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『皇室財政の研究――もう一つの近代日本政治史』 【大学出版へのいざない8】

『皇室財政の研究――もう一つの近代日本政治史』 【大学出版へのいざない8】

加藤祐介(一橋大学大学院社会学研究科講師)

 「王政復古」を掲げて成立した日本近代国家において、天皇は統治権の総攬者であり、陸海軍の最高司令官であり、なおかつ国民統合の「基軸」として位置づけられていました。そのため、近代日本の国家と社会のあり方を考えるに際して、天皇や皇室の位置づけという問題は、最も重要な論点の一つであったと言っても過言ではありません。このことは、たとえば大日本帝国憲法(明治憲法)の歴史的位置、教育勅語や軍人勅諭といった国家のイデオロギー政策の特徴、近代三代の天皇(明治天皇・大正天皇・昭和天皇)の政治関与の実態、天皇・皇室像の変遷と人びとの側における「受容」のあり方といったテーマにかんして、これまで多彩な研究が蓄積され、今なお研究者や市民が強い関心を寄せている事実からもうかがうことができます。

 このような近代天皇制という問題に対して、皇室の経済的基礎の形成と変容という視角からアプローチしたのが本書です。近代の皇室は、国庫から支出される定額の皇室費と皇室財産(御料地、有価証券)からの収益を歳入とし、必要な歳出(天皇・皇族の歳費、宮内省職員の俸給、恩賜や行幸啓にかかわる費用など)を行っていました。本書では、こうした財政体系を皇室財政と呼んでいます。皇室財政の運営は内閣から独立した宮内省が所管しており、また国庫支出の皇室費も増額の場合を除いて議会の承認を経る必要がありませんでした。

 本書では、皇室財産の法的位置づけ、皇室財政の運営、御料地の経営、有価証券投資などをめぐって、宮内省内で、あるいは宮内省と内閣の間で展開していた政治のありようについて、通史的に検討を行っています。それは、内閣内において、統帥部(軍部)内において、あるいは内閣と統帥部の間において展開していた政治とは区別された「もう一つの政治」だったのではないか、というのが本書の基本的な立場です。

 本書は日本政治史の著作です。一般論として、政治史においては、統治エリートとされる人びとの理念や行動を史資料に基づいて描くことが重視されます。こうした方法が重要なのは、統治エリートによる意思決定は時に歴史を決定的に左右するからです。本書においても、伊藤博文や山県有朋といった誰もが知る国家の指導者や、彼らのブレーンとして活躍した法学者、あるいは宮内省の高級官僚たちの動向の検討に力点が置かれています。

 ただ、これまで私は、そうした政治史研究(者)の営みを承認する一方で、少数のエリートの分析に閉じられた「お行儀のいい」政治史記述のあり方に、ずっと物足りなさや息苦しさを感じてきました。もっと開かれた政治史の形があってもよいのではないか――。でもそれはどのような題材を取り上げることによって可能になるのだろうか――。そういった煩悶を大学院生の時から抱き続けてきました。

 本書は、そうした煩悶の産物であり、政治史に対する自身のモヤモヤへの暫定的な回答でもあります。本書では、いわゆる統治エリートの動向をいかに相対化し、それを全体の歴史の中に位置づけるかという点に大きな関心が払われています。執筆に際しては、同時代を生きた様々な主体――管内に御料地を抱えているために困難に直面していく地域、皇室財産のあり方について請願や新聞投書といった形で意見を発信する人びと、御料地を借り受けることによってなんとか生計を立てている農民たち――の肉声にできる限り耳を傾けました。言い換えれば、私なりの「全体史」、あるいは「まるごとの歴史」としての日本政治史の記述を目指したつもりです。もちろん、そうした意気込みが現実にどこまで実を結んでいるかは読者のご判断にお任せするほかありませんが、本書の理解の一助になればと思い、あえて著者の問題関心を記した次第です。

 
 
 
 
 


書名:『皇室財政の研究――もう一つの近代日本政治史』
著者名:加藤祐介
出版社名:名古屋大学出版会
判型/製本形式/ページ数:A5/上製/414頁
税込価格:6,930円
ISBNコード:978-4-8158-1126-6
Cコード:C3021
好評発売中!
https://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-1126-6.html

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古本屋ツアー・イン・ジャパン2023年上半期報告

古本屋ツアー・イン・ジャパン2023年上半期報告

古本屋ツーリスト 小山力也

 五月に新型コロナウィルス感染症の分類が、2類から5類に下げられ、季節性インフルエンザなどと同じような扱いになることとなった。結局根本的な治療法は開発されず、集団免疫も獲得出来ず、ウィルスの進化に対応するワクチンと、個人的な予防策のみで凌いで行くしかなくなったわけである。決してパンデミックが収束したわけではなく、人間側の都合で対応を変えただけのお話なのである。というわけで、強引に“ハレ”の日を取り戻した世界は、一見コロナ前の世界に戻ったような錯覚を覚えてしまうのだが、まだまだ注意は継続的に必要であろう。手指消毒や混み合う場でのマスク装着はこれからも心掛けるつもりである(何故なら、コロナ禍が始まりマスクをするようになってから、一年に一〜二回は必ずひいていた風邪を、一度もひいていないのである。この効果は驚くべきものであった)。古本屋界ももはや日常を取り戻している(中にはコロナ禍の影響で、店舗をほぼ事務所にしてしまったお店もあるが)。そんな風に、世界がパンデミックから緩めになりながらも、相変わらず気をつけて色々彷徨った、六ヶ月を駆け足で振り返ってみる。

 一月には久々に訪れた大岡山で、老舗の「金華堂書店」が閉店しているのと「タヒラ堂書店」が休業中であることを知る。ともに至近の東京工業大学の学生がお得意様のお店であったが、学生の古本屋離れを感じさせる出来事である。二月には三鷹の駅近ビル街にあったリサイクル系のお店「ブックスみたか」が名前はそのままに、北の西武柳沢に移転していたのを目撃。国立のアラビア&イスラム系に強い「三日月書店」では、その特性を生かした『トルコ・シリア地震救援市』が開催し、その志に共感した人と古本好きを多く惹き付けていた。神保町では昨年から噂になっていた「@ワンダー」の新店が、パチンコ屋跡地を改装して堂々開店。百二十坪の床面積を誇る巨大店舗は、神保町に大きな旋風を巻き起こしている。また荻窪の「藍書店」が東北に事務所店として移転するため閉店。高円寺から移転して来て四年半目のことであった。最近の荻窪古本屋地図の変化には激しいものがある。閉じるだけではなく、開くお店もあるので救いがあるが…。三月は神保町白山通りのキリスト教専門店「友愛書房」が閉店。さらに浦和では「金木書店」が閉店。また古書を多く取り扱っていた「ブックオフ高田馬場北店」他、クセのあるフランチャイズ店が突如改装休業&閉店することになった。どうやらフランチャイズ店という特殊な枠がなくなり、すべて通常の「ブックオフ」としてなら営業が継続出来るということらしい。実際六月に営業を再開したお店は、すべて古書の取扱がなくなっているのが確認されている。四月は西荻窪の外れに「文武堂」なるお店が開店。外国人の武道家が始めた変わり種で、店名通りに武道を教えるとともに古本を商う“文武両道”店である。また湯島に「TOHTO records&books」というお店が開店しているのを知り駆け付ける。思ったより古本率が高い楽しめる空間を造っていた。川崎では雑本系で何時行っても楽しめた「朋翔堂」が惜しまれながら閉店。このような古本者にとっての貴重な狩場が消滅するのは、実に実に痛手である。月末には去年から再開されている不忍の「一箱古本市」を見に行く。屋内二ヶ所で、箱の数も三十弱と、コロナ前に比べ規模は小さいが、古本で人々と交流する活気は相変わらずであった。またここから、古本屋さんを目指す人が生まれて来ると、喜ばしいのだが。五月は、長らくコロナ禍で休業していた国立「雲波」の営業再開を確認。営業っぷりは相変わらずマイペースだが、とにかくお店が開いている嬉しさは、何ものにも代え難いものである。祖師ケ谷大蔵には若者に人気の「BOOK SHOP TRAVELLER」という棚貸し系書店が下北沢より移転。早速多くの本好きの若者を、店主としてお客として集客していた。六月は沼袋「天野書店」の閉店に偶然行き会う。六月一杯の営業ということであったが、お手伝いの古書組合の方々の働きっぷりが凄まじく、本当は八月まで営業する予定だったのを短縮したとのことであった。その言葉通り、棚の本はすでに結束済みだったので、本を見ることは出来なかった。まことに残念である。神保町では去年閉店した「古賀書店」跡地に、お隣の「矢口書店」が入店。神保町のランドマークである看板建築は、お陰様で再び二店共古本屋さんとなったわけである。このパターンは同じ靖国通り沿いにある「一心堂書店」が、お隣の旧「金子書店」を続き店舗とした状況と同じなのである。

 とこのように、相変わらず東京中心の肌で体感した古本屋動向であるが、やはり閉店が多いのが気になってしまう。時代の変わり目と言ってしまえばそれまでだが、コロナ禍を乗り越え頑張っているお店も多いので、衰退ではなく“新陳代謝”に流れを向けて行くのが、ベストではないだろうか。先代の経験と知識を生かし、そこに新たな知恵を練り込み、次代次々代へと継承して行く…いや、古本屋界は、実際そのような創意工夫を常に、常に地道に繰り返しているのだ。継続して行けば、それが花開く時が、必ず訪れるはずである。

 さて、ここからは個人的な報告を。私自身は“盛林堂・イレギュラーズ”と称し、西荻窪「盛林堂書房」の買取の手伝いを時たましているのだが、この前半期だけで、その回数は実に九回に及んだ。ほとんど古本を移動させる力仕事なのだが、見知らぬ人の棚を見るのや、大量の古本に触れるのは、いつでも刺激的である。また雨の「神保町さくらみちフェスティバル」では、単独で売り子を務めたりもした。長時間暗算機械となり果てた後の疲労感は、ビールでしか癒せなかった…。また三月には、ちくま文庫から「疾走!日本尖端文學撰集」を編者として出版。新感覚派や新興藝術派の、尖りまくって時代に埋もれた短編小説を集めた一冊である。これまで古本を買って読みまくって来た行為を、初めて有意義なものとして生かせた、楽しい楽しいお仕事であった。また、大阪「梅田蔦屋書店」の古本販売が、店内改装のために三月に終了してしまったのだが、秋にまた同店のフェアに参加する予定なので、西の方々は心の片隅にでも留めておいていただければ幸いである。

