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大東京の五百年
一茶随筆選集
安西啓明直筆絵入り年賀葉書 昭和28年 橋本亀次郎宛日本画家の安西啓明は1月11日、老衰のため東京都大田区の病院で死去した。享年93。1905 (明治38)年4月15日、東京府八王子に生まれる。本名正男。1920(大正9)年荒木寛畝門下の広瀬東畝に師事したのち、21年川端龍子に入門。26年第13回再興院展に「学校」が初入選するが、29(昭和4)年龍子が青龍社を結成するに及んでこれに参加、同年の第1回展に「アパート」「本門寺風景」を出品した。以後同展で36年第8回「集鹿」がY氏賞、39年第11回「埴輪」が奨励賞、40年第12回「游亀」が蒼穹賞を受賞し、30年青龍社社子、翌年社友、42年社人となる。また龍子の画塾御形塾の塾頭もつとめた。45年6月満州(中国東北部)に開校した新京芸術院の教授として同地に渡るが、終戦とともに帰国。48年より全国の建築をテーマにした風景連作を青龍展に発表、60年からは急速な勢いで変貌していく東京の街や建物に思いを寄せ、連作「東京シリーズ」に着手する。またその一方で坂口安吾「信長」(52年)、室生犀星「杏っ子」(56年)、庄野潤三「夕べの雲」(64年)といった新関連載小説の挿絵を描く。57年以後毎年個展を開き、61年には自ら主宰する青明会の第一回展を開催。同66年龍子死去に伴い青龍社は解散、以後、無所属で活動する。日本美術家連盟理事もつとめる。98(平成10)年3月大田区ほかの主催で「安西啓明日本画展」(於太聞区民プラザ)を開催。
太陽 13巻7号=No.146(1975年7月) <特集 : 昭和時代 日用品が語る五十年 ; 第12回太陽賞発表>
幕末日本 : 異邦人の絵と記録に見る
九州荘園史料叢書15 日向国諸荘園史料集(二)
比較考古学試論 : 筑波大学創立十周年記念考古学論集
九州小さな町小さな旅 : 懐かしい日本の町をたずねて <歩く旅シリーズ>
新田義貞 <人物叢書 : 新装版 / 日本歴史学会 編> 新装版
綜合日本史大系 第6巻 (南北朝)
復元と構想 : 歴史から未来へ
SD スペースデザイン 1973年2月号 NO.101 特集 キクラデスの集落--畑聡一のフィールドノートより / 畑聡一
明治天皇と政治家群像 : 近代国家形成の推進者たち
土佐史談 (184)
庭76-誌上ギャラリー90庭OGARU/モデルガーデン5題
拓民の血を訪ねて 信濃拓民小史
武蔵総社 大国魂神社大祭史 大國魂神社社務所 出版社 大國魂神社奉賛会 刊行年 平成25年初版函付き ページ数 248p 古代、国司は任国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。この長い巡礼を簡単に行えるよう、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社は武蔵国の総社にあたる。府中市中心部に鎮座し、「府中」の市名はかつて武蔵国の国府があったことに由来する。当社の境内地がかつての武蔵国の国府跡にあたり、境内地と市道を挟んで東側の市有地は「武蔵国府跡(武蔵国衙跡地区)」として国の史跡に指定されている。東側市有地は「武蔵国衙跡地区」として整備されており、柱跡が表示されて展示室が設けられている(「武蔵国府跡」も参照)と共に博物館「ふるさと府中歴史館」が設置されている。また、当社は府中宿の中心部近くにあり、大鳥居から武蔵国分寺や武蔵国分尼寺までの道が整備されていた。創建は景行天皇41年(西暦111年)5月5日と伝えられており、大化の改新の際に現在の場所に国府を置いたという。源頼義と義家が奥州戦に向かう際に戦勝を祈願、その直系子孫にあたる源頼朝も妻の安産祈願をしたなどの伝承が残されてある。境内は多くの社殿からなるほか、重要文化財の木造狛犬を初めとした文化財を多数伝えている。府中本町駅近くの市街地中心部に位置するにもかかわらず木々に囲まれており、参道の馬場大門のケヤキ並木は国の天然記念物に指定されている。例大祭は、東京都指定無形民俗文化財に指定されている「くらやみ祭」であり、関東三大奇祭の一つに数えられている。祭神本殿の祭神は以下の通り。武蔵国の総社として、創建当時の武蔵国一之宮から六之宮までを祀っている。
