る
三条西実隆(1455-1537)・公条(1487-1563)父子に宛てた紙背文書約50通を収録。北陸三国(若狭・越前・能登)の武士の書状が多い。『源氏物語』『史記』「伊勢物語御聞書」などの書籍の貸借や所望・教授を求めたことなど、文芸を希求してやまない武士の生々しい肉声が知られる。その他、周防の杉興道や河内の木沢長政、連歌師肖柏・宗牧など全国各地から来信も見られ、三条西実隆・公条父子の名前が地方にまで広く及ぶ様子が知られる。

#八木書店出版物/古代/単行本◆歴史
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
16,500
明治大学除目書刊行委員会編/田島公・末柄豊・牧野淳司・南保勝美 、八木書店 、令3 、1冊
新発見! 平安時代・後三条天皇自撰の幻の儀式書を初公開 後三条天皇自撰の除目の儀式次第・作法を書いた、幻の儀式書『除秘鈔』(『院御書』の除目儀部分)の影印・翻刻・解説を付して全貌を初公開。 九条家流の故実書と、室町期の地方文化ネットワークを知る紙背文書も併載。 ■除秘鈔 後三条天皇自撰の幻の儀式書『院御書』を知る決定版  後三条天皇(1034-73、在位1068-72)の自撰による、除目の儀式次第・作法を書いた儀式書。長らく全貌は不明のままであったが、近年尊経閣文庫所蔵『無題号記録』(尊経閣善本影印集成49収録)こそ『院御書』(「いんのおふみ」。または「いんのみふみ」とも)であることが立証された。明治大学本は尊経閣本にはない多くの情報がみつかり、平安時代を知る資料として大変貴重。本書の公刊により全貌が明らかに。天文9年(1540)三条西公条筆。 無外題春除目 三条西公条筆による九条家流の故実書 『除秘鈔』と同時期に三条西公条によって書写された、九条家流の除目故実書。2種の史料が混在しており、九条家本『春除目抄』が記す儀式とほぼ同内容を持つものと、九条家流の除目作法を記した問答形式の故実書とに分かれる。本書により本文の釈読を含めた精細な内容が公開される。 除秘鈔・無外題春除目紙背文書 15-16世紀の京都と地方をつなぐ文化的ネットワークを知る 三条西実隆(1455-1537)・公条(1487-1563)父子に宛てた紙背文書約50通を収録。北陸三国(若狭・越前・能登)の武士の書状が多い。『源氏物語』『史記』「伊勢物語御聞書」などの書籍の貸借や所望・教授を求めたことなど、文芸を希求してやまない武士の生々しい肉声が知られる。その他、周防の杉興道や河内の木沢長政、連歌師肖柏・宗牧など全国各地から来信も見られ、三条西実隆・公条父子の名前が地方にまで広く及ぶ様子が知られる。 #八木書店出版物/古代/単行本◆歴史

黒塚古墳の研究

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
35,200
奈良県立橿原考古学研究所編、八木書店、1冊
卑弥呼の鏡ともいわれる三角縁神獣鏡等34 面、大量の鉄製武具等の埋葬品や、竪穴式石室・木棺等、地震による崩落で盗掘を免れた当時の埋葬状況を、大判のカラー写真と図版で検証

○初期ヤマト王権の人物が眠る大和(おおやまと)古墳群で唯一未盗掘
卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳、全長約300 mを誇る渋谷向山古墳(伝景行天皇陵)など、初期ヤマト王権の中枢を担った人物が埋葬される奈良県の大和古墳群は、ほとんどが盗掘されていたり、陵墓指定のため発掘できない古墳ばかりである。そのなかでも古墳時代前期前葉(3 世紀後半)の黒塚古墳は、地震による崩落で大規模な盗掘を免れたため、当時の埋葬状況が復元可能な唯一の調査例として大変貴重。

○30面を超える卑弥呼時代の鏡の出土状況が判明した唯一の調査例
卑弥呼の鏡ともいわれる三角縁神獣鏡33 面の出土量は国内最多。画文帯神獣鏡1面ふくめ、大量の鏡が埋葬当時のまま出土。ここから副葬方法、埋葬位置のルール等、当時の人々の考え方を復元する重要なデータが得られる。

○武力と権力の象徴―鉄製武具の出土量が最大
鉄製武器も豊富で、鉄鏃出土量も古墳時代前期で最大の出土量。ともにヤマト王権中枢の人物の墓にふさわしい質と量を誇る。当時、鉄は輸入品と考えられ、単純な武力だけでなく、権力の象徴でもあった。他に中国製とみられる小札甲(小札出土量も日本最大)、旗のような正体不明なU字形鉄製品などもあり、中国大陸との直接的な交渉の証拠となる。

○さまざまな分野による総合研究の成果
3次元計測を導入し、計測画像、笵キズ、詳細な写真、考古学的分析、自然科学分析などによる多面的な調査結果を収録。

○迫力の大型本
B4判(364×257 ㎜)の大判を採用。500点をこえる図版・写真等、カラー写真を多数含む圧倒的な情報量で全貌に迫る。

#八木書店出版物/考古学/単行本◆歴史
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
35,200
奈良県立橿原考古学研究所編 、八木書店 、1冊
卑弥呼の鏡ともいわれる三角縁神獣鏡等34 面、大量の鉄製武具等の埋葬品や、竪穴式石室・木棺等、地震による崩落で盗掘を免れた当時の埋葬状況を、大判のカラー写真と図版で検証 ○初期ヤマト王権の人物が眠る大和(おおやまと)古墳群で唯一未盗掘 卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳、全長約300 mを誇る渋谷向山古墳(伝景行天皇陵)など、初期ヤマト王権の中枢を担った人物が埋葬される奈良県の大和古墳群は、ほとんどが盗掘されていたり、陵墓指定のため発掘できない古墳ばかりである。そのなかでも古墳時代前期前葉(3 世紀後半)の黒塚古墳は、地震による崩落で大規模な盗掘を免れたため、当時の埋葬状況が復元可能な唯一の調査例として大変貴重。 ○30面を超える卑弥呼時代の鏡の出土状況が判明した唯一の調査例 卑弥呼の鏡ともいわれる三角縁神獣鏡33 面の出土量は国内最多。画文帯神獣鏡1面ふくめ、大量の鏡が埋葬当時のまま出土。ここから副葬方法、埋葬位置のルール等、当時の人々の考え方を復元する重要なデータが得られる。 ○武力と権力の象徴―鉄製武具の出土量が最大 鉄製武器も豊富で、鉄鏃出土量も古墳時代前期で最大の出土量。ともにヤマト王権中枢の人物の墓にふさわしい質と量を誇る。当時、鉄は輸入品と考えられ、単純な武力だけでなく、権力の象徴でもあった。他に中国製とみられる小札甲(小札出土量も日本最大)、旗のような正体不明なU字形鉄製品などもあり、中国大陸との直接的な交渉の証拠となる。 ○さまざまな分野による総合研究の成果 3次元計測を導入し、計測画像、笵キズ、詳細な写真、考古学的分析、自然科学分析などによる多面的な調査結果を収録。 ○迫力の大型本 B4判(364×257 ㎜)の大判を採用。500点をこえる図版・写真等、カラー写真を多数含む圧倒的な情報量で全貌に迫る。 #八木書店出版物/考古学/単行本◆歴史

史料纂集古記録編 第189回配本 勘仲記5 1286年〔弘安9〕10月~1288年〔正応元〕12月

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂、八木書店、平29、1冊
蒙古襲来前後の朝廷の様子や、持明院・大覚寺両統迭立など、重要な事件を目撃した実務官人の克明な記録を自筆本により翻刻

■史料纂集本勘仲記の特長
●自筆本を底本とする最善の本文を提供。
●断簡や逸文、日記本文が現存しない部分の日記目録も収録。
●墨継ぎや文字間隔、追筆・挿入・抹消に見られる兼仲の筆録意識を読み取るなど、最新の研究成果に基づく、最善の本文を提供。

本冊には弘安九年(一二八六)十月日次記より正応元年(一二八八)暦記(正月~十二月)を収録しました。この時期の古記録はほとんど残っておらず大変貴重です。内容的にも見所は沢山あります。たとえば、後宇多天皇が幕府の意向を受けて伏見天皇に譲位する記事です(弘安十年十月十二日~二十一日条)。これによって院政の主も後宇多の父亀山上皇から伏見の父後深草上皇に変わります。いわゆる「両統迭立」のはじまりです。新たに天皇となる春宮の御所が、「御所中上下騒動、人々群参如雲霞」と、慌ただしくなる一方で、「治天」の地位から下ろされた亀山上皇の御所は数人の近臣がいるだけで、「有冷然之気」と記されています。同年、長らく関白を務めた藤原(鷹司)兼平もその職を終えました。兼平は、建長六年(一二五四)に関白となって以来、途中辞任するものの、三十二年間、摂政・関白の座に在りました。本日記には、辞任一年前より兼平に関白辞任の意志があったこと、辞職したのちも出仕を止められなかったことなどが記され、記主の兼仲は「前長者(藤原兼平)建長度十个年、今度十三个年、前後廿三个年御執政、頗近例稀歟、定無御餘執歟」と評しています(弘安十年八月九日~十一日条)。鎌倉幕府の将軍源惟康の中納言・大納言への昇進や親王宣下をめぐる公武交渉の記事(弘安十年六月三日~五日条、同年十月三日条ほか)なども注目されます。

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂 、八木書店 、平29 、1冊
蒙古襲来前後の朝廷の様子や、持明院・大覚寺両統迭立など、重要な事件を目撃した実務官人の克明な記録を自筆本により翻刻 ■史料纂集本勘仲記の特長 ●自筆本を底本とする最善の本文を提供。 ●断簡や逸文、日記本文が現存しない部分の日記目録も収録。 ●墨継ぎや文字間隔、追筆・挿入・抹消に見られる兼仲の筆録意識を読み取るなど、最新の研究成果に基づく、最善の本文を提供。 本冊には弘安九年(一二八六)十月日次記より正応元年(一二八八)暦記(正月~十二月)を収録しました。この時期の古記録はほとんど残っておらず大変貴重です。内容的にも見所は沢山あります。たとえば、後宇多天皇が幕府の意向を受けて伏見天皇に譲位する記事です(弘安十年十月十二日~二十一日条)。これによって院政の主も後宇多の父亀山上皇から伏見の父後深草上皇に変わります。いわゆる「両統迭立」のはじまりです。新たに天皇となる春宮の御所が、「御所中上下騒動、人々群参如雲霞」と、慌ただしくなる一方で、「治天」の地位から下ろされた亀山上皇の御所は数人の近臣がいるだけで、「有冷然之気」と記されています。同年、長らく関白を務めた藤原(鷹司)兼平もその職を終えました。兼平は、建長六年(一二五四)に関白となって以来、途中辞任するものの、三十二年間、摂政・関白の座に在りました。本日記には、辞任一年前より兼平に関白辞任の意志があったこと、辞職したのちも出仕を止められなかったことなどが記され、記主の兼仲は「前長者(藤原兼平)建長度十个年、今度十三个年、前後廿三个年御執政、頗近例稀歟、定無御餘執歟」と評しています(弘安十年八月九日~十一日条)。鎌倉幕府の将軍源惟康の中納言・大納言への昇進や親王宣下をめぐる公武交渉の記事(弘安十年六月三日~五日条、同年十月三日条ほか)なども注目されます。 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第176回配本 楽只堂年録4

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
15,400
宮川葉子校訂、八木書店、平27、1冊
『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された、吉保の公用日記。初の全文翻刻。吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。柳沢吉保の生涯は、周囲の嫉妬も手伝いまげて伝えられてきた。本書の刊行によって吉保本人は勿論、犬公方として悪名高い綱吉の実像、幕臣達や吉保一族の動向、柳沢家と公家衆との文化交流、大奥の女性の生活等、表舞台には現れない貴重な事実を知ることが出来る。

【収録】元禄15年(1702)9月~元禄16年(1703)12月

元禄15年9月14日の御成御殿の経営成就、同10月21日、吉保は六義園に「様々の名所」として「八十八境」を定め、「園を六義園」とし「六義園記」を自ら著しました。「六義園記」は本書に収録されています。その記述には、六義園作庭の精神的中核ともなった和歌に因む名所について、和歌を交じえて解説があります。