 最後に目立った古本収穫についても報告しておこう。創元推理文庫「吸血鬼ドラキュラ/ブラム・ストーカー」の稀少な“SF”マークが百円、実業之日本社「そこなしの森/佐藤さとる」献呈署名本が三百三十円、講談社「迷探偵スベントン登場/オーケ=オルムベルク」(箱背割れ)が百円、毎日新聞社SFシリーズジュニア版「白鳥座61番星/瀬川昌男」が千円、東京出版「雪あかり日記/谷口吉郎」百十円などが、魂を震わせてくれた突出した収穫であろうか。

 すでに突入している夏も、かなりの酷暑となりそうだが、マスクはなるべく手放さず、下半期も古本屋さんを訪れ、古本を買って行くつもりである。





小山力也
2008年5月からスタートした、日本全国の古本屋&古本が売っている場所の、全調査踏破を目指す無謀なブログ『古本屋ツアー・イン・ジャパン』管理人。西荻窪「盛林堂書房」の『フォニャルフ』棚で古本を販売中。「本の雑誌」にて『毎日でも通いたい古本屋さん』、「日本古書通信」にて『ミステリ懐旧三面鏡』連載中。最新刊編著ちくま文庫「疾走!日本尖端文學撰集」発売中。
http://furuhonya-tour.seesaa.net/

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2023年7月10日号 第374号

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 古書市&古本まつり 第126号
      。.☆.:* 通巻374・7月10日号 *:.☆. 。
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━━━━━━━【懐かしき古書店主たちの談話】━━━━━━━━

懐かしき古書店主たちの談話 第1回

                     日本古書通信社 樽見博

 私が日本古書通信社に入社したのは昭和54年1月である。社長の八木福
次郎は大正4年生まれの当時64歳で、かなり老人だなと思ったものだが、
いつの間にか私もその年齢を超えてしまった。当時、携帯電話は勿論、
FAXもパソコンもなく、電話機は黒のダイヤル式、印刷は活版だった。古
い東京古書会館3階の西側と東側2室が事務所で、編集室は西側の7坪
の狭い部屋。大学の部室みたいだった。窓から喫茶店世界が見え、八木
が執筆者や古書店主たちとよく話していた。そこに陣取る古書店主たち
も多く、会館に出入りする業者や即売会に来る人達を見おろしていた。
当時の古書会館には現在の8階にあるような休憩スペースはなく、喫茶店
世界が替わりを果たしていた。会館玄関を入り狭い階段を上がった奥に
管理人室があり、当時は竹之内さんご夫婦が住み込みで様々な仕事をさ
れていた。

(「全古書連ニュース」2023年5月10日 第494号より転載)

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=11869

━━━━━━━━━【シリーズ書庫拝見15】━━━━━━━━━

釧路市中央図書館・釧路文学館 「文学の街」の底力
                         南陀楼綾繁

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=11888

南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一
文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、
図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年
から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」
の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」
の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、
『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』
(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、
編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

ツイッター
https://twitter.com/kawasusu

釧路市中央図書館・釧路文学館
https://kushirolibrary.jp/bungakukan/

━━━━━━━━━━━【即売展のお知らせ】━━━━━━━━━━━━━

即売展「中央線はしからはしまで古本フェスタ」のお知らせ

中央線の古本屋さんが神保町にやってくる!!
7月28・29日に神保町の東京古書会館地下で「中央線はしからはしまで古本フェスタ」開催します!
中央線の古本屋さん、ベテランから催事初参加のフレッシュなお店まで36店舗。
今まで見たことの無い品揃え間違えなし!お楽しみに〜

中央線線支部HP
https://kosho-chuousenshibu.jimdofree.com/

催事HP
https://www.kosho.ne.jp/?p=783

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「コショなひと」始めました

東京古書組合広報部では「コショなひと」というタイトルで動画
配信をスタート。
古書はもちろん面白いものがいっぱいですが、それを探し出して
売っている古書店主の面々も面白い!
こんなご時世だからお店で直接話が出来ない。だから動画で古書
店主たちの声を届けられればとの思いで始めました。
お店を閉めてやりきったという店主、売り上げに一喜一憂しない
店主、古本屋が使っている道具等々、普段店主同士でも話さない
ことも・・・
古書店の最強のコンテンツは古書店主だった!
是非、肩の力を入れ、覚悟の上ご覧ください(笑)

※今月の新コンテンツはありません。

YouTubeチャンネル「東京古書組合」
https://www.youtube.com/@Nihon-no-Furuhon-ya

━━━━━【7月10日~8月15日までの全国即売展情報】━━━━━

⇒ https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

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香林坊うつのみや 夏の古書市※好評につき会期延長!(石川県)

期間:2023/06/10~2023/07/23
場所:香林坊東急スクエアB1 076-234-8111

https://www.korinbo-tokyu-square.com/shopblog/detail/?cd=009724&scd=000240

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フジサワ古書フェア(神奈川県)

期間:2023/06/22~2023/07/19
場所:有隣堂藤沢店4階ミニ催事場  JR藤沢駅南口フジサワ名店ビル4階

http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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フィールズ南柏 古本市(千葉県)

期間:2023/06/27~2023/07/18
場所:フィールズ南柏 モール2 2階催事場  柏市南柏中央6-7

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マチマチ古本通り(大阪府)

期間:2023/07/07~2023/07/17
場所:アルデ新大阪(新大阪駅2階)

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趣味の古書展

期間:2023/07/14~2023/07/15
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

https://www.kosho.tokyo

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第188回神戸古書即売会(兵庫県)

期間:2023/07/14~2023/07/16
場所:兵庫県古書会館 神戸市中央区北長狭通6-4-5(阪急花隈駅西口真裏の通り)

https://hyogo-kosho.com/

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和洋会古書展

期間:2023/07/21~2023/07/22
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

https://www.kosho.ne.jp/?p=562

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五反田遊古会

期間:2023/07/21~2023/07/22
場所:南部古書会館 品川区東五反田1-4-4
   JR山手線、東急池上線、都営浅草線五反田駅より徒歩5分

https://www.kosho.ne.jp/?p=567

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中央線古書展

期間:2023/07/22~2023/07/23
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

https://www.kosho.ne.jp/?p=574

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中央線はしからはしまで古本フェスタ

期間:2023/07/28~2023/07/29
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

https://www.kosho.ne.jp/?p=783

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杉並書友会

期間:2023/07/29~2023/07/30
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

https://www.kosho.ne.jp/?p=619

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『BOOK DAY とやま駅』(富山県)

期間:2023/08/03~2023/08/03
場所:富山駅南北自由通路(あいの風とやま鉄道中央口改札前)

https://bookdaytoyama.net/

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さんちか古書大即売会(兵庫県)

期間:2023/08/03~2023/08/08
場所:さんちか三番街 さんちかホール

https://hyogo-kosho.com

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城北古書展

期間:2023/08/04~2023/08/05
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

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Vintage Book Lab(ヴィンテージ・ブック・ラボ)

期間:2023/08/05~2023/08/06
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

https://www.vintagebooklab.com/

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特別臨時開催 倉庫会古書即売会(愛知県)

期間:2023/08/11~2023/08/13
場所:名古屋古書会館 2階 名古屋市中区千代田5-1-12

https://hon-ya.net/

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第36回 下鴨納涼古本まつり(京都府)

期間:2023/08/11~2023/08/16
場所:下鴨神社 礼の森 京都府京都市左京区下鴨泉川町59

https://kyoto-koshoken.com/

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フィールズ南柏 古本市(千葉県)

期間:2023/08/11~2023/08/30
場所:フィールズ南柏 モール2 2階催事場  柏市南柏中央6-7

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好書会

期間:2023/08/12~2023/08/13
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

https://www.kosho.ne.jp/?p=620

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好書会

期間:2023/08/12~2023/08/13
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

https://www.kosho.ne.jp/?p=620

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日本の古本屋メールマガジンその374 2023.7.10

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 広報部・編集長:藤原栄志郎

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釧路市中央図書館・釧路文学館 「文学の街」の底力【書庫拝見15】

釧路市中央図書館・釧路文学館 「文学の街」の底力【書庫拝見15】

南陀楼綾繁

 6月17日の朝、飛行機は釧路空港に着陸した。

 釧路は霧が多い土地として知られている。「めったにないけど、霧が多すぎて着陸できない時もある」と聞かされていたが、この日は晴天。いつもなら肌寒い時期だと云うが、気温も高めだった。

 空港バスに50分乗り、釧路駅前に着いた。交差点の向こうで、盛厚三さんが手を振っていた。釧路への旅のきっかけとなった人だ。

 盛さんは1947年、釧路市生まれ。埼玉県に住み、デザインの仕事をしながら、釧路の文学史を研究している。最初にお会いしたのは、文学同人誌『サンパン』の集まりだっただろうか。その後、不忍ブックストリートの一箱古本市に最高齢の店主として参加。自身が発行する同人誌と同じ「北方人」の屋号で親しまれた。

 昨年には『釧路湿原の文学史』を刊行。雄大な湿原を訪れた作家、詩人、評論家らの群像を描く労作で、釧路文学賞を受賞した。ちなみに、同書の版元である藤田印刷エクセレントブックスは、釧路に本拠を置く道内有数の印刷会社であり、アイヌ関係の本などを刊行する出版社でもある。一昨年亡くなった元朝日新聞記者のジャーナリスト・外岡秀俊さんの遺稿集『借りた場所、借りた時間』の版元もココだ。外岡さんの小説『北帰行』のクライマックスが釧路だったという縁からだとあとで聞いた。