火力発電之回顧と展望
妙香 25周年記念号 (平成11年11月)
宮崎県政八十年史 上巻・下巻 揃
日本考古学 第12号
尼崎市史 全13巻+尼崎の戦後史 第1巻
尼崎市史
美術手帖 1995年8月号(711) 特集 祈り/癒し(眼に光を、心に静けさを 10分間のヴィジュアル・ヒーリング/作品 平田五郎 加藤文子 シルド・メイレレス 内藤礼 渡辺好明 諸泉茂 宮島達男 蔡國強 小林健二 ロベルト・ヴィラヌエヴァ 安藤栄作 豊平ヨシオ
芸術新潮 第166号(1963年10月)特集 ブラックの十枚
日本古代社会生活史の研究
多賀城と秋田城 <東北の地理歴史研究双書>
月夜の町 : 大木実詩集 署名入
多賀城と古代東北 : 古代を考える
明治維新と宗教(法蔵館文庫)
土佐・維新回顧録 <平尾道雄選集 第1巻>
小松林蔵君追悼録
建築 1975年5月 第175号 <小林美夫の作品/1960-1975② ; 山下設計の作品>
太陽 16巻4号=No.180(1978年4月) <特集 : 石仏の里 大和・信濃・佐渡・播磨・薩摩>
石のかまくら
新住宅 通巻第532号 1991年12月 <特集 : 住まいのディテール>
坂本竜馬と明治維新
南朝悲史新田精神再検討 : 三たび議会に討議された教科書問題
南朝悲史 新田精神の再検討 : 三たび議会に討議された教科書問題
追憶の満洲 : 和歌山県送出義勇隊史
松尾多勢子
兵部卿護良親王 裸本
増補 大垣城主歴代記
樺戸集治監獄話著者 寺本界雄 出版社 樺戸行刑資料刊行会 刊行年 平成2 月形に樺戸集治監が誕生したのは、開拓使が一定の使命を果たし、全国では憲法制定や議会の設置への気運が高まっていた、こうした大きな変革の時代でした。そもそも集治監とはどんな施設なのでしょう。集治監は、今でいえば重罪犯を収容する特別な刑務所。徳川時代、重罪人は各地の藩ごとの監獄が扱い、罪によって伊豆七島や隠岐などに流されていました。藩の制度を廃止した明治の廃藩置県(1871 年)によって、受刑者は府県の監獄が収容するようになります。しかしまもなく、明治政府を主導した旧薩摩藩や長州藩のリーダーたちが進める政治への不満が募り、各地で旧士族の反乱が勃発しました。1874(明治7)年の「佐賀の乱」、76 (明治9)年の熊本の「神風連の乱」、福岡の「秋月の乱」、山口の「萩の乱」などです。そして1877(明治10)年には維新の立役者であった西郷隆盛を担ぐ、大規模な西南戦争が勃発します。立ち上がった旧士族たちはいずれもやがて政府に鎮圧されて敗北を喫し、首謀者たちは重罪人のレッテルを貼られることになりました。こうした旧士族の重罪人たちは、騒乱が起こった各県の監獄に収監される手はずになります。しかしその数があまりに多かったために、内務省が一元的に直轄する専用施設が必要になりました。これが集治監です。集治監は1878(明治11)年、まず東京(小菅集治監)と仙台(宮城集治監)に建てられ、3カ所めとして北海道が選ばれます。なにしろ当時の北海道の内陸の多くは未開の原野が広がり、本州から見ればまさに最果ての流刑地ともいえる土地でした。立地調査の段階から初代の典獄(監獄長)となるまで、北海道の集治監立ち上げに深く関わったのは、福岡藩出身で内務官僚だった月形潔(1847~1894)でした。樺戸集治監の開設には、さらに北海道の開拓という重要な目的がありました。1879(明治12)年、内務卿伊藤博文が太政大臣三条実美に建議書をあげます。社会を乱した凶悪犯や政治犯たちは、ただ徒食させることは許されない。ロシアへの備えの意味からも開拓が急務である北海道に送り込んで、開墾や道路建設などにつかせるのが良い、とするものです。
再開発コーディネーター (45)
今市の歴史
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