古本屋ツアー・イン・ジャパン2024年上半期報告

古本屋ツーリスト 小山力也

 私は今、非常にてんてこ舞いなのである。何故ならば、古本屋さんでもない私が、八月の
終りから一ヶ月、大阪「梅田蔦屋書店」で古本フェアを開催するからである。以前からこちらでは、古本を販売させてもらっており、また時折古本まつりやフェアなどにも参加させてもらってはいたが、今回単独で五百冊を準備してくれと言うのである。五百冊……プロではない素人には、大変に重い数字である。ただ右から左に用意するだけならなんてことはないのだが、“古本屋ツアー・イン・ジャパン”としてのフェアなので、精選し良質でおかしな並びに
しなければ、とてもじゃないが気が済まない……。

そのオファーが来たのは、フェアの五ヶ月前の三月であった。普段の販売用の補充も送りつつ、フェア用の古本をひと月に百冊は送らねば、フェアは成立しないのだ。だが気持ちは
最初から決まっていたので、依頼を承諾し、早速古本の準備に取りかかったのである。

 家にある古本をまとめれば話は簡単なのだが、やはりそうは言っても売りたくない本やまだ読んでいない本も多いので、ここからすべてを出すわけにはいかない。そんな訳で当然仕入れをしなければいけないことになるのだが、もちろん私は古本屋さんではないので、市場で仕入れたり買取をしたりということは出来ない。自然、古本屋さんを巡り、安値で己のメガネに適った古本を買い集めるということになるのだ。

生活圏は東京の西方中央線沿線なので、中野〜三鷹間の馴染みの古本屋さんを中心に、西武
池袋線沿線・京王井の頭線沿線・小田急線沿線の古本屋さんを順繰りに、ほぼ毎日のように
こまめに巡りまくり、辛抱強く古本を買い集めたのである。またこれに加え、高円寺「西部
古書会館」や御茶ノ水「東京古書会館」で開かれる会館展にも足繁く通うようになった。

店巡りと同じで、いつでも好みの本が買えるとは限らないのだが、おかげでそれぞれの催事に個性があるのを感じ取ることが出来るようになってきた。だがその個性についてはあまり気にせず、とにかく通った。好みの本が多い催事は確かに収穫も多いし楽しいが、それ以外の本が多く並ぶ催事では、極少量だが好みの本が安値で並ぶことがあったりするので、結局どの催事も見逃せないのである。

中でも六月に開催された新しい催事「萬書百景市」は、それぞれの参加店が全力で古本を
並べ、去年開催の「中央線はしからはしまで古本フェスタ」同様、古本ファンの期待に応えつつも、新たな古本ファンを引き寄せる力を持った試みであった。この会館通いは、古本販売の世界が、伝統と革新が絡み合い発展して行くのを垣間見る思いであった。

 そんな風に現在進行形で大量に古本を買い集めているのだが、フェア中の補充分も含め、
まだまだ続けねばならないだろう。家の精選良書を核にして、買い集めた古本で一群を作り
上げるのだが、一回に送る量はだいたい三十〜五十冊くらいで、現時点で十三箱を送付済みである。どうにか約束の五百冊には達しているので、ホッと一安心しているが、それでもまだまだ油断せず、古本は準備しなければならないのだ。

このように古本準備でてんてこ舞いの日々を送っているのだが、その間にも様々な変化は
起こっている。武蔵小金井「古本ジャンゴ」、豪徳寺「玄華堂」、本八幡「山本書店」、
国分寺「七七舎」、巣鴨「かすみ書店」、金町「書肆久遠」、などがお店を閉じ、古本界に
寂しい風を吹き入れてしまった。

だが、武蔵小山「九曜書房」が恵比寿に移転して店舗再開、神保町から撤退した「古書かんたんむ」が湯島で店舗再開、「七七舎」跡地ではすぐに「イム書房」が開業(この店舗はこれで、「ら・ぶかにすと」→「七七舎」→「イム書房」とまた古本屋さんに引き継がれることになった)、さらにその「七七舎」も倉庫を店舗として開けるべく奮闘中、また三月に古書会館のトークショーでお世話になった古本乙女&母カラサキ・アユミ氏の古本仲間が博多に「ふるほん住吉」を開業(現在カラサキ氏は店員さんとして活躍中とのこと)、神保町では裏路地にレトロ雑貨+古本の「アリエルズ・ブルービューティー」が開店し、古本屋界に風通しを良くしたり、新たな風を吹き入れたりもしている。

すでにこの七月に入っても、閉店情報や営業再開情報&開店情報も飛び込んできているので、暑い夏もまだまだ古本の風が吹き荒れ続けそうな予感がしている。

 さらなる古本活動としては、定期的に行っているアンソロジスト・日下三蔵氏邸の書庫片付けがいよいよ佳境に突入している。月に一回「盛林堂書房」さんと通い続けた甲斐があり、
ついに古本一時避難用として臨時に借りていたアパートを引き払い、本邸&マンション書庫の集約フェイズに入ったのである。

スペースが出来たことにより、作業が俄然しやすくなったので、日下氏単独でも整理が進める状況になったのは大きい。足掛け十年、もはやライフワークの一つの如く他人の書庫整理に
関わろうとは、思ってもみなかった。いったいどんな結末を向かえるのか、いや、それよりも本当に結末はあるのか、あの元魔窟の行く末が今後も楽しみである。

 そして「盛林堂書房」買取の手伝いや古本まつりでの臨時店員などを務め、相変わらず色々な楽しい経験をさせてもらっているのだが、五月には非常に稀有な仕事に従事させてもらった。それはある古本屋さんの閉店作業で、市場に出す本を運び出す前に、大量の廃棄本を
トラックに積み上げ、何度も運び出すと言う重労働。およそ八トンの量を、店から運び出して、バンバントラックの荷台に放り投げて行く……古本を投げるのは荒事祭のような状態で、ハイになること請け合いであった。いや、古本屋さんって、重労働である。

 またそんな大好きな古本屋さんに関わった仕事としては、東京古書組合の買取ポスターや
全古書店大市会のポスターをデザインさせてもらったのも、貴重な体験であった。何度も何度も理事さんたちと協議を重ね、練り上げて行った作品である。その功績として、『日本の古本屋』の帆布エプロンをいただけたのは、身に余る光栄であった。古本に関わるイベントに出るときは、なるべくこれを身に着けて出るようにしよう。

 とまぁ、相変わらず古本に塗れて毎日を送っているわけである。以前のように新しい店舗を求めて全国を飛び回るようなことはしなくなっているが、大好きな古本屋さん&古本には違うカタチで触れ合うことが増えてきた。これは時代は流れるし、私も年を取りつつあるので、
当然の変化として前向きに鷹揚に受け入れている。

 最後に上半期の主だった古本収穫を紹介しておこう。今年は何故か署名本に恵まれる機会が多く、それは今でも継続している。殿山泰司の「ミステリ&ジャズ日記」署名イラスト入りが五百円、山下清の「日本ぶらりぶらり」がサインペン署名で百円、種村季弘の「怪物のユートピア」がフランス文学者窪田般彌宛署名入りで二千円、古川緑波「ロッパ食談」が徳川夢声宛毛筆署名で三千円。やっぱり古本屋さんはいつでも、夢があって、面白いところなのである。 

 
 
小山力也 (こやま・りきや)

2008年5月からスタートした、日本全国の古本屋&古本が売っている場所の、全調査踏破を
目指す無謀なブログ『古本屋ツアー・イン・ジャパン』管理人。西荻窪「盛林堂書房」の
『フォニャルフ』棚と大阪「梅田蔦屋書店」で古本を販売中。
「本の雑誌」にて『毎日でも通いたい古本屋さん』、「日本古書通信」にて『ミステリ懐旧三面鏡』連載中。

http://furuhonya-tour.seesaa.net/

 
 

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「那覇の市場で古本屋」それから 少し広くなった

『すこし広くなった  「那覇の市場で古本屋」それから』

宇田智子(市場の古本屋ウララ)

 今年の5月に沖縄の出版社「ボーダーインク」から、『すこし広くなった 「那覇の市場で
古本屋」それから』という本を出版しました。副題のとおり、2013年にボーダーインクから
出した『那覇の市場で古本屋 ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』の続編のような本です。自分の店「市場の古本屋ウララ」で店番しながら書きました。

 その間、東京の出版社からも本を出しましたが、沖縄の出版社から出すのはやはり特別な
ことだと感じました。刊行後、編集者と一緒に県内の新刊書店にあいさつに行くと、本は必ず新刊台に平積みされていました。地元出版社の本のコーナーが確保されているからです。
私の店にも発売前から問合せがありました。地元のラジオに出演して宣伝したら、翌日、ラジオを聴いたお客さんが店に来てくれました。