 駅から南へと走る大通りが「北大通」。まっすぐ行ったところにあるのが、釧路を代表するスポットである幣舞橋(ぬさまいばし)だ。釧路の歴史は、幣舞橋の南側からはじまった。松前藩がアイヌとの交易を行なうために設置した「クスリ場所」があり、それが「釧路」の語源となった。1901年(明治34)には釧路駅が開業して以来、幣舞橋の北が発展していく(釧路市地域史料室編『街角の百年』釧路新書)。
「まだ湿原だったこの地の開墾を行なったのが、作家・中戸川吉二の父です。釧路の恩人ですね」と、さっそく盛さんの解説がはじまる。

 北大通を歩くと、右側に白い、大きなビルが見える。そこには「釧路市中央図書館」という文字がくっきりと浮き出ている。なかなかの偉容だ。1、2階が北海道銀行で、3階から7階までが図書館となっている。

釧路市中央図書館

 この日は、そこから100メートルも離れていないところにある〈古書かわしま〉の2階で、釧路で初開催となる一箱古本市が行なわれた。釧路駅の反対側には、1982年創業という〈豊文堂書店〉もある。道東では、店舗のある古本屋はいまでは釧路にしかないそうだ(筆者追記 根室と北見にも店舗があるそうです)。

110年の釧路文学史

 図書館に着くと、館長の髙玉雄司さんと副館長の石原美津代さんが迎えてくれる。お二人は釧路文学館の館長、副館長でもある。

 最初に6階にある釧路文学館を見る。釧路の文学史とゆかりの作家のパネルや作品が展示されている。

釧路文学館の入り口

釧路文学館の展示室

 ゆかりの作家として取り上げられているのは11人。中でも大きく扱われているのは、石川啄木、原田康子、桜木紫乃の3人だ。

 啄木は1908年(明治41)1月から釧路新聞社に勤めた。わずか76日しか滞在しなかったにもかかわらず、釧路の人たちに強い印象を残した。釧路には啄木の歌碑が26基もあるという。全国にある啄木の歌碑の4分の1を占める多さだ。

 原田康子は東京で生まれ、1歳から釧路に住んだ。1956年に刊行した長編小説『挽歌』がベストセラーとなった。同作は釧路湿原が舞台のひとつであり、「黄ばんだ銀色の葦と、黒い野地坊主に埋め尽くされた荒れた野は、非常な美しさに充ちて無限大にひろがっていた」などと魅力的に描写されている(『釧路湿原の文学史』)。

幣舞公園の「挽歌」の碑

 桜木紫乃は釧路生まれで、2013年に『ホテルローヤル』で直木賞を受賞。釧路を舞台にした多くの作品を書いている。

 啄木から桜木紫乃まで約110年。釧路には文学の伝統が受け継がれているのだ。

 ここで図書館と文学館の経緯を見ておこう。ちょうど7階の展示室で「図書館の歩み」展が開催中だった。

 釧路滞在中の啄木は、友人の宮崎郁雨宛ての書簡で、「(釧路には)教育機関の改善拡張や図書館の設置や、其他まだまだ沢山ある」と書いている。それらの機関の充実が必要だと訴えたものだろう。

 彼が釧路を去って4年後の1912年(明治45)、幣舞町の釧路町公会堂の一室に「釧路教育会附属釧路図書館」が開設された。蔵書数は約2200冊。同館は1925年(大正14)に昭和天皇のご成婚を機に「御成婚記念釧路市簡易図書館」となる。この日が、釧路市図書館の創立日となっている。

 戦後、1950年に「市立釧路図書館」と改称する。その翌年、同じく幣舞町に初めての独立の図書館を建設。この時はじめて、利用者が自由に本を手に取れる形式になる。

「図書館の歩み」展で展示されていた市立釧路図書館の看板。昭和40年代には使用されていた。

 1972年、旧市役所庁舎跡地に新しい図書館を建設。地上4階、地下1階のコンクリート造で、視聴覚ホールなどを設けた。その後、図書館バス(移動図書館)の運行も開始する。

 この時の図書館の建物は、いまも残っている。行ってみると、幣舞橋をはじめ町なかが見下ろせるいい場所だった。隣には幣舞公園があり、原田康子の「挽歌」の碑もある。
「『挽歌』の単行本に入っている原田康子の写真は、(市役所庁舎時代の)この図書館の裏辺りで撮影したものです」と、案内する盛さんが教えてくれた。

幣舞町の旧図書館

 この図書館は長く親しまれたが、耐震やスペース不足の問題から移転が決まり、2018年2月、現在の地に中央図書館がオープンした。

 一方、文学館についても30年近くの経緯がある。1989年、「釧路文学館を考える会」が発足、開設に向けた趣意書を提出する。その後、教育委員会が中心となり文学館の構想を検討。そのなかで、「考える会」が収集した文学資料約1万3000点を、市に寄贈している。

 そして、新図書館の移転に合わせて、文学館を併設することが決まり、2018年2月に開設されたのだ。同館では常設展示のほか、年4回の企画展を開催している。

 蔵書数は図書館、文学館を合わせて35万冊にのぼる。

丹葉節郎コレクションと3つの個人文庫

「では、中へどうぞ」

 石原さんが文学館の展示フロアの奥にあるドアを開けてくれる。作業などを行なう部屋で、ここには「丹葉節郎コレクション」が収められている。

 丹葉節郎(1907~1994)は公民館長などを務めた人物で、釧路における石川啄木の足跡の研究をライフワークとした。啄木に関わった人のうち、現存者に直接会って取材している。

 啄木の日記に登場する芸妓・小奴(近江ジン)は、のちに近江屋旅館を経営した。丹葉が彼女にインタビューしたテープも残されているという。丹葉コレクションの「小奴遺品」と書かれた箱には、啄木の友人・金田一京助が釧路を訪れた際に小奴に贈った、自作の歌を書いた色紙帳もある。

金田一京助が小奴に贈った色紙帳

 また、釧路で撮影された唯一の啄木の写真(鉄道視察団との記念写真)も、丹葉コレクションのひとつだ(丹葉コレクションについては、『まちなみ』第50号、1989年5月、第51号、1989年6月 市立釧路図書館郷土行政資料室 を参照)。

 さらに奥のドアを開けると、文学館の保管庫がある。ここには本やその他の資料が約3万4000点収蔵されている。一番手前はゆかりの作家11名に関する資料。それから奥に向かって雑誌、創作、俳句。短歌、色紙・挿絵、演劇という風に棚が分かれている。
 
 11名のうち、啄木、原田、桜木は紹介した。他の8名を簡単な肩書付きで挙げておく。中戸川吉二(作家)、更科源藏(詩人)、土屋祝郎(作家)、荒澤勝太郎(作家)、小松伸六(文芸評論家)、佐佐木武観(劇作家)、永田秀郎(劇作家)、鳥居省三(文芸評論家)。このうち中戸川、更科、小松については盛厚三さんが研究を発表している。保管庫には彼らの著作や関連の資料が並べられている。

 個人文庫としては、鳥居文庫、吉田文庫、原文庫の3つがある。鳥居文庫については後で触れる。吉田文庫は日本エディタースクールを創設した吉田公彦とその兄弟である民俗学者の谷川健一、詩人の谷川雁、東洋史学者の谷川道雄の蔵書。吉田公彦の義妹にあたる人は、釧路に本拠を持つ書店チェーン〈コーチャンフォー〉の創立者だという。原文庫は釧路出身の政治学者・原彬久の蔵書を受け入れたものだ。

 一番奥にキャビネットがふたつあり、そこには貴重書が保管されている。

 中戸川吉二の著作、更科源藏の詩集『種薯』、荒澤勝太郎『樺太文学史』原稿などと並んで、原田康子の『挽歌』(東都書房)もあった。
「状態がいいでしょう」と石原さんが自慢する通り、帯付きの美本だ。「異例の波紋! 奔流の売行!」との帯のコピーが景気いい。

更科源藏詩集『種薯』(北緯五十度社)

原田康子『挽歌』東都書房

 目を見張ったのが、土屋祝郎の『獄中日記』だ。土屋は秋田県生まれ。京都三高時代に学生運動に身を投じ、1932年(昭和7)に逮捕。中退後、1937年(昭和12)に思想犯として逮捕され、釧路刑務所で5年服役。1941年(昭和16)に出所するが再逮捕され、1943年(昭和18)に釈放されるまで、7年にも及ぶ獄中生活を送った。
『獄中日記』は、豆粒のような細かく、丁寧な文字で獄中の生活や考えを記録したもので、その執念にため息が出るほどだ。

土屋祝郎『獄中日記』

蔵書の1割が郷土資料

 次に図書館の書庫に向かう。ここからは図書館の斎藤愛美さんが案内に加わった。

 5階の貴重庫には、作曲家・伊福部昭の遺品である洋服や指揮棒、パイプなどを収蔵している。伊福部の父は警察官で、昭は3歳までこの地に住む。そのあと音更町にも住んだことから、同町の図書館には「伊福部昭音楽資料室」がある。この取材の2日後に訪れたが、小さいがいい資料室だった。
「こんなものもありますよ」と、斎藤さんが取り出してくれたのは、小さなガラス乾板写真だ。釧路の写真師・木村藤太が1896年(明治29)の皆既日食を撮影したものだという。利用者から「こういう資料があるはずだが」という問い合わせがあったことで、館内で発見されたという。

皆既日食を撮影した写真

 同じ階のカウンターの裏には、レファレンスなどで使う頻度の多い資料が並べられている。たしかに、『釧路築港史』『釧路人物評伝』に明治期の電話番号簿や写真帖など、釧路の歴史を調べる際には必要なものばかりだ。

戦前の郷土資料を収めた棚

 斎藤さんに広げてもらって、1910年(明治43)の釧路の地図(復刻版)を見る。この種の資料で面白いのは広告だ。よく見ると、啄木の恋人・小奴が営んでいた近江屋旅館の広告もあった。