元禄15年12月15日、赤穂浪士の討入の記事が見えます。浅野内匠頭の家臣46人が吉良邸に押し入り、義央を殺し泉岳寺に立退き、他家に御預けになります。 翌年2月4日、切腹を仰付られていく過程が淡々と記述されています。

元禄16年11月23日、元禄の大地震が起こります。この地震の震源地は、千葉県の野島崎と推定されており、その規模は関東大震災よりも大きいものでした。本書では「今暁八つ半時、希有の大地震によりて、吉保・吉里、急て登城す、大手の堀の水溢れて橋の上を越すによりて、供の士、背に負て過く」とあり、各地に甚大な被害をもたらしました。吉保の許に入った情報によれば、死者は約6,700人、潰家や津波による流失家屋は約3万軒とあり、同月29日に起った火災により更に20万人余りの人命が失なわれたとされる未曾有の大惨事となりました。

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
15,400
宮川葉子校訂 、八木書店 、平27 、1冊
『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された、吉保の公用日記。初の全文翻刻。吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。柳沢吉保の生涯は、周囲の嫉妬も手伝いまげて伝えられてきた。本書の刊行によって吉保本人は勿論、犬公方として悪名高い綱吉の実像、幕臣達や吉保一族の動向、柳沢家と公家衆との文化交流、大奥の女性の生活等、表舞台には現れない貴重な事実を知ることが出来る。 【収録】元禄15年(1702)9月~元禄16年(1703)12月 元禄15年9月14日の御成御殿の経営成就、同10月21日、吉保は六義園に「様々の名所」として「八十八境」を定め、「園を六義園」とし「六義園記」を自ら著しました。「六義園記」は本書に収録されています。その記述には、六義園作庭の精神的中核ともなった和歌に因む名所について、和歌を交じえて解説があります。 元禄15年12月15日、赤穂浪士の討入の記事が見えます。浅野内匠頭の家臣46人が吉良邸に押し入り、義央を殺し泉岳寺に立退き、他家に御預けになります。 翌年2月4日、切腹を仰付られていく過程が淡々と記述されています。 元禄16年11月23日、元禄の大地震が起こります。この地震の震源地は、千葉県の野島崎と推定されており、その規模は関東大震災よりも大きいものでした。本書では「今暁八つ半時、希有の大地震によりて、吉保・吉里、急て登城す、大手の堀の水溢れて橋の上を越すによりて、供の士、背に負て過く」とあり、各地に甚大な被害をもたらしました。吉保の許に入った情報によれば、死者は約6,700人、潰家や津波による流失家屋は約3万軒とあり、同月29日に起った火災により更に20万人余りの人命が失なわれたとされる未曾有の大惨事となりました。 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第166回配本 勘仲記3 1282年〔弘安5〕10月~1284年〔弘安7〕3月

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂、八木書店、平25、1冊
勘解由小路(広橋)兼仲(1244-1308)の日記。広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の『民経記』など代々日記を残した。本記は蒙古襲来に関する具体的な状況、将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関連、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる13世紀後半の一級史料。

【収録】③1282年〔弘安5〕10月~1284年〔弘安7〕3月
●興福寺・春日社関係の記事(弘安5年12月21日条)
 興福寺衆徒の強訴で運び込まれ、法成寺に置かれたままになっていた春日社の神木がようやく帰った。延引されていた年中行事も行われるようになったが、興福寺と多武峯との争いの方は収まらず、兼仲はとばっちりを受けて放氏されてしまう。
●文庫と家の文書の管理(弘安6年6月19日・21日条)
 兄が亡くなり、家を継いだ兼仲に対して、3年後、家の文書管理を認める院宣と関白家御教書が出された。兼仲は早速吉田亭に付属する文庫に赴いて蔵を開け、虫払いをした。文書が「家」そのものであり、安堵の対象でもあった。
●鎌倉円覚寺の額(弘安6年10月22日条)
 鎌倉幕府の執権北条時宗から円覚寺に後宇多天皇筆の勅額が欲しいという申し入れがあった。しかし数ヶ月後、鎌倉からは時宗の危篤と出家、さらに死去の報がもたらされ、その穢れによって京都では神事が停止された。
●真言律宗の僧、叡尊の説戒(弘安7年3月18日・同年10月19日条)
 関白の兼平は、しばしば叡尊を招いて談義を聞き、説戒を受けた。後宇多天皇も受戒しているし、兼仲は叡尊の草庵にも赴いている。こうした信仰を背景に、叡尊は宇治川の網代の破却を求めたり、神社の人事に関与したり、朝廷への働きかけを行った。

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂 、八木書店 、平25 、1冊
勘解由小路(広橋)兼仲(1244-1308)の日記。広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の『民経記』など代々日記を残した。本記は蒙古襲来に関する具体的な状況、将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関連、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる13世紀後半の一級史料。 【収録】③1282年〔弘安5〕10月~1284年〔弘安7〕3月 ●興福寺・春日社関係の記事(弘安5年12月21日条)  興福寺衆徒の強訴で運び込まれ、法成寺に置かれたままになっていた春日社の神木がようやく帰った。延引されていた年中行事も行われるようになったが、興福寺と多武峯との争いの方は収まらず、兼仲はとばっちりを受けて放氏されてしまう。 ●文庫と家の文書の管理(弘安6年6月19日・21日条)  兄が亡くなり、家を継いだ兼仲に対して、3年後、家の文書管理を認める院宣と関白家御教書が出された。兼仲は早速吉田亭に付属する文庫に赴いて蔵を開け、虫払いをした。文書が「家」そのものであり、安堵の対象でもあった。 ●鎌倉円覚寺の額(弘安6年10月22日条)  鎌倉幕府の執権北条時宗から円覚寺に後宇多天皇筆の勅額が欲しいという申し入れがあった。しかし数ヶ月後、鎌倉からは時宗の危篤と出家、さらに死去の報がもたらされ、その穢れによって京都では神事が停止された。 ●真言律宗の僧、叡尊の説戒(弘安7年3月18日・同年10月19日条)  関白の兼平は、しばしば叡尊を招いて談義を聞き、説戒を受けた。後宇多天皇も受戒しているし、兼仲は叡尊の草庵にも赴いている。こうした信仰を背景に、叡尊は宇治川の網代の破却を求めたり、神社の人事に関与したり、朝廷への働きかけを行った。 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

正税帳読解

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
13,200
榎 英一著、八木書店、令8、1冊
奈良時代の正倉院文書に残る収支決算書「正税帳《を徹底精読し、古代社会の実態を探る
会計報告書・正税帳の正確な読解方法、正税帳からわかる地方財政の実態など、奈良時代の経済を知るうえで必要な基本事項を詳説。

【内容説明】
●正税帳を読むための基礎知識を提示
正倉院文書の中に20通余の天平期の正税帳=年間の会計報告書がある。これらは役人の書いたものであるが、稲穀(モミ)の計算が升・合・勺・撮という末端単位まで数字が合っていることなど、かえって事実かどうか疑わしい面もある。正税帳を読むうえでおさえるべき基礎知識・用語を丁寧に説明し、正税帳の何が真実で何がウソなのかを検討し、正税帳の信憑性に迫る。
●正倉院文書の正税帳から地方行政を明らかに
正税帳は奈良時代の史書である『続日本紀』ではうかがい知れない事実も知ることができる。出挙が財政上重要な位置を占めていたこと、国司がしばしば国内を巡行していたこと、多数の公的旅行者が京・国間を往復していたことなど、正税帳の記載から地方行政の一端を明らかにする。
●実務官人の力量と工夫・個性に迫る
国司から書生まで、帳簿作成に関わった官人たちの役割や能力はどうだったのか。穎稲の単位「分《の使い方など正税帳の用語が統一されていないことがあるが、それは書き手の個性の反映といえる。こうした帳簿の整合性や記録の工夫・差異から、律令官人の知恵や苦労、個性を読み取る。
●官稲制度と穀倉管理の実態
穎稲・稲穀の違いや「上動穀《政策、倉・カギの管理方法など、古代の米穀財政の仕組みを詳細に解説。郡稲の性格や出挙制度の実態など、律令地方財政の実態にも踏み込む。
●奈良時代の量の単位・規格
量の単位とその実量、枡の規格は、時代によって変遷がある。天平当時使用していた令制での容積の規格(量制)は、現代の枡のおよそ半分弱と推定できる。奈良時代の経済を知るうえで必要となる、モノを計量する単位・規格を明らかにする。
●正税帳から読み解く古代社会
正税帳から具体的にわかることをコラム形式で11本掲載。当時の政治・社会の姿を立体的に描き出す。

#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
13,200
榎 英一著 、八木書店 、令8 、1冊
奈良時代の正倉院文書に残る収支決算書「正税帳《を徹底精読し、古代社会の実態を探る 会計報告書・正税帳の正確な読解方法、正税帳からわかる地方財政の実態など、奈良時代の経済を知るうえで必要な基本事項を詳説。 【内容説明】 ●正税帳を読むための基礎知識を提示 正倉院文書の中に20通余の天平期の正税帳=年間の会計報告書がある。これらは役人の書いたものであるが、稲穀(モミ)の計算が升・合・勺・撮という末端単位まで数字が合っていることなど、かえって事実かどうか疑わしい面もある。正税帳を読むうえでおさえるべき基礎知識・用語を丁寧に説明し、正税帳の何が真実で何がウソなのかを検討し、正税帳の信憑性に迫る。 ●正倉院文書の正税帳から地方行政を明らかに 正税帳は奈良時代の史書である『続日本紀』ではうかがい知れない事実も知ることができる。出挙が財政上重要な位置を占めていたこと、国司がしばしば国内を巡行していたこと、多数の公的旅行者が京・国間を往復していたことなど、正税帳の記載から地方行政の一端を明らかにする。 ●実務官人の力量と工夫・個性に迫る 国司から書生まで、帳簿作成に関わった官人たちの役割や能力はどうだったのか。穎稲の単位「分《の使い方など正税帳の用語が統一されていないことがあるが、それは書き手の個性の反映といえる。こうした帳簿の整合性や記録の工夫・差異から、律令官人の知恵や苦労、個性を読み取る。 ●官稲制度と穀倉管理の実態 穎稲・稲穀の違いや「上動穀《政策、倉・カギの管理方法など、古代の米穀財政の仕組みを詳細に解説。郡稲の性格や出挙制度の実態など、律令地方財政の実態にも踏み込む。 ●奈良時代の量の単位・規格 量の単位とその実量、枡の規格は、時代によって変遷がある。天平当時使用していた令制での容積の規格(量制)は、現代の枡のおよそ半分弱と推定できる。奈良時代の経済を知るうえで必要となる、モノを計量する単位・規格を明らかにする。 ●正税帳から読み解く古代社会 正税帳から具体的にわかることをコラム形式で11本掲載。当時の政治・社会の姿を立体的に描き出す。 #八木書店出版物/-/-

国造制・屯倉制の研究

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
12,100
篠川賢・大川原竜一・鈴木正信編著、八木書店、令8、1冊
ヤマト王権の支配構造を解き明かす
古墳から飛鳥時代に地方支配の重要な役割を担った国造制と屯倉制を考察した20本の研究論文と2本のコラム、文献目録・関係史料集・ミヤケ一覧を収録。出土文字資料や最新の発掘成果を取り込み、多角的視点から古代社会の実像に迫る研究の到達点。

