『最小の病原—ウイロイド』
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“ウイロイド”—この聞き慣れない名称は、1920年代北米から流行が拡がった塊茎がやせ細るジャガイモの病気から発見された病原につけられた造語で、それは菌類や細菌はもちろん、
ウイルスよりさらに小さな病原であった。発見から50年、本書はウイロイド研究の進歩をこの分野を専門とする著者が独自の観点からまとめたものである。 第Ⅰ章では本邦のウイロイド研究の幕開けとなったホップ矮化病について、まず、発生当時の状況とそれが世界に例をみない新病害であったこと、なぜそんな奇病が突如日本に出現したのか? 背後に潜む伝染源の探索とその結果見えてきたホップ矮化病発生の謎が解き明かされる。病原体というものは病気を起こすことで人々にその存在を知られ世に姿を顕わす。 第Ⅱ章はウイロイドの基本的性状に焦点を当てている。その本体はわずか数百ヌクレオチドの独自のタンパク質情報さえ担わない小さな環状1本鎖RNAである。しかしそれにもかかわらず、一旦宿主植物の細胞内に侵入すると、全てを宿主の機能に依存して自己複製し、感染細胞から隣接細胞、そして全身へと拡がる。そして、正常な代謝を攪乱して宿主を重篤な病的状態に陥らせ、深刻な農業上の被害を起こすのである。わずか400字詰め原稿用紙1枚程度の遺伝暗号文字(塩基配列)で構成されるRNAの鎖であるが、その中に存在する局所的な塩基配列や特異な分子構造に、複製、植物体内の移動、病原性発現に関わる機能、さらには多様な塩基変異を生み出して様々な宿主に適応する分子進化まで、多才な生物的機能を発揮する要素が詰め込まれていることが理解されるだろう。 第Ⅲ章は農作物生産の障害となるウイロイド病の伝染・流行を食い止めるための防除法の ウイロイドはジャガイモの病気から発見され、農作物の病原として研究が発展してきたが、第Ⅳ章ではウイロイドの有効利用の試みを紹介している。ウイロイド病の特徴の一つは植物が矮化することである。この性質を農業上の有用形質ととらえ、カンキツ類の矮性栽培に利用しようとする試みがなされたのである。たとえ個々の樹体は小さくなっても密植栽培することで、作業性の向上を図り且つ単位面積当たりの収穫量を上げることができるというのである。 最終第Ⅴ章はウイロイドとウイロイド病の起源を論じた章である。この奇妙な病原RNAは 本章では、まず、これまでに提案されたウイロイド起源説を解説し、次に、高等植物でしか このように本書は、ウイロイドという極小の複製体の分子構造、自己複製・増殖・移動機能、病原性発現機構から診断・防除、利用、そして分子進化と起源まで、ウイロイドとウイロイド病研究の全貌を描いたものである。先日、ある会合でウイロイドに関連した話をした際に、フィリピンの農学系大学院留学生から「ウイロイドという名前を初めて聞いた。あなたがこの研究をするきっかけは何か」という質問を受けた。フィリピンではココヤシを枯らすウイロイド病が大流行した歴史がある。まだまだウイロイドは馴染みの薄い病原のようだ。植物病理学、ウイルス学のほか、生物学、農学、微生物学、感染症学、進化生態学などに関心のある読者にも手に取っていただければ幸いである。 |
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