 沖縄の本は、県外の新刊書店にはなかなか並びません。ただし、11年前に比べると出版社と直取引をして本を仕入れる個人の書店が増えました。ボーダーインクが「一冊!取引所」という発注サイトに登録したことでより直取引がしやすくなり、さまざまな書店が扱ってくれています。小さな出版社の本が小さな本屋に並んでいる様子を想像します。

 私の本屋は4.5坪しかありませんが、これでも2020年に「すこし広く」なりました。隣にあった洋服屋さんが閉店するとき、「次はあなたが借りなさい」と言ってくれて、1.5坪の
物件を引き継いだのです。そのころは新型コロナウイルスの流行のために緊急事態宣言が出て、店をしばらく休んでいました。売上もないのに支出を増やすなんて無茶だと一度は断りかけたのですが、いまを逃したらもう増床するチャンスはないかもしれないと考えなおして、
借りました(隣の洋服屋さんは50年続けました。次に借りる人も50年続けるかもしれません)。

 店を広げた2020年、向かいにある那覇市第一牧志公設市場は建替工事中で、それにともない頭上のアーケードが撤去されました。戦後すぐから続いてきた店がいくつも閉店し、建物が壊されてホテルや駐車場になりました。私が店を始めるずっと前から続いてきた那覇の市場の風景が、どんどん変わっていきました。

 この本には、2016年から2024年にかけて書いた文章を収めました。特に、月刊誌『小説すばる』に連載していた「小さな本屋の本棚から」が軸になっています。最初は本と本屋について書いていたのが、しだいに那覇の町や市場の話が多くなり、コロナの流行も始まって、毎月の市場の様子を報告するような連載になりました。

 前著『那覇の市場で古本屋』を出したときは店を始めてから1年半しかたっていませんでした。県外から来て、古本屋も未経験だった私には毎日が驚きの連続でした。店や市場で起きるできごとがあまりにおもしろく、だれにも頼まれないのに文章を書きはじめました。

 その後、商店街のイベントに関わったり、牧志公設市場の建替の話が持ち上がったり、
アーケードの再整備の活動を始めたりすることで、のんきに市場を観察していた私も当事者として動くようになりました。那覇の商店街は行政や一企業が運営しているものではなく、また自然に続いてきたわけでもなく、そこで商売をしている店の人たちが時間とお金をかけ、話しあいと交渉を重ねながら必死につくりあげてきた空間であることに気がつきました。

 ゆるく曲がった通りが何本も並走しては交差点でつながり、通りの両側に店が立ち、あいだに抜け道やわき道があり、頭上にはアーケード、建物の下には暗渠となった川が流れている。そんな商店街のなかの4.5坪の空間で、私はお客さんと話したり、古本の書きこみを消したり、風にチラシを飛ばされたり、急な雨にあわててビニールカバーを広げたりしています。

店にいると、しょっちゅう「国際通りはどっちですか」と聞かれます。入り組んだ商店街で
方向を見失ってしまうのです。アーケードや建物がすきまなく立ち並び、全体を見渡せる場所はどこにもありません。そこで本屋が役に立てるかもしれない、と思います。那覇の地図が
あれば、通りや建物の位置関係を把握できます。さらに市場の歴史の本があれば、風景の由来を想像することができるかもしれません。ごちゃごちゃしていて無秩序に見える空間には、
こうなった理由があるのです。

 11年前に最初の本を出したときは、そんなことは考えていませんでした。毎日、店を開けるだけで精一杯でした。「すこし広くなった」のは店だけでなく、私の視野や心も、と言ってみたい気がします。

 最初の本と変わらないのは、店番しながら見たもの、聞いた声をたくさん書きとめたところです。店を始めて13年たっても、目のまえで起きるできごとはいつもおもしろくて、これが見たくて店をやっているのだと思います。この瞬間、この場所にこの人がいたからこそ生まれた言葉を、私だけが聞いているのはもったいないので、みなさんにもおすそわけしたいのです。

 先日、神奈川近代文学館で「没後15年 庄野潤三展――生きていることは、やっぱり懐しいことだな!」を見てきました。展示されていた原稿『自分の羽根』の「私は自分の体験したことだけを書きたいと思う」「私は自分の前に飛んで来る羽根だけを打ち返したい」という言葉に、私も気持ちだけはこうでありたいと思いました。こんな狭い場所のことばかり書きつづけてなにになるのか、と迷うこともあるけれど、那覇の市場で、これからも自分の羽根を打ち返していきます。どうか、お読みいただけたら幸いです。
 
 
 
「那覇の市場で古本屋」それから 少し広くなった
 
 
『すこし広くなった  「那覇の市場で古本屋」それから』
ボーダーインク 刊
1,980円(税込)
ISBN:978-4-89982-465-7
 
好評発売中!
https://borderink.com/?pid=180729928
 
 
前著についてはこちらから
『那覇の市場で古本屋 ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=1110
2013年8月23日 第140号【自著を語る(104)】より

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ヒトラー最初の侵略【大学出版へのいざない20】

ヒトラー最初の侵略

高橋義彦(北海学園大学法学部准教授)

 自らの野望のために、ヨーロッパそして世界を破滅の淵に追いやったアドルフ・ヒトラーの、最初のターゲットとなった国がどこかご存じだろうか。第二次世界大戦の着火点となったポーランド、その前年ズデーテン地方を奪われたチェコスロヴァキアを思い浮かべる方も多いだろうが、ヒトラーの対外侵略の最初の犠牲者となったのは彼の祖国でもあるオーストリアだった。

1938年3月12日、オーストリアはドイツ軍に侵攻され瞬く間に併合される。本書はこの
ナチ・ドイツによるオーストリア併合(「アンシュルス」)を軸に、当時の政治家や文化人
たちがこの歴史的大事件にどう向き合ったのかを描き出すことをテーマとしている。
 
 では簡単に各章の内容をご紹介しよう。第一章ではアンシュルスに最後まで抵抗したオーストリア首相クルト・シュシュニクを中心に、前史となるドイツ=オーストリア関係を解説している。1934年に首相に就任したシュシュニクは、度重なるドイツの圧力にも耐え1938年2月にヒトラーと直接会談(「ベルヒテスガーデン会談」)したあとには、オーストリア独立維持の是非を問う国民投票を企画した。第一章ではベルヒテスガーデン会談の詳しい内容や着々とオーストリア併合を目指すドイツ側の計画などにも言及している。
 
 第二章はアンシュルス前夜のウィーンの文化生活を、指揮者であるブルーノ・ワルター、
作家フランツ・ヴェルフェルとアルマ・マーラー夫妻、エリアス・カネッティとヴェツァ・
カネッティ夫妻を軸に描いている。ワルターは国立歌劇場の監督としてシュシュニクの信頼も厚く、またヴェルフェルはシュシュニクの個人的友人であり、アルマの主宰するサロンにも
シュシュニクは頻繁に出入りしていた。一方カネッティ夫妻のところには政府と対立する野党社会民主党のシンパが集っていた。
 
 第三章はドイツ軍侵攻前夜である1938年3月11日の様子を、時系列にドキュメンタリー風に描いている。国民投票中止とシュシュニク辞任を求めるドイツからの最後通牒にはじまり、ナチ系のアルトゥア・ザイス=インクヴァルトの首相就任で幕を閉じるこの日は、まさに
「オーストリアの一番長い日」であった。
 
 第四章はヒトラーを中心にアンシュルス後のウィーンの様子を論じている。1906年に初めてリンツから上京したヒトラーにとってウィーンは憧れの街であるとともに「挫折の街」でもあった。造形芸術アカデミーの受験に失敗した若きヒトラーはこの街で浮浪者のような生活を送った。しかし長じてドイツ首相にまで昇りつめたこの男は、1938年3月15日ウィーン王宮前でアンシュルスの成立を高らかに宣言する。このあと行われたアンシュルスの是非を問う
国民投票では、実に99%以上の賛成票が投じられた。
 
 第五章はヒトラー支配下の文化生活をフロイト一家、ウィトゲンシュタイン姉弟、
ヴェルフェル夫妻を軸に論じている。ユダヤ系というだけでなくその理論もナチに嫌われた
フロイトは、マリー・ボナパルト、アーネスト・ジョーンズなどさまざまな人の手を借りて
ウィーン脱出に成功した。

一方大富豪ウィトゲンシュタイン家では、亡命を拒む姉たちと一刻も早い脱出を説く弟の
パウル、そしてイギリスで身動きの取れないルートヴィヒら姉弟間の関係が悪化し、
アンシュルスは家族の絆をも破壊してしまう。1938年の段階でフランスに脱出していた
ヴェルフェル夫妻は、ドイツ軍のフランス侵攻を受け最終的に徒歩でピレネー越えをして
アメリカへと亡命する。
 