【内容説明】
 国造制・屯倉制とは 国造制は、王権が各地の有力氏族を国造(地方官)に任命してそのクニ(管掌範囲)の支配権を保障し、労働力・軍事力・物資等を提供させる制度である。一方、屯倉は、交通の要衝に置かれた政治的・軍事的拠点、あるいは貢納奉仕の拠点と理解されている。この二つの制度は、いずれも6世紀前半を画期として成立したと見られており、ヤマト王権の成立過程や支配構造を考える上で不可欠な研究テーマである。
 屯倉制研究の現在 『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』等には約145の国造が掲載されており、氏族分布や古墳群の消長を手がかりに、国造制の実態に関する研究が蓄積されてきた。それに対して、固有の名称が知られる屯倉の設置記事は約60例のみであり、史料的に大きな制約があるため、その実態は不明な点が多い。このことが国造制との関係や、ヤマト王権の支配制度を総体的に考察する上での大きな障害となっていた。
 新史料の増加 近年では、出土文字資料(木簡、墨書・刻書土器、文字瓦等)が増加するとともに、屯倉段階にまでさかのぼると推定される官衙遺跡の発掘調査が進展し、さらには歴史地名に関する充実したデータベースも公開されるようになった。こうした最新の成果を踏まえることで、屯倉の実態をより具体的に解明することが可能になる。
 最新研究を集大成 本書は、国造制・屯倉制をテーマとした共同研究の成果として、文献史学分野および考古学分野から寄せられた計20本の研究論文、2本のコラムに加え、文献目録・関係史料集・ミヤケ一覧を収録することで、ヤマト王権の地方支配制度に関する研究の到達点を示すものである。全編書き下ろし。

#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
12,100
篠川賢・大川原竜一・鈴木正信編著 、八木書店 、令8 、1冊
ヤマト王権の支配構造を解き明かす 古墳から飛鳥時代に地方支配の重要な役割を担った国造制と屯倉制を考察した20本の研究論文と2本のコラム、文献目録・関係史料集・ミヤケ一覧を収録。出土文字資料や最新の発掘成果を取り込み、多角的視点から古代社会の実像に迫る研究の到達点。 【内容説明】  国造制・屯倉制とは 国造制は、王権が各地の有力氏族を国造(地方官)に任命してそのクニ(管掌範囲)の支配権を保障し、労働力・軍事力・物資等を提供させる制度である。一方、屯倉は、交通の要衝に置かれた政治的・軍事的拠点、あるいは貢納奉仕の拠点と理解されている。この二つの制度は、いずれも6世紀前半を画期として成立したと見られており、ヤマト王権の成立過程や支配構造を考える上で不可欠な研究テーマである。  屯倉制研究の現在 『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』等には約145の国造が掲載されており、氏族分布や古墳群の消長を手がかりに、国造制の実態に関する研究が蓄積されてきた。それに対して、固有の名称が知られる屯倉の設置記事は約60例のみであり、史料的に大きな制約があるため、その実態は不明な点が多い。このことが国造制との関係や、ヤマト王権の支配制度を総体的に考察する上での大きな障害となっていた。  新史料の増加 近年では、出土文字資料(木簡、墨書・刻書土器、文字瓦等)が増加するとともに、屯倉段階にまでさかのぼると推定される官衙遺跡の発掘調査が進展し、さらには歴史地名に関する充実したデータベースも公開されるようになった。こうした最新の成果を踏まえることで、屯倉の実態をより具体的に解明することが可能になる。  最新研究を集大成 本書は、国造制・屯倉制をテーマとした共同研究の成果として、文献史学分野および考古学分野から寄せられた計20本の研究論文、2本のコラムに加え、文献目録・関係史料集・ミヤケ一覧を収録することで、ヤマト王権の地方支配制度に関する研究の到達点を示すものである。全編書き下ろし。 #八木書店出版物/-/-

尊経閣善本影印集成87 尊経閣古文書纂 編年雑纂文書 4〔第十輯 古文書〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
30,800
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介、八木書店、令6、1冊
編年文書・朝鮮文書・外国文書・俳人等文書・未定文書・宗教関係文書からなる多種多様な古文書群

【内容説明】
「尊経閣古文書纂」のうち、諸家・社寺両文書に分類されない古文書を収めたもので、総数は約九二〇点である。内訳は、編年文書=約六九一点、朝鮮文書=二二点、外国文書=一三点、俳人等文書=七点、未定文書=約一五五点、宗教関係文書=三二点で、編年文書は三分冊、それ以外の古文書は二分冊として集成する。

このうち編年文書は、年次順に五七七の番号(枝番あり)を付けて配列したもので、一番は、天平勝宝四(七五二)年六月十五日の解(重要文化財「買新羅物解」七通のうち)、最後の五七七番は、江戸時代中期、延享期(一七四五年頃)と推定される年未詳五月二十三日の日野資枝書状である。源頼朝や足利尊氏などの成巻史料や荘園・村落関係史料など多種多様な古文書が収載されている。
朝鮮文書は、豊臣秀吉による二度の朝鮮出兵に関する古文書をまとめたもので、陣法度や軍勢人数次第といった豊臣秀吉・秀次の朱印状が多く、秀吉による中国・朝鮮征服計画を記したことで著名な「豊太閤三国処置太早計」(一巻)も含まれている。外国文書には、高山国(現在の台湾)宛の豊臣秀吉朱印状(一巻)や、徳川家康時代の安南・占城(ともに現在のベトナム)等宛の渡海朱印状(五通)などを収録する。
なお最終冊には、文庫が所蔵する「三朝宸翰」(二巻、国宝)、「後醍醐天皇宸翰御感状」(一幅、重要文化財)といった巻子や掛幅に装幀された宸翰などの古文書約四〇点も収録する。「三朝宸翰」は、伏見・花園・後醍醐三天皇が青蓮院門跡に宛てた宸筆消息を貼り継いだもの。第一巻が花園天皇の消息一二点、第二巻が後醍醐天皇の消息一〇点と伏見天皇の消息二点で、紙背に法華経を摺写した痕跡があり、供養経として伝来したとされる。「後醍醐天皇宸翰御感状」は、年月日欠ながら、後醍醐天皇が元弘の変以来の足助重治の軍功を賞し、さらなる忠節を期待した感状である。


【目次】
朝鮮文書/外国文書/俳人等文書/未定文書断筒類:伊・呂・波・仁・保・辺

#八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料
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30,800
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介 、八木書店 、令6 、1冊
編年文書・朝鮮文書・外国文書・俳人等文書・未定文書・宗教関係文書からなる多種多様な古文書群 【内容説明】 「尊経閣古文書纂」のうち、諸家・社寺両文書に分類されない古文書を収めたもので、総数は約九二〇点である。内訳は、編年文書=約六九一点、朝鮮文書=二二点、外国文書=一三点、俳人等文書=七点、未定文書=約一五五点、宗教関係文書=三二点で、編年文書は三分冊、それ以外の古文書は二分冊として集成する。 このうち編年文書は、年次順に五七七の番号(枝番あり)を付けて配列したもので、一番は、天平勝宝四(七五二)年六月十五日の解(重要文化財「買新羅物解」七通のうち)、最後の五七七番は、江戸時代中期、延享期(一七四五年頃)と推定される年未詳五月二十三日の日野資枝書状である。源頼朝や足利尊氏などの成巻史料や荘園・村落関係史料など多種多様な古文書が収載されている。 朝鮮文書は、豊臣秀吉による二度の朝鮮出兵に関する古文書をまとめたもので、陣法度や軍勢人数次第といった豊臣秀吉・秀次の朱印状が多く、秀吉による中国・朝鮮征服計画を記したことで著名な「豊太閤三国処置太早計」(一巻)も含まれている。外国文書には、高山国(現在の台湾)宛の豊臣秀吉朱印状(一巻)や、徳川家康時代の安南・占城(ともに現在のベトナム)等宛の渡海朱印状(五通)などを収録する。 なお最終冊には、文庫が所蔵する「三朝宸翰」(二巻、国宝)、「後醍醐天皇宸翰御感状」(一幅、重要文化財)といった巻子や掛幅に装幀された宸翰などの古文書約四〇点も収録する。「三朝宸翰」は、伏見・花園・後醍醐三天皇が青蓮院門跡に宛てた宸筆消息を貼り継いだもの。第一巻が花園天皇の消息一二点、第二巻が後醍醐天皇の消息一〇点と伏見天皇の消息二点で、紙背に法華経を摺写した痕跡があり、供養経として伝来したとされる。「後醍醐天皇宸翰御感状」は、年月日欠ながら、後醍醐天皇が元弘の変以来の足助重治の軍功を賞し、さらなる忠節を期待した感状である。 【目次】 朝鮮文書/外国文書/俳人等文書/未定文書断筒類:伊・呂・波・仁・保・辺 #八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料

史料纂集古記録編 第145回配本 義演准后日記4〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
9,900
酒井信彦校訂、八木書店、令5、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!
豊臣秀吉の帰依を受け、醍醐寺を造営した三宝院義演の日記

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

二条晴良の子、足利義昭の猶子、醍醐寺義演(一五五八-一六二六)の日記。秀吉の帰依をうけ、北政所・秀頼の外護により醍醐寺を造営した。本記は、慶長元年から寛永三年におよぶもので、当時の寺院の修法や行事等に詳しいのは勿論、近世初期の政治情勢を窺うべき記事が豊富である。また庭園や建築の歴史を究める上で不可欠の史料とされ、慶長三年の醍醐の花見の記事は夙に有名。

〔収録範囲〕
1605〔慶長10〕~1607〔慶長12〕
○旧冬関東大地震の由
○桜樹百本余を増植、往古は桜会とて大法会あり
○朝鮮使節家康に謁す
○秀忠将軍宣下
○応仁の大乱以後初て寺家南門竣工す
○大仏千僧供会
○摂津池田逗留鼓の滝見物
○南都下向用意、西大門額作成のため大寺先例一見
○猿楽名人渋谷与兵衛子兄弟来る
○上醍醐如意輪堂五大堂御影堂火災焼失
○文殊院勢誉より進上物、勢誉は家康意に叶う威勢の者
○京都宿坊院御所建設の為取壊始む
○山上伽藍再興を大坂へ訴う
○南庭花盛り京中より見物群集
○方広寺大仏千僧会八宗出仕
○五大尊画幅箱新調を仰付く
○石清水八幡宮見物秀頼造営社殿壮麗広大
○山伏公事并に大隅村百姓相論家康へ訴訟
○太平記読始む
○家康に松虫を贈る
○秀頼北野経堂を再興
○近衛信尹に関白職を鷹司信房に譲渡すべきとの沙汰
○山上学侶伽藍完成御礼に大坂に赴く
○寺領人夫の淀普請への徴用を断る
○醍醐番匠駿河府中作事に徴さる
○結城秀康死去
○駿河城焼失

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第145回配本 義演准后日記4〔オンデマンド版〕

9,900
酒井信彦校訂 、八木書店 、令5 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 豊臣秀吉の帰依を受け、醍醐寺を造営した三宝院義演の日記 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 二条晴良の子、足利義昭の猶子、醍醐寺義演(一五五八-一六二六)の日記。秀吉の帰依をうけ、北政所・秀頼の外護により醍醐寺を造営した。本記は、慶長元年から寛永三年におよぶもので、当時の寺院の修法や行事等に詳しいのは勿論、近世初期の政治情勢を窺うべき記事が豊富である。また庭園や建築の歴史を究める上で不可欠の史料とされ、慶長三年の醍醐の花見の記事は夙に有名。 〔収録範囲〕 1605〔慶長10〕~1607〔慶長12〕 ○旧冬関東大地震の由 ○桜樹百本余を増植、往古は桜会とて大法会あり ○朝鮮使節家康に謁す ○秀忠将軍宣下 ○応仁の大乱以後初て寺家南門竣工す ○大仏千僧供会 ○摂津池田逗留鼓の滝見物 ○南都下向用意、西大門額作成のため大寺先例一見 ○猿楽名人渋谷与兵衛子兄弟来る ○上醍醐如意輪堂五大堂御影堂火災焼失 ○文殊院勢誉より進上物、勢誉は家康意に叶う威勢の者 ○京都宿坊院御所建設の為取壊始む ○山上伽藍再興を大坂へ訴う ○南庭花盛り京中より見物群集 ○方広寺大仏千僧会八宗出仕 ○五大尊画幅箱新調を仰付く ○石清水八幡宮見物秀頼造営社殿壮麗広大 ○山伏公事并に大隅村百姓相論家康へ訴訟 ○太平記読始む ○家康に松虫を贈る ○秀頼北野経堂を再興 ○近衛信尹に関白職を鷹司信房に譲渡すべきとの沙汰 ○山上学侶伽藍完成御礼に大坂に赴く ○寺領人夫の淀普請への徴用を断る ○醍醐番匠駿河府中作事に徴さる ○結城秀康死去 ○駿河城焼失 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