1910年(明治43)に発行した釧路の地図の広告面

「当館の蔵書のうち約10分の1が郷土資料に当たります。この割合から見ても、道内でもかなり郷土資料が多い図書館だと云えると思います」と、斎藤さんは話す。「自分が生まれるよりずっと前の時代の釧路に関する資料を見るのは、とても楽しいです」。

 最後に入ったのは3階の書庫。ここには新聞類などを保存する。明治期の「釧路新聞」は他の図書館に所蔵されておらず、市の指定文化財になっている。現在はマイクロフィルムやPDFで閲覧するため、原本は閲覧できないのだが、今回は特別に包装されたものを開いて見せてもらった。

 貴重な紙面だが、ところどころに切り抜かれた跡がある。石川啄木が書いた記事を切り抜いた不届き者がいるのだ。しかし、そいつの目が届かず、残っている記事がある。1908年(明治41)3月11日の「空前の大風雪」という記事で、署名が入っていないので気づかなかったのだろう。「天地晦瞑唯巨獣の咆哮するが如き暴風雪の怒号を聞く」「潰倒家屋数戸、圧死者数十名、前後二十四時間に亘れる」などは大きい活字で強調されている。状況が生々しく伝わる文章だ。

石川啄木の無署名記事(「釧路新聞」1908年3月11日)

「これが啄木が書いたものであることは、本人の日記(「明治四十一年戊申日誌」、『石川啄木全集』第5巻、筑摩書房)に『出社して、風説被害の記事を一頁書いた。田舎の新聞には惜しい程の記事と思ふと、心地がよい』とあることで判ります」と、石原さんが解説する。

 この他、図書館にはアイヌ関係の資料も多く所蔵する。「松本文庫」はアイヌ文化懇話会を設立し、『久摺(クスリ)』を発行した松本成美の蔵書284点。「多助文庫」はアイヌ文化の伝承者だった山本多助エカシ(長老)の書簡や日誌など約800点。

 貴重庫に所蔵されている『永久保秀二郎日誌』全8冊は、アイヌ学校の教師の日誌で、市の指定文化財になっている。これらは翻刻され、二巻本として刊行された。
「旧図書館の3階には郷土行政資料室があり、アイヌ関係の資料を積極的に集めていました」と、石原さんが説明してくれた。

釧路文学史の恩人・鳥居省三

 書庫を一巡りして、文学館にも図書館にも、郷土の資料が多く所蔵されていることが判った。特に文学に関しては、北海道立図書館や道立文学館にも所蔵されていないものが多いようだ。

 これだけの資料を集めたのには多くの人の尽力があったはずだが、なかでも注目されるのが、鳥居省三だ。

 鳥居の本名は良四郎。1925年(大正14)、紋別市に生まれ、幼い頃に釧路管内に引っ越す。国鉄に勤務しながら、戦後に同人誌を創刊。その後、釧路の太平洋炭礦の図書館に勤務する。そして、1951年に釧路図書館の職員となる。

 その翌年、市立釧路図書館館報として『読書人』が創刊される。鳥居は座談会「釧路文学の現状と将来」の司会をしている。同じ年の秋、鳥居は北海道文学同人会を創設し、同人誌『北海文学』を創刊。原田康子も同人となる。

『読書人』創刊号

 図書館と同人誌の関係については、原田康子が鳥居の追悼として書いた「青春の図書館」に詳しい。
「当時、鳥居さんは釧路市立図書館の司書をしていた。おかげで同人会には図書館を利用することができた。(略)図書館は高台の崖近くにあった。崖ぎわに市役所の建物が建っていて市役所にふさがれて下町は目にはいらない。市役所の蔭のこぢんまりした図書館は、身体をすくめるようにひっそりと建っていた。

 私たちは、図書館の事務室をつかった。(略)雑誌が出たあとに同人会を行う習慣であったから、つい掲載作を槍玉にあげることになる。あげられたほうもだまってはいない。茶碗酒を飲みだすにおよんで、声はさらに高くなる。サルトルやカミュをはじめ、文学一般に話題が転じたとしても、公共の施設の中でお酒まで飲んだのである」(『北海文学』第93号、2006年12月)

 このように図書館と文学活動が近い時代があったのだ。『読書人』に原田康子が書評やエッセイを寄稿しているのも、こうした空気のなかでのことだった。

 鳥居は図書館で得た給料を『北海文学』につぎ込むが、印刷所への借金が増えたため、ガリ版印刷に切り替える。このときの同誌に連載されたのが、原田の『挽歌』だった(鳥居省三『私の歩いた文学の道』釧路新聞社)。

 鳥居は1966年、1974年の二度、釧路図書館の館長を務める。鳥居の在職中、市立釧路図書館叢書として『北海道郷土資料目録』『アイヌ古代舞踊の研究』などが刊行された。

 古谷達也「追想 図書館の鳥居さん」((『北海文学』第93号、2006年12月)によれば、当時の市役所では退庁時間を過ぎると職場で一杯飲む習慣があった。
「図書館でもご多分にもれなかったが、ちょっと一杯の後の鳥居さんの飲み屋は定番の『挽歌』であり、そこで逆立っている頭髪を振りたて、口を突き出し大声で談論風発し」たという。この〈挽歌〉は栄町のおでん屋で、太田和彦のエッセイにも行った話が出てくるので、割と最近まであったようだ。

 文学館の續橋(つづきはし)史子さんの父は市役所で鳥居の同僚だったそうで、酔っぱらった鳥居をタクシーで自宅まで連れ帰ったこともあるそうだ。

 鳥居は1960年に創刊した「釧路叢書」の編集にも関わった。この中に鳥居編『釧路文学運動史』全3巻も入っている。釧路叢書は釧路市が発行元になっている文化や学術の叢書で現在も刊行中。また、「釧路新書」は市の教育委員会が刊行している。在庫があるものは、啄木の資料を展示する港文館などの観光スポットでも販売されている。
『北海文学』はその後も発行を続けた。盛厚三さんも鳥居から声を掛けられて同人になった。桜木紫乃の出発点も同誌だった。

 2006年、鳥居が亡くなると、その追悼号を最後に『北海文学』は休刊。鳥居の蔵書は図書館に寄贈された。「鳥居文庫」は6511点。文学の単行本や文芸誌のほかに。三島由紀夫『金閣寺』など雑誌連載の作品を切り取ったり、芥川賞の選評をまとめたりしたファイルもある。

鳥居文庫の連載ファイル

 切り取った記事を自分でバインダーに綴じたものもあり、細やかな性格だったことがうかがえる。

 鳥居が館長だったことで、文学に関する資料の寄贈につながったことも多かったはずだ。釧路図書館と文学館にとっての恩人のひとりと云えるだろう。

文学の街を、次の世代へ

 充実した取材を終えて、夜は鳥居省三にならって栄町の飲み屋を数軒はしごして飲んだ。そのうち、赤ちょうちん横丁にあるシェリー酒を出すバーの店主は石丸基司さんといい、作曲家でもある。石丸さんは伊福部昭の最後の弟子であり、図書館に遺品を寄贈したのもこの人なのだ。この日の一箱古本市にも出店していたが、「ディレッタント」という言葉が似合う自由人だ。

 翌日は盛さんの案内で、米町公園の石川啄木碑などを見学する。

米町公園の石川啄木碑

 そして午後には、釧路文学館の開館5年を記念して、盛さんと私で「文学の街・釧路」と題するトークイベントを開催。50人以上が集まってくれた。

釧路文学館で行なわれたトークイベント「文学の街・釧路」

 こっそり打ち明けると、このタイトルを聴いた時、私はちょっと心配だった。「本の町」「文学の街」といったスローガンを立てる土地は多いが、どれだけ内実が伴っているかは疑問だ。そう名乗るためには、それなりの実態と覚悟が必要だと思う。

 しかし、釧路を訪れて、ここがたしかに「文学の街」だったことがよく判った。そして、図書館・文学館や古本屋、出版の現状を見ても、いまも「文学の街」という名前にふさわしい、底力のようなものを感じた。おかげで、確信をもってトークに臨むことができた。

 ただ、将来にわたっても「文学の街」たりうるかは、釧路の人たちの熱意によって決まるだろう。これまでの蓄積を生かして、文学や本に関わる次の世代も育てていってほしい。

 
 
 
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

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懐かしき古書店主たちの談話 第1回

懐かしき古書店主たちの談話 第1回

日本古書通信社 樽見博

 私が日本古書通信社に入社したのは昭和54年1月である。社長の八木福次郎は大正4年生まれの当時64歳で、かなり老人だなと思ったものだが、いつの間にか私もその年齢を超えてしまった。当時、携帯電話は勿論、FAXもパソコンもなく、電話機は黒のダイヤル式、印刷は活版だった。古い東京古書会館3階の西側と東側2室が事務所で、編集室は西側の7坪の狭い部屋。大学の部室みたいだった。窓から喫茶店世界が見え、八木が執筆者や古書店主たちとよく話していた。そこに陣取る古書店主たちも多く、会館に出入りする業者や即売会に来る人達を見おろしていた。当時の古書会館には現在の8階にあるような休憩スペースはなく、喫茶店世界が替わりを果たしていた。会館玄関を入り狭い階段を上がった奥に管理人室があり、当時は竹之内さんご夫婦が住み込みで様々な仕事をされていた。

 天井は高いが薄暗い地階には、弘文荘・反町茂雄氏の使用する部屋など数室の他、業者用のロッカーが並び、空いたスペースで、山の本専門の小林静生さんや、叢文閣の矢島さん、浅草のおもしろ文庫の夏目さん、江戸川区の志賀書店さんなどが将棋を指していた。交換会は1階と2階を使えたが、エレベーターは会場の外、階段の奥に一台あった。週末の古書即売会は2階が会場だから、金曜日の交換会は1階のみの使用だった。

 入札会場の奥に帳場があり、経理は算盤で、その日のうちに現金で清算された。売り買いの明細はなく、ヌキは簡単なもので、売りは入札封筒の下部を切り、必要な場合は自分でリストを作成した。全てが手作業であった。当時も市場は忙しい作業であったが、まだどこかのんびりした時代であった。入札される古本も現在に比べれば量も少なく、一冊一冊が丁寧に扱われていた気がする。喫煙も自由であった。