 終章ではヒトラー、ザイス=インクヴァルト、シュシュニクそれぞれの1945年を描いている。ヒトラーはソ連軍の侵攻が迫る中ベルリンの総統地下壕で自殺した。ザイス=インクヴァルトは戦犯として捉えられ、ニュルンベルクで刑場の露と消えた。アンシュルス以来長い拘留生活にあったシュシュニクは、1945年5月にようやく解放されたが、祖国オーストリアは彼の帰国を望まなかった。終章ではドイツからのオーストリア「再独立」の経緯も説明している。
 
 このように本書はアンシュルスという歴史的事件を、政治史だけでなく文化史も絡めながら描いたものである。政治史的観点からシュシュニク、ヒトラー、ザイス=インクヴァルト
などに関心を持つ読者、文化史的観点からワルター(音楽)、ヴェルフェルやカネッティ
(文学)、フロイト(精神分析学)などに関心のある読者も、ぜひ手に取っていただければ
幸いである。
 
 
 
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『ウィーン1938年 最後の日々――オーストリア併合と芸術都市の抵抗』
慶應義塾大学出版会 刊
2,970円(税込)
ISBN:978-4-7664-2972-5
 
8月10日発行予定
https://www.keio-up.co.jp/np/index.do
 

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2024年7月10日号 第398号

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       古書市&古本まつり 第138号
      。.☆.:* 通巻398・7月10日号 *:.☆. 。
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メールマガジンは、毎月2回(10日号と25日号)配信しています。

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━━━━━━━━━━【シリーズ書庫拝見27】━━━━━━━━━━

射和文庫 幕末の書物と人のネットワーク
                           南陀楼綾繁

 松阪での書庫取材、3か所目に向かう。さきほど取材した本居宣長記念
館の名誉館長・吉田悦之さんが車で案内してくれる。私を松阪に導い
てくれた谷根千工房の山﨑範子さんも一緒だ。

 中心部から20分ほど南に走ると、櫛田川に出る。そこにかかる両郡橋は
飯野郡(現・松阪市)と多気郡を結ぶことから名づけられた。その飯野郡
側にあるのが、射和(いざわ)という町だ。
 古くからの屋敷が並ぶ、静かな町並みである。

「ここは櫛田川上流の丹生(にう)で産出された水銀を加工した伊勢白粉で
発展しました。
財を築いた家が多く、伊勢商人発祥の地と呼ばれます」と、吉田さんが
教えてくれる。
 伊勢商人の多くは松坂の出身で、三井グループもこの地が発祥だ。


続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=15294


南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一
文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、
図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年
から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」
の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」
の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、
『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』
(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、
編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。


X(旧Twitter)
https://twitter.com/kawasusu

━━━━━━━【懐かしき古書店主たちの談話】━━━━━━━━━

懐かしき古書店主たちの談話 第7回
                    日本古書通信社 樽見博

「日本古書通信」の定期購読者には今も綴じ込みカバーを謹呈している。
PCが普及する前は、タナックというカード式の印刷機で宛名を封筒に
直接印刷していた。カードの管理は、八木福次郎の妻たね子さんがして
おり、カバー送付用の封筒宛名はたね子さんが手書きしていた。

非常に達筆な方であった。カバーを封入して発送するのは私の仕事で、
どんな読者がいるかがそれで分かった。こんな有名な人が定期読者なん
だと感心しながらゆっくり作業していたら、八木から怒られたことがあった。


続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=15182

※当連載は隔月連載です


━━━━━━━━━【展示会のお知らせ】━━━━━━━━━

麻雀漫画は、どのような変遷をたどってきたのか
麻雀漫画の歴史について記した研究書
V林田『麻雀漫画50年史』(文学通信)の刊行にあわせ
同書を書くために著者がこれまで集めた
麻雀漫画単行本・雑誌および関連資料を展示します
 
 
「『麻雀漫画50年史』刊行記念 麻雀漫画の歩み展~1969―2024~」
 
7月12日(金)-7月20日(土)
※7月14日(日)15日(月・祝)は休館日 
時間:月曜~金曜 10時-18時/土曜 10-17時
会場:東京古書会館 2階情報コーナー
料金:無料
主催:文学通信
共催:東京都古書籍商業協同組合

イベント最新情報はこちら
文学通信
https://bungaku-report.com/MahjongManga50.html

東京古書組合WEBサイト「東京の古本屋」
https://www.kosho.ne.jp/?p=1083
 
 
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━━━━━━━━━【書影から探せる書籍リスト】━━━━━━━━━

「日本の古本屋」で販売している書籍を、テーマを深掘りして書影から
探せるページをリリースしました。「日本の古本屋」には他のWebサイト
には無い書籍がたくさんあります。ぜひ気になるテーマから書籍を探して
みてください。
 
「日本の古本屋」書影から探せる書籍リスト
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=13964


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「コショなひと」始めました

YouTubeチャンネル「東京古書組合」
https://www.youtube.com/@Nihon-no-Furuhon-ya

今回は更新ありません


━━━━━【7月10日~8月15日までの全国即売展情報】━━━━━

https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

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光が丘 夏の古本市

期間:2024/06/19~2024/08/04
場所:リブロ光が丘店
   練馬区光が丘5-1-1 リヴィン光が丘5階

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フジサワ古書フェア

期間:2024/06/20~2024/07/17
場所:フジサワ名店ビル 有隣堂藤沢店4階ミニ催事場
URL:http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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東京愛書会

期間:2024/07/12~2024/07/13
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
URL:http://aisyokai.blog.fc2.com/

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横浜めっけもん古書展

期間:2024/07/13~2024/07/14
場所:神奈川古書会館1階 横浜市神奈川区反町2-16-10
URL:http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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アクロスモール新鎌ヶ谷古本市

期間:2024/07/18~2024/07/31
場所:アクロスモール新鎌ヶ谷 1F中央エレベーター前&中央エスカレーター前
   千葉県鎌ケ谷市新鎌ヶ谷2-12-1

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趣味の古書展

期間:2024/07/19~2024/07/20
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
URL:https://www.kosho.tokyo

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杉並書友会

期間:2024/07/20~2024/07/21
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=619

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港北古書フェア

期間:2024/07/25~2024/08/05
場所:有隣堂センター南駅店店頭ワゴン販売
   最寄駅:横浜市営地下鉄 センター南駅
URL:http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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第一回 ひろしまゲートパーク古本即売会

期間:2024/07/26~2024/07/28
場所:ひろしまゲートパーク(旧広島市民球場跡地)

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和洋会古書展

期間:2024/07/26~2024/07/27
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22 
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=562

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中央線古書展

期間:2024/07/27~2024/07/28
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=574

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好書会

期間:2024/08/03~2024/08/04
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=620

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フィールズ南柏 古本市

期間:2024/08/09~2024/08/27
場所:フィールズ南柏 モール2 2階催事場  
   柏市南柏中央6-7

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第37回 下鴨納涼古本まつり

期間:2024/08/11~2024/08/16
場所:下鴨神社 礼の森にて
URL:https://kyoto-koshoken.com/

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BOOK DAY とやま駅

期間:2024/08/15
場所:富山駅南北自由通路
   あいの風とやま鉄道中央口改札前
URL:https://bookdaytoyama.net/

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日本の古本屋メールマガジンその398 2024.7.10

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 東京都古書籍商業協同組合:広報部・「日本の古本屋」事業部
 東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
 URL  https://www.kosho.or.jp/

【発行者】
 広報部・編集長:藤原栄志郎

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射和文庫 幕末の書物と人のネットワーク【書庫拝見27】

射和文庫 幕末の書物と人のネットワーク【書庫拝見27】

南陀楼綾繁

 松阪での書庫取材、3か所目に向かう。さきほど取材した本居宣長記念館の名誉館長・吉田
悦之さんが車で案内してくれる。私を松阪に導いてくれた谷根千工房の山﨑範子さんも一緒だ。
 中心部から20分ほど南に走ると、櫛田川に出る。そこにかかる両郡橋は飯野郡(現・松阪市)と多気郡を結ぶことから名づけられた。その飯野郡側にあるのが、射和(いざわ)という町だ。
 古くからの屋敷が並ぶ、静かな町並みである。

「ここは櫛田川上流の丹生(にう)で産出された水銀を加工した伊勢白粉で発展しました。
財を築いた家が多く、伊勢商人発祥の地と呼ばれます」と、吉田さんが教えてくれる。
 伊勢商人の多くは松坂の出身で、三井グループもこの地が発祥だ。また、本居宣長が生まれた小津家も伊勢商人で、その一族は「小津党」と呼ばれた。映画監督の小津安二郎も小津家の分家に生まれた。