尊経閣善本影印集成82 尊経閣古文書纂 社寺文書 3〔第十輯 古文書〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
27,500
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介、八木書店、令5、1冊
所領の安堵状や補任状、寺院の運営など、多岐にわたる古文書群

【内容説明】
「尊経閣古文書纂」のうち、社寺文書を中心とした古文書群で、神社が二群、仏寺が一五群、総数は八四五点である。内訳は、石清水八幡宮文書=一三二点、加茂社文書=一四点、仁和寺心蓮院文書=一九点(以上、三群を「社寺文書」一として集成)、宝菩提院文書=九九点、東福寺文書=一九五点(以上、二群を「社寺文書」二として集成)、長福寺文書=一四五点、大覚寺文書=一五点、大光明寺文書=一二点(以上、三群を「社寺文書」三として集成)、高野蓮養坊文書=二七点、南禅寺慈聖院文書=四八通、天龍寺真乗院文書=一四点、天龍寺周悦関係文書=二三点、西興寺文書=二〇点、園城寺実相院文書=二一点、清水寺文書=一〇点、神護寺文書=二一点、青蓮院文書=二九点(以上、九群を「社寺文書」四として集成)。社寺文書の内容は、所領の安堵状や補任状が多くを占めるほか、寄進状や田地売券、祈祷状など多岐にわたる。石清水八幡宮文書は、多くの別宮・社領を有した石清水八幡宮の古文書群で、所領安堵や土地相論に関する古文書が多く残り、『史料纂集古文書編 尊経閣文庫所蔵石清水文書』(八木書店)に翻刻されている。東福寺文書は、京都五山に列せられ、武家政権から庇護を受けた東福寺から流出したものの一部で、足利尊氏の自筆祈祷状などが伝わる。また、末寺や別院の運営、寺家の経営に関する古文書も残されている。例えば、宝菩提院文書は東寺の塔頭である宝菩提院の古文書だが、石山寺およびその別院とされた嘉祥寺に関する古文書も含まれている。長福寺文書は、現在の京都市右京区梅津に所在する長福寺の伝来文書で、寺院の金融資金である祠堂銭関係の古文書も残されている。さらに、天龍寺真乗院文書は、京都五山筆頭天龍寺の塔頭である真乗院の古文書だが、楠木正成らに仕えた和泉国和田氏に関係する古文書を含み、大塔宮(護良親王)の令旨や楠木正儀の書状が伝わっている。

【目次】
長福寺文書/大覚寺文書/大光明寺文書

#八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料
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27,500
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介 、八木書店 、令5 、1冊
所領の安堵状や補任状、寺院の運営など、多岐にわたる古文書群 【内容説明】 「尊経閣古文書纂」のうち、社寺文書を中心とした古文書群で、神社が二群、仏寺が一五群、総数は八四五点である。内訳は、石清水八幡宮文書=一三二点、加茂社文書=一四点、仁和寺心蓮院文書=一九点(以上、三群を「社寺文書」一として集成)、宝菩提院文書=九九点、東福寺文書=一九五点(以上、二群を「社寺文書」二として集成)、長福寺文書=一四五点、大覚寺文書=一五点、大光明寺文書=一二点(以上、三群を「社寺文書」三として集成)、高野蓮養坊文書=二七点、南禅寺慈聖院文書=四八通、天龍寺真乗院文書=一四点、天龍寺周悦関係文書=二三点、西興寺文書=二〇点、園城寺実相院文書=二一点、清水寺文書=一〇点、神護寺文書=二一点、青蓮院文書=二九点(以上、九群を「社寺文書」四として集成)。社寺文書の内容は、所領の安堵状や補任状が多くを占めるほか、寄進状や田地売券、祈祷状など多岐にわたる。石清水八幡宮文書は、多くの別宮・社領を有した石清水八幡宮の古文書群で、所領安堵や土地相論に関する古文書が多く残り、『史料纂集古文書編 尊経閣文庫所蔵石清水文書』(八木書店)に翻刻されている。東福寺文書は、京都五山に列せられ、武家政権から庇護を受けた東福寺から流出したものの一部で、足利尊氏の自筆祈祷状などが伝わる。また、末寺や別院の運営、寺家の経営に関する古文書も残されている。例えば、宝菩提院文書は東寺の塔頭である宝菩提院の古文書だが、石山寺およびその別院とされた嘉祥寺に関する古文書も含まれている。長福寺文書は、現在の京都市右京区梅津に所在する長福寺の伝来文書で、寺院の金融資金である祠堂銭関係の古文書も残されている。さらに、天龍寺真乗院文書は、京都五山筆頭天龍寺の塔頭である真乗院の古文書だが、楠木正成らに仕えた和泉国和田氏に関係する古文書を含み、大塔宮(護良親王)の令旨や楠木正儀の書状が伝わっている。 【目次】 長福寺文書/大覚寺文書/大光明寺文書 #八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料

史料纂集古記録編 第129回配本 妙法院日次記18〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
12,100
妙法院史研究会(村山修一・今中寛司・杣田善雄・三崎義泉)校訂、八木書店、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

京都東山七条にある天台の名刹妙法院の坊官が、元禄七年(一六九四)より明治九年(一八七六)まで約二百年にわたって書継いできた同寺の記録。本書は、寺の歴史だけに止まらず、朝廷・公家・京都所司代・町奉行などの動勢や、幕府の公家政策、京都の庶民生活、学問・芸術にわたる文化人の活動、天変天災の実情等、広汎な内容を含み、学界未知の史料が少なくない。

〔収録範囲〕
1775〔安永4〕~1778〔安永7〕
○弁官より院家以下の名簿提出の通知
○三条大橋小橋大破につき牛馬通差留の雑色触
○広橋家より禁裏へ能書方御伝授の御達
○議奏より諸秤は悉く守随方役人改めを請くべし、との触書
○当番流行風邪にて無人
○年貢米売払う約諾にて前金を受取りながら米を江戸廻しにして売払うとの風聞につき議奏触
○妙法院門跡知行所の届書
○禁裏御用の鮎不漁につき賀茂川上流禁漁との方内触
○近来耕作を怠け奉公稼出の者多く尓今村方残人数を相糺し田畑を荒さぬよう伝奏触
○寛文以降の諸国御領私領宗門改帳を取集めよとの武辺の指示につき当年(安永六年)よりは一宗ごとに一冊となすも御知行所宗門改帳は各村方町方より提出せし故不可能との伝奏への書付
○朱墨は朱座の外よりは売出すことは許さず
○秤改の節は秤をすべて見せ改請するようとの伝奏触
○新田畑開発は公儀より仰付られず私領開発は公儀より仰付との伝奏触
○所司代火消屋敷内にて出火


#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求

史料纂集古記録編 第129回配本 妙法院日次記18〔オンデマンド版〕

12,100
妙法院史研究会(村山修一・今中寛司・杣田善雄・三崎義泉)校訂 、八木書店 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 京都東山七条にある天台の名刹妙法院の坊官が、元禄七年(一六九四)より明治九年(一八七六)まで約二百年にわたって書継いできた同寺の記録。本書は、寺の歴史だけに止まらず、朝廷・公家・京都所司代・町奉行などの動勢や、幕府の公家政策、京都の庶民生活、学問・芸術にわたる文化人の活動、天変天災の実情等、広汎な内容を含み、学界未知の史料が少なくない。 〔収録範囲〕 1775〔安永4〕~1778〔安永7〕 ○弁官より院家以下の名簿提出の通知 ○三条大橋小橋大破につき牛馬通差留の雑色触 ○広橋家より禁裏へ能書方御伝授の御達 ○議奏より諸秤は悉く守随方役人改めを請くべし、との触書 ○当番流行風邪にて無人 ○年貢米売払う約諾にて前金を受取りながら米を江戸廻しにして売払うとの風聞につき議奏触 ○妙法院門跡知行所の届書 ○禁裏御用の鮎不漁につき賀茂川上流禁漁との方内触 ○近来耕作を怠け奉公稼出の者多く尓今村方残人数を相糺し田畑を荒さぬよう伝奏触 ○寛文以降の諸国御領私領宗門改帳を取集めよとの武辺の指示につき当年(安永六年)よりは一宗ごとに一冊となすも御知行所宗門改帳は各村方町方より提出せし故不可能との伝奏への書付 ○朱墨は朱座の外よりは売出すことは許さず ○秤改の節は秤をすべて見せ改請するようとの伝奏触 ○新田畑開発は公儀より仰付られず私領開発は公儀より仰付との伝奏触 ○所司代火消屋敷内にて出火 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第65回配本 義演准后日記2〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
12,100
酒井信彦校訂、八木書店、令2、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!
豊臣秀吉の帰依を受け、醍醐寺を造営した三宝院義演の日記

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

二条晴良の子、足利義昭の猶子、醍醐寺義演(一五五八-一六二六)の日記。秀吉の帰依をうけ、北政所・秀頼の外護により醍醐寺を造営した。本記は、慶長元年から寛永三年におよぶもので、当時の寺院の修法や行事等に詳しいのは勿論、近世初期の政治情勢を窺うべき記事が豊富である。また庭園や建築の歴史を究める上で不可欠の史料とされ、慶長三年の醍醐の花見の記事は夙に有名。

〔収録範囲〕
1599〔慶長4〕~1601〔慶長6〕
○秀頼伏見より大坂へ移徙
○五奉行衆元結を払う
○家康勢多数上洛
○落雷により東寺塔心柱焼く
○島津忠恒伊集院忠棟を殺す
○三成佐和山城に退く
○秀吉を阿弥陀峯に葬る
○豊国明神遷宮人々群集す
○秀吉一周忌
○大名残らず豊国社に参る
○家康の大坂下向は秀頼への礼か
○高野山衆徒と紛争あり
○応其理徳院を殺す
○家康大坂城二の丸に入る
○義演大坂城の華麗さに驚く
○秀頼三十三間堂千体仏を修理し応其奉行す
○堺に唐船を見物し大船に驚く
○寺誌編集のため醍醐要書を見る
○家康会津の上杉氏征討
○大坂の情勢不穏
○毛利輝元大坂城西丸へ入る
○三奉行家康の罪を列挙す
○西軍伏見城攻撃
○田辺城孤立す
○家康八万騎にて上洛という
○三成行長恵瓊梟首さる
○輝元降伏す
○家康根来寺再興を許す
○公家に新知を給すという
○家康禁裏に新知を上す
○伏見城遺構を御影堂に望む
○応其関ケ原戦後近江に退く
○秀頼神号を書す
○諸家諸門跡に新知加増

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第65回配本 義演准后日記2〔オンデマンド版〕

12,100
酒井信彦校訂 、八木書店 、令2 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 豊臣秀吉の帰依を受け、醍醐寺を造営した三宝院義演の日記 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 二条晴良の子、足利義昭の猶子、醍醐寺義演(一五五八-一六二六)の日記。秀吉の帰依をうけ、北政所・秀頼の外護により醍醐寺を造営した。本記は、慶長元年から寛永三年におよぶもので、当時の寺院の修法や行事等に詳しいのは勿論、近世初期の政治情勢を窺うべき記事が豊富である。また庭園や建築の歴史を究める上で不可欠の史料とされ、慶長三年の醍醐の花見の記事は夙に有名。 〔収録範囲〕 1599〔慶長4〕~1601〔慶長6〕 ○秀頼伏見より大坂へ移徙 ○五奉行衆元結を払う ○家康勢多数上洛 ○落雷により東寺塔心柱焼く ○島津忠恒伊集院忠棟を殺す ○三成佐和山城に退く ○秀吉を阿弥陀峯に葬る ○豊国明神遷宮人々群集す ○秀吉一周忌 ○大名残らず豊国社に参る ○家康の大坂下向は秀頼への礼か ○高野山衆徒と紛争あり ○応其理徳院を殺す ○家康大坂城二の丸に入る ○義演大坂城の華麗さに驚く ○秀頼三十三間堂千体仏を修理し応其奉行す ○堺に唐船を見物し大船に驚く ○寺誌編集のため醍醐要書を見る ○家康会津の上杉氏征討 ○大坂の情勢不穏 ○毛利輝元大坂城西丸へ入る ○三奉行家康の罪を列挙す ○西軍伏見城攻撃 ○田辺城孤立す ○家康八万騎にて上洛という ○三成行長恵瓊梟首さる ○輝元降伏す ○家康根来寺再興を許す ○公家に新知を給すという ○家康禁裏に新知を上す ○伏見城遺構を御影堂に望む ○応其関ケ原戦後近江に退く ○秀頼神号を書す ○諸家諸門跡に新知加増 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