 明治古典会の終了後、鶉屋書店の飯田淳次さんを囲んで、当時は詩歌書を専門にしていた下井草書房さんや石神井書林さんなどがその日落札した古本について教えを受けている光景をよく見かけた。この三人は、本誌の目録欄の常連だったので特に印象深い記憶なのだが、当時の私は飯田さんの業績については全く知らず、この方を中心とする燭の会の目録原稿がいつも遅れがちで、会えば督促する相手が飯田さんだったのだ。バーミューダーに草履履きのイメージが強いが、いつも少し眠そうな表情をされていた。過労気味だったのか。燭の会のメンバーに現在は映画文献専門の稲垣書店中山信行さんがいて、燭の会の後を、稲垣書店さんが継承して目録掲載は107回に及んだ。2015年に、それら全部に解説を添えて複製し『一頁のなかの劇場』という私家版が刊行されている。

 1989年に飯田さんは68歳で亡くなる。鶉屋さんを師とも恩人ともする青木正美さんによって、2006年に詳細な評伝『ある古本屋の生涯』(日本古書通信社)が刊行される。編集は私が担当した。この16年前、反町さんから、当時明治古典会の会長をされていた青木さんに、昭和40年からの再興明治古典会のキーマンとなった飯田さんの業績を顕彰することが強く求められていた。下町から飯田さんを抜擢したのは反町さんだった。反町さんが主宰する文車の会から平成2年(1990)に『鶉屋書店飯田淳次氏の仕事と人』という本が刊行された。青木さん司会による明治古典会メンバーの「故飯田淳次氏を偲ぶ座談会」、反町氏執筆の「飯田さんと明治古典会の事など」、「飯田コレクション売立目録」から構成されている。伝説の詩歌文学書売立とも言える、この目録(1985年)の項目には落札値と落札した業者の名前が記録された。反町氏の強い意向が反映されていた。この件が発行と同時に古書組合の規約に反するとして問題になった。その他この記念誌刊行にまつわる経緯は、やはり青木さんの著書『古書肆・弘文荘訪問記―反町茂雄の晩年』(2005・日本古書通信社)に克明に記録されている。この本も私が担当したが、青木さんは記念誌が出来る前から、樽見さん持っているといいよと、座談会ゲラのコピーなどを内緒でくれたりしていた。人生は出会いが大きな意味を持つが、反町、飯田、青木さん、この三人の出会いは、戦後復興期を背景にしたドラマをみるようである。「日本古書通信」の創刊者八木敏夫と反町氏の出会いが、大正震災後の文化復興を背景としたドラマのようであるのと似ている。売立目録への落札値と落札業者の明記の資料的価値は言うまでもない。

 今、青木さんはベッドの人となってしまわれた。文章を書くことを何よりも生き甲斐とされていたが、既に読むこともままならなくなったと息子さんから伺っている。私が古書業界に入って40数年が過ぎたが、八木福次郎を別にすれば、私は青木さんから一番影響を受けてきた。

 青木さんの古本屋としての凄さに対し私は畏敬の念を持ってきた。優れた古本屋がみなそうであるように、従来価値がないと見られていたものに商品としての魅力を見出していく先見性。青木さんの場合、それは戦前戦中の児童物の分野で発揮された。加えてその価格面の変動を記録し公表してきたこと。その記録することの強い思いは、商売を離れた作家自筆物の研究や業界に足跡を残した人々の顕彰に及んだ。商人として成功した古本屋は少なくないが、そうした記録を残した人は極めて少ない。私は青木さんの56冊に及んだ著書の内、9冊の編集をし、『青春さまよい日記』(1998、東京堂出版)ほか他社からの本の校正も頼まれてやっている。自伝的要素の強い著作ゆえに、編集や校正の仕事を通し青木さんの人生を私も伴走させられたような気分がある。当社の刊行と言っても、実は青木さんご自身が本の内容を決め、原稿入力や印刷屋との折衝もされており、私は修正や校正はするが、完成した本を預かり販売するケースが殆どだった。事前に入力済の原稿を示され、樽見さんが不要と思うものは全部削除するからと言われていたが、多少修正はしても大きな変更は要請していない。ただ、前記『古書肆・弘文荘訪問記』は大変気を使われた本であった。慎重を期して私が事前に原稿を読み、青木さんご自身のことが余に強く出ている多くの部分を削除して頂いた。自分のことが前面に出過ぎるとテーマがぼやけて読み難くなるのである。この本は坪内祐三さんが高く評価してくれたこともあって再版することになった。だが青木さんにとって削除は不本意だったのだと思う。それ以降しばらく事前に原稿が提示されることは無かった。再び内容的にも私が関わるようになったのは、2019年の『古書市場が私の大学だったー古本屋控え帳自選集』以降かと思う。最後の3冊『古書と生きた人生曼陀羅図』『戦時下の少年読物』『昭和の古本屋を生きる―発見、発見の七十年だった』は本当に最後の力をふり絞るようにして刊行されたもので、死力を注ぎ書き尽くされたとの思いが強い。著書を出すことに対する情熱・執念は常に驚嘆に値するものだった。

 その青木さんとの長いお付き合いの中で忘れられない一言がある。2012年11月号が「日本古書通信」の通巻1000号で、一時は40数頁もあったのに減りに減ってしまった後半の古書目録欄を充実させようと、お付き合いのある古書店にお願いして40軒ほどの協力が得られた。その折、青木さんにもお願いしたのだが、青木さんは「樽見さん、わたしはもう現役ではないし、古本屋が古書目録を出すというのは、戦いのようなもので、必死の覚悟がなくては出来ないんだよ。付き合いで出すようなことは出来ない」と即答で断られた。勿論頼んだ側として落胆はしたが、青木さんらしい言葉だと思い、嫌な気持ちは起こらなかった。

 青木さんにとって商いは戦いそのものだった。それは古い古書業界の慣習を破るべく生涯をかけた反町さんや、下町の古本屋から詩歌書専門店として全国に名を轟かせ今も語り継がれるまでになる飯田さんの戦いとも共通している。語弊があるかもしれないが、古書業界は震災や戦災からの復興時に最大の役割を果たして来た。三人というか彼等の同世代の古書業者は皆どこかで同じ歩みをしてきたと私は思っている。

 日本古書通信の編集を通し、私はいつからか戦争とそこからの復興に古本屋として活躍された方々の話を記録したいと思うようになった。これも青木さんの影響かと思う。ちくま文庫『古本屋群雄伝』(2009)は青木さんにしか書けない名著である。それに比べ今回から古書組合機関誌に連載する拙稿は、残念ながら青木さんのようには書けない。取材記録と記憶だけで書くだけである。組合史という枠からは零れ落ちてしまう個人的な話が多くなるかと思うが、しばしお付き合い願えれば幸いである。

 
 


 
 
(「全古書連ニュース」2023年5月10日 第494号より転載)

※当連載は隔月連載です

 
 
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2023年6月26日号 第373号

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☆INDEX☆
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1.『フォークナーの語りと創造世界』
             梅垣昌子 (名古屋外国語大学教授)

2.『シティ・ライツ ノート』
            編集サークル街から舎 主宰・本間健彦

3.『銭湯』は「すごい小説」ではない
                          福田節郎

4.『戦後デザインの最大の謎、杉浦康平のアジア転回を解き明かす。』
 (杉浦康平のアジアンデザイン)

              エディトリアルデザイナー 赤崎正一

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━━━━━━━━━【大学出版へのいざない7】━━━━━━━━━━━

『フォークナーの語りと創造世界』
              梅垣昌子 (名古屋外国語大学教授)

 ノーベル賞作家のウィリアム・フォークナーには三つの顔があります。
詩人、作家、そして脚本家の顔です。自らを「挫折した詩人」と呼んだ
フォークナーは、十代で詩を書きはじめたのですが、ロバート・フロス
トのように海外で知名度をあげるべく、渡欧の足がかりとしてニューオ
ーリンズを訪れました。しかし意外にもそこで作家デビューを果たし、
二十代の後半で長編第一作を出版する運びとなります。三十代のはじめ、
ヨクナパトーファ・サーガの嚆矢となる作品を手がけたころから、経済
的な事情もあって脚本書きの仕事を始め、故郷ミシシッピとハリウッド
の間を断続的に行き来するようになります。四十代の後半、批評家マル
カム・カウリーの編集による作品選集「ポータブル・フォークナー」が
世に出てまもなくノーベル文学賞を受賞したフォークナーは、五十代の
後半で映画の仕事に終止符を打ちました。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=11778

書名:『フォークナー 語りの力 その創造性の起源へ』
著者名:梅垣昌子
出版社名:名古屋外国語大学出版会
判型:A5/製本:形式上製/ページ数:445頁
税込価格:4,950円(本体4,500円)
ISBNコード:978-4-908523-24-3
Cコード:0098
2023年8月下旬刊行予定
https://nufs-up.jp/

━━━━━━━━━━【自著を語る(309)】━━━━━━━━━━

『シティ・ライツ ノート』
              編集サークル街から舎 主宰・本間健彦

 本書は本年(2023年)3月末に、わたしの主宰する編集サークル街か
ら舎という個人事務所から刊行されました。補足説明をさせていただく
と――。実は、街から舎は編集プロダクション業務を行う株式会社とし
て1985年に創業し、2000年代入ってからは小さな出版事業にも手を染め
てきたのですが、コロナ禍の昨年8月に会社組織を解散し、仲間と編集サ
ークルを立ち上げ、身の丈にあった編集業務を続行していこうと方針転
換を図りました。つまり本書は表向き街から舎が版元となって刊行する
かたちをとっていますけれど、実情はいわば自主出版だったということ
になります。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=11785

『シティ・ライツ ノート』
街から舎刊
本間健彦著
税込価格:2,200円(税込)
ISBNコード:9784939139284
好評発売中!
https://machikarasha.thebase.in/items/73875259

