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『近代初期イギリス演劇選集』について  【大学出版へのいざない2】

『近代初期イギリス演劇選集』について  【大学出版へのいざない2】

鹿児島近代初期英国演劇研究会 代表  大和高行

 本書は、シェイクスピア以前のイギリス演劇で重要な4篇の作品の翻訳・訳注・解説を収録したものですが、そもそも本書誕生のきっかけは1997年6月にまでさかのぼります。当時、鹿児島の大学に赴任した同世代のシェイクスピア研究者が4人いて、授業の中でシェイクスピアの劇を原文で読むことは多いけれども、それ以外の作家についてはなかなか読むことはない。ならば、シェイクスピア以外の作家の演劇テクストで、じっくりと向き合うべき重要なものを選んで、訳出をし、解説も付してみよう、ということになりました。そして、最初に選んだテクストが、『ゴーボダック』(1565年) でした。

 『ゴーボダック』は、「ブランク・ヴァース」(blank verse)というシェイクスピアが得意とした詩型で書かれた英国初の本格的悲劇です。しかし、恥ずかしながら、そのような事実を知っていても実際にじっくり読んでみたことはなかったのです。

 本書に収録されている『ゴーボダック』(ノートン/サックヴィル)、『キャンバイシーズ』(トマス・プレストン)、『アーサー王の悲運』(トマス・ヒューズ)、『ダビデとバテシバ』(ジョージ・ピール) は一般に広く知られた作品ではありません。しかし、序章「シェイクスピアへの大いなる助走」が意味する通り、いずれも近代初期イギリス演劇の成立と発展に深くかかわり、演劇史的に重要で、シェイクスピア作品にも影響の大きい公衆劇場成立前後の時期の作品です。

 特に苦労したのは、450年以上前の近代初期の英語で書かれた戯曲を翻訳する際に、The Oxford English Dictionary (通称OED)という大辞典をひいて語義を決定しなければならないうえ、文脈に合った適切な日本語で訳さなければならなかったという点です。たとえば、『キャンバイシーズ』第5場38行の “relief”は、野球のリリーフでもなじみがあるとおり、現在では通常「安心」や「救援」の意味で使われますが、それを「生活の糧」と訳しました。これは OEDの “relief2” の語義3.†b. Sustenance. Obs. を採用した次第です。

 また、シェイクスピアとは違って注釈や特定作家の作品の語彙に関する辞典の類がきわめて少ない現状にあって、原文の意味が効果的に伝わる訳出になっているかどうか、台詞としての通りはよいかどうか、という点にまで気を配り、研究会メンバーで侃侃諤諤の議論を行いました。時には逐語訳を、時には意訳を選んで、最良の翻訳となるように心がけました。微妙なニュアンスをよりよい日本語表現で言い表すために、かなりの時間を要した箇所がたくさんあります。

 終章は英国ルネサンス期演劇の訳書刊行の状況を総括する書誌学的資料となっていますが、この分野の簡易目録としての価値に注目していただければ幸いです。これは、各大学図書館を渡り歩いて実際に現物を確認できたものだけを掲載したものですが、意外な古書と出会う幸運に恵まれてリスト化できたものがたくさんあります。ざっと眺めるだけでも、この時代にこの戯曲の翻訳が出ているというように、我が国における翻訳史を確認することができるものと期待されます。

 一例を挙げれば、『世界戯曲全集 第4巻 英吉利古典劇集』(世界戯曲刊行會、1930年) には、英国ルネサンス期の演劇三作品、ジョン・フォオド『絶望』竹友藻風訳、クリストファ・マーロウ『フオオスタス博士』岸弘訳、ベン・ジョンスン『十人十色』北村喜八訳が収められていますが、どれも古風な日本語とはいえ名訳ばかりで、このような早い時期に画期的な翻訳集が刊行されたことに驚嘆せざるをえません。

 屋上屋を重ねるがごとく出版が途切れないシェイクスピア劇の翻訳に比してマイナーといえる劇作品群の翻訳の存在意義を是非とも再確認してください。この巻末に置かれた文献書誌が、本書に収録されている劇同様に楽しい世界が広がっている、ルネサンス期演劇の訳書の数々をお読みいただく新たなきっかけとなれば幸いです。

 出版を出産にたとえるとすれば、1997年6月の本研究会による輪読会の開始から、本書は何と四半世紀という随分と長い年月を経てようやく産声を上げるに至ったわけです。文字通りの「難産」でした。それゆえ、研究会メンバーにとりまして、望外の喜びであることは言うまでもありません。

 最後になりますが、本書は本邦初訳となる『ダビデとバテシバ』(美しいカバーデザインは「バテシバの水浴」(Betsabea al bagno)という絵画からとったものです!) をはじめ、一般読者によるアクセスが容易とは言えない作品への入り口を提供しています。4篇とも翻訳の完成度は高く、演劇の専門家や大学の学部生・大学院生だけでなく、一般読者においても通読して楽しめる内容に仕上がっていると思います。本書は新聞各紙等で取り上げられ、また、全国の殆どの大学や公立図書館にも入れられて好評を博した『王政復古期シェイクスピア改作戯曲選集』(九州大学出版会、2018年)に次ぐ翻訳シリーズの第二弾です。前著ともども、是非手に取ってお読みいただければ幸いです。

 
 
 
 
 


書名:『近代初期イギリス演劇選集』
著者名:鹿児島近代初期英国演劇研究会/大和高行・小林潤司・山下孝子・丹羽佐紀・杉浦裕子[訳]
出版社名:九州大学出版会
判型/製本形式/ページ数:四六判/上製/608頁
税込価格:6600円
ISBNコード:978-4-7985-0344-8
Cコード:C1074
https://kup.or.jp/

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