日本古代の文書行政―正倉院文書の形成と復原―

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
8,800
矢越葉子著、八木書店、令2、1冊
文書はどのように作成・保管されたのか
律令国家を動かした文書行政の実態や、正倉院文書の作成から保管に至る史料群の形成過程、さらに中国・敦煌文書との比較から、日本の文書行政の特質を解明

【内容説明】
 ①正倉院文書を検討し、文書行政の実態を解き明かす
 律令国家の根幹を支えた文書行政はどのように運営されていたのか。役所間でやり取りされる正倉院文書をてがかりに、奈良時代の文書行政の実態を具体的に解き明かす。

 ②文書・帳簿の作成から保管まで、史料群の形成過程を検討
 正倉院文書中の「石山寺造営関係史料」を手掛かりに、文書・帳簿の作成から保管までの一連を考察。署名・案件ごとに分類され、継文・帳簿類として保管されたこと、上級官司である造東大寺司に提出されるものと提出せずに保管されるものがあったことなど、正倉院文書が史料群として形成される過程を明らかにする。

 ③日中の文書管理システムの特質とは
 正倉院文書と唐の敦煌・吐魯番(トルファン)文書に残る案巻とを比較・検討し、日中の文書行政システムの特質を明らかにする。中国では、文書の到来から返信まで一つの帳簿で一括管理されていたのに対し、日本では、帳簿の処理・保管・廃棄は実務担当者の判断にゆだねられており、こうした状況下で形成されたのが今日伝存する正倉院文書だったとする。

 ④正倉院文書「続々修」の整理過程と全容
 複数の目録を頼りに、明治10年代に行われた整理過程を検討。現行の続々修を、写真版での確認や各種の目録と突き合わせることで、復原の最小単位である「断簡」を提示。続々修と未修古文書目録、また大日本古文書の掲載頁を一覧で表示(全124頁)。

 ⑤写真版から古代史料を復原する方法を提示
 『西宮記』や「唐令」などの基本的な古代史料について、写真版(影印版)を素材に史料復原の具体的な成果とその方法論を提示。書下ろしコラム3本も収録。

#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
8,800
矢越葉子著 、八木書店 、令2 、1冊
文書はどのように作成・保管されたのか 律令国家を動かした文書行政の実態や、正倉院文書の作成から保管に至る史料群の形成過程、さらに中国・敦煌文書との比較から、日本の文書行政の特質を解明 【内容説明】  ①正倉院文書を検討し、文書行政の実態を解き明かす  律令国家の根幹を支えた文書行政はどのように運営されていたのか。役所間でやり取りされる正倉院文書をてがかりに、奈良時代の文書行政の実態を具体的に解き明かす。  ②文書・帳簿の作成から保管まで、史料群の形成過程を検討  正倉院文書中の「石山寺造営関係史料」を手掛かりに、文書・帳簿の作成から保管までの一連を考察。署名・案件ごとに分類され、継文・帳簿類として保管されたこと、上級官司である造東大寺司に提出されるものと提出せずに保管されるものがあったことなど、正倉院文書が史料群として形成される過程を明らかにする。  ③日中の文書管理システムの特質とは  正倉院文書と唐の敦煌・吐魯番(トルファン)文書に残る案巻とを比較・検討し、日中の文書行政システムの特質を明らかにする。中国では、文書の到来から返信まで一つの帳簿で一括管理されていたのに対し、日本では、帳簿の処理・保管・廃棄は実務担当者の判断にゆだねられており、こうした状況下で形成されたのが今日伝存する正倉院文書だったとする。  ④正倉院文書「続々修」の整理過程と全容  複数の目録を頼りに、明治10年代に行われた整理過程を検討。現行の続々修を、写真版での確認や各種の目録と突き合わせることで、復原の最小単位である「断簡」を提示。続々修と未修古文書目録、また大日本古文書の掲載頁を一覧で表示(全124頁)。  ⑤写真版から古代史料を復原する方法を提示  『西宮記』や「唐令」などの基本的な古代史料について、写真版(影印版)を素材に史料復原の具体的な成果とその方法論を提示。書下ろしコラム3本も収録。 #八木書店出版物/-/-

近世写本文化論■出雲国風土記を書写した人々■

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
11,000
髙橋周著、八木書店、令7、1冊
本の書写は近世社会に何をもたらしたのか
『出雲国風土記』の写本約200冊を悉皆調査した著者が、全写本の系譜関係を明らかにする過程で、書写した人々が出雲・江戸・伊勢・京都・九州と広範囲に及ぶことに注目、書物が必要とされていた理由や、地域を越えて人と人とが文化的につながった背景を活写する

【内容説明】
以下サイトで、髙橋周著『近世写本文化論■出雲国風土記を書写した人々■』(八木書店、2025年)に関連する、系統図・写本一覧・校異表を公開。

■200冊におよぶ写本を悉皆調査
現存する『出雲国風土記』の写本(約200冊)を悉皆調査した上で、全ての写本間の系譜関係を明らかにし、研究史上初めて一体の系譜図として提示した。さらに、写本の書誌情報や各写本間の異同を示す校合表から、写本の位置づけを読者にも確認できるように示した。写本の系譜を一望できる系統図・写本一覧・校異表(約100点)は【特設サイト】公開。

【特設サイト】髙橋周著『近世写本文化論■出雲国風土記を書写した人々■』系統図・写本一覧・校異表
https://company.books-yagi.co.jp/archives/11711

■写本がつなぐ近世社会
近世社会における『出雲国風土記』の写本伝写の様相を明らかにし、出雲だけではなく、江戸、伊勢、京都、九州などに広がり、各地で書き写されたことを示した。写本を書写したのは、公家や文人大名、儒者、神職、国学者など身分を超えて多岐にわたり、それぞれの書写の背景を明らかにすることで、なぜ近世において『出雲国風土記』が必要とされたのか、解き明かしていく。さらに、写本のつながりが見えることで、人と人の文化的なつながりも明らかとなる。『出雲国風土記』は近世の人々にとって、単なる古代の一地域の地誌ではなかったことが分かる。

■文献史学の史料論・近世史・思想史・文学史・アーカイブス学に寄与
写本間の関係や書写の背景を明らかにすることで、文献史学の史料論だけでなく、近世史、思想史、文学史、アーカイブス学あるいは各地域史に寄与する。

■書き下ろしコラムで書写した人々の小伝を収録
 各コラムでは「『出雲国風土記』を書写した人々」と題して、写本を書写した人の中で注目される人物の小伝と風土記の関わりを述べる。

#八木書店出版物/-/-
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11,000
髙橋周著 、八木書店 、令7 、1冊
本の書写は近世社会に何をもたらしたのか 『出雲国風土記』の写本約200冊を悉皆調査した著者が、全写本の系譜関係を明らかにする過程で、書写した人々が出雲・江戸・伊勢・京都・九州と広範囲に及ぶことに注目、書物が必要とされていた理由や、地域を越えて人と人とが文化的につながった背景を活写する 【内容説明】 以下サイトで、髙橋周著『近世写本文化論■出雲国風土記を書写した人々■』(八木書店、2025年)に関連する、系統図・写本一覧・校異表を公開。 ■200冊におよぶ写本を悉皆調査 現存する『出雲国風土記』の写本(約200冊)を悉皆調査した上で、全ての写本間の系譜関係を明らかにし、研究史上初めて一体の系譜図として提示した。さらに、写本の書誌情報や各写本間の異同を示す校合表から、写本の位置づけを読者にも確認できるように示した。写本の系譜を一望できる系統図・写本一覧・校異表(約100点)は【特設サイト】公開。 【特設サイト】髙橋周著『近世写本文化論■出雲国風土記を書写した人々■』系統図・写本一覧・校異表 https://company.books-yagi.co.jp/archives/11711 ■写本がつなぐ近世社会 近世社会における『出雲国風土記』の写本伝写の様相を明らかにし、出雲だけではなく、江戸、伊勢、京都、九州などに広がり、各地で書き写されたことを示した。写本を書写したのは、公家や文人大名、儒者、神職、国学者など身分を超えて多岐にわたり、それぞれの書写の背景を明らかにすることで、なぜ近世において『出雲国風土記』が必要とされたのか、解き明かしていく。さらに、写本のつながりが見えることで、人と人の文化的なつながりも明らかとなる。『出雲国風土記』は近世の人々にとって、単なる古代の一地域の地誌ではなかったことが分かる。 ■文献史学の史料論・近世史・思想史・文学史・アーカイブス学に寄与 写本間の関係や書写の背景を明らかにすることで、文献史学の史料論だけでなく、近世史、思想史、文学史、アーカイブス学あるいは各地域史に寄与する。 ■書き下ろしコラムで書写した人々の小伝を収録  各コラムでは「『出雲国風土記』を書写した人々」と題して、写本を書写した人の中で注目される人物の小伝と風土記の関わりを述べる。 #八木書店出版物/-/-

尊経閣善本影印集成92 豊明絵草紙・祭礼草紙〔第十一輯 絵巻〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
30,800
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員・解説〕土屋貴裕、八木書店、令7、1冊
中世の人々の営みを細部にいたるまで活写!
至宝の絵巻を高精細カラー版で刊行

【内容説明】
豊明絵草紙 一巻 鎌倉時代 【重要文化財】

鎌倉時代に盛行をみた白描物語絵巻の一つ
本巻詞書は他に伝本なく現存唯一

 白描で調度や障屏画などを緻密に表現する。絵様は引目鉤鼻の系統を引き、唇などにわずかに朱を入れる。若くして中納言・左大将を兼任し、美しい妻と男女両三人の子に恵まれた主人公が、妻を病に亡くしたことで世の無常を悟り出家、庵を結んで念仏三昧の日々を送っていたところに、子息の少将が弟の若君の死を告げる。厭離穢土の心をいよいよ深くした主人公は、念仏の名号を唱え往生を遂げる、という内容。名称は「豊明のよなよなは」から始まる冒頭部をとったものである。この冒頭部は後深草院二条の「とはずがたり」の一節と一致しており、他にも類似する箇所が少なくないこと、漢籍・仏典の引用に教養豊かな作者が想定されることから、本絵巻の詞書を二条の作とする説がある。

祭礼草紙 一巻 室町時代 【重要文化財】

室町後期の大和絵草紙
祭礼の様子を描いた詞書のない絵巻

 何らかの祭礼の様子を描いたもので、詞書はない。巻頭の饗応の場面は、室町後期における会所(和歌会や茶の湯など種々の会合に用いられた座敷)の室礼を描いたもので、豪華な唐物磁器をふんだんに飾り付けた様子は、建築史・美術史の上でも注目されている。座敷の横には風呂が設けられており、夏風呂に入って茶を喫する淋汗茶湯を描いた実例とされる。続いて、祭礼の準備のため調度などをかつぎ出す者たち、盛装し供を連れた馬上の女二人、騎馬の稚児と甲冑を身に着けてそれに付き従う地下人たちの行列、様々な故事・和歌に題をとって当時「風流」とよばれた作り物を頭上にかついだ人々の行列、ミニチュアの神輿をかつぐ子どもたちなどが描かれる。

