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『ものと人間の文化史190 寒天』 【大学出版へのいざない14】

『ものと人間の文化史190 寒天』 【大学出版へのいざない14】

中村弘行(元小田原短期大学教授)

 テングサの煮汁をこした溶液は常温で固まる。それがトコロテンである。トコロテンは飛鳥時代から作られた。そのトコロテンを凍結・融解・乾燥、つまり寒ざらし(フリーズドライ)にしたものが寒天である。江戸時代初期に京都で発明され、摂津、薩摩、信州、天城、岐阜、樺太へと伝わった。本書は、各地へ伝播した寒天産業の盛衰を時系列に沿って体系化した本邦初の本格通史である。ここでは、私自身が「あっ!」と驚いた新事実を3つ紹介しよう。

1.「寒天の発明」以前にあった寒天
 寒天は従来、京都伏見の旅館館主・美濃屋太郎左衛門が1657年ごろに発明し、「心太の干物」として販売、これを食べた隠元禅師が「寒天」と名づけたとされてきた。しかし私の調査では、もっと以前に寒天は作られていた。茶人・金森宗和の『宗和献立』の「こごりところてん」(1655年)、金閣寺住職・鳳林承章の『隔蓂記』の「氷心太」(1641年)がそれである。『隔蓂記』には、「氷豆腐」(高野豆腐)、「氷餅」、「氷こんにゃく」も登場する。これらは鎌倉時代から作られていた寒ざらし食品である。トコロテンの寒ざらしは、それにヒントを得た名もなき人々によって発明されたと思われる。

2.岐阜寒天の創始者は菖蒲治太郎
 岐阜寒天は大正時代に農家の副業として始まった。従来、県農務課副業担当の大口鉄九郎が岐阜寒天の創始者とされてきた。しかし、大口は寒天製造の専門家ではない。水産伝習所出身の菖蒲治太郎こそ真の創始者である。
佐賀県に生まれた彼は1893年(明治26)、水産伝習所製造科に入学し寒天製造を学んだ。水産伝習所は1888年(明治21)に誕生した私立の教育機関である。1897年(明治30)に国立の水産講習所となり、戦後、東京水産大学、東京海洋大学へと発展した。

 朝鮮総督府で寒天製造の実績を積んだ彼は1921年(大正10)、岐阜県に派遣され、農家の青年たちに寒天製造を教えた。1928年(昭和3)、3人の青年が最初の工場を立ち上げたが大赤字。昭和初期の大不況下、彼は大口鉄九郎とともにどん底からはいあがろうとする3人を激励し支援した。彼らが赤字を克服すると寒天製造を志す者は増え、3年後には25工場にまでなり、今日の岐阜寒天の基礎を築いた。

 私は東京海洋大学附属図書館で菖蒲が筆記した「水産動物学」の講義録を見せてもらった。その端正な文字と精緻な絵に圧倒された(本書に収録)。

3.樺太寒天史を解き明かす一人の医師の手記
 樺太寒天の原料はテングサではなく遠淵湖産の無名の海藻である。トコロテンにすると黒褐色のため脱色法の研究を要した。1915年(大正4)、東京深川の材木商・杉浦六弥が、水産講習所の技手・伊谷以知二郎の支援を得て脱色法の開発に成功し、製造特許を得た(彼は無名の海藻を「伊谷草」と名づけた)。1920年(大正9)樺太寒天合資会社設立。杉浦は特許権を理由に伊谷草採取と寒天製造を独占した。従来、この樺太寒天合資会社の寒天がイコール樺太寒天とされてきた。

 私が東京都港区にあった一般社団法人全国樺太連盟(2021年解散)を訪ねたのは、2017年(平成29)10月下旬のことである。『異国となった遠淵村』という本を借りて読んだ。それには、伊谷草の採取権を求めて寒天会社と闘った遠淵漁業協同組合の話が書かれていた。私が注目したのはその闘いを香曽我部穎良という一人の医師が支援したことだった。その珍しい名字を頼りにインターネットで子孫を探し、同年12月15日、穎良自身が書き残した手記を借り受けた。これで真の樺太寒天史が書ける! と思った瞬間だった。

 樺太寒天合資会社のやり方は非道だった。杉浦は伊谷草の採取を、遠淵湖を漁場とする漁協にではなく低賃金で雇った北海道の採取労働者にあたらせた。調停役になるべき樺太庁は、あろうことか、漁協に対して「作れないのだから採るな」と言い放った。漁民は途方に暮れた。

 杉浦の独占に風穴をあけたのは、漁業組合長になった医師・穎良だった。材木業で失敗した杉浦の特許料不納を見抜いたのだ。一転、樺太庁は漁協の伊谷草採取権を承認。漁協側はさらに裁判闘争・帝国議会請願を行い、1935年(昭和10)には寒天製造権をも獲得した。敗戦にいたるまで、漁協は30余りの個人工場で寒天を製造・販売した。

 2019年(令和元)8月(新型コロナ流行直前)、私はサハリンに渡り、コルサコフの杉浦の樺太寒天合資会社跡、ブッセ湖(遠淵湖)畔の漁民の寒天工場跡を見学した。詳しくは本書「第10章 サハリンに日本人寒天遺跡を訪ねて」をお読みいただきたい。

 
 
 
 
 


書名:『ものと人間の文化史190 寒天』
著者名:中村弘行
出版社名:法政大学出版局
判型/製本形式/ページ数:四六判/上製/本文316頁・口絵8頁
税込価格:3,300円
ISBNコード:978-4-588-21901-6
Cコード:C0320
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https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-21901-6.html

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