━━━━━━━━━━【自著を語る(310)】━━━━━━━━━━

『銭湯』は「すごい小説」ではない
                            福田節郎

 皆さん、どうも初めまして、福田節郎と申します。
 この度、「自著を語る」というテーマで原稿依頼をいただきました。
要するに著作を解説せよということでしょうが、『銭湯』は小説であり、
しかも筋らしい筋がなく、無理やりあらすじのようなものにまとめたり、
一言で簡潔に言い切ってしまうのは小説そのものに対する冒とくだと考え
ているので、内容は説明できません。とりあえず銭湯の話ではいっさいな
いということくらいしか言えず、買って読んでもらうより他ありません。
すみません。とは言え、一人でも多くのメルマガ読者の方に『銭湯』に興
味を持っていただき、その購入につなげることが私の責務ですから、購買
意欲を掻き立てるような文章を書かねばなりませんが、私自身はこの『銭
湯』(また併載されている「Maxとき」)という作品を手放しで勧められる
ような「すごい小説」だとはまったく思っていません。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=11770

『銭湯』(第4回ことばと新人賞受賞作)
書肆侃侃房刊
福田節郎著
ISBNコード:978-4-86385-577-9
定価:1,600円(税抜)
好評発売中!
http://www.kankanbou.com/books/novel/0577

Twitter
https://twitter.com/sentonokoto

━━━━━━━━━━━━【プレゼント企画】━━━━━━━━━━━━

文学ムック『ことばと』(『銭湯』掲載)と
短歌カタログ『31文字の世界』(書肆侃侃房発行)の2冊セットを
抽選で5名様にプレゼント致します。
ご応募お待ちしております。

応募申込は下記ページにてお願い致します。
 締切日 6月28日(水)午前10時

https://www.kosho.ne.jp/entry2023/0626/0626.html

━━━━━━━━━━【自著を語る(番外編)】━━━━━━━━━━

『戦後デザインの最大の謎、杉浦康平のアジア転回を解き明かす。』
(杉浦康平のアジアンデザイン)

                 エディトリアルデザイナー 赤崎正一

■戦後デザインの巨星、杉浦康平の「謎」
 杉浦康平は誰もが知る戦後日本を代表するグラフィックデザイン界の巨星
です。90歳を超えた2023年の今なお、現役として活躍し続けています。

 70年近くにおよぶ活動の中で生み出された作品は膨大です。そのため全貌
を把握することはきわめて困難でもあります。単に作品の量が多いからばか
りではなく、そこには大きな「謎」があると受け止められてきたことも理由
の一つです。

 1950年代末から60年代の、若い戦後デザイン界で、20代の杉浦康平は先端
を疾る寵児でした。スイス・ドイツ的モダンデザインとも、アメリカ的デザ
インとも一線を画した、斬新で怜悧な理知的デザインが人々を魅了しました。

続きはこちら
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赤崎正一
1951年東京生れ。エディトリアルデザイナー。
神戸芸術工科大学名誉教授。
現在、『世界』(岩波書店)のデザインなど担当。

『杉浦康平のアジアンデザイン』
新宿書房 刊
港の人 発売
杉浦康平 著
神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究組織 著
赤崎正一 編
黄國賓 編
定価:4,290円(税込)
ISBN:9784896294194
好評発売中!
http://www.shinjuku-shobo.co.jp/
http://www.shinjuku-shobo.co.jp/new5-15/html/mybooks/483_Sugiura.html
https://www.minatonohito.jp/book/419/

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「コショなひと」始めました

東京古書組合広報部では「コショなひと」というタイトルで動画
配信をスタート。
古書はもちろん面白いものがいっぱいですが、それを探し出して
売っている古書店主の面々も面白い!
こんなご時世だからお店で直接話が出来ない。だから動画で古書
店主たちの声を届けられればとの思いで始めました。
お店を閉めてやりきったという店主、売り上げに一喜一憂しない
店主、古本屋が使っている道具等々、普段店主同士でも話さない
ことも・・・
古書店の最強のコンテンツは古書店主だった!
是非、肩の力を入れ、覚悟の上ご覧ください(笑)

コショなひと 盛林堂書房
☆おまけ☆古書店主の古本談義「古書コショばなし」 盛林堂書房 編

YouTubeチャンネル「東京古書組合」
https://www.youtube.com/@Nihon-no-Furuhon-ya

━━━━━━━━━━━━━【次回予告】━━━━━━━━━━━

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「大学出版へのいざない」シリーズ 第8回

書名:『皇室財政の研究――もう一つの近代日本政治史』
著者名:加藤祐介
出版社名:名古屋大学出版会
判型:A5/製本形式:上製/ページ数:414頁
税込価格:6,930円
ISBNコード:978-4-8158-1126-6
Cコード:C3021
2023年7月刊行予定
https://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-1126-6.html
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『古今善本録-蔵書が伝える図書館150年の軌跡』
発行:立正大学図書館
編集:立正大学図書館品川学術情報課
販売総代理店:極東書店
税込価格:16,500円(税込)
ISBNコード:978-4-907075-09-5
好評発売中!
https://www.kyokuto-bk.co.jp/topics/KF-2237.pdf
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「2023年上半期の古ツアをふり返る」(仮題)
古本屋ツアーインジャパン 小山力也
http://furuhonya-tour.seesaa.net/
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日本の古本屋メールマガジン その373・6月26日

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【発行者】
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『シティ・ライツ ノート』

『シティ・ライツ ノート』

編集サークル街から舎 主宰・本間健彦

 本書は本年(2023年)3月末に、わたしの主宰する編集サークル街から舎という個人事務所から刊行されました。補足説明をさせていただくと――。実は、街から舎は編集プロダクション業務を行う株式会社として1985年に創業し、2000年代入ってからは小さな出版事業にも手を染めてきたのですが、コロナ禍の昨年8月に会社組織を解散し、仲間と編集サークルを立ち上げ、身の丈にあった編集業務を続行していこうと方針転換を図りました。つまり本書は表向き街から舎が版元となって刊行するかたちをとっていますけれど、実情はいわば自主出版だったということになります。

 この『シティ・ライツ ノート』という本は、わたしにとって単著としては9冊目の単行本ということになります。モノ書きの著作数としては寡作ですね!とよく言われるのですが、わたしは編集業を生業としてきまして、その合間に「これって本になりそうだな!」と閃いた人物や事象に出会うと、本を出してくれそうな出版社を探して企画を売り込み出版してもらってきたのです。そんな無名のノンプロ・ライターによる著述業なので、この位の著作数が精一杯だったのでしょう。

 わたしは編集業を生業にしてきたわけですけれど、その遍歴をかいつまんで申しあげますと。『話の特集』の編集者を経て、1969年6月から72年3月まで新宿のタウン誌『新宿プレイマップ』の編集長を務め、その後はフリーランスの編集者・ライター稼業に長く従事したのち、冒頭に記したように(株)街から舎を設立して主宰するようになります。そして1992年10月、『街から』と題したミニコミ誌を有志市民と共に創刊し、街から舎から隔月刊で刊行してきました。

 『街から』は、その誌名のためだったのか、外目にはタウン誌のように映っていたようですけれど、わたしたちスタッフは「シティ・マガジン」(市民誌)を標榜してきました。その理由は「インディペンデント・マガジン創ろう!」という意向と志を持った<有志市民>たちのメディアを目指したからでした。自立メディアを創りたいというのは、わたしの長い間の夢であり宿題だったのですが、しがないフリーランサーの身では日々の生活に追われるばかりで、実現の見通しなどとても立てられなかった。ところがあるとき、ふっと、「ミニコミ誌なら作れるのではないか・・・」という発想が啓示のように閃いたんですね。

 ミニコミというのは、60年代末から70年代初頭にかけ、カウンター・カルチャーの蜂起した時代に活字志向の若者たちが、あるべき姿の生き方を模索し表明する表現活動の場として作っていたガリ版刷りやタイプ印刷の手作りの新聞・雑誌の呼称なのですが、90年代にはミニコミを作る若者たちはすでに消滅していて、絶滅危惧種のメディアと見做されていました。わたしは当時すでに五十路を迎えていたのですけれど、何を血迷ったのか、あの時代にアヴァンギャルド志向の若者たちが創っていたミニコミの事を思い出し、その手法にヒントを得て無謀にも「街から」誌の刊行に踏み切ったのです。 

 では、ミニコミの手法とはどんなものだったのでしょうか。端的に言えば、自立メディアを創るためには非商業主義路線をどれだけ徹底して歩めるかどうかという点が要諦でした。『街から』が律した要諦は、①市民会員を募り、会費として購読料をいただく。②『街から』誌の雑誌作りの方針に賛同してもらえる企業及び店舗に限定して広告料を取得する。③編集発行人及び編集スタッフ(ボランティア参加)の報酬はなし。ただし編集制作に要する経費は清算して支払う。④寄稿者やインタビュー取材をお願いした方に対する原稿料や謝礼の支払はしない。⑤雑誌編集発行に要する経費は、①と②を集計した収入によって賄う事を原則とする。以上のような点だった。

 ずいぶんけち臭く、情けない手法なのですけれど、このような手法を貫かなければ、ミニコミ誌とはいえ自立メディアを立ち上げ存続させて行くことは不可能なのだ、と判断したうえでの選択でした。

 しかし難題や課題は他にもあった。最も憂慮したのは、『街から』誌が対象とする<有志市民>が果して存在するのか否かという点でした。というのも『街から』の希求した<有志市民>というのは、こよなく自由を愛し、それぞれの人びとが各自のあるべき姿の生き方を目指す、そういう市民像を対象としていたからです。けれどもご承知のように、日本の社会には地域社会は存在するけれど、市民社会は未成熟と見做さざるを得ませんし、それゆえ市民意識も確立されているとはいえない状況が露見していたからです。

 創刊当初、この国はバブル経済崩壊直後でまるで氷河期に突入するような時代であったので、友人・知人たちからは「どうせ3号雑誌に終るのだろうから、無謀な冒険は止めといた方がいいぞ」とずいぶん忠告を受けました。その危惧の念はミニコミ手法の貫徹で何とかしのぎ3号雑誌で終ることなく持続することはできたのですが、市民会員を増大し、市民が作る自立メディアとして大きく発展させるまでに至らなかったのは、わたしたちの力不足だったという点は否めなかったにしても、やはりこの国の市民社会の未成熟な点や市民意識の希薄な国民性という根深い壁にはばまれたのではないかという想念を抱かざるを得ませんでした。