【目次】
豊明絵草紙・祭礼草紙

#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
30,800
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員・解説〕土屋貴裕 、八木書店 、令7 、1冊
中世の人々の営みを細部にいたるまで活写! 至宝の絵巻を高精細カラー版で刊行 【内容説明】 豊明絵草紙 一巻 鎌倉時代 【重要文化財】 鎌倉時代に盛行をみた白描物語絵巻の一つ 本巻詞書は他に伝本なく現存唯一  白描で調度や障屏画などを緻密に表現する。絵様は引目鉤鼻の系統を引き、唇などにわずかに朱を入れる。若くして中納言・左大将を兼任し、美しい妻と男女両三人の子に恵まれた主人公が、妻を病に亡くしたことで世の無常を悟り出家、庵を結んで念仏三昧の日々を送っていたところに、子息の少将が弟の若君の死を告げる。厭離穢土の心をいよいよ深くした主人公は、念仏の名号を唱え往生を遂げる、という内容。名称は「豊明のよなよなは」から始まる冒頭部をとったものである。この冒頭部は後深草院二条の「とはずがたり」の一節と一致しており、他にも類似する箇所が少なくないこと、漢籍・仏典の引用に教養豊かな作者が想定されることから、本絵巻の詞書を二条の作とする説がある。 祭礼草紙 一巻 室町時代 【重要文化財】 室町後期の大和絵草紙 祭礼の様子を描いた詞書のない絵巻  何らかの祭礼の様子を描いたもので、詞書はない。巻頭の饗応の場面は、室町後期における会所(和歌会や茶の湯など種々の会合に用いられた座敷)の室礼を描いたもので、豪華な唐物磁器をふんだんに飾り付けた様子は、建築史・美術史の上でも注目されている。座敷の横には風呂が設けられており、夏風呂に入って茶を喫する淋汗茶湯を描いた実例とされる。続いて、祭礼の準備のため調度などをかつぎ出す者たち、盛装し供を連れた馬上の女二人、騎馬の稚児と甲冑を身に着けてそれに付き従う地下人たちの行列、様々な故事・和歌に題をとって当時「風流」とよばれた作り物を頭上にかついだ人々の行列、ミニチュアの神輿をかつぐ子どもたちなどが描かれる。 【目次】 豊明絵草紙・祭礼草紙 #八木書店出版物/-/-

江吏部集注解

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
27,500
甲田利雄著、八木書店、令7、1冊
一条天皇・三条天皇の侍読にして、文人、儒者として活躍した大江匡衡の漢詩集の注釈書
藤原道長、道隆、実資、兼家、行成ら、同時代の公家たちとの関係や、匡衡の朝廷での動向が明らかに!

【内容説明】
『江吏部集』は、大江匡衡(952■1012)の漢詩集。その書名の由来は、著者が大江氏で、吏部(式部省の唐名)であったことによる。本書は全3巻(上中下)で、(上巻)天・四時・地・居処、(中巻)神道・釈教・帝徳・人倫・文・音楽・飲食・火、(下巻)木・草・鳥の15門に部類され、それぞれをさらに細分している。駢儷体の詩序38篇を含み、詩130余首を所収。七言律詩・絶句を主体とする。

匡衡は、平安時代中期の儒者で、文章生、検非違使を歴任し、永祚元年(989)に文章博士となる。その後、東宮学士、一条天皇の侍読となり、侍従、式部大輔、尾張守、丹波守となった。匡衡の死に際して、藤原実資はその日記『小右記』の中で「名儒比肩するものなし、文道滅亡」と彼の死を嘆いている。妻は赤染衛門。曾孫の匡房は、談話記録「江談抄」を残した。

【本書の特徴】
①『群書類従』巻第132の『江吏部集』を底本として、各詩ごとに考説・校異・大意を施して解説を加えた。
 〇考説 詩題と漢詩について、語句の意味するところと出典を明示した。出典は、和漢の古典籍や経典、詩文、伝記など多岐にわたる。
 〇校異 『本朝文粋』『日本詩紀』『本朝麗藻』『朝野群載』『本朝文粋註釈』に見えるものを記し、私見を加えた。
 〇大意 各漢詩ごとに、おおよその意味を示した。
②本文の読点は、改めて施した。また、底本に施された傍注等は削り、校異に示した。
③巻末に、100頁にわたる項目・事項・人名・書名の詳細な索引を付し、利用の便をはかった。

【主な出典】
文選・論語・史記・南史・老子・商子・荘子・管子・列子・荀子・淮南子・礼記・周礼・漢書・晋書・梁書・隋書・尚書・後漢書・宋書・春秋・唐書・南斉書・陳書・北史・国語・三国志・太平御覧・爾雅・説苑・全唐詩・詩経・書経・法華経・芸文類聚・蒙求・白氏長慶集・蘇軾文集・職原鈔・公卿補任・日本国見在書目録・本朝書籍目録・色葉字類抄・塵袋・作文大躰・延喜式・扶桑略記・帝王編年記・日本紀略・本朝往生伝・古今著聞集・拾芥抄・権記・御堂関白記など

#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
27,500
甲田利雄著 、八木書店 、令7 、1冊
一条天皇・三条天皇の侍読にして、文人、儒者として活躍した大江匡衡の漢詩集の注釈書 藤原道長、道隆、実資、兼家、行成ら、同時代の公家たちとの関係や、匡衡の朝廷での動向が明らかに! 【内容説明】 『江吏部集』は、大江匡衡(952■1012)の漢詩集。その書名の由来は、著者が大江氏で、吏部(式部省の唐名)であったことによる。本書は全3巻(上中下)で、(上巻)天・四時・地・居処、(中巻)神道・釈教・帝徳・人倫・文・音楽・飲食・火、(下巻)木・草・鳥の15門に部類され、それぞれをさらに細分している。駢儷体の詩序38篇を含み、詩130余首を所収。七言律詩・絶句を主体とする。 匡衡は、平安時代中期の儒者で、文章生、検非違使を歴任し、永祚元年(989)に文章博士となる。その後、東宮学士、一条天皇の侍読となり、侍従、式部大輔、尾張守、丹波守となった。匡衡の死に際して、藤原実資はその日記『小右記』の中で「名儒比肩するものなし、文道滅亡」と彼の死を嘆いている。妻は赤染衛門。曾孫の匡房は、談話記録「江談抄」を残した。 【本書の特徴】 ①『群書類従』巻第132の『江吏部集』を底本として、各詩ごとに考説・校異・大意を施して解説を加えた。  〇考説 詩題と漢詩について、語句の意味するところと出典を明示した。出典は、和漢の古典籍や経典、詩文、伝記など多岐にわたる。  〇校異 『本朝文粋』『日本詩紀』『本朝麗藻』『朝野群載』『本朝文粋註釈』に見えるものを記し、私見を加えた。  〇大意 各漢詩ごとに、おおよその意味を示した。 ②本文の読点は、改めて施した。また、底本に施された傍注等は削り、校異に示した。 ③巻末に、100頁にわたる項目・事項・人名・書名の詳細な索引を付し、利用の便をはかった。 【主な出典】 文選・論語・史記・南史・老子・商子・荘子・管子・列子・荀子・淮南子・礼記・周礼・漢書・晋書・梁書・隋書・尚書・後漢書・宋書・春秋・唐書・南斉書・陳書・北史・国語・三国志・太平御覧・爾雅・説苑・全唐詩・詩経・書経・法華経・芸文類聚・蒙求・白氏長慶集・蘇軾文集・職原鈔・公卿補任・日本国見在書目録・本朝書籍目録・色葉字類抄・塵袋・作文大躰・延喜式・扶桑略記・帝王編年記・日本紀略・本朝往生伝・古今著聞集・拾芥抄・権記・御堂関白記など #八木書店出版物/-/-

尊経閣善本影印集成85 尊経閣古文書纂 編年雑纂文書 2〔第十輯 古文書〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
30,800
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介、八木書店、令5、1冊
編年文書・朝鮮文書・外国文書・俳人等文書・未定文書・宗教関係文書からなる多種多様な古文書群

【内容説明】
「尊経閣古文書纂」のうち、諸家・社寺両文書に分類されない古文書を収めたもので、総数は約九二〇点である。内訳は、編年文書=約六九一点、朝鮮文書=二二点、外国文書=一三点、俳人等文書=七点、未定文書=約一五五点、宗教関係文書=三二点で、編年文書は三分冊、それ以外の古文書は二分冊として集成する。このうち編年文書は、年次順に五七七の番号(枝番あり)を付けて配列したもので、一番は、天平勝宝四(七五二)年六月十五日の解(重要文化財「買新羅物解」七通のうち)、最後の五七七番は、江戸時代中期、延享期(一七四五年頃)と推定される年未詳五月二十三日の日野資枝書状である。源頼朝や足利尊氏などの成巻史料や荘園・村落関係史料など多種多様な古文書が収載されている。 朝鮮文書は、豊臣秀吉による二度の朝鮮出兵に関する古文書をまとめたもので、陣法度や軍勢人数次第といった豊臣秀吉・秀次の朱印状が多く、秀吉による中国・朝鮮征服計画を記したことで著名な「豊太閤三国処置太早計」(一巻)も含まれている。外国文書には、高山国(現在の台湾)宛の豊臣秀吉朱印状(一巻)や、徳川家康時代の安南・占城(ともに現在のベトナム)等宛の渡海朱印状(五通)などを収録する。なお最終冊には、文庫が所蔵する「三朝宸翰」(二巻、国宝)、「後醍醐天皇宸翰御感状」(一幅、重要文化財)といった巻子や掛幅に装幀された宸翰などの古文書約四〇点も収録する。「三朝宸翰」は、伏見・花園・後醍醐三天皇が青蓮院門跡に宛てた宸筆消息を貼り継いだもの。第一巻が花園天皇の消息一二点、第二巻が後醍醐天皇の消息一〇点と伏見天皇の消息二点で、紙背に法華経を摺写した痕跡があり、供養経として伝来したとされる。「後醍醐天皇宸翰御感状」は、年月日欠ながら、後醍醐天皇が元弘の変以来の足助重治の軍功を賞し、さらなる忠節を期待した感状である。

【目次】
編年文書:波包(201~277)・仁包(278~373)

#八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
30,800
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介 、八木書店 、令5 、1冊
編年文書・朝鮮文書・外国文書・俳人等文書・未定文書・宗教関係文書からなる多種多様な古文書群 【内容説明】 「尊経閣古文書纂」のうち、諸家・社寺両文書に分類されない古文書を収めたもので、総数は約九二〇点である。内訳は、編年文書=約六九一点、朝鮮文書=二二点、外国文書=一三点、俳人等文書=七点、未定文書=約一五五点、宗教関係文書=三二点で、編年文書は三分冊、それ以外の古文書は二分冊として集成する。このうち編年文書は、年次順に五七七の番号(枝番あり)を付けて配列したもので、一番は、天平勝宝四(七五二)年六月十五日の解(重要文化財「買新羅物解」七通のうち)、最後の五七七番は、江戸時代中期、延享期(一七四五年頃)と推定される年未詳五月二十三日の日野資枝書状である。源頼朝や足利尊氏などの成巻史料や荘園・村落関係史料など多種多様な古文書が収載されている。 朝鮮文書は、豊臣秀吉による二度の朝鮮出兵に関する古文書をまとめたもので、陣法度や軍勢人数次第といった豊臣秀吉・秀次の朱印状が多く、秀吉による中国・朝鮮征服計画を記したことで著名な「豊太閤三国処置太早計」(一巻)も含まれている。外国文書には、高山国(現在の台湾)宛の豊臣秀吉朱印状(一巻)や、徳川家康時代の安南・占城(ともに現在のベトナム)等宛の渡海朱印状(五通)などを収録する。なお最終冊には、文庫が所蔵する「三朝宸翰」(二巻、国宝)、「後醍醐天皇宸翰御感状」(一幅、重要文化財)といった巻子や掛幅に装幀された宸翰などの古文書約四〇点も収録する。「三朝宸翰」は、伏見・花園・後醍醐三天皇が青蓮院門跡に宛てた宸筆消息を貼り継いだもの。第一巻が花園天皇の消息一二点、第二巻が後醍醐天皇の消息一〇点と伏見天皇の消息二点で、紙背に法華経を摺写した痕跡があり、供養経として伝来したとされる。「後醍醐天皇宸翰御感状」は、年月日欠ながら、後醍醐天皇が元弘の変以来の足助重治の軍功を賞し、さらなる忠節を期待した感状である。 【目次】 編年文書:波包(201~277)・仁包(278~373) #八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料