 伊勢商人の当主は地元に住むが、江戸や京、大坂に店(たな)を持ち、支配人に差配を任せた。江戸の場合は「江戸店持」と呼ぶ。
車を停めた場所の向かいにある国分家は、大國屋の屋号で醤油を商い、明治には「K&K」の商標で缶詰を販売する。いまは「缶つま」で知られている。
そして、今回取材するのは、同じく伊勢商人だった竹川家に伝わる「射和文庫」なのだ。

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〇竹川竹斎の生家

竹斎という人

「この家は元禄時代、1700年前後に建てられたものと聞いています」と、出迎えてくれた
竹川裕久さんは話す。優しい顔立ちで、穏やかな物腰の人だ。
 書院玄関には、「射和文庫」の扁額が掛かる。鳥羽藩主の稲垣長明が書いたものだという。

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〇「射和文庫」の扁額

「射陽書院」と名付けられた座敷に入ると、ここにも扁額がいくつかある。そのひとつは、
勝海舟が書いたものだ。


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〇勝海舟書の扁額

 竹川家は江戸と大坂に店を持ち、両替、醤油、酒などを商った。1726年(享保11)には「幕府御為替御用方」を務めるほどの大商人となった(『復刻 竹川竹斎』竹川竹斎生誕
二百年記念事業実行委員会、2009。以下、竹斎の経歴は同書を参照)。
 本家竹川、新宅竹川、東竹川の三軒からなり、いまいるのは東竹川家だ。同家の7代が射和文庫を築いた竹川竹斎である。ちなみに裕久さんは13代目に当たる。

 竹斎の父・政信は本居宣長の門人で、母の菅子の父は伊勢神宮権禰宜で国学者の荒木田久老だった。荒木田は賀茂真淵の弟子で、のちに同門の宣長と対立した。学問を好む家庭であったようだ。

 竹斎は1809年(文化6)に生まれる。幼名は馬之助。12歳から5年間江戸で暮らし、江戸店で修業する。その後、大坂店でも2年間過ごした。
 若い頃から読書が好きだったが、江戸修行中は読書を禁じられた。そのため、「本屋に
いって和漢古今書を読むこと数千巻に及んでいる」と自筆年表にある。この本屋通いから
さまざまな交流が生まれた。また、経世家・農学者として知られる佐藤信淵から、農業や
軍政、地理などについて教えられた。

竹斎は、地元の農民の窮状を救いたいという思いから、池の灌漑事業、射和万古(陶器)の
復興、茶の栽培など、さまざまな事業に奔走するが、幕末の混乱もあってか、いずれもうまくいかなかったようだ。


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〇『開墾茶桑園図帳』       〇『万古窯釉之法』

 1868年(明治元)、新政府は竹川家に対して幕府御為替御用金を全部取り上げる旨通達し、これによって竹川家は事実上倒産。その後、竹斎は1882年(明治15)に74歳で亡くなった。

射和文庫の誕生

 竹斎が射和文庫を設立したのは、1854年(嘉永7・安政元)。このとき、竹斎は家督を嫡子に譲っている。
 その動機について、『射和文庫納本略記』には次のようにある。
「若い頃より書を読むことが好きだったけれども、(略)借本は不便なのと遠慮があって、
どうしても身につかない。なんとかして生涯の中には文庫を建て、万巻の書物を納めて、後世に残し、好書生のために自由に本を読ませてやりたい」

 この「不便」について、日記では「おしんで本を貸したがらない人がいる」と書いている。
 また、自筆年表には「この時、わが国の急務は富国強兵にある。その富国強兵への本は
農、商を富ますことにある。農商を富ます道は文庫にあるから、若年より出来るだけの努力をして書物を集めてきた」とある。


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〇『竹川竹斎翁自筆年表』

 文庫の規模については、年表に「文庫、書院を創設して、書籍一万巻、古書画、古物を
納めた」とある。竹斎の親戚や交流のある人々からの寄贈もあった。その中には、伊勢外宮の
禰宜で国学者の足代弘訓もいた。
 江戸時代、商人や武士が個人で蔵書を持つようになり、そのコレクションは「◎◎文庫」と名付けられた。それは江戸、京、大坂だけの現象ではなかった。

 小津久足は、小津党に連なる伊勢商人で国学を学び、「西荘文庫」を創設した。本居宣長の孫弟子で、滝沢馬琴とも交流した。紀行家の側面もあり、その久足の幻の紀行文が発見されたという設定の小説が乗代雄介『皆のあらばしり』(新潮社)だ。
 4つの名前を持ち、さまざまな活動をした小津久足から江戸社会を見つめた、菱岡憲司
『大才子・小津久足』(中公選書)によれば、伊勢は和学、茶、本草学、御師など、さまざまなつながりで文化圏を形成していたと指摘する。竹川竹斎の射和文庫もこの文化圏から生まれたものだと云えるだろう。

 そして、伊勢商人は財力とともに、三都からの情報をいち早く入手するネットワークを
築いていた。
 勝海舟の自伝『氷川清話』には、竹斎との出会いのエピソードが記されている。
 貧乏だった海舟が日本橋の小さな本屋で立ち読みをしていると、函館の商人・渋田利右衛門に目を掛けられ、書物を買う金を渡される。その渋田が自分が死んだら頼りにしろと紹介してくれたのが、灘の酒屋・嘉納治右衛門(嘉納治五郎の父)、日本橋の浜口儀兵衛(梧陵)、
そして「いま一人は伊勢の竹川竹斎という医者で、その地方では屈指の金持で、蔵書も数万巻あった」。

 海舟は竹斎の14歳年下だった。二人は何度か会い、ひんぱんに手紙をやり取りしている。1860年(安政7)、咸臨丸を指揮してサンフランシスコに到着した勝は、現地で撮った写真を竹斎に送った。そこで勝が手にしている太刀は、竹斎が贈ったものだった。

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〇『勝麟太郎物部義邦君 航海日記』

世界を見据えて

 射和文庫の蔵書は、あとで述べる経緯をたどって、竹斎の子孫が大切に守ってきた。
 1978年からは大学教員が中心となり、射和文庫の蔵書整理を開始する。1981年には『射和文庫蔵書目録』として刊行される。
「この頃、私は本居宣長記念館に入ったばかりでしたが、この作業に参加したんです」と、
吉田悦之さんは振り返る。
 当時、蔵書を守っていたのは、竹川裕久さんの両親だったが、没後、貴重な資料を引き継ぐことになった。

 裕久さんは、私たちの求めに応じて奥の書庫から、次々に資料を取り出して見せてくれた(以下、『幕末のチャレンジャー 竹川竹斎』松阪市立歴史民俗資料館、参照)。
 たとえば、『新訂万国全図』。幕府天文方の高橋景保が作成した地図を、竹斎と弟(のちに国分家を継ぎ国分勘兵衛となる)で写したもの。

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〇『新訂万国全図』

 竹斎は1853年(嘉永6)に『護国論』を著す。同書は「経済面の得失論から、いかにして
外国船を退治して国を守るかという海防論で、交易拒絶論であった」(岩田澄子「竹川竹斎『護国論』1」、『武蔵野学院大学日本総合研究所研究紀要』第16輯、2019)。勝海舟の
弟子を通じて、幕府や朝廷にも提出された。しかし、翌年に著した『護国後論』では、開国論を主張し、そのためには知識を世界に求め、視野の広い人物を養成すべきだと述べた。

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〇『護国論』と『護国後論』

「竹斎は江戸とのネットワークを通じて、世間の動きを知っていました。1860年(安政7)に起きた桜田門外の変についてもいち早く情報を得ていました」と裕久さんは云う。
 射和文庫に所蔵されている『川船の記』は裏千家流の茶の本だが、うち一冊には途中から
桜田門外の変に関する記録が差し込まれている。
「竹斎が茶書に偽装し桜田事変の資料の存在を隠した理由は、子孫の身の安全のためだったと思われる」と、岩田澄子は前掲論文で推測している。竹川家でも同書は「秘書」として扱われていたそうだ。

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〇『川船の記』

 また、『馬可伝福書略解』は新約聖書の翻訳だが、竹斎は横浜開港と共に来日したアメリカ人宣教師で医師のヘボンから同書をもらったという。竹斎は英国公使パークスとも交流があった。

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〇『馬可伝福書略解』

 さらに興味深いのが『反故帖』と呼ばれるスクラップブックだ。大きな帳面の両面に手紙やメモ、絵図、写真などが貼り込まれている。
「本居宣長の没後五十年祭の資料、米国総領事ハリスの70歳の記念品リストとか、裏千家家元の手紙など、種々雑多なものが貼り込まれています」と裕久さん。その物量感に圧倒される。1985年には『射和文庫反故帖目録』が刊行された。

