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動乱の眼 : アジア・アラブの指導者と語る
農産物の需要と生産の長期見通し : 解説版
太宰府史蹟 : 配所の菅公
日本政党政治の史的分析 : 近代日本の形成と三つの戦争 <新文化叢書>
潜水奇談 再版
独逸労働戦線と産業報国運動 : その本質及任務に関する考察
国難来る未来の日米戦争
日支交渉外史 上下
闇取引と刑罰 10版
【署名入】史談あれやこれ
アラビアン・ナイト 第3 <東洋文庫>
今昔物語 <現代訳日本古典>
西ドイツ農業法への道
明史十二講
不滅の日本藝術
律令を中心とした日中関係史の研究
昭和史の家
安藤正純遺稿
憲法制定と欧米人の評論
幸若舞 1<東洋文庫 355>
新建築 2001年10月 第76巻 第11号 <特集 : 変容する都市–21世紀に入った東京を俯瞰する>
私の昭和史
史談あれやこれ
備前折々
特許制度70年史
[仮題] 株式会社川崎造船所 匿名組合契約による「千歳黒鉛ペイント」事業関係資料一括
風濤偕に和して : 公江喜市郎先生の歩んだ道
政界往来 = Political journal自由化は避けられないコメ行政と対米経済摩擦 63(2)
樺戸集治監獄話著者 寺本界雄 出版社 樺戸行刑資料刊行会 刊行年 平成2 月形に樺戸集治監が誕生したのは、開拓使が一定の使命を果たし、全国では憲法制定や議会の設置への気運が高まっていた、こうした大きな変革の時代でした。そもそも集治監とはどんな施設なのでしょう。集治監は、今でいえば重罪犯を収容する特別な刑務所。徳川時代、重罪人は各地の藩ごとの監獄が扱い、罪によって伊豆七島や隠岐などに流されていました。藩の制度を廃止した明治の廃藩置県(1871 年)によって、受刑者は府県の監獄が収容するようになります。しかしまもなく、明治政府を主導した旧薩摩藩や長州藩のリーダーたちが進める政治への不満が募り、各地で旧士族の反乱が勃発しました。1874(明治7)年の「佐賀の乱」、76 (明治9)年の熊本の「神風連の乱」、福岡の「秋月の乱」、山口の「萩の乱」などです。そして1877(明治10)年には維新の立役者であった西郷隆盛を担ぐ、大規模な西南戦争が勃発します。立ち上がった旧士族たちはいずれもやがて政府に鎮圧されて敗北を喫し、首謀者たちは重罪人のレッテルを貼られることになりました。こうした旧士族の重罪人たちは、騒乱が起こった各県の監獄に収監される手はずになります。しかしその数があまりに多かったために、内務省が一元的に直轄する専用施設が必要になりました。これが集治監です。集治監は1878(明治11)年、まず東京(小菅集治監)と仙台(宮城集治監)に建てられ、3カ所めとして北海道が選ばれます。なにしろ当時の北海道の内陸の多くは未開の原野が広がり、本州から見ればまさに最果ての流刑地ともいえる土地でした。立地調査の段階から初代の典獄(監獄長)となるまで、北海道の集治監立ち上げに深く関わったのは、福岡藩出身で内務官僚だった月形潔(1847~1894)でした。樺戸集治監の開設には、さらに北海道の開拓という重要な目的がありました。1879(明治12)年、内務卿伊藤博文が太政大臣三条実美に建議書をあげます。社会を乱した凶悪犯や政治犯たちは、ただ徒食させることは許されない。ロシアへの備えの意味からも開拓が急務である北海道に送り込んで、開墾や道路建設などにつかせるのが良い、とするものです。
陸軍記念日講話資料
中央公論 五十周年記念号 (第50年 第10号 通巻 第575 号)
孤独な帝国 日本の一九二〇年代 : ポール・クローデル外交書簡一九二一-二七
日中貿易と我国の産業
孫文全集 第2巻 建国方略
日本主義認識
日本絵巻聚稿 上下 2冊揃
田中義一 <三代宰相列伝>
木下義謙封筒 文部省教育局藝術課宛 ※書簡は無し
孤独な帝国日本の一九二〇年代 : ポール・クローデル外交書簡一九二一-二七
出世をしない秘訣 すばらしきエゴイズム
春汀文集 <時文叢書 ; 第3編>
平家物語 (上下) <角川文庫>
闇取引と刑罰
平家物語 下巻 <角川文庫>
珠玉の人 : 鳩山薫先生伝
徒然草文段抄 : 校註
近松の天皇劇
キング 二月号 第15巻第2号 ★特別挟込附録 「武教小学」山鹿素行 猪狩史山 抄訳 折り込み
六十の味
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