 そんな閉塞状況のなかで苦戦は免れなかったのですが、何とか『街から』は持続することができ、2000年12月に通巻50号を刊行する事ができました。隔月刊の発行で、創刊9周年目に達成できたのです。わたしたちにとってはまさに快挙!でした。50号の刊行を記念して街から舎ではインタビュー集『人間屋の話』という単行本を出版しています。この本はわたしがそれまでの『街から』に掲載してきた<有志市民>のオピニオンたち16人に対するインタビュー記事で編纂したもので、和田誠さんにカバーデザインをお願いしていて、その後、街から舎が出版事業に進出する端緒となる出版でした。

 この『人間屋の話』を出版した際の出来事で今なお印象深く心に刻まれているのは、16人の登場人物のひとりで、序文の執筆まで引き受けてくださった故マルセ太郎さん(<笑いの哲人>として誉れ高かった方です)の次の言葉です。

 われわれのような権力から遠い者は、一人ひとり無力かもしれない。しかし
野球にたとえれば、せめて良き外野席の客になることはできるだろう。歴史を
しっかり見よう。世の中には、少数派ではあるが、常に弱者への視点を失わな
いで闘っている勇気の人がいる。彼らを孤独にさせてはならない。外野席から
でも拍手を送ろう。『街から』のようなミニコミ誌なら、それができるはずだ。

これはマルセ太郎さんから、街の小さなメディアをこつこつと作っているわたしたちへの激励のメッセージだったのだと思います。わたしたちはマルセさんがともしてくれた灯りをかかげ、ほふく前進を続けてきました。発行部数の伸び方の微小さには頭を痛めていましたが、手ごたえは感じていました。

 けれども、2000年代に入ると、周知のようにインターネットの普及により若い人たちのあいだでは、ブログやツイッターで自分の意見や情報を発信し、情報交換する日常が普遍化し、それにともない新聞や雑誌など印刷媒メディア離れが加速する現実に直面することになります。また、経済至上主義の縦断爆撃現象が人びとの日常・価値観・生き方に根深く浸透している様子をニュース見聞するにつけ、人間は壊れつつあり、人類は破滅の道を突き進んでいるのではないかという危惧を抱かざるを得ませんでした。

 だがしかし、わたしたちも結局、強大な圧力とわたしたちを取り囲む超大に壁に阻まれ、敗北するしかなかったのだな・・・と見做す事になります。でも、たぶん多くの皆さんは、街の片隅の小さなメディアの敗北物語などに耳を傾けたくはないでしょうし、当事者としても、もうこれ以上語りたくはありません。なので、結果だけを申し上げておきましょう。

 • 20019年3月、『街から』は通巻157号を刊行し、終刊としました。

 本書『シティ・ライツ ノート』は、数本他誌に寄稿した記事が入っていますけれど、大半は『街から』に掲載されたわたしのインタビュー記事、ルポ、コラム、編集後記などのなかから記事を選抜し編纂しました。添付したチラシに目次を記してありますので、ご覧いただき、もし関心のありそうな記事がございましたら、本書をご購入いただき、お読み頂ければ幸甚です。

 蛇足かもしれませんが、本書を刊行した意図を付け加えておきます。それは、『街から』というミニコミ誌にどんな面々が賛同して加わってくださっていたのか、その一端を是非記録しておきたかったからなのです。

 
 
 
 


『シティ・ライツ ノート』
街から舎刊
本間健彦著
税込価格:2,200円(税込)
ISBNコード:9784939139284
好評発売中!
https://machikarasha.thebase.in/items/73875259

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faulkner

『フォークナーの語りと創造世界』 【大学出版へのいざない7】

『フォークナーの語りと創造世界』 【大学出版へのいざない7】

梅垣昌子 (名古屋外国語大学教授)

 ノーベル賞作家のウィリアム・フォークナーには三つの顔があります。詩人、作家、そして脚本家の顔です。自らを「挫折した詩人」と呼んだフォークナーは、十代で詩を書きはじめたのですが、ロバート・フロストのように海外で知名度をあげるべく、渡欧の足がかりとしてニューオーリンズを訪れました。しかし意外にもそこで作家デビューを果たし、二十代の後半で長編第一作を出版する運びとなります。三十代のはじめ、ヨクナパトーファ・サーガの嚆矢となる作品を手がけたころから、経済的な事情もあって脚本書きの仕事を始め、故郷ミシシッピとハリウッドの間を断続的に行き来するようになります。四十代の後半、批評家マルカム・カウリーの編集による作品選集「ポータブル・フォークナー」が世に出てまもなくノーベル文学賞を受賞したフォークナーは、五十代の後半で映画の仕事に終止符を打ちました。

 ノーベル文学賞の受賞スピーチで、フォークナーは次のように述べています。「昨今、ものを書く若い人たちは、人間の心の中に生まれる抜き差しならぬ葛藤を描くことを忘れてしまっています。この葛藤こそが優れた作品を生み出すのであり、唯一この葛藤こそが、七転八倒して文章を紡ぎ出すに値するテーマなのです。」作家にとって、何を語るかということが重要であることはいうまでもありません。しかし、第一次世界大戦の時に多感な思春期を過ごした「失われた世代」の一人であり、モダニズムの作家として知られるフォークナーは、「どう語るか」ということに終生、強いこだわりを示していました。すなわち、時代性や地域性と強く結びついた「葛藤」について、いかに普遍性を獲得した手法で語り尽くすのか、それが彼の創造性の根幹と強く結びついています。フォークナーは、あるインタビューの中で、芸術性や技量の高さの要求度という観点からすれば、詩が最高峰であり、その次が短編であるという考えを語っています。すなわち彼は、短編小説というのが、緻密な構成力と芸術的な手腕を要求する、重要な表現形式であると考えていたのです。

 本書では、フォークナーの詩人と脚本家の側面を視野にいれつつ、彼の作家としての創作技法の特徴に照らして、その作品世界のひな型ともいうべき短編小説を主な考察の対象としています。本書の前半では、短編作品を重点的に扱い、フォークナー文学の根幹をなす語りの手法をつぶさに分析したうえで、後半では脚本の仕事に目を移し、彼の緻密な構成力を観察します。最後にフォークナーが詩人から作家へと変貌を遂げたニューオーリンズでの創作活動に注目し、彼の詩的想像力と語りの力の起源へ遡るという道筋をとっています。

 フォークナーは、モダニズムの金字塔ともいうべき『響きと怒り』を執筆していますが、本書では、そこで芽生えたフォークナーの語りの四つの原型を出発点として、「土地」「時空間」「視点」「起源」という四つの軸を中心に、フォークナーの創造世界に分け入ります。フォークナーはかつて、自分の創造する世界を「宇宙の楔石(くさびいし)」にたとえ、「もしそれが失われたならば、宇宙自体が崩壊する」と語りました。創造することで崩壊をくい止めるフォークナーの楔石と、それを嵌め込む現実世界の迫石(せりいし)との接合面には、どのような摩擦が働き、その圧着を促していたのか。また、フォークナーのどのような語りがそれを可能にし、楔石が支えるアーチをくぐった先には、何が待っているのか。こういったことへの答えを探るべく、本書で扱う作品には、彼が重視した形式である短編を中心に、フォークナーの生きたアメリカ南部の現実を直接的あるいは間接的に鋭く照射するものを選びました。たとえば「あの夕陽」という作品では、白人の子供と黒人女性の交流の物語を黒人音楽のブルースとの関連性に触れつつ論じ、「乾燥の九月」については、ヘイトクライムを生んだ共同体のメカニズムに言及しています。そのほか、アメリカ先住民を扱った作品では、黒人奴隷との関係性に焦点をあてています。

 フォークナーは1955年、米国国務省の文化親善大使として来日しました。その際、東京、長野、京都の各地でセミナーや座談会などに参加し、川端康成、大岡昇平、高見順らと直接語りあって、日本の文壇に鮮烈な印象を残しました。本書では、その後長く定着していた、ノーベル賞作家としてのフォークナー像に新たな光をあて、彼の作品に密着しつつその創造性の起源の多角的な解明を試みています。

 
 
 
 
 


書名:『フォークナー 語りの力 その創造性の起源へ』
著者名:梅垣昌子
出版社名:名古屋外国語大学出版会
判型:A5/製本:形式上製/ページ数:445頁
税込価格:4,950円(本体4,500円)
ISBNコード:978-4-908523-24-3
Cコード:0098
2023年8月下旬刊行予定
https://nufs-up.jp/

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sento

『銭湯』は「すごい小説」ではない

『銭湯』は「すごい小説」ではない

福田節郎

 皆さん、どうも初めまして、福田節郎と申します。
 この度、「自著を語る」というテーマで原稿依頼をいただきました。要するに著作を解説せよということでしょうが、『銭湯』は小説であり、しかも筋らしい筋がなく、無理やりあらすじのようなものにまとめたり、一言で簡潔に言い切ってしまうのは小説そのものに対する冒とくだと考えているので、内容は説明できません。とりあえず銭湯の話ではいっさいないということくらいしか言えず、買って読んでもらうより他ありません。すみません。とは言え、一人でも多くのメルマガ読者の方に『銭湯』に興味を持っていただき、その購入につなげることが私の責務ですから、購買意欲を掻き立てるような文章を書かねばなりませんが、私自身はこの『銭湯』(また併載されている「Maxとき」)という作品を手放しで勧められるような「すごい小説」だとはまったく思っていません。