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〇『反故帖』1              〇『反故帖』2

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〇『反故帖』3

また、書院には手紙や絵を貼り込んだ屏風も置かれていた。

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〇屏風

 75冊におよぶ竹斎の日記も残されており、松阪大学地域社会研究所で翻刻が進められ、
完成した。
 竹斎には博物学的な関心もあり、火浣布(防火用の布)、アイヌ神仏石、古代瓦などが
残されている。同じ松坂に生まれた松浦武四郎がさまざまなモノを集めたことは、本連載の
第25回で触れた。その武四郎は少年の頃、射和延命寺の物産会(コレクションの観賞会)に
オランダの硬貨を出品しているが、この会を主催したのが竹斎だったのだ。

また、竹斎は大和の山伏から早歩きの術を伝授されたといい、射和文庫には『神足歩行草目録』などの巻物が残されている。全国を歩き回った松浦武四郎も、竹斎からこの歩行術を学んだのかもしれない。

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〇『神足歩行草目録』

時代に翻弄されて

竹斎は多くの書物と、各地の知識人とのネットワークにより知識を深め、地域や国家のために尽力した。
 これらの蔵書をもとに、竹斎は射和文庫を次のような場にしたいと考えた。
「月々三の日を以て、老若を問わず、有志を集めて、書を講じ、釜をかけて茶の道を教え、兼題をもうけて歌をよませ、あるいは香をたいてそれを聞き、盆山石を鑑賞したり、道徳を論じたりして、知識を広げることを教育の主眼とした」(自筆年表)
 一種の私設学校を運営しようとしていたのだ。
 しかし、竹斎が持病に苦しんだことや、竹川家が倒産したことから、実際にはあまり活用されなかったと思われる。

 それでも竹斎は射和文庫を守ろうとした。
「竹斎は日記に、文庫と書院を永久に残すこと、本家が衰退してもそれに関係なく文庫は東竹川家に属することなどを記しています。また、『覚書』では、将来文庫を廃する物がいれば、生き返って再び文庫を興すとも書いていました。すごい執念ですね」と、裕久さんは語る。

明治維新を迎えると、太陽暦や断髪、徴兵令など新政府の政策を率先して受け入れている。
自身もいち早く洋服を着用した。
また、「文明開化の世の中で、牛肉を食べないようでは」と来客に勧めたので、竹斎を敬遠した人もいるという。
しかし、そのように開明的な竹斎に、明治政府は厳しかった。

1871年(明治4)の廃藩置県では、射和文庫に与えられていた扶持料や貢租免除などの
権利が失われた。
1873年(明治6)、射和に官立学校が設立される際、文庫の蔵書から3000冊を寄付しようとした。しかし、当時の渡会県では書籍の価値が判らず、反故紙同様に一貫目いくらで見積もり、金に換えて献納させようとしたので、竹斎は怒って寄付を辞めた。射和文庫には「納本
一万巻之内」という印が残る本があるが、このときのものだろうか?

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〇「納本一万巻之内」の印

その後も同じようなやり取りがあり、県からの通達により、1876年(明治9)、竹斎は
思い切って蔵書の一部を古本屋に売却した。
「竹斎没後、文庫の書籍は邪魔物扱いにされ、一時射和村役場の二階におかれ、大正時代の
台風の時、壁の隙間から雨水が入り、壁際にあった多くの本が濡れてしまったこともあり、
久しい間きわめて不遇な扱いを受けていたのである」(『復刻 竹川竹斎』)

 どんな貴重な書物であっても、その価値が判らない人にはゴミ同然なのだ。そして、
個人が心血を注いで蒐集した蔵書は、無理解のまま散逸してしまうことが多い。
 幸い、昭和のはじめに竹斎の子孫が自宅に倉庫を建て、そこに資料を移したおかげで、
現在も受け継がれているのだ。
 裕久さんは「そういう資料はあるとは知っていたが、親からはとくに何も聞いていなかったんです」と微笑む。自治体や組織に頼らず、個人で守っていくのは大変な苦労があるはずだが、裕久さんはごく自然にその役割を担っているように見えた。

 松浦武四郎記念館、本居宣長記念館、そして竹川竹斎の射和文庫。3つの資料館を取材して、松阪(松坂)の文化の奥深さに触れたように感じた。




南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

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懐かしき古書店主たちの談話 第7回

懐かしき古書店主たちの談話 第7回

日本古書通信社 樽見博

「日本古書通信」の定期購読者には今も綴じ込みカバーを謹呈している。PCが普及する
前は、タナックというカード式の印刷機で宛名を封筒に直接印刷していた。カードの管理は、
八木福次郎の妻たね子さんがしており、カバー送付用の封筒宛名はたね子さんが手書きして
いた。非常に達筆な方であった。カバーを封入して発送するのは私の仕事で、どんな読者が
いるかがそれで分かった。こんな有名な人が定期読者なんだと感心しながらゆっくり作業していたら、八木から怒られたことがあった。

 俳人の楠本憲吉さんや、評論家森本哲郎さん、パンダ飼育で有名な中川志郎さん(この方は私と同郷で、一度原稿を書いて頂いた)など著名な方が少なくなかった。寄席文字の橘右近さんも読者で、何というのか法被股引草履姿で事務所に来られたこともある。その名を見て嬉しかったのは児童読み物作家の山中恒さんだ。

既に「ボクラ少国民」シリーズも出されていたが、何と言っても、『ぼくがぼくであること』(実業之日本社・1969)の著者として敬愛していたからだ。1973年にはNHKのドラマにもなっており、私はそれで知った。主人公は小学校六年生。自意識の目覚めや独立心が
テーマだ。子供だから意味があるので、いい大人が高らかに歌う意識改革ではない。
大人になったら、大切なのは他人を認めることだ。70歳を前にして強くそう思う。

「日本古書通信」の編集を始めて最初に原稿依頼したのは山中恒さんだった。電話すると喜んで承諾してくれたのだが、期日になっても原稿が届かない。恐る恐る電話すると「そうだったね、明日までに送るようにするよ」と言われる。図版が必要ですから撮影を兼ねて伺いますというと、少し困ったようにそれも自分でするよ、とのことだった。無事原稿は頂いた。

しかし1年後に知ることになるのだが、この時奥様が亡くなられた当日だったのだ。電車の中で「朝日ジャーナル」を読んでいたら、山中さんがコラムを書いていて、奥様を亡くされた
後のことを綴っていた。そんな中でも約束の原稿を書いてくれたのだと、申し訳ない気持ちで一杯になった。

 前書きが長くなったが、その山中さんが親しくされていたのが、昨年8月に亡くなった
(この連載で最初に取り上げた)青木正美さんと、町田市の二の橋書店の先代田中貢さんだ。
二の橋さんは、昭和の最末期、古書組合の機関誌委員となって「語りつぎたい古本屋の昭和史」を9回の連載として企画された。昭和62年4月の301号から63年8月の309号までだ。連載の冒頭、平畑静塔、三谷昭、仁智栄坊の俳句を引用し、昭和15年に起きた「京大俳句事件」を戦前の異常な思想統制の実例として紹介している。

二の橋さんは古本屋としては二代目で先代田中義夫さんは昭和5年に墨田区竪川(現在は立川)で古本屋を開業、元は鼈甲職人だった。若いころから俳句の運座に参加し、俳書を得意とした。二の橋さんも戦時資料を専門にする前は先代と共に『俳書目録』を出すなどしていた。それが冒頭の出だしに反映したのだろう。「古書月報」の余白に埋め草として義夫さんの近作6句を紹介している。


 浅草も夏植木市二度済ます

 日の色に朝から負けて葛桜

 旅戻り南部風鈴鳴らし見す

 神輿荒れて神主と馬遠くゐし

 夕蝉や自分の時間でも淋し

 安住の地は友遠し青葉木莵


 義夫さんは、俳人として石田波郷、楠本憲吉、西東三鬼、秋元不死男、山本健吉などとも
親しかったようだ。俳句から浅草恋しの想いが伝わってくる。(平成4年没・95歳)

「語りつぎたい古本屋の昭和史」では、「古書月報」から思想書販売に対する統制や弾圧、
古書の公定価格制度に関する記事や、出征組合員への措置に関する記事などを二の橋さんの
コメントを添えて紹介するほか、昭和23年の帝銀事件に危うく遭遇する所だった春近書店
林甲子男さんの話(後にその時の林さんの記憶が銀行周辺の泥道状態を示す再審請求の資料となった)。戦時中の状況を知る本郷の文生書院小沼福松さんや考古堂書店柳本信吉さん、
琳琅閣書店斎藤祐次さん、四ツ谷の古瀬書店古瀬英一郎さん、前回少し触れた秦川堂書店永森慶二さんが当時の思い出を書いている。またその永森さんと、高円寺の都丸書店都丸茂雄さんへの聞き書きもある。