史料纂集古記録編 第150回配本 経覚私要鈔7〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
11,000
小泉宜右校訂、八木書店、令5、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

 奈良興福寺大乗院別当第18世門主経覚(1395~1473)の日乗。『私要鈔』の名は、原本の表紙に題せられたところである。原本は、独立行政法人国立公文書館に所蔵され、欠年もあるが、応永22年(1415)から文明4年(1472)までが現存。

 その内容は、興福寺内の寺務・寺領支配から国人の動向、大和の情勢、京都の動静にまでおよび、朝幕関係から幕府内部の動向も書かれている。嘉吉の乱から応仁・文明の乱勃発の時期までの政治・社会・経済史研究の一級史料である。

 本巻には、文正元年(1466)9月に山名・細川の政変が起こり、政所執事と蔭涼軒主が没落し、守護達は山名持豊と細川勝元の許に集まり対立。翌年正月、京都御霊社の合戦を機に応仁の乱に発展していく過程が克明に活写されている。

 この時期の史料としては、『大乗院寺社雑事記』とならぶ基本史料といえる。経覚は、本拠地の奈良から、常に京都の情勢を見据え、絶えず関心をはらっている。これには、彼の摂関家出身という貴族の出自が大きく影響している。

【経覚(1395-1473)】
応永2年(1395)、関白九条経教の子として誕生。同14年に出家し、同17年に大乗院門跡となる。同33年に興福寺別当となり、永享3年(1431)・寛正2年(1461)・文明元年(1469)の都合4度別当に補任されている。この間、 幕府の命に抗して隠居したこともあるが、幕府要人とは良好な関係を結び、将軍足利義教、管領畠山持国、三宝院満済などの交誼を得ている。経覚は、大乗院門跡・興福寺別当という興福寺の実力者として、大和国内にも影響力をもった。文明5年(1473)、79歳で寂す。

〔収録範囲〕
1465〔寛正6〕~1468〔応仁2〕

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第150回配本 経覚私要鈔7〔オンデマンド版〕

11,000
小泉宜右校訂 、八木書店 、令5 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。  奈良興福寺大乗院別当第18世門主経覚(1395~1473)の日乗。『私要鈔』の名は、原本の表紙に題せられたところである。原本は、独立行政法人国立公文書館に所蔵され、欠年もあるが、応永22年(1415)から文明4年(1472)までが現存。  その内容は、興福寺内の寺務・寺領支配から国人の動向、大和の情勢、京都の動静にまでおよび、朝幕関係から幕府内部の動向も書かれている。嘉吉の乱から応仁・文明の乱勃発の時期までの政治・社会・経済史研究の一級史料である。  本巻には、文正元年(1466)9月に山名・細川の政変が起こり、政所執事と蔭涼軒主が没落し、守護達は山名持豊と細川勝元の許に集まり対立。翌年正月、京都御霊社の合戦を機に応仁の乱に発展していく過程が克明に活写されている。  この時期の史料としては、『大乗院寺社雑事記』とならぶ基本史料といえる。経覚は、本拠地の奈良から、常に京都の情勢を見据え、絶えず関心をはらっている。これには、彼の摂関家出身という貴族の出自が大きく影響している。 【経覚(1395-1473)】 応永2年(1395)、関白九条経教の子として誕生。同14年に出家し、同17年に大乗院門跡となる。同33年に興福寺別当となり、永享3年(1431)・寛正2年(1461)・文明元年(1469)の都合4度別当に補任されている。この間、 幕府の命に抗して隠居したこともあるが、幕府要人とは良好な関係を結び、将軍足利義教、管領畠山持国、三宝院満済などの交誼を得ている。経覚は、大乗院門跡・興福寺別当という興福寺の実力者として、大和国内にも影響力をもった。文明5年(1473)、79歳で寂す。 〔収録範囲〕 1465〔寛正6〕~1468〔応仁2〕 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

尊経閣善本影印集成86 尊経閣古文書纂 編年雑纂文書 3〔第十輯 古文書〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
34,100
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介、八木書店、令6、1冊
編年文書・朝鮮文書・外国文書・俳人等文書・未定文書・宗教関係文書からなる多種多様な古文書群

【内容説明】
「尊経閣古文書纂」のうち、諸家・社寺両文書に分類されない古文書を収めたもので、総数は約九二〇点である。内訳は、編年文書=約六九一点、朝鮮文書=二二点、外国文書=一三点、俳人等文書=七点、未定文書=約一五五点、宗教関係文書=三二点で、編年文書は三分冊、それ以外の古文書は二分冊として集成する。このうち編年文書は、年次順に五七七の番号(枝番あり)を付けて配列したもので、一番は、天平勝宝四(七五二)年六月十五日の解(重要文化財「買新羅物解」七通のうち)、最後の五七七番は、江戸時代中期、延享期(一七四五年頃)と推定される年未詳五月二十三日の日野資枝書状である。源頼朝や足利尊氏などの成巻史料や荘園・村落関係史料など多種多様な古文書が収載されている。 朝鮮文書は、豊臣秀吉による二度の朝鮮出兵に関する古文書をまとめたもので、陣法度や軍勢人数次第といった豊臣秀吉・秀次の朱印状が多く、秀吉による中国・朝鮮征服計画を記したことで著名な「豊太閤三国処置太早計」(一巻)も含まれている。外国文書には、高山国(現在の台湾)宛の豊臣秀吉朱印状(一巻)や、徳川家康時代の安南・占城(ともに現在のベトナム)等宛の渡海朱印状(五通)などを収録する。なお最終冊には、文庫が所蔵する「三朝宸翰」(二巻、国宝)、「後醍醐天皇宸翰御感状」(一幅、重要文化財)といった巻子や掛幅に装幀された宸翰などの古文書約四〇点も収録する。「三朝宸翰」は、伏見・花園・後醍醐三天皇が青蓮院門跡に宛てた宸筆消息を貼り継いだもの。第一巻が花園天皇の消息一二点、第二巻が後醍醐天皇の消息一〇点と伏見天皇の消息二点で、紙背に法華経を摺写した痕跡があり、供養経として伝来したとされる。「後醍醐天皇宸翰御感状」は、年月日欠ながら、後醍醐天皇が元弘の変以来の足助重治の軍功を賞し、さらなる忠節を期待した感状である。

〔所収〕永正14年(1517)~延享期(1745頃) 230点

【目次】
編年文書:保包(374~474)・辺包(475~577)

#八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料
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34,100
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介 、八木書店 、令6 、1冊
編年文書・朝鮮文書・外国文書・俳人等文書・未定文書・宗教関係文書からなる多種多様な古文書群 【内容説明】 「尊経閣古文書纂」のうち、諸家・社寺両文書に分類されない古文書を収めたもので、総数は約九二〇点である。内訳は、編年文書=約六九一点、朝鮮文書=二二点、外国文書=一三点、俳人等文書=七点、未定文書=約一五五点、宗教関係文書=三二点で、編年文書は三分冊、それ以外の古文書は二分冊として集成する。このうち編年文書は、年次順に五七七の番号(枝番あり)を付けて配列したもので、一番は、天平勝宝四(七五二)年六月十五日の解(重要文化財「買新羅物解」七通のうち)、最後の五七七番は、江戸時代中期、延享期(一七四五年頃)と推定される年未詳五月二十三日の日野資枝書状である。源頼朝や足利尊氏などの成巻史料や荘園・村落関係史料など多種多様な古文書が収載されている。 朝鮮文書は、豊臣秀吉による二度の朝鮮出兵に関する古文書をまとめたもので、陣法度や軍勢人数次第といった豊臣秀吉・秀次の朱印状が多く、秀吉による中国・朝鮮征服計画を記したことで著名な「豊太閤三国処置太早計」(一巻)も含まれている。外国文書には、高山国(現在の台湾)宛の豊臣秀吉朱印状(一巻)や、徳川家康時代の安南・占城(ともに現在のベトナム)等宛の渡海朱印状(五通)などを収録する。なお最終冊には、文庫が所蔵する「三朝宸翰」(二巻、国宝)、「後醍醐天皇宸翰御感状」(一幅、重要文化財)といった巻子や掛幅に装幀された宸翰などの古文書約四〇点も収録する。「三朝宸翰」は、伏見・花園・後醍醐三天皇が青蓮院門跡に宛てた宸筆消息を貼り継いだもの。第一巻が花園天皇の消息一二点、第二巻が後醍醐天皇の消息一〇点と伏見天皇の消息二点で、紙背に法華経を摺写した痕跡があり、供養経として伝来したとされる。「後醍醐天皇宸翰御感状」は、年月日欠ながら、後醍醐天皇が元弘の変以来の足助重治の軍功を賞し、さらなる忠節を期待した感状である。 〔所収〕永正14年(1517)~延享期(1745頃) 230点 【目次】 編年文書:保包(374~474)・辺包(475~577) #八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料

尊経閣善本影印集成84 尊経閣古文書纂 編年雑纂文書 1〔第十輯 古文書〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
33,000
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介、八木書店、令5、1冊
編年文書・朝鮮文書・外国文書・俳人等文書・未定文書・宗教関係文書からなる多種多様な古文書群

【内容説明】
「尊経閣古文書纂」のうち、諸家・社寺両文書に分類されない古文書を収めたもので、総数は約九二〇点である。内訳は、編年文書=約六九一点、朝鮮文書=二二点、外国文書=一三点、俳人等文書=七点、未定文書=約一五五点、宗教関係文書=三二点で、編年文書は三分冊、それ以外の古文書は二分冊として集成する。このうち編年文書は、年次順に五七七の番号(枝番あり)を付けて配列したもので、一番は、天平勝宝四(七五二)年六月十五日の解(重要文化財「買新羅物解」七通のうち)、最後の五七七番は、江戸時代中期、延享期(一七四五年頃)と推定される年未詳五月二十三日の日野資枝書状である。源頼朝や足利尊氏などの成巻史料や荘園・村落関係史料など多種多様な古文書が収載されている。 朝鮮文書は、豊臣秀吉による二度の朝鮮出兵に関する古文書をまとめたもので、陣法度や軍勢人数次第といった豊臣秀吉・秀次の朱印状が多く、秀吉による中国・朝鮮征服計画を記したことで著名な「豊太閤三国処置太早計」(一巻)も含まれている。外国文書には、高山国(現在の台湾)宛の豊臣秀吉朱印状(一巻)や、徳川家康時代の安南・占城(ともに現在のベトナム)等宛の渡海朱印状(五通)などを収録する。なお最終冊には、文庫が所蔵する「三朝宸翰」(二巻、国宝)、「後醍醐天皇宸翰御感状」(一幅、重要文化財)といった巻子や掛幅に装幀された宸翰などの古文書約四〇点も収録する。「三朝宸翰」は、伏見・花園・後醍醐三天皇が青蓮院門跡に宛てた宸筆消息を貼り継いだもの。第一巻が花園天皇の消息一二点、第二巻が後醍醐天皇の消息一〇点と伏見天皇の消息二点で、紙背に法華経を摺写した痕跡があり、供養経として伝来したとされる。「後醍醐天皇宸翰御感状」は、年月日欠ながら、後醍醐天皇が元弘の変以来の足助重治の軍功を賞し、さらなる忠節を期待した感状である。

【目次】
編年文書:買新羅物解・伊包(1~99)・呂包(101~200)

