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『移民が移民を考える―半田知雄と日系ブラジル社会の歴史叙述―』 【大学出版へのいざない5】

『移民が移民を考える―半田知雄と日系ブラジル社会の歴史叙述―』 【大学出版へのいざない5】

京都外国語大学外国語学部ブラジルポルトガル語学科講師 フェリッペ・モッタ

 2023年は日本ブラジル移民115周年を記念する年です。「移民」という単語は多義的で、新天地を求めて越境する人、また具体的な歴史的事象をも指します。日本社会においては外国人労働者および難民をもっと受け入れるべきかどうかという問題が激論されていますが、日本にはかつて多くの人々を国外に送り出した過去があると意識している人はどのくらいいるのでしょうか。戦後に勝ち取った経済大国という地位は我々の「移民」に対する記憶を微妙なものにしたのかもしれません。しかし、送出国としての過去を認識しなければ真の国際化と多文化共生は不可能であり、空言で終わってしまうと感じざるを得ません。移民史研究はこのように、我々の「今」とも強く繋がっています。

 「移民」という言葉、そしてその事象に人生を根本的に変えられた人物がいます。半田知雄(1906~1996)はかつて日本がブラジルに送った移民の一人でした。子どもの時に親に連れられブラジルに渡った彼は、日系ブラジル社会と共に人生を歩み、「移民である」とはどういうことなのかを問い続けます。拙著においては、一人の移民として、そして移民知識人層の一人として日本ブラジル移民とはどういうものであったのかを突き詰めた半田の営為を見つめ、その葛藤の人生を論じました。

 本書ではなるべく移民が自ら叙述した一次資料を活用し、「移民」という歴史的事象がいかに論じられてきたかを明らかにしようと努めました。資料のデジタル化が進み、オンラインでアクセスすることもできましたが、できる限り現地の資料館まで足を運びました。「日本の古本屋」から入手できたものも多々あります。

 画家であり、移民史研究家であった半田知雄に注目することにより、自己の歴史を叙述する「移民知識人」という主体者の姿を浮き彫りにさせる目論見がこの研究の根幹にありました。というのは、移民研究者が「移民」を考え始めるよりもはるかに早い段階から、移民自身は自らの存在と歴史に向き合っていたからです。半田知雄の活動は孤立されたものではなく、芸術家の団体(聖美会)、知識人の集い(土曜会)、移民による文学(コロニア文学)などとも関わっていました。空間と時間において行われる「出会い」、それからその「出会い」が一人の人物の思想形成にどう働きかけるかを考えるにあたっては、本書にも記しましたが、安田常雄が渋谷定輔を対象に著した『出会いの思想史―渋谷定輔論』が大きな手掛かりになりました。安田は詩人、農民運動家と思想者という側面を持つ渋谷本人からの聞き取り調査と文献資料から渋谷の思想世界と大正デモクラシーの時代を考察しています。渋谷という個人の多面性、渋谷の著した『農民哀史』という知的・文化的産物、それから「出会い」をキーワードに一人の人間の思想史を辿った安田常雄の著作は、歴史研究の複雑性、思想経路の入り乱れと絡み合い、思想史・社会史・農民史の重複する様相を示しています。本書も、日系ブラジル社会の社会史に光を当てつつ、半田知雄をはじめとする日系移民知識人の思想史に貢献することを目標としています。

 半田の提唱により、移民が辿った経路を象徴する物質文化が集められ、現在のブラジル日本移民史料館(サンパウロ市)の開設にいたりました。同じように、半田は移民が書き残した記述を後世に残す必要性を常に説いていました。私も移民研究者の一人として、移民が自らの歴史を記すべく残したその蓄積に敬意を払い、それを踏まえる立場から移民史を考える必要があると思っています。

 本書は次のような構成です。半田の略伝を記したうえで、第一章では、日系ブラジル社会における知識人グループの存在と言論活動を、戦前の雑誌を素材に分析し、半田の大著である『移民の生活の歴史』(1970年)を論じました。第二章では、半田が生涯にわたって繰り返し立ち戻った少年時代の記憶をめぐる記述を、エゴ・ドキュメント論を起用して取り上げ、ナラティヴの再編としての歴史叙述を見つめました。第三章では、画家としての半田知雄の活動に注目し、移民自身が自らの「生活」を表象し、その表象が移民の記憶として受容されていくプロセスを取り上げました。第四章では、ブラジル日系社会史における最大の出来事である戦争と敗戦の経験を取り上げ、「勝ち負け抗争」の深い軋轢、さらに「他者」として立ち現れた戦後日本からの移民との出会いに至るまでの戦前移民の悩みが深刻化する状況を、コロニア文学を援用して論じました。そして、第五章では、文化伝承・言語・移民心理という三つのキーワードをたてて半田知雄の思想を体系的に考察しました。

 本書の五章すべてを繋げている糸は「移民」を理解したい、「移民」を説明したいという半田知雄の頑な意志ですが、その活動を汲み取ろうとする今の移民史研究者である著者の姿がそれに重なります。時には「叙述者」と「対象」との距離が伸びたり縮んだり、私と公が交叉し、領域が曖昧になることは半田の移民史によくあることです。それでも、主体性と客観性の均衡と闘いながら移民が移民を考えつづけました。歴史を叙述するとはどういう営みなのかを多角的に考えるきっかけになれば幸いです。

 
 
 
 
 


書名:『移民が移民を考える ―半田知雄と日系ブラジル社会の歴史叙述―』
著者名:フェリッペ・モッタ
出版社名:大阪大学出版会
判型/製本形式/ページ数:A5判/上製/318頁
税込価格:6,050円
ISBNコード:978-4-87259-759-2
Cコード:C3020
https://www.osaka-up.or.jp/books/ISBN978-4-87259-759-2.html

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