 都丸さんには、私も昭和58年3月にお話を聞いて記事にした(専門店と語るシリーズ)。60年代から70年代初めに多少とも社会科学に興味のあった学生なら知らない者はいない古書店であり古書店主だった。入社して4年目、まだまだ駆け出しだったが、ぜひ会ってみたい
古本屋さんの一人であった。今、改めてこの時の記事を読むと実によく纏められている。

都丸さんが原稿を事務所に届けてくださったのを覚えているので、丁寧に修正されたためだろう。あるいは全て書き直されたのかもしれない。その記事にも出てくるが、友人の川名書店
川名信一さんが人民戦線事件で起訴され豊多摩刑務所で獄死した。二の橋さんのインタビューでも「非業の死をとげた川名信一氏の死は、わが業界に係る悲しい昭和史の一齣と是非記憶して欲しい」と語られている。(平成9年没・89歳)

 また、永森さんは、二の橋さんの父上に言わせると「五世羽左衛門そっくりのいい男」。
前回も書いたが、フランス人の血を引く美貌で知られた名優市村羽左衛門を連想させる美男子だったのだ。

 さて、二の橋書店田中貢さんには、2003年(平成15)2月号に「俳書から戦時資料へ」をご寄稿頂いている。「古本屋の話」と題した連載で、玉英堂書店斎藤孝夫さん、中野書店
中野実さん、小島書店小島正光さん、一心堂書店水井みつ子さん、根元書房佐藤久夫さん、
大雲書店大雲健而さん、金文堂書店木内茂さん、棚沢書店棚沢孝一さん、由縁堂書店相川
章太郎さん、杉原書店杉原彰さん、木本書店木本忠士さんにインタビューして記事にした。
水井さんだけは当社の折付が担当した。

 二の橋さんは、大正15年本所松坂町の生まれ、昭和17年に都立第三商業を卒業、京浜急行を経て、陸軍気象部技術要員となった。立川飛行場にも勤務したことがあった。昭和20年3月10日の東京大空襲では母上と三人の妹さんを亡くされている。ご自身も川に飛び込み一命を
得た。疎開していた草加から戻り昭和21年に浅草で再開、二の橋さんも結婚してお子さん
(現在の二の橋書店主)が出来たことを機に店を継いだ。昭和52年には父上の喘息のことも
あり鶴川に移転。店の一部を昭和史のコーナーにしていたのを、前記の山中恒さんが見て、
専門にすることを奨めた。

 戦時資料を中心とした昭和史資料の目録『戦塵冊』は山中さんの命名。今、私の手元に
第11集(平成11年)、13集(平成14)、15集(平成17)がある。探せばもっとあるはずだが残念ながら出てこない。B5判で、95~114頁、毎号36項目に分類した3000点から
4000点を掲載している。表紙裏の「御挨拶」が毎号素晴らしい。


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 第11集 叔父から形見のSPレコードを多量に貰った。昭和初期から昭和十五年頃の歌謡曲が主で目録作成の傍ら何曲か聴いた。やるせない世相を反映した「女給の唄」。大陸へ大陸へと追いやった「夕日は落ちて」「満洲想えば」そして「国境の町」等々・・・・。国策にそって作られたと言われているが、戦時歌謡を含めてその根底にあるメロディーは反戦的です。

 第13集 有事関連三法案と物騒な法律が審議されている。国家総動員法の復活はゴメンです。一昨年当店がある古書目録に「危険物に関する資料」といったものを載せた時です。早速防衛庁、及び警察庁公安がどんな内容のものなのか、販売先は・・・と事情聴取に来ました。私は昔、軍屬属で赤表紙のもの(極秘扱いの書類など)を取り扱っていた経験がある。販売先の可否判断の常識は持っていると話したら納得したらしい。(これらの法律が通ると)これからは、もっとこんな事が起こらないという保証はない。

 第15集 「現代版‐治安維持法」の異名すら持つ法案、名前からして恐ろしい「共謀罪」だ。国際組織犯罪防止条約の批准のための新設法と言うのだが、それは口実であって勝手に
解釈して適用した、横浜事件、俳句弾圧(京大俳句事件)の例の如く悪法治安維持法の再現なる危険性の法案です。夢よもう一度、が忘れられない勢力がある事、二の舞だけはゴメンだ。監視しなければ・・・。

「古書月報」の連載「語りつぎたい古本屋の昭和史」に、戦後の「古書月報」87号に中島春雄さんが書いた「古本屋弾圧事件の思い出」が再録されている。その中に発禁故に売れる思想書を大っぴらに扱って逮捕された渋谷のN書店の事が出ている。拷問を受けたのか仕入れ先や
販売先を話したことで検挙された人や業者が多数出たことが書かれている。この連載の最初にも書いたが、古本屋が活躍するのは災害や戦災からの復興期であった。本の得難い時代には人々は競って本を求めようとする。無謀な思想統制で価値ある書物を破棄するのも文化への
冒涜なら、機に乗じて闇で暴利を貪るのも冒涜である。二の橋さんが公安関係者へ「販売先の可否判断の常識は持っている」と毅然と対されたことは、古書を扱う者の範とすべきことだと思う。

 終戦の昭和20年に生まれた方も間もなく80歳である。古書業界全体を見ても戦前を知る方はごくごく稀になってしまった。二の橋さんが担当された「語りつぎたい古本屋の昭和史」は貴重な記録である。自らの重い経験が下地としてあるから思いのこもった連載となったのだろう。(令和1年没、94歳)

 私も拙いながら古老の古書店主たちの話を残せてよかったと思う。次回からは東京以外の
古書店主の談話を紹介したい。

(「全古書連ニュース」2024年5月10日 第500号より転載)

※当連載は隔月連載です

日本古書通信社
https://www.kosho.co.jp/kotsu/

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『佐野繁次郎装幀集成 増補版』作成について

『佐野繁次郎装幀集成 増補版』作成について

西村義孝

 『佐野繁次郎装幀集成』は2008年11月に刊行されました。佐野繁次郎装幀本の蒐集の
きっかけは、『sumus』2号(2000年1月発行)特集「画家の装幀本」の中のひとつ林哲夫氏
「佐野繁次郎」でした。

 佐野繁次郎が装幀した辻静雄の著作は既に所蔵しておりました愛読書として。佐野の文字を使用した作品である装幀本をもっと見たくなり、画集がないこともあり装幀本だけでなく雑誌の蒐集が始まりました。

 当時、宰相吉田茂の息子、吉田健一の著作本、翻訳本を蒐集しておりました。その時に身についた探索要領が役立ったようです。蒐集した結果が、2008年6月にアンダーグランドブックカフェのイベントで「佐野繁次郎の装幀モダニズム展」が神保町の古書会館で開催され、同年3月に「spin03 佐野繁次郎装幀図録」が作られました。その図録がきっかけで『佐野繁次郎装幀集成』となりましたものです。昨年、増刷のお話がありました際、神保町の古書会館で
佐野繁次郎の展示会が6月開催と決まっており、それに合わせて増補版の作成・発行をお願いしたものでした。

 増補版の画像は、2008年の発行以降に新たに蒐集できた装幀本、雑誌は自宅のスキャナで取りました。大きいサイズの装幀本(『フランス料理研究』、『ヒロシマ』他)、パピリオ
化粧品のパッケージ、レンガ屋のメニュー、灰皿、トランプ、クッキー缶、マッチ他、
『ヒロシマ』の装幀画稿、『巴里風物誌』の挿画を版元のみずのわ出版柳原氏へお送りし、
カメラ撮影とスキャナに振り分けられ、撮影は柳原氏が、スキャナは印刷の山田写真製版所が担当されました。更新されたリスト含め校正と印刷立ち合いを柳原氏が対応されました。

 増補版のブックデザイン、前回と同様に林哲夫氏が担当され、出来上がった増補版は、前回と同じタイトルながら構成、レイアウトが違う別な本となっております。カバーの表は前回を踏襲していますが、カバー裏、表紙、裏表紙は増補版用に新しく作って下さいました。
 カバー用紙の余白が出ることから、柳原氏と林氏とで相談され『裸のデッサン』という佐野の画文集の冊子も作られました。

 そして印刷の凄腕が見られます。具体的には、表紙、裏表紙に使われた『ヒロシマ』の装幀画稿の切り貼りされた凹凸が見えるように印刷され、書簡の薄い文字もハッキリ読めます。
画像がクリアです。