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33,000
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介 、八木書店 、令5 、1冊
編年文書・朝鮮文書・外国文書・俳人等文書・未定文書・宗教関係文書からなる多種多様な古文書群 【内容説明】 「尊経閣古文書纂」のうち、諸家・社寺両文書に分類されない古文書を収めたもので、総数は約九二〇点である。内訳は、編年文書=約六九一点、朝鮮文書=二二点、外国文書=一三点、俳人等文書=七点、未定文書=約一五五点、宗教関係文書=三二点で、編年文書は三分冊、それ以外の古文書は二分冊として集成する。このうち編年文書は、年次順に五七七の番号(枝番あり)を付けて配列したもので、一番は、天平勝宝四(七五二)年六月十五日の解(重要文化財「買新羅物解」七通のうち)、最後の五七七番は、江戸時代中期、延享期(一七四五年頃)と推定される年未詳五月二十三日の日野資枝書状である。源頼朝や足利尊氏などの成巻史料や荘園・村落関係史料など多種多様な古文書が収載されている。 朝鮮文書は、豊臣秀吉による二度の朝鮮出兵に関する古文書をまとめたもので、陣法度や軍勢人数次第といった豊臣秀吉・秀次の朱印状が多く、秀吉による中国・朝鮮征服計画を記したことで著名な「豊太閤三国処置太早計」(一巻)も含まれている。外国文書には、高山国(現在の台湾)宛の豊臣秀吉朱印状(一巻)や、徳川家康時代の安南・占城(ともに現在のベトナム)等宛の渡海朱印状(五通)などを収録する。なお最終冊には、文庫が所蔵する「三朝宸翰」(二巻、国宝)、「後醍醐天皇宸翰御感状」(一幅、重要文化財)といった巻子や掛幅に装幀された宸翰などの古文書約四〇点も収録する。「三朝宸翰」は、伏見・花園・後醍醐三天皇が青蓮院門跡に宛てた宸筆消息を貼り継いだもの。第一巻が花園天皇の消息一二点、第二巻が後醍醐天皇の消息一〇点と伏見天皇の消息二点で、紙背に法華経を摺写した痕跡があり、供養経として伝来したとされる。「後醍醐天皇宸翰御感状」は、年月日欠ながら、後醍醐天皇が元弘の変以来の足助重治の軍功を賞し、さらなる忠節を期待した感状である。 【目次】 編年文書:買新羅物解・伊包(1~99)・呂包(101~200) #八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料

翻刻・影印 天平諸国正税帳

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
16,500
【編者】鈴木靖民・佐藤長門/【執筆者】荒井秀規・榎 英一・早川万年・山﨑雅稔、八木書店、令6、1冊
奈良時代の正倉院文書に残る収支計算書「正税帳」全27通を翻刻し、詳細な注釈をくわえ、別冊に影印を付した決定版
全国の地方財政・特産物・交通手段・産業、さらにはパンデミックによる救済措置・被害状況まで、奈良時代の社会情勢が全国規模でわかる貴重史料

【内容説明】
【正税帳(収支決算書)からわかること】
●奈良時代の全27通の正税帳 正税帳は毎年国ごとに作成され、中央政府に提出されたその国の一年間の正税(田租や出挙利稲の蓄積による穎稲・稲穀)の収支決算書で、今日でいえば都道府県の一般会計の歳入歳出決算書にあたる。平城京左京と20ヶ国の計27通の正税帳(大税帳5・郡稲帳3・正税出挙帳1を含む)の断簡が正倉院文書として伝来する。すべて天平期(730~739年)のもので、本書に全27通を翻刻・影印で収録。
●全国規模での地方財政 27通の内訳は、畿内4、東海道6、北陸道4、山陰道3、山陽道4、南海道3、西海道3で、東山道を除いて全国に分散しており(本内容見本表紙の地図参照)、古代社会の指標の一つとなる天平期の地方財政の実情を全国規模で知ることができる。同時に、地域間や年度間の比較もできる貴重な史料群。
●交通や産業・流通の実情 各国内を通過した使者・防人のほか、平城京に貢進された全国各地の特産物から、当時の交通や産業・流通の実情を知ることができる。
●モノの価格や度量衡、神社の存在まで 貢納物や材料の価格、その度量衡、貢納物の製造手段、さらには各国の年間行事とその経費・従事者、国司や郡司の構成、郡ごとの正倉の種類と数、天平期の神社の存在など、地方情勢を伝える。
●正史を補完し、法令の運用実態も 奈良時代の正史『続日本紀』の記事と比較することで、正史を補完することができるばかりでなく、地方における法令の運用実態までもがわかる。
●天然痘での被害対策や被害状況 近年、災害史の観点から注目されるのは、天平期の天然痘のパンデミックにおける各地の様相で、救済対策としての公費投入(正税支出)や死亡者・困窮者への租税減免措置や、各地の被害状況も推測される。
●さまざまな分野で活用できる史料 多方面の記載をもつ正税帳の記事は、歴史学・考古学に限らず、文学・経済史・法制史・災害史・建築史など、さまざまな分野での活用が期待され、諸分野での研究が活発となる。


#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
16,500
【編者】鈴木靖民・佐藤長門/【執筆者】荒井秀規・榎 英一・早川万年・山﨑雅稔 、八木書店 、令6 、1冊
奈良時代の正倉院文書に残る収支計算書「正税帳」全27通を翻刻し、詳細な注釈をくわえ、別冊に影印を付した決定版 全国の地方財政・特産物・交通手段・産業、さらにはパンデミックによる救済措置・被害状況まで、奈良時代の社会情勢が全国規模でわかる貴重史料 【内容説明】 【正税帳(収支決算書)からわかること】 ●奈良時代の全27通の正税帳 正税帳は毎年国ごとに作成され、中央政府に提出されたその国の一年間の正税(田租や出挙利稲の蓄積による穎稲・稲穀)の収支決算書で、今日でいえば都道府県の一般会計の歳入歳出決算書にあたる。平城京左京と20ヶ国の計27通の正税帳(大税帳5・郡稲帳3・正税出挙帳1を含む)の断簡が正倉院文書として伝来する。すべて天平期(730~739年)のもので、本書に全27通を翻刻・影印で収録。 ●全国規模での地方財政 27通の内訳は、畿内4、東海道6、北陸道4、山陰道3、山陽道4、南海道3、西海道3で、東山道を除いて全国に分散しており(本内容見本表紙の地図参照)、古代社会の指標の一つとなる天平期の地方財政の実情を全国規模で知ることができる。同時に、地域間や年度間の比較もできる貴重な史料群。 ●交通や産業・流通の実情 各国内を通過した使者・防人のほか、平城京に貢進された全国各地の特産物から、当時の交通や産業・流通の実情を知ることができる。 ●モノの価格や度量衡、神社の存在まで 貢納物や材料の価格、その度量衡、貢納物の製造手段、さらには各国の年間行事とその経費・従事者、国司や郡司の構成、郡ごとの正倉の種類と数、天平期の神社の存在など、地方情勢を伝える。 ●正史を補完し、法令の運用実態も 奈良時代の正史『続日本紀』の記事と比較することで、正史を補完することができるばかりでなく、地方における法令の運用実態までもがわかる。 ●天然痘での被害対策や被害状況 近年、災害史の観点から注目されるのは、天平期の天然痘のパンデミックにおける各地の様相で、救済対策としての公費投入(正税支出)や死亡者・困窮者への租税減免措置や、各地の被害状況も推測される。 ●さまざまな分野で活用できる史料 多方面の記載をもつ正税帳の記事は、歴史学・考古学に限らず、文学・経済史・法制史・災害史・建築史など、さまざまな分野での活用が期待され、諸分野での研究が活発となる。 #八木書店出版物/-/-

尊経閣善本影印集成88 尊経閣古文書纂 編年雑纂文書 5 付宸翰文書類〔第十輯 古文書〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
31,900
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介、八木書店、令6、1冊
編年文書・朝鮮文書・外国文書・俳人等文書・未定文書・宗教関係文書からなる多種多様な古文書群
国宝、重要文化財指定の宸翰文書類を付載

【内容説明】
「尊経閣古文書纂」のうち、諸家・社寺両文書に分類されない古文書を収めたもので、総数は約九二〇点である。内訳は、編年文書=約六九一点、朝鮮文書=二二点、外国文書=一三点、俳人等文書=七点、未定文書=約一五五点、宗教関係文書=三二点で、編年文書は三分冊、それ以外の古文書は二分冊として集成する。

このうち編年文書は、年次順に五七七の番号(枝番あり)を付けて配列したもので、一番は、天平勝宝四(七五二)年六月十五日の解(重要文化財「買新羅物解」七通のうち)、最後の五七七番は、江戸時代中期、延享期(一七四五年頃)と推定される年未詳五月二十三日の日野資枝書状である。源頼朝や足利尊氏などの成巻史料や荘園・村落関係史料など多種多様な古文書が収載されている。
朝鮮文書は、豊臣秀吉による二度の朝鮮出兵に関する古文書をまとめたもので、陣法度や軍勢人数次第といった豊臣秀吉・秀次の朱印状が多く、秀吉による中国・朝鮮征服計画を記したことで著名な「豊太閤三国処置太早計」(一巻)も含まれている。外国文書には、高山国(現在の台湾)宛の豊臣秀吉朱印状(一巻)や、徳川家康時代の安南・占城(ともに現在のベトナム)等宛の渡海朱印状(五通)などを収録する。
なお最終冊には、文庫が所蔵する「三朝宸翰」(二巻、国宝)、「後醍醐天皇宸翰御感状」(一幅、重要文化財)といった巻子や掛幅に装幀された宸翰などの古文書約四〇点も収録する。「三朝宸翰」は、伏見・花園・後醍醐三天皇が青蓮院門跡に宛てた宸筆消息を貼り継いだもの。第一巻が花園天皇の消息一二点、第二巻が後醍醐天皇の消息一〇点と伏見天皇の消息二点で、紙背に法華経を摺写した痕跡があり、供養経として伝来したとされる。「後醍醐天皇宸翰御感状」は、年月日欠ながら、後醍醐天皇が元弘の変以来の足助重治の軍功を賞し、さらなる忠節を期待した感状である。


【目次】
未定文書 止・知・利・後鑑類/宗教関係文書/記録断片/三朝宸翰(二巻・国宝)/後醍醐天皇宸翰御消息(重要文化財)他

#八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
31,900
前田育徳会尊経閣文庫編/〔編集委員〕藤井讓治・尾上陽介 、八木書店 、令6 、1冊
編年文書・朝鮮文書・外国文書・俳人等文書・未定文書・宗教関係文書からなる多種多様な古文書群 国宝、重要文化財指定の宸翰文書類を付載 【内容説明】 「尊経閣古文書纂」のうち、諸家・社寺両文書に分類されない古文書を収めたもので、総数は約九二〇点である。内訳は、編年文書=約六九一点、朝鮮文書=二二点、外国文書=一三点、俳人等文書=七点、未定文書=約一五五点、宗教関係文書=三二点で、編年文書は三分冊、それ以外の古文書は二分冊として集成する。 このうち編年文書は、年次順に五七七の番号(枝番あり)を付けて配列したもので、一番は、天平勝宝四(七五二)年六月十五日の解(重要文化財「買新羅物解」七通のうち)、最後の五七七番は、江戸時代中期、延享期(一七四五年頃)と推定される年未詳五月二十三日の日野資枝書状である。源頼朝や足利尊氏などの成巻史料や荘園・村落関係史料など多種多様な古文書が収載されている。 朝鮮文書は、豊臣秀吉による二度の朝鮮出兵に関する古文書をまとめたもので、陣法度や軍勢人数次第といった豊臣秀吉・秀次の朱印状が多く、秀吉による中国・朝鮮征服計画を記したことで著名な「豊太閤三国処置太早計」(一巻)も含まれている。外国文書には、高山国(現在の台湾)宛の豊臣秀吉朱印状(一巻)や、徳川家康時代の安南・占城(ともに現在のベトナム)等宛の渡海朱印状(五通)などを収録する。 なお最終冊には、文庫が所蔵する「三朝宸翰」(二巻、国宝)、「後醍醐天皇宸翰御感状」(一幅、重要文化財)といった巻子や掛幅に装幀された宸翰などの古文書約四〇点も収録する。「三朝宸翰」は、伏見・花園・後醍醐三天皇が青蓮院門跡に宛てた宸筆消息を貼り継いだもの。第一巻が花園天皇の消息一二点、第二巻が後醍醐天皇の消息一〇点と伏見天皇の消息二点で、紙背に法華経を摺写した痕跡があり、供養経として伝来したとされる。「後醍醐天皇宸翰御感状」は、年月日欠ながら、後醍醐天皇が元弘の変以来の足助重治の軍功を賞し、さらなる忠節を期待した感状である。 【目次】 未定文書 止・知・利・後鑑類/宗教関係文書/記録断片/三朝宸翰(二巻・国宝)/後醍醐天皇宸翰御消息(重要文化財)他 #八木書店出版物/尊経閣善本影印集成/影印資料

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