 この作品が刊行されることになったのは、表題作である「銭湯」という作品が版元(書肆侃侃房)主催の第4回ことばと新人賞を受賞したことによります。同新人賞は純文学を対象とする、いわゆる五大文芸誌に紐づく新人賞と比較すれば、その規模はずっと小さなものですが、選考委員の方々は掛け値なしに素晴らしく、というか、個人的には文学新人賞のなかでは最もグッとくるラインナップです。選考委員の名前をここに記すことはしませんが、とにかくそういった方々にいちおうは「受賞でいいよ」「本を出してもいいんじゃないか」と認められるような形で刊行されたことにはなるわけで、私自身がこの本を「推せる」としたら、ただただその一点しかありません。もちろんそれは光栄だし、めちゃくちゃすごいことですけどね。あ、もう一点、装丁が大変かわいらしく、本当に素敵で、本そのものとしての魅力にあふれた造りになっていることも推せるポイントです。選考委員と造本の素晴らしさというこの二点で本を買ってくださると大変助かります。

 さて、上述した「すごい小説」とはどういったものなのか、私自身が考えるそれは、人の価値観を大きく揺さぶったり、覆してしまったり、思いもよらない示唆を与えたり、とにかく読み手の人生やその選択に強い影響を及ぼす小説です。ところで「銭湯」はまったくそういう小説ではありません。私にはまだそういう小説は書けない。謙遜でも卑下でもなく、そう思っているし、受賞のコメントを求められたときにもそのように書きました。また新人賞というのは本来、今までになかった小説の在りようを提示する作品に与えられるべきものでしょうから、そういった意味で「銭湯」は新人賞にふさわしくないのかもしれません。もちろんそういった事柄は私が考える「すごい小説」に当てはまらないという話で、読んでくださる誰かにとっての「すごい小説」になり得る可能性はあるし、なにか見どころがあるから受賞に至ったのだろうと信じたいし、ありがたい感想もたくさん頂いているけれど、なんにせよ、自分では「すごい小説」だとはとても言えない。だから小説を読むことに劇的な意味や過剰な期待を求める方には、まったくオススメできません。『銭湯』という本におさめられている二つの小説は、どちらも取るに足らないものです。取るに足らない小説の良さだって、もちろんあるわけですが。

 また冒頭に書きましたが、筋らしい筋がなく、自分で言うのもなんですが、文章はかなりまどろっこしく、わかりやすい心地よさ、手っ取り早い楽しさは得られません。しかもそれなりに長いので、「一度ページを開いたらどんなにつまらなくても最後まで読み通す」派の方々にとっては苦行になる可能性がかなり高いと思われます。それから人は死なず、不治の病にも罹らず、大きな事件も起きません。ただ出てくる人々は精一杯生きています。書肆侃侃房のサイトから試し読みができるのでリンクを貼っておきます。

https://note.com/kankanbou_e/n/n86a1143dc1b2?magazine_key=m1c3b12626069

 とにかく「すごい小説」ではないことを言いましたが、ある程度は笑える小説だと思っています。それだってツボにはまる人はかなり少ないというか、ウケてくれる人はだいぶ世間からずれているだろうと失礼ながら思ってしまいますが、それでも「銭湯」で描かれている、私自身がそうである、貧しくてわがままでどうしようもない、でもそれなりに年を重ねてはいる大人たちがえんえんと酒を飲んだり、テキトーなことを言ったり、わけのわからない話で盛り上がったり、そういう取るに足らないことに真剣に向き合っている様は、自分で言うのもなんですが、なかなか面白く、少しだけ泣けて、読み手の人生を1ミリも動かしはしないにせよ、ちょっとした慰謝になるのかもしれない、まあなんか、明日もどうにか生きてやるかと思うその手助けくらいにはなるのかもしれないと考えたりもします。私の小説が誰かにとってそういう小説になりえるのなら、それはたぶん誇りに思っていい。でも私は「すごい小説」を書きたい。自分が信じる「すごい小説」をいつか書くために、自分が書いた人々のように、ちっとも冴えない毎日をあの手この手で楽しみながらどうにかこなしています。

 まったく「自著を語る」というテーマにふさわしくない文章になってしまいましたが、『銭湯』という小説や小説を書くことについての考えを少しだけ書きました。一人でも多くの方に『銭湯』を手に取ってもらえたら幸いです。増刷なんかされちゃったら超嬉しいです。よろしくお願いいたします。

 
 
 
 


『銭湯』(第4回ことばと新人賞受賞作)
書肆侃侃房刊
福田節郎著
ISBNコード:978-4-86385-577-9
定価:1,600円(税抜)
好評発売中!
http://www.kankanbou.com/books/novel/0577

Twitter
https://twitter.com/sentonokoto

 
 
 


『31文字の世界』(書肆侃侃房短歌カタログ)
書肆侃侃房刊
非売品・無料冊子

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『戦後デザインの最大の謎、杉浦康平のアジア転回を解き明かす。』 (杉浦康平のアジアンデザイン)

『戦後デザインの最大の謎、杉浦康平のアジア転回を解き明かす。』 (杉浦康平のアジアンデザイン)

エディトリアルデザイナー 赤崎正一

戦後デザインの巨星、杉浦康平の「謎」

 杉浦康平は誰もが知る戦後日本を代表するグラフィックデザイン界の巨星です。90歳を超えた2023年の今なお、現役として活躍し続けています。

 70年近くにおよぶ活動の中で生み出された作品は膨大です。そのため全貌を把握することはきわめて困難でもあります。単に作品の量が多いからばかりではなく、そこには大きな「謎」があると受け止められてきたことも理由の一つです。

 1950年代末から60年代の、若い戦後デザイン界で、20代の杉浦康平は先端を疾る寵児でした。スイス・ドイツ的モダンデザインとも、アメリカ的デザインとも一線を画した、斬新で怜悧な理知的デザインが人々を魅了しました。

 その杉浦が70年代末から80年代に入って、誰も想像しなかった境地へと至ります。さまざまに意味と象徴を内在した図像が配置され、溢れる色彩によって画面が埋め尽くされる「豊穣」なデザインの登場です。「モダニズム」とは遥かに距離を隔てた「アジアンデザイン」の誕生です。

 どのようにして、このような前期「杉浦デザイン」から後期「杉浦デザイン」への転換が起こったのでしょうか? そこには何らかの切断があったのでしょうか? 多くの人にとって、それは長く「謎」として残りました。

「疾風迅雷」/「脈動する本」/アジアンデザイン研究所

 「謎」が「謎」のままであったのは、長く杉浦自身がデザイン表現についても、またその背景となる心境についても、一切語ることがなかったからです。本書のインタビューで、杉浦自身は「多忙のあまり」と言い訳をしますが、明らかに自己言及への禁欲があったはずです。

 それでも21世紀に入ってから、2004年の雑誌デザインの回顧展「疾風迅雷」(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)と、2011年の書籍デザインの回顧展「脈動する本」(武蔵野美術大学美術館・図書館)が開催され、それぞれの充実した図録が刊行されたことによって、その全貌への見通しは格段に開けました。

 また勤務校であった神戸芸術工科大学内に2010年、アジアンデザイン研究所が設置されたことで、「アジアンデザイン」は公式に研究領域として扱われることになりました。所長として杉浦自身が就任し、多くの留学生をふくむ若い後進たちに、杉浦が長年暖めていた、デザインの領域をも超えるより広範な、図像表現に内在する象徴性の研究が受け継がれました。

連続インタビュー

 本書のもととなる連続インタビューは、神戸芸術工科大学の研究メンバー3名(赤崎正一・入江経一・黃國賓)によって2017年度の学内共同研究として実施されました。

 その後、テキスト編集、図版類の収集・撮影などの作業をすすめ、2022年度の学内出版助成制度の援助を受けて今回の刊行に至りました。

 私たち研究メンバーの質問に対して、杉浦はじつに率直に応えてくれました。細部にわたる明瞭な記憶で、長期間の活動の、その時々の詳細が生き生きと語られました。

 内容はデザイン制作の手法や発想についてばかりではなく、30代前半で招聘教授として赴任した西ドイツ(当時)ウルム造形大学の教育の場で直面した、深甚な「アジア人」としての自覚という、のちの「アジアンデザイン」の原点とも言える体験と、その心境についても雄弁なものでした。

 インタビューによって知り得たのは、杉浦の終始一貫しているデザイン思考と、表現の質に対する偏執的とも言えるこだわりです。表面に現れる外形的なデザインの相違にも関わらず、常に自律システム的に「プロセス」の中で成立するデザインへの志向です。独創的なアイデアによって、印刷技術工程の内部にまで遡る技法の発想なども一貫しています。

杉浦プロトコル

 われわれ受け手の側の印象の分裂とはまったく異なる、時代を超えて常にどのような対象であっても、その本質に立ち帰って統合的に把握し、デザインへと再構築していく強い意志こそが杉浦デザインの特徴でした。

 そのような姿勢を研究メンバーのひとり入江経一は「杉浦プロトコル」と呼び、その原則的な不変性を指摘しました。

 深層にある不変の姿勢から導き出された「アジアンデザイン」の提示は、日本近代、とりわけ「戦後デザイン期」におけるモダンデザインへの信奉の態度をあらためて問い直すものです。

 杉浦自身によって「アジアンデザイン」が詳細に語られた本書は、これまで前提とされてきた「近代」の「デザイン」の在り方そのものを問うものです。

 そして、これまでのデザイナーの、社会における自己認識と身の処し方への不断の問いかけでもあります。

本書のブックデザイン

 全体構成と基本組版設計、およびモノクロ本文ページの組版・デザインの実務は研究メンバーの赤崎が担当しました。

 装丁とカラー図版ページのデザインは、神戸芸術工科大学出身で、現在出版デザインの世界で活躍のめざましい佐野裕哉が、杉浦デザインへのオマージュ的再解釈を試みて、新世代によるブックデザインを提示しました。

 
 
 
 
赤崎正一
1951年東京生れ。エディトリアルデザイナー。
神戸芸術工科大学名誉教授。
現在、『世界』(岩波書店)のデザインなど担当。

 
 
 
 


『杉浦康平のアジアンデザイン』
新宿書房 刊
港の人 発売
杉浦康平 著
神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究組織 著
赤崎正一 編
黄國賓 編
定価:4,290円(税込)
ISBN:9784896294194
好評発売中!
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