 佐野の文字が、デザインを意識された装幀の文字、普段の文字で書かれた草稿(『ヒロシマ』の内容見本用他)と書簡(山内金三郎宛)と見比べることができます。特に書簡では印刷のお願いが詳細に綴られています。

 もともと蒐集が好きでしたが、佐野が携わった印刷物の作品は、あの独特の文字、色使い、描かれている人物・風景といずれも佐野繁次郎と分かる技、印刷のもとになる装幀画稿、原画も手に入れて印刷物となるまでが反映出来ました。
 今後ももっと見たくなる更に深みの世界へ散策が続きそうです。増補版から紙の本を直に
見たい、触りたいきっかけになれば幸いです。
 
 
〇カバー表紙(左:前回本、右:増補版本)
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〇カバー裏表紙(左:前回本、右:増補版本)
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〇佐野の画文集の冊子『裸のデッサン』
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※6/28キャプションの一部を修正いたしました
 
 
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『佐野繁次郎装幀集成 増補版
―西村コレクションを中心として』
西村義孝 著
みずのわ出版 刊
6,930 円(税込)
ISBN:978-4-86426-053-4
 
好評発売中!
https://mizunowa.com/pub/845/
 

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新刊『もっと調べる技術』――ベストセラーの続編は、推し活、趣味、本の本でもあるのです

新刊『もっと調べる技術』
――ベストセラーの続編は、推し活、趣味、本の本でもあるのです

小林昌樹(『近代出版研究』編集長)

ベストセラーの続編を書きました

 在野研究者のため、トガッた文献参照法を紹介するメルマガ連載を本にまとめたところ、
3万部ほど売れました。その前著【図1】については以前、こちらの日本の古本屋で自著紹介をしたことがあります。
 けれど、本を出した2週間後に国会図書館(NDL)のデジタルコレクション(大規模電子図書館)が大幅に刷新され、その後ネットで直接見られる範囲も大拡大。調べる環境がガラリと変わったので、版元に請われて続編を書きました。それが6月末に発売された『もっと調べる技術』ということになります。

【図1】前著『調べる技術』
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事例の多くが私の趣味や研究がらみ

 中身は、本の探し方(分類で探す)、ビジネス人やアイドルの調べ方、言葉の流行りすたりや来歴の調べ方、ファミリーヒストリーの調べ方、無料のWEBツール(国会図書館サーチ、国会図書館デジタルコレクション)の使い方などです。版元HPに目次一覧があり、「試し読み」もできるようになっています。
 要するに汎用ネット情報源の使い方を書いたものなのですが、なんにでも使えるツールは、何に使えるかを例示しなければ、どう「使い物」になるのかが分かりません。そこで多く
使ったのが、自分の趣味や研究がらみの事柄でした。

模型店の歴史を調べる

 本のもとになった連載は在野研究者のために書かれたもので、本来、趣味の研究などに
使えるようなノウハウを開陳したものでした。
 今回、ファミリーヒストリーの調べ方の章では、街の小さな店を調べるにはどんな資料を
どのように使えばいいかを説明したのですが、事例として模型店(のち特化してプラモデル屋)を用いました。
 そこでは古い電話帳、住宅地図といった汎用ツールから『ホビージャパン』『航空ファン』といった趣味雑誌【図2】の活用法が書かれています※。しかし模型趣味に限らず、例えば
手芸など他の趣味の店を調べる際にも使える技術だと思います。
 
【図2】趣味雑誌の活用法:広告を使う
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※第8講 小さなお店の歴史を調べる ある模型店を事例とした生活史
 

推し活をする――アイドル文献を調べる

 以前、雑誌図書館の大宅壮一文庫に京王線で行った際に、八幡山駅から行く途中にカルチャーステーションというアイドル文献専門の古書店があってビックリしました。察するに、大宅文庫にアイドル文献を調べに行く人達向けにそこへ開店したものでしょう。つまり、意外と
アイドル文献【図3】を調べたいというニーズは強く世の中にあるのです。今回の本にはアイドル文献の調べ方も書きました。もちろん古本購入も視野に入れて。
 
【図2】ファンクラブ会誌はどこでゲットできる?
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本の関係者を調べる

 ビジネス人を調べる方法では、巨大古書店創業者、巨大図書館産業社長、巨大図書館副館長、そして出版研究者(私です)といった4人がどのように調べられるかを例示しました。
 公式ネット情報源である金融庁などのデータベースやウィキペディアの人物項目などが比較参照されています。前著では、戦前の人物など現役でない人々を調べる技術が開陳されていたので、続編では現役の人が現在、ネットなどでどこまで確かなものとして調べられるか実践したわけです。歴史的な出版関係者などの調べ方は私が主催する雑誌『近代出版研究』の3号に特集「調べる技術」があるのでそちらを参照ください。

「よむ」という言葉の語源や意味の変遷

 言葉の来歴(語誌)の調べ方では「よむ」という日本語の意味の起源や成り立ちについて
研究文献が集められるかどうかを試しました(語源や意味の変遷を書いた文献を「語誌」といいます)。調べていることの根本的な基礎単語の意味を再確認することになり、これはとても勉強になりました。
 もちろんそのスジでは基本的な、語誌文献の専門書誌にあたったわけですが、本居宣長以来の語誌説に異説を唱える兵藤裕己説は専門書誌で見つけることはできませんでした。兵藤説は友人の文献魔というか古本マニアに教えてもらったという次第です。
 これも語誌の一環ですが、言葉がすたれる(使われれなくなる)時期については明治初めlibraryの定訳「書籍館」がいつ頃「図書館」に代わったのか、どのように調べればよいかも
試してみました。

 ということで、本書は「本の本」でもあるのでした。ハウツー本でもありますが、情報エッセーでもあるので、「立ち読み」でもして、楽しんでくださると幸いです。
 
 
小林昌樹(こばやし・まさき)
 1967年東京生まれ。1992年慶應義塾大学文学部卒。2021年国立国会図書館を早期退官し、慶應義塾大学でレファレンス論を教える。近代出版研究所主宰。近代書誌懇話会代表。
専門は図書館史、近代出版史、読書史。
執筆リスト
 
 
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『もっと調べる技術――国会図書館秘伝のレファレンス・チップス2』
小林昌樹 著
発行元:皓星社
ISBN: 978-4-7744-0832-3
定価:2,200円(税込)

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古本屋なしにはできなかった『麻雀漫画50年史』

古本屋なしにはできなかった『麻雀漫画50年史』

V林田

 2024年5月に文学通信より刊行された筆者の初単著『麻雀漫画50年史』は、タイトル通り、専門誌『近代麻雀』(竹書房)が刊行され続けているなど日陰者気味ながら日本の漫画シーンの中で独特の地位を築いている「麻雀漫画」というジャンルについて、その発祥から現在までの歴史をまとめたものとなります。

 この原稿を読んでいる方の多くは、麻雀漫画というジャンルについて、『ぎゅわんぶらあ
自己中心派』『哭きの竜』『アカギ』『咲-Saki-』などといった一部の有名作品については
読んだことがあるか名前を聞いたことがあるかはあっても、ジャンルの全貌についてはあまり
ご存知ないことでしょう。

「読み捨て」的な要素が強い大衆娯楽ジャンルであることから評論などの場で取り上げられることは少なく、作家や作品、専門誌の数々はかなりが忘れ去られているためです。
例えば80年代の一時期は、竹書房以外にも徳間書店、芳文社、双葉社、笠倉出版社など様々な会社から、なんと15の専門誌が同時に刊行されていたという、漫画雑誌史上でもそうそう見られない事態が発生していたのですが、そう聞いても「初耳」「信じられない」などと思う方がほとんどだと思います。

 筆者は、そんな麻雀漫画について、11~19年に『麻雀漫画研究』シリーズ(全22号)と
いう同人誌上で、関係者(漫画家、原作者、編集者等)へのロングインタビューを行ったり、これまでに発刊された麻雀漫画単行本を可能な限り(9割方は押さえられたと思います)収集してレーベルごとにまとめて紹介したり、国会図書館や明治大学米沢嘉博記念図書館、旧現代マンガ図書館に収蔵されている麻雀漫画誌の収録作品リストを掲載したりといった調査を続けてきました(「なぜそんなことを?」と思われる方もいましょうが、誰も調べてないことを調べてたら楽しくなってしまったので、成り行きで……)。

そして、その研究成果を通史の形でまとめたのが本書となるわけです。空前の本になったと自負しています(こんなことの研究に人生のリソースを割こうと考えるアホはいないので)。

 それにしても、この研究では古本屋に本当にお世話になりました。近年でこそ過去作の電書化も増えてはいますが、収集し始めた当時は、過去作については当然ながら古本屋を頼るしかない状態。この麻雀漫画というジャンル、マニアがついているごく一部の作家(官能劇画を描いていた人など)を除けば単行本にプレミアが付いていることはほとんどなく、金銭的な意味では苦労があまり大きくはありませんでした。が、それは同時に、「価値がないので、専門の古本屋でもあまり置かれていない」ということ。ウェブ通販やネットオークションの検索画面にタイトルを入れても梨の礫という本も少なからずあり。

 というわけで、収集は足で探すことに頼らざるを得ませんでした。まず優先的にローラー
して回ったのは、いとうグループやほんだらけといった、現在はだいぶ店舗が少なくなった
(いとうに至っては気がつくと全店舗なくなってますね)郊外の大型古書店チェーン。
こういう店は、10年単位で棚から動いてなさそうな外道でも枯れ木も山のにぎわいとばかりに棚に刺さっていたり、ホコリが積もった全巻セットが棚の上に放置されていたりとかがよくあったんですね。

今は亡きほんだらけ越谷蒲生店なんかは、なぜかは不明ですが、最高レベルに古の麻雀漫画
単行本が充実していたので今でも強く印象に残っています。大きな道からのアクセス優先で
駅からは微妙に遠い店が多くて、免許のない身にはしんどいところもありましたが。

 次に見て回ったのは、郊外の町にあって近隣住民の売り買いがメインと思われる、ある程度年季の入った古本屋です。Googleマップで当たりをつけ、「古本屋ツアー・イン・ジャパン」さんのブログ内を検索してみては、漫画の取り扱いがあるかや外見写真といった店舗情報をチェック。特に、入口にコンビニ版コミックスを並べた均一台があったりするようなところは積極的に押さえに行きました。

これは、麻雀漫画にはコンビニ版でのみ単行本化されている作品がそれなりにあったりするのが理由です。このような古本屋参りの果てに、本棚の半分くらいが麻雀漫画単行本で埋まり、棚の上には古雑誌を詰めた段ボールが積まれている家が生まれました。

 なお、集めた資料の一部については、2024年7月12日~20日にかけて、東京古書会館2階にて「麻雀漫画の歩み展」として展示いたします。貧乏人御用達のワンルームアパートで同居するには正直無理がある量(冷蔵庫を置くスペースさえ捻出できていない)なので、筆者としては前から「本を書いたら大半は然るべき図書館等に寄贈したい」と言い続けているのですが、「せっかくなので処分する前に展示しましょう」という話になったものでして。興味を持たれた方はこのイベントもよしなに。

 
 
V林田(ぶい・はやしだ)
1982年生まれ。神奈川県川崎市高津区出身。東京都立大学人文学部社会福祉学科卒業後、
古書店、時刻表編集、ライトノベル編集、業界新聞、ITベンチャーなど一貫性なく職を転々とした末にフリーライターとなる。『SFマガジン』『本の雑誌』等で記事を執筆しているほか、漫画総合情報サイト「マンバ」上でノンジャンル漫画紹介コラム『珍しマンガ探訪記』を連載中[https://manba.co.jp/manba_magazine_authors/32]。

並行して、同人サークル「フライング東上」で、埋もれた麻雀漫画作品や大ファンである
ほんまりう氏の漫画作品を復刻したりもしている。その他、kashmir氏の漫画『てるみな』(白泉社)の幕間コラム執筆、『ハヤカワ文庫JA総解説1500』(早川書房)の一部執筆、
アダルトゲーム『なつくもゆるる』(すみっこソフト)の生物部監修などを担当。
本書が商業出版での初単著となる。第二単著として、『本の雑誌』20~23年連載の鉄道書紹介コラム「鉄道書の本棚」の単行本化を準備中。

 
 
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『麻雀漫画50年史』
著者:V林田
出版社:文学通信
発売日:2024/5/30
定価:本体2,400円(税別)
四六判・並製・564頁
ISBN:978-4-86766-049-2 C0076
 
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大相撲の方向性と行司番付再訪【大学出版へのいざない19】

大相撲の方向性と行司番付再訪

根間弘海(専修大学名誉教授)

筆者は長い間、大相撲の行司に焦点を絞り研究を続けている。行司は、相撲の取組を裁く
審判者としてだけでなく、大相撲という組織を裏から支えてきた。また行司の世界は、力士の世界や相撲界と同様にその歴史はさまざまな変遷を経ている。いずれの世界も密接に絡み合っているので、どのテーマであれ、面白い研究になるのである。
 
 
本書では、筆者の今までの研究の中から大相撲関連の九つの話題を取り上げ、それぞれを論考形式でまとめている。ここでは、その中から二つの話題を取り上げて紹介しよう。
 
 
一つ目は、「大相撲の儀式や所作には一定の方向がある」ことである。たとえば、横綱・
幕内・十枚目土俵入りでは、先導する行司と力士は土俵を左回りに一周する。力士が一定の
所作をしているあいだ、行司は蹲踞し、軍配房を右→左の順序で振り回す。また、勝負の取組で勝った力士が賞金を受け取るとき、その勝ち力士は左→右→中央の順序で手刀を切る。

土俵祭では、方屋開口の祝詞を唱えた直後に軍配を左右に振ったり、土俵の四つ角にお神酒を注いだりする儀式があるが、その順序は左→右→左である。清祓いの儀式でも榊の枝を振り
かざすのは、左→右→左の順序である。触太鼓土俵三周の儀式では、太鼓を叩きながら土俵を三周するが、それは左回りである。
 
 
儀式や所作では、なぜ一定の方向で動くのだろうか。中にははっきりしていないものもあるが、それぞれに理由がある。左→右→左の順序は、神道に基づいている。しかし土俵を三周
するのが神道に基づいているのかどうかは、まだ明白にできていない。本書では、それぞれの儀式の理由付けに関しては深い説明をしていない。今後深く追究してくれる方が現れることを期待している。
 
 
二つ目は、以前の著作に論考として掲載した「明治元年から大正末期までの行司番付」を再び取り上げた。本書で新しく変わっているのは、それぞれの行司の房色や履物(草履か足袋)を詳しく提示してあることである。たとえば、紫房には四つの変種(総紫房、准紫房、真紫白房、半々紫白房)があるが、それを各行司に提示してある。また、朱房行司には草履を履く
行司と履かない行司がいるが、その履物の種類を明確に提示することができた。
 
 
本書の番付研究では傘型表記を現代風に並列(または横列)表記にしてあり、行司間の序列が一瞬でわかる。ただし、青白房・紅白房・朱房行司の境界では各行司の階級が必ずしも明確でないので、その階級の分け方には問題があるかもしれない。特に、明治元年十一月から明治
二十九年冬場所までの各行司の階級判別にはかなり苦労した。番付表や星取表、それに大相撲勝負一覧表などを活用したのだが、階級を区別する空間がなく、その判別はかなり難しい。
字の大きさや太さは参考になるが、絶対的ではない。明治三十年以前の行司番付や房色は、
立行司は別として、これまでほとんど研究されていない。本書はそれに一石を投じ、叩き台のつもりでまとめてある。
 
 
番付を調べていくと、朱房昇進の年月が明確に指摘できない行司がときどき出てくる。
たとえば、木村朝之助(のちの十八代木村庄之助)の朱房昇進年月はいまでも資料で確認できない。他方、昇格年月が間違って理解されている行司もいる。たとえば、木村瀬平は慶応元年冬場所に幕内に昇格したとしばしば文献に記述されているが、実はそうでない。というのは、慶応元年冬場所や明治元年冬場所の番付表を見るかぎり、そのような地位に記載されていないからである。

また、木村竜五郎(のちの十六代木村庄之助)は明治六年に幕下十枚目(青白房)だったと
されているが、実際は幕下格(黒房)だった。明治六年の番付表を見るかぎり、三段目の
真ん中(右から六番目)に記載されている。この分析は星取表の行司欄二段目左端が十枚目格の行司であるという前提に基づいている。この前提については引き続き、今後も検討しなければならない。これらは番付表や星取表の行司欄を、根気強く読み解き、分析して見つけた結果である。
 
 
この二つ以外の話題としては、四本柱の四色と吉田司家の関係、三十五代木村庄之助との対談記事、行司の自伝や雑誌記事などの間違った記述、昇格年月の不明な行司、行司の研究などを取り上げている。力士や行司のちょっとして所作や動作、使われている色などにも歴史や由来が隠されている。それらを掘り下げていけばいくほどに興味深い話題や視点が現れてくる。
取組だけでなく大相撲の世界は奥深く興味深いのである。
 
 
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『大相撲の方向性と行司番付再訪』
根間弘海 著
専修大学出版局 刊
3,300円(税込)
ISBN:978-4-88125-393-9
 
好評発売中!
http://www.senshu-up.jp/author/a93